④壺割坂
十八丁目あたりの坂をいう。『堀河之水』は「愛宕山は清涼の地にして、坊舎軒をならべ。(中略)その院々の外に、別に蔵をつくれる。これを壺蔵と云ふ。その故は、四月の頃宇治に遣されて茶を詰たる御壺を直にこの山にのぼされて。かの壺蔵におさめさせて六月を過し。秋風ひややかになる頃、これをとり出し侍る」と記す。江戸期には宇治の新茶を清涼な山上に貯蔵し、秋になると江戸幕府へ献上していた。ある時、この坂でお茶壺を割ってしまったので、この名がついたという。
⑧千日詣
古くは「専一詣」といい、旧暦六月二十四日に行われていた古代の鎮火祭が起源。七月三十一日夜九時に夕御饌祭、八月一日午前二時に朝御饌祭がそれぞれ執り行われる。この日に参拝すれば千日分の御利益が得られるという。『京羽二重』に、愛宕山千日詣は六月二十四日という記事が見える。また、『洛陽名所集』は、千日詣での様子を次のように伝える。「無月の下の四日を千日詣とて。夜とともに行き集ふ人々。松明灯し立て九折よじ登りしままに」。
⑨幼児を背負って参拝
三歳までの幼児を背負って愛宕神社に参拝すると、その子は一生火難を免れるという信仰がある。『京師巡覧集』に「子ずれでのぼる人多し」と見えるように、江戸期には、幼児を背負って五十丁もの坂を登り愛宕詣でする人が多かった。この信仰は現在にも残っている。
⑩不浄のある人は参拝できない
火の神は不浄を嫌う。不浄(けがれ)のある人が強いて登ると腹痛を起こすという。
⑪樒のお守り
神社で用いる神花は榊であるのが普通だが、愛宕神社では火伏の神花はなぜか樒である。本宮に参拝し、「愛宕大神守護所」と記した守札を受ける。この守札を、別に買い求めた樒に括りつけて持って帰る。これを竈(今では台所)に挿し、火難除けにする。竈に挿した樒は、いつまでたっても枯葉が落ちないので不思議だという。ちなみに、愛宕山には樒が多数生育する樒が原という地がある。『菟芸泥赴』に「札をもとめて樒にそへ、下山して家内に挿す」とある。江戸期には赤前垂をした水尾の女が、山上に設けた売場で樒を売ることに決まっていた。今でも黒門の手前にハナ売場が設けられている。
⑮空也滝の土砂
月輪寺から下山すると舗装された林道に出会う。この出会いにある石段道を登ると空也滝がある。高さ12メートル、幅1メートルあり、京都近郊では最大級。名の由来は、今から千年ほど前、空也上人の修行場であったことにちなむ。滝水は幾筋にも別れて岩肌を滔々と流れており、夏でも肌寒いほどである。愛宕の神は、物に対する執着が強いので、滝つぼの土砂すら持ち去られるのも忌むという。強いて土砂を取ると体の具合が悪くなることから、「空也滝の土砂は取るな」という信仰が出来た。今でも熱心な信者が多く、香華が絶えない。 |
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空也滝 |
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