
四派の松 |
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①四派の松
三門の後、仏殿の前の竹垣に囲まれた四本の松をいう。妙心寺は末寺が多いこともあって、龍泉(東北の松、以下同じ)、東海(西北)、霊雲(東南)、聖澤(西南)の四派に別れているが、それぞれの派を一つの松で表わしている。名木として著名であり、『都花月名所』に「妙心寺第六世より宗意四派に別れしその証として植置しと也。この地松樹相応なるかな四時共に蒼色麗しくて氷霜の操をあらはす」とある。
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②雲龍図(八方睨みの龍)
仏殿の後にある法堂は、明暦三年(1657)の建立。鏡天井の雲龍図は狩野探幽が描いたもので、どこから見ても睨んでいるように見えることから、「八方睨みの龍」と呼ばれる。『都林泉名所図会』によると、探幽が龍の眼晴を点じようとした日、にわかに掻き曇って暴風雨になったという。重要文化財。
③妙心寺鐘(黄鐘調の鐘)
この古鐘は、以前は法堂の西南にある鐘楼に釣られていたが、老朽化してひび割れの恐れが出てきたため、法堂に移された。高さ約1.5メートル、口径約86センチメートル、重さ約825キログラムの古鐘。記年銘のあるものとしては日本最古のもので国宝。日本三古鐘の一つ。この鐘の音色が雅楽十二律の黄鐘調に似ていることから、「黄鐘調の鐘」ともいう。銘に「戊戌年四月十三日 壬寅収糟屋評造春米連広国鋳鐘」とあり、文武天皇二年戊戌(698)に鋳造されたことが分かる。『都林泉名勝図会』に「浄金剛院という寺が廃寺になって古鐘も地元の農民の手に渡った。ある時、古鐘を売って鋤や鎌に替えようと思って農民が寺の前を通りかかった。これを見た開山は、農民を呼び止めてわけを聞き、この古鐘を鳥目一貫文で買った」とある。一説に法金剛院にあった鐘という(『菟芸泥赴』)。『徒然草』に「およそ鐘の声は黄鐘調なるべし・・・浄金剛院の鐘の声また黄鐘調なり」とあるように、黄鐘調の鐘は昔から尊ばれた。
以下は非公開塔頭にあるので、参考までに記した。
⑥釈迦涅槃像
塔頭玉鳳院の東に接した涅槃堂にある。吉岡豊前守藤原重次という鋳物師が黄銅で涅槃像を作って奉納したものという。日本三大涅槃像の一つ。『山州名跡志』に「涅槃像長さ三尺ばかり。紫銅を以て榾を作り其の面にて紋の如くに彫り現す。人面皆鍍金を以てす。世に用る所の画像に同じ」と涅槃像の珍しさを指摘している。
⑦開山足洗石
塔頭大龍院の方丈の後にある二つの石をいう。開山が天竜寺の夢窓国師を訪ねて教えを乞うとき、嵯峨野の小川で足を洗って身を清めた。それを知った天竜寺の門徒がその小川の傍らにこの石を置いて、開山の便宜に供したという。傍らの石碑に開山が足を洗っている絵が刻まれている(本項は『京の七不思議』、『昭和京都名所図会』による。以下⑧、⑨も同じ)。
⑧さざれ石
塔頭春光院の南庭にある石をいう。この石にちなんで、南庭は「さざれ石の庭」と呼ばれている。
⑨南蛮渡来の鐘(南蛮寺鐘)
塔頭春光院にある南蛮の鐘をいう。信長時代の南蛮寺にあった風鈴の一つで、今では舌がないので、打鐘で鳴らされる。鐘にはイエス・キリストの略字HISの文字が記されてその上に十字架、下に三枝花文様をあらわし、反対側に1577(天正五年)の銘がある。高さ約61センチメートル、口径約44センチメートル、重さ約160キログラム。
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