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洛西
妙心寺

法堂


アクセス
JR京都駅→嵯峨野線(14分)→花園
歩行距離等
●歩行距離:1キロ
●所要時間:1時間

■歴史 双ケ丘の東に位置し、寺域の東を宇多川が流れる。正法山(しょうぼうさん)と号し、臨済宗妙心寺派の大本山。本尊は釈迦如来。花園天皇の発願で建武四年(1337)、花園離宮を禅寺に改めて開創。開山は大徳寺開山の宗峰妙超の弟子の関山(かんざん)()(げん)。応仁の乱で荒廃したが、(せっ)江宗(こうそう)(しん)が細川勝元らの援助により再建。創建以来大徳寺の末寺的存在であったが、永正年間(150421)にこの慣例を破り、大徳寺から独立。江戸初期には紫衣事件(1627)などもあり幕府と対立したが、後に白隠(はくいん)()(かく)ら多数の逸材を輩出して隆盛。徹底した組織運営により臨済宗第一教団を形成した。このことにちなみ「妙心寺の算盤面(そろばんづら)」と称された。

■見どころ 10万坪に及ぶ広大な山内には、主として十七世紀中ごろに造営された諸堂が建ち並び、また四十六もの塔頭が軒を並べている様は壮観。三門は慶長四年(1599)の造営、仏殿は文政十年(1827)に新しく造り替えられたもので、禅宗仏殿の在りようを良く示している。重要文化財。

不思議

四派の松
四派(しは)の松
 三門の後、仏殿の前の竹垣に囲まれた四本の松をいう。妙心寺は末寺が多いこともあって、龍泉(東北の松、以下同じ)、東海(西北)、霊雲(東南)、聖澤(西南)の四派に別れているが、それぞれの派を一つの松で表わしている。名木として著名であり、『都花月名所』に「妙心寺第六世より宗意四派に別れしその証として植置しと也。この地松樹相応なるかな四時共に蒼色麗しくて氷霜の操をあらはす」とある。


②雲龍図(八方睨みの龍)

仏殿の後にある法堂は、明暦三年(1657)の建立。鏡天井の雲龍図は狩野探幽が描いたもので、どこから見ても睨んでいるように見えることから、「八方睨みの龍」と呼ばれる。『都林泉名所図会』によると、探幽が龍の眼晴を点じようとした日、にわかに掻き曇って暴風雨になったという。重要文化財。


③妙心寺鐘(黄鐘調(おうじきちょう)の鐘)

この古鐘は、以前は法堂の西南にある鐘楼に釣られていたが、老朽化してひび割れの恐れが出てきたため、法堂に移された。高さ約1.5メートル、口径約86センチメートル、重さ約825キログラムの古鐘。記年銘のあるものとしては日本最古のもので国宝。日本三古鐘の一つ。この鐘の音色が雅楽十二律の黄鐘調に似ていることから、「黄鐘調の鐘」ともいう。銘に「戊戌年四月十三日 壬寅収糟屋評造春米連広国鋳鐘」とあり、文武天皇二年戊戌(698)に鋳造されたことが分かる。『都林泉名勝図会』に「浄金剛院という寺が廃寺になって古鐘も地元の農民の手に渡った。ある時、古鐘を売って鋤や鎌に替えようと思って農民が寺の前を通りかかった。これを見た開山は、農民を呼び止めてわけを聞き、この古鐘を鳥目一貫文で買った」とある。一説に法金剛院にあった鐘という(『菟芸泥赴』)。『徒然草』に「およそ鐘の声は黄鐘調なるべし・・・浄金剛院の鐘の声また黄鐘調なり」とあるように、黄鐘調の鐘は昔から尊ばれた。

④明智風呂

三門の東にある浴室をいう。明智光秀の叔父、密宗和尚が光秀の菩提追善のため天正十五年(1587)に建立したもので、蒸風呂の形式。切妻・瓦葺の単層の建物で、普段は和尚が日を定めて入浴したが、光秀の命日には庶民にも入浴を許したという。重要文化財。


明智風呂の内部


牛石

⑤牛石

 塔頭玉鳳院(開山堂)の前にある牛の形をした自然石をいう。駒札にはこうある。開山が伊深(岐阜県美濃加茂市)にいたとき、村人から請われて、牛を追い草を刈り田畑を耕す日を送っていた。その後、花園天皇の招請を受けて京都に上るとき、慣れ親しんだ牛が涙を流して後を追ったという。開山が亡くなって六百年に当たる昭和三十四年、滋賀県安土町の摠見寺でこの「牛石」が見つかり、開山堂の前に奉納された。



 

以下は非公開塔頭にあるので、参考までに記した。

⑥釈迦涅槃像

塔頭玉鳳院の東に接した涅槃堂にある。吉岡豊前守藤原重次という鋳物師が黄銅で涅槃像を作って奉納したものという。日本三大涅槃像の一つ。『山州名跡志』に「涅槃像長さ三尺ばかり。(から)(かね)を以て(ほた)を作り其の面にて紋の如くに彫り現す。人面皆鍍金を以てす。世に用る所の画像に同じ」と涅槃像の珍しさを指摘している。


⑦開山足洗石

塔頭大龍院の方丈の後にある二つの石をいう。開山が天竜寺の夢窓国師を訪ねて教えを乞うとき、嵯峨野の小川で足を洗って身を清めた。それを知った天竜寺の門徒がその小川の傍らにこの石を置いて、開山の便宜に供したという。傍らの石碑に開山が足を洗っている絵が刻まれている(本項は『京の七不思議』、『昭和京都名所図会』による。以下⑧、⑨も同じ)。


⑧さざれ石

塔頭春光院の南庭にある石をいう。この石にちなんで、南庭は「さざれ石の庭」と呼ばれている。


⑨南蛮渡来の鐘(南蛮寺鐘)
 塔頭春光院にある南蛮の鐘をいう。信長時代の南蛮寺にあった風鈴の一つで、今では舌がないので、打鐘で鳴らされる。鐘にはイエス・キリストの略字HISの文字が記されてその上に十字架、下に三枝花文様をあらわし、反対側に1577(天正五年)の銘がある。高さ約61センチメートル、口径約44センチメートル、重さ約160キログラム。




コラムその16 松の話
松は古来より長寿や節操のシンボルとして尊ばれてきた。石と同様、松にまつわる不思議は多い。本書でも四派の松(妙心寺)のほか、影向松(北野天満宮)、蓮生坊鎧懸松(光戒光明寺)、 時雨松(浄光寺)などを収録しているが、他にも鳥羽天皇御寵愛の松(伏見区竹田の北向不動院)、夜泣止の松(本隆寺)、袖摺松(妙喜庵)、相生松(松尾大社)、遊龍松(善峯寺)など、枚挙に暇がない。































妙心寺不思議探訪順路(イメージ)


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