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洛西
金閣寺

金閣寺舎利殿


アクセス
JR京都駅中央口→市バス205系統(33分)→金閣寺前
歩行距離等
●歩行距離:2キロ
●所要時間:2時間

■今に残る金閣寺八景 江戸期は北方の奇観(『都花月名所』)などと形容された名所。しかし、特別のつてがなければ見物でできなかったので、庶民はもとより、文人墨客の垂涎の的であった(『京内まいり』、『都名所車』など)。有名寺院には十境などと称して佳境の数を競う風があったが、今では十境などといってもその全てが残っている寺院は少ない。こうした中、金閣寺には八景というものがあり、そのすべてがほぼ変わらずに残っているのは珍しい。その八景とは、法水院、潮音洞、究竟頂、鏡湖池、岩下水、龍門瀑、銀河泉、安民沢がこれである(『雍州府志』など)

■歴史 臨済宗相国寺派本山相国寺の山外塔頭。山号は北山(ほくざん)。正しくは鹿苑寺。世界文化遺産。本尊は(しょう)観世音菩薩。足利義満が西園寺家の別業であったこの地を得て応永四年(1397)に造営した北山殿に始まる。夢窓疎石を勧請開山とし、義満の没後に禅寺となった。寺名は義満の法号「鹿苑院殿」に由来。応仁の乱で荒廃したが、西笑承兌(せいしょうじょうたい)や鳳林承章らの傑僧が豊臣秀吉や徳川家康の援助を得て復興した。

■見どころ 創建時の金閣は昭和二十五年(1950)焼失し、同三十年に再建された。金閣(舎利殿)の初層の()水院(すいいん)、二層目の潮音洞は住宅風、三層目の究竟頂は禅宗様の仏堂風となっている。金閣を映す鏡湖池は、九山八海石や赤松石などの名石により、夢幻的な美観が形成されている。境内には金森宗和(江戸前期の茶人。公家風の優雅な茶を大成したので姫宗和とも)好みの茶席夕佳亭(せっかてい)がある。庭園は特別史跡・特別名勝。

不思議

浄蔵貴所の塔
浄蔵(じょうぞう)貴所(きしょ)の塔

総門を入って左手にある鐘楼の背後にある。高さ1メートルほどの細長い五輪塔。駒札がないので所在が分かりずらい。『雍州府志』に「伝言ふ。(おこり)を患う者の之に祈るは則ち平癒す」とある。浄蔵は一条戻橋の奇跡で有名な人物である。『京羽二重』に「むかし八坂の雲居寺の浄蔵大みねに行しころ、父三善清行、都にてむなしく成りたまふよし聞き、いそぎのぼりこの橋にて葬礼に逢り。棺にむかひていのり加持しければ、清行蘇生しうちつれ家に戻られしより橋の名とす」とあるのを始め、類書に事欠かない。浄蔵貴所の塔と称する石塔は、北野天満宮の南の鳥居の傍らにもあったが、明治維新の際に西隣の東向観音寺に移された。

(きょう)()()の名石

 中央の葦原島の右横に細川石、同じく北側に九山八海石、出島の北側に赤松石と畠山石、金閣の南側そばに四つの夜泣石など、名石が並ぶ。中でも九山八海石は、名石として名高い。これらの名石は、足利義満の求めに応じて全国の守護大名が献じたものという。『山州名跡志』に「九山八海石は閣前池の中に在り。秀吉公の代、諸所の名石取り聚楽亭に移し玉へり。世人これを石狩と云ふ。この石独り、狩に漏たり」とあるように、鏡湖池にはまだまだ沢山の名石があったようだ。


夜泣石(中央)



③金閣

閣中を金箔で張りつめている。『雍州府志』は「閣の内外、悉く金箔を貼す。世に金閣と称す」といい、『京羽二重』は「閣の内外ともに金箔を以てかざりとす。これ故に世人金閣と号す」という。


銀河泉

④銀河泉

金閣の背後にある。義満が茶の湯に汲んだ水という。残念ながら、今は鉄分が滲出して、飲用は無理なようだ。銀河泉の右手にある巌河水(岩下水)は、同じく義満の手洗いの水と伝える。

⑤白蛇塔

安民沢の中島にある石塔。西園寺家の地主神を祀ったという。


白蛇塔


南天の床柱

⑥南天の床柱

夕佳亭(茶室)の床柱は南天の幹が使われている。南天の幹は、ふつうごく細いのに、ここのものは太くて立派。この茶亭については、『山州名勝志』巻七に「沢の東、上壇の地西面に在り。同所内の額即休。この所茅葺の茶亭なり」とある。『山城名跡巡行志』巻四は額が即休筆とのみ記す。

⑦石不動

夕佳亭の奥にある不動堂に祀られている石の不動明王のこと。『拾遺都名所図会』に「本尊の不動明王は立像六尺二寸、脇士は金伽羅・勢多迦の二尊も立像にして、三尺ばかりなり。前に高麗犬あり。ともにみな石をもつて作る。これ弘法大師の作なり。安置するところは岩窟なり。また堂内の地蔵尊は安阿弥の作にして、南の壇に宝冠の釈迦仏また不動尊を安置す。これ智証大師の作なり。この像頭髪なし、剃るがごとくなり」とある。この不動は西園寺家の本尊であるとの説もある(『京城勝覧』)。この石不動と智証大師作の作毛不動は江戸期に名不動の一つに数えられていた(『京羽二重』)。


不動堂


空海登天石

⑧空海登天石

 不動堂の左手、登天石と彫った石標の背後にある。由緒は分からないが、弘法大師が石不動を作ったことに関係がありそうだ。登天石の背後には空海の井戸と伝える古井がある。

鏡石(かがみいし)

 金閣寺から北へ鷹が峰に至る鏡石通の路傍の左手にある(金閣寺から約750メートル)。道路拡幅により切り取られて今は見る影もないが、昭和50年代まではまだ光り輝いていたそうだ。『都名所図会』に「金閣寺の北、紙屋川のうへにあり。石面水晶のごとく影をうつすをもつて名とせり。鏡石は物の影よくうつりて、あきらかなる怪石なり。むかし唐土に仙人鏡といふ石あり。形広大にして石面皎々たり。よく人の五臓をうつす。病あるときは、すなはちその形をあらはすとぞ。これらのたぐひとやいふべき」と説明。さらに古今和歌集にある紀貫之の歌「うば玉のわが黒髪やかはるらん鏡の影にふれる白雪」を紹介している。今、鏡石は、大北山鏡石町という町名になって残る。


鏡石








金閣寺不思議探訪順路(イメージ


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