⑧蛸薬師堂(永福寺)
永福寺は浄土宗西山深草派で、本尊は石造薬師如来像。この本尊を世に蛸薬師という。名薬師の一つで、薬師十二所参りの一つで知られている(『京羽二重』巻二、『都すずめ案内者』)。蛸には毛がないので、髪の毛が薄かったり縮れ毛の女が蛸の絵馬を奉納すると、髪が豊かになったり、縮れ毛が治るという信仰がある。
蛸薬師の名のいわれについては諸説がある。興味深いので、そのいくつかを紹介しておこう。
『山州名跡志』 養和年間(1181~82)に二条に裕福な商人がいた。病を得て、比叡山の根本中堂の薬師仏に詣でることが不可能になったので、代わりに従者を毎日参詣させていた。ある時、本尊薬師仏から、北谷の山中に埋れている薬師仏の石像を掘って拝むとよいという夢告があった。それで埋れていた石像を掘り出して毎日拝むと、忽ち病が治ったという。
『京童』・『京師巡覧集』・『出来斎京土産』 蛸屋という家の隅にある唐臼の壺から夜な夜な光がさすので、不思議に思い掘ってみると、その石に薬師の御かたちがあった。蛸屋の薬師さまということで、蛸薬師になった。
『京童』・『出来斎京土産』・『山州名跡志』 比叡山の僧が老母を寺で養っていたところ、老母が重病になった。老母は蛸が好きだったのでそれを求めたが、魚肉を寺門に入れることは禁じられている。僧は、重病の母に孝養を尽くすのがなぜ悪いと思って、蛸を寺門に持ち込もうとしたところ、薬師如来が現れて蛸を経の巻物に変えてくれた。そのおかげで、老母に蛸を食させたところ、病を癒せることができた。この薬師を安置しているので、蛸薬師という。
『都名所図会』 本尊薬師を池中の島に安置したので、世に水上薬師と呼ばれた。また澤薬師と称したが、後に誤って蛸薬師というようになった。
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