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洛中
京都御苑

京都御所建礼門


アクセス
JR京都駅→地下鉄烏丸線(9分)→今出川→石薬師御門(スタート)→堪木口(ゴール)→丸太町→地下鉄烏丸線(7分)→JR京都駅
歩行距離等
●歩行距離:2キロ
●所要時間:1時間

■内裏と庶民 江戸期の庶民にとって御所(内裏)は近づきがたい場所であったので、御所の内を事細かに案内している地誌はあまり多くはない。『都名所車』に「内裏を禁中と申すは、いやしき凡外の分禁中(いましめうち)へ入れざる義なり。四方に十二門すべて禁門とす。公家衆の参内は公家門より御出入り。仙洞御所、女院御所、親王の御宅その外諸官の家々御築地の内あり。禁中の内へは常に入らず。時によつて御ゆるしありて拝覧する事あり」とあり、これが御所に対する庶民の平均的な感覚だった

■京都御所 平安京の大内裏が焼失して皇居が貴族の邸宅に移ることを里内裏といい、今の御所は南北朝時代の元弘元年(1331)光厳天皇のときの里内裏であった土御門東洞院殿に始まる。幾たびか焼亡し、織田信長や豊臣秀吉が再建。江戸期には老中松平定信が裏松光世の『大内裏図考証』に従って承明門・清涼殿・紫宸殿などを平安期の様式に復元したが、これらの建物も安政元年(1854)に焼失。翌年再興されたものが現在の御所で、明治維新まで歴代天皇の皇居であった。

■京都御苑 上京区の東南部に位置し、北を今出川通、南を丸太町通、東を寺町通、西を烏丸通で囲まれる。東西約700メートル、南北約1,300メートルの長方形で総面積約92ヘクタール。中心部に御所、その東に京都迎賓館、その南に仙洞御所・大宮御所があり、それらの周囲を元公家屋敷跡であった苑地が取巻いている。苑地には、マツ・クスノキ・ケヤキ・エノキ・イチョウや梅・桃・桜・楓などの樹木が約5万本もあり、「国民公園」として市民の憩いの場となっている。現在、御苑の歴史的遺構として九条家邸跡、鷹司邸跡、学習院跡、染殿跡、猿ヶ辻、(さちの)()、近衛邸跡、一条邸跡・県井、蛤御門などがある。京都三大祭のうち葵祭(五月十五日)と時代祭(十月二十二日)は、御苑から出発する。

不思議

石薬師御門

①石薬師御門

石薬師通に面していることからこの名がある。東京遷都に反対した市民が明治二年(1869)九月二十四日、天皇の還幸を求めて町組の旗を立て石薬師御門周辺に集まるという「お千度廻り事件」の舞台となった。



(さちの)()

 御所東北隅猿ヶ辻(さるがつじ)の北東にある。『京都坊目誌』に「猿ヶ辻の東北石薬師通に南面す。明治天皇御降誕の所にして。御産湯に用ひし祐ノ井存す」とある。『京都民俗志』は「御所の築地の北方、旧中山邸址にある。嘉永七年(1854)大干ばつの時に良水を得るために掘削されたもので、いかなる年にも水量に増減がないという。傍らに明治十年七月、中山忠純の建てた祐井の碑がある」と記す。井戸は白川石の井桁で組まれた四角いもので、芝生の中に現存している。井戸の名は天皇の幼名の(さちの)(みや)にちなんで名付けられた。ちなみに旧中山邸は天皇の母中山慶子の実家で、天皇はここで四年間養育を受けたという。





③猿ヶ辻

猿ヶ辻は御所の東北隅あたりをいう。名の由来は、築垣屋根の(かえる)(また)に猿の彫刻があるため。東北は鬼門に当たるので、それを守護するために日吉山王社の神使の猿を置いたもの。この猿、御幣を持っているのはいいとしても、金網で閉じ込められているのが不思議だ。『京都民俗志』は、「猿は名工左甚五郎の作と伝え、あまりによくできていたので、夜中に抜け出して悪戯をしてまわり、ついに帝の耳まで入った。金網をかぶせて釘付けにしたら悪戯がやんだ」という。文久三年(1863)尊攘派の公家姉小路公知がこの付近で暗殺された。この事件を「猿ヶ辻の変」という。


御幣を担いだ猿


旧近衛家の糸桜

④旧近衛家庭園の糸桜

今出川通に面した今出川御門の南西にある旧近衛家庭園の西、木柵で囲った糸桜の一群をいう。池泉回遊式の旧近衛家庭園を背景に、咲き乱れる糸桜(シダレザクラ)は「近衛の糸桜」にちなんで植えられたもの。

近衛家は、藤原北家の嫡流で五摂家の筆頭の家柄。江戸末期まで多数の摂政や関白を輩出した。現在は、この庭園しか残されていないが、かつては池の西側に大きな邸宅があり、池のほとりには、有名な糸桜があった。『京町鑑』に「近衛殿桜御所。これ世に近衛殿の糸桜といふは、この所の事也」とある。孝明天皇も安政二年(1855)御幸の折、次の歌を詠んでいる。「昔より名には聞けども今日みれば むへめかれせぬ糸さくらかな」

(あがたの)()

乾御門の南、宮内庁京都事務所の西側にある。染井(そめのい)佐女(さめ)()()と並び京都三名水の一つ。二本足の瓦葺の覆屋があり、四角い石の井戸枠に「縣井戸」と彫られている。このあたりは元一条家の屋敷があったところで、昭憲皇太后(明治天皇の皇后。名は美子、左大臣一条忠香の女)の産湯井と伝える。平安以来有名な井で、十世紀後半に成立した『大和物語』に大膳頭公平の娘が傍らに住んでいたことが見えるし、『枕草子』にも「家は県の井」と名を挙げる。江戸期の地誌も例外なく名水として名を挙げる。この井の傍らに「県宮」という小祠があったようで、井の名もこれにちなむ。『山城名勝志』に「永正日記に云ふ。県の除目の時、これを汲みて除目の綸旨を書く云々」とか、『京羽二重』に「県宮。この御神は県召の除目行はるる時、諸国の外官祈りしける御神とぞ」とある。一帯は山吹の名所であったようで、次の有名な歌が残る。

蛙なくあがたの井戸に春くれて咲やしぬらん山吹の花(続後撰和歌集) 後鳥羽院


県の井


御車返しの桜

⑥御車返しの桜

中立売御門の西、御所に突き当たった北西角にある。竹垣を巡らせた中に五株ほどの桜がある。『京都坊目誌』は、左大臣西園寺公相が自邸を今出川と称したので今出川殿(菊亭ともいう)といわれるようになったとし、「後水尾天皇御愛樹の車返桜は今尚旧地に存す」という。後水尾天皇がこの桜の余りにも見事さに、御車を返させて鑑賞したという。

⑦蛤御門

中立売御門の南の門で烏丸通に西面する。元は新在家門といって門扉は常に閉じていたが、天明大火(1788)の時開放されたので、人呼んで蛤御門という(『京都坊目誌』、駒札では宝永の大火(1708)説を採る)。焼けて口開く蛤にたとえられたのであろう。『京町鑑』や『山城名跡巡行志』にも「蛤御門」という文字が見える。

幕末の元治元年(1864)、この門の周辺で尊攘派の長州藩と御所の護衛に当たっていた公武合体派の会津、薩摩藩との間で激戦が行われた。この戦いが「蛤御門の変」(禁門の変)で、門の梁にはその時の鉄砲の弾痕が何箇所も残る。


蛤御門の今に残る弾痕


桜松

桜松

御所建春門前の学習院跡の南にある。松の木から桜が生えているのが珍しい。駒札に「この倒れた木はクロマツの中にヤマザクラが生えていたもので〝桜松〞とか〝松木の桜〞と呼ばれ、親しまれていた。クロマツは約百年、ヤマザクラは約四十年の樹齢と推定される。枯れたクロマツの空洞に、ヤマザクラが根を張り毎年花を咲かせていたが、親のクロマツは平成八年に倒れてしまった。クロマツは枯れても、子の桜はぐんぐん育っている」とある。

⑨厳島神社の唐破風鳥居

厳島神社は旧九条家の鎮守社。祭神は(いち)杵島(きしま)(ひめの)(みこと)瑞津(たきつ)(ひめの)(みこと)()(ごり)(ひめの)(みこと)、祇園女御。丸太町通に面した堺町御門左手の旧九条家邸跡の拾翠池の島中にある。社伝によると、平清盛が安芸の国佐伯郡に座す厳島大神を摂津の国莵原郡兵庫築島(神戸市兵庫区永沢町)に一社を設けてこの大神を勧請。清盛の母祇園女御をも合祀していたが、後年、九条家邸内拾翠池の島中に移転遷座(濫觴年代等は天明八年京都大火の際、旧地悉く焼亡して不詳)。この地が旧公爵九条家の邸内に属したことから同家の鎮守となったという。社前の石鳥居(重要美術品・室町)は小型であるが、笠木と島木がともに唐破風となっているのが珍しい。


厳島神社の唐破風鳥居


旧二条城の石垣

⑩椹(さわら)木口(きくち)の旧二条城石垣

椹木口は、下立売御門の南、烏丸通に西面する。織田信長が永禄十二年(1569)、室町幕府十五代将軍足利義昭のため十三代将軍旧足利義輝邸を再興して二条城を築く。信長は築城工事を急ぎ、付近にあった庭石・石灯籠は言うに及ばず、石仏・五輪塔・墓石までも強引に徴発して濠の石垣を築いた。居館も法華宗本山であった本国寺の建物を徴発。このため都人から強く非難されたという。1974年の地下鉄烏丸線敷設工事で旧二条城の石垣が出土したので、椹木口の石垣として再利用された。なお、旧二条城跡碑は、椹木口から烏丸通を一筋上った下立売通を西へ約150メートルの道路南側にある。


 



コラムその14 京都御苑にある門

京都御所の出入口門は、南にある建礼門から時計回りに宜秋門、清所門、皇后門(准皇御殿御門)、朔平門、建春門の六門がある。各門の建築様式や用途は次のとおり。

・建礼門:桧皮葺四脚門。駒寄せ()付き。天皇が出入りした。

・宜秋門: 桧皮葺四脚門。駒寄せ()付き。宮、摂家その他公卿が参内した。公家門ともいった。

・清所門: 本瓦葺四脚門。皇子女の参内初めに使った。また御所の勝手口の役割を荷ったので御台所御門ともいった。

・皇后門:本瓦葺薬医門。薬医門は、本柱の後方に控柱を二本立て、切妻屋根をかけたもの。皇后宮御殿の通用門。

・朔平門: 桧皮葺四脚門。駒寄せ()付き。皇后宮御殿の正門。

・建春門: 桧皮葺四脚唐門。駒寄せ()付き。皇太子や勅使が出入りした。

 一方、京都御所を取巻く京都御苑には、丸太町通に面した堺町御門から時計回りに下立売御門、蛤御門、中立売御門、乾御門、今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門の九門がある。建築様式はいずれも高麗門。普通の屋根以外に左右の控柱の上にも屋根のある門を高麗門といい、城郭の門に多い。













































京都御苑不思議探訪順路(イメージ)


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