⑨梅ヶ枝の手水鉢
堀川通の一本西にある西堀川通と木津屋橋通の交差点の北東角にある。現物は何の変哲もなさそうな長方形の石なので、これが手水鉢かと驚く。背後の駒札を見過ごさないように注意しよう。この手水鉢のいわれはこうである。源平宇治川合戦で遅れをとった源氏の武将梶原影季は源頼朝の不興を買い、やがて女房千鳥は神崎の廓で、遊女「梅ヶ枝」にまで身を落とした。寿永三年(1184)影季は一ノ谷合戦に出陣を願っていたが、頼みの鎧は借金三百両のかたに質入中。この時梅ヶ枝がお金の工面を祈ったというのがこの手水鉢。手水鉢を必死で叩くと不思議なことに小判が降ってきて、このお金で影季は無事出陣できたという。假名垣魯文作の歌舞伎「ひらかな盛衰記」の一節である。明治から大正にかけて次の俗謡が流行した。
梅が枝の手水鉢 叩いてお金がでるならば
若しもお金が出た時は
その時や身請をそれ頼む
この手水鉢は、第二次大戦中に行われた堀川改修の際に発見されて鑑定の結果、本物であることが確認されたという。
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