ヘッダーイメージ 本文へジャンプ

洛北
上賀茂神社・下鴨神社


下鴨神社楼門


アクセス
JR京都駅中央口→市バス4系統(40分)→上賀茂神社前(スタート)→下鴨神社(ゴール)→市バス4系統(30分)→JR京都駅

歩行距離等
●歩行距離:8キロ
●所要時間:3時間

○上賀茂神社

■江戸期の上賀茂社 『都名所車』に「古今無双の神地なり。諸国の旅人上京あらば先ず上下の社へ参詣すべし。まして都の人は参詣せでかなはぬ御神也。身を潔くして神拝すべし。遊山などの時は畏れ敬ひ神前に近づくべからず」とある。上賀茂社は延喜式神名帳の式内社で、山城国一の宮といわれた。江戸期の社領は二千七百石で、山城国では岩清水八幡宮の七千四十石、延暦寺の五千石、醍醐寺(上醍醐)の四千石に次ぐ大社であった(ちなみに下鴨神社は五百四十石)

■歴史 祭神は賀茂(かも)(わけ)(いかずちの)大神(おおかみ)。正しくは賀茂別雷神社。下鴨神社とともに賀茂社と総称し、当社を上社、下鴨神社を下社と呼ぶ。祭神の賀茂別雷大神の母玉依媛(たまよりひめの)(みこと)、祖父賀茂(かも)(たけ)(つぬ)身命(みのみこと)は下鴨神社に祀られている。山城国風土記逸文によれば、賀茂建角身命が日向国の曾の(たけ)に降臨し、伊可(いか)古夜(こや)日売(ひめ)を娶って玉依(たまより)日子(ひこ)と玉依日売()が生まれたという。かつてこの地に勢力があった賀茂(あがた)(ぬし)家の奉祭する氏神神社が始まりとされる。平安遷都の時に桓武天皇が行幸し以来、王城鎮護の神とされ、歴代の天皇の行幸があった。また、武家の信仰も篤く、なかでも徳川家康は、家紋の三つ葉葵が当社の神紋に由来するため篤く信仰した。弘仁元年(810)嵯峨天皇が賀茂斎院の制を設け、皇女の有智子内親王を斎院として以後、約400年間斎院がたてられた。

■見どころ 正面右側の本殿、左側の権殿は文久三年(1863)の造替で、ともに三間社流造で国宝。境内に建つ社殿の多くは重要文化財。玉橋の下の流れは御物忌(おものい)(がわ)といい、御手洗川と合流して「ならの小川」となる。世界文化遺産。

○下鴨神社

■江戸期の下鴨社 『京童』に「当社の御事は、上にて(上賀茂社のこと)あらはし侍るごとく御祖(みおや)の神と申奉る。玉より姫これ也。かの丹塗りの矢に鴨の羽あれば、この所を鴨といふなるぞ」とある。下賀茂神社でなくて下鴨神社である由縁を説いているが、一説では鴨川のそばにあるから下鴨神社というなど、現在に至るまで定説はない。→巻末絵図7(下加茂御本社)

■歴史 祭神は賀茂(かも)(たけ)(つぬ)身命(みのみこと)玉依媛(たまよりひめの)(みこと)。正しくは賀茂(かも)御祖(みおや)神社。古くは賀茂(あがた)(ぬし)家の奉斎する氏神であったという。上賀茂神社を上社、当社を下社と略称し、賀茂社と総称する。祭神の賀茂建角身命は上賀茂神社の祭神賀茂(かも)(わけの)(いかづち)大神(おおかみ)の外祖父で玉依媛はその母に当たる。平安遷都後は王城鎮護の社として朝廷はじめ公家や武家の崇敬を集めた。

見どころ (しゃ)(そう)(ただす)の森といい、古代祭祀の遺構が発見されている。面積約12万平方メートルで樹齢数百年に及ぶ五千本の古樹が生い茂っており、国の史跡に指定されている。境内には摂社の河合神社・三井神社・出雲井於(いずもいのへ)神社、末社の言社(ことしゃ)印璽社(いんのやしろ)などが建ち、境外摂社として御蔭(みかげ)神社がある。東本殿と西本殿は文久三年(1863)の立替。ともに三間社流造で国宝。その他、境内の社殿は寛永六年(1629)徳川家の支援による再興で、その多くが重要文化財。世界文化遺産。






不思議

○上賀茂神社の不思議

社殿と鳥居の向き

境内には多数の摂社・末社があるが、社殿や鳥居の向きがそれぞれ異なっているのが不思議という。

物いわぬ神職

 明治以前の話である。精進頭になった神官は、潔斎期間中は一切無言で参拝するという慣わしがあった。精進頭は祭事、神事に際して一ヶ月以上の潔斎に入り、厳しく身を清める必要があった。このとき、穢れた人と話したり接したりすると初めから潔斎をやり直さなければならないので、「物いわぬ神職」といった。

賀茂の演能は祟る

能の「賀茂」には祭神の賀茂別雷大神が登場する。この演目を上賀茂神社境内で上演すると、賀茂別雷大神の怒りに触れて大雨が降り、能楽師が雷に打たれるという。



車返しの桜

①車返しの桜

初めての鳥居(一ノ鳥居)を入ったすぐ右手にある、大きくて風情のある枝垂桜をいう。文久三年(1863)孝明天皇の行幸の際、御簾を上げて御覧になったという。京都御苑にも同名の桜がある。当社では、この桜を「御所桜」と名付け、「孝明天皇御下賜の枝垂桜を当神社社家が奉納」したものとする。この御所桜のほか、当社の広い境内には、「馬出の桜」、「斎王桜」、「鞭打の桜」、「みあれ桜」、「賀茂桜」などと名付けられた立派な桜樹があり、それらの由緒を尋ね歩くのも面白い。


②烏相撲

毎年九月九日、細殿(ほそどの)の前庭で行われる子供相撲をいう。九月九日は陽数の九が重なることから重陽の節供という。この日当社では、賀茂建角身命が神武天皇征のおり、八咫(やた)烏になって先導したという故事に基づき、烏相撲と呼ぶ子供相撲を奉納する。相撲に先立ち、弓矢を持った刀禰(とね)が「カーカーカー」「コーコーコー」と烏の鳴き声をまねて動き回り、続いて禰宜(ねぎ)方と(ほふり)方に別れて子供が相撲をとるという珍しい神事。京都市登録無形民俗文化財。


(くすのき)(ばし)

神符授与所と楼門の間を流れている御手洗川に架かる石橋をいう。橋は二枚の石板からなり、その石板は樟の大木が化石になったものという。別名長寿橋ともいい、この橋を渡ると長寿になるという伝承が遺されている。『都名所図会』の絵図にも楠橋がある。


楠橋


片山御子社

寄辺(よるべの)(みず)

楼門の右手前にある片山御子社(片岡社ともいう。祭神玉依媛命)の背後にある片岡の森にあったという。『莵芸泥赴』に「片岡の後に寄辺の水あり。むかし井ありて三世の影を写すゆえ衆人集まりて群をなせり。よりて井を封じて終に埋れて今の世にその所を知る人まれなり」とある。片岡の森は京の都でも有名な森で、『枕草子』にも「森は片岡」とある。また、紫式部も「賀茂に詣でで侍りけるに、人のほととぎす鳴かんと申しけるあけぼの片岡の精おかしく見え侍ければ、〝ほととぎす声まつほどは片岡のもりのしずくに立ちやぬれまし〞(新古今和歌集)」とこの森の素晴らしさを歌に詠んでいる。

⑤賀茂の勝手火

 賀茂の社家は、賀茂以外の人には煮た物を食べさせないが、他へ行った時は他家のものも平気で食べたという。食べた後は賀茂川で身を清めて帰宅したという。しかし、『出来斎京土産』はこの社家の慣わしを評して、「式法ただしく殊更に火を忌む事切なり。これみな神官なれば神のとがめを恐るる故とぞ」という。社家はあつかましいから、他人の家で食べたということにはならないようだ。


社家町の佇まい


大田沢の杜若
⑥大田沢の杜若(かきつばた)
 大田沢のある大田神社(祭神天鈿女(あめのうずめの)(みこと))は、上賀茂神社の東500メートルにある。上賀茂神社の境外摂社で、延喜式神名帳の式内社。大田沢は古来杜若の名所として有名で、毎年五月中旬には美しい紫の花が沢狭しとばかり咲き誇る。大田沢は、雨乞いの竜王勧請八池の随一で、池をかき混ぜればすぐに雨が降って満池になるという(『莵芸泥赴』)。藤原俊成の「神山や大田の沢の杜若深き頼みは色に見ゆらん(五社百首)」という名歌が遺されている。国指定天然記念物。


○下鴨神社の不思議

本社には、「鴨の七不思議」というものがある。①連理の賢木、②何でも柊、③みたらし川の水あわ、④泉川の石、⑤赤椿、⑥船ヶ島・奈良社、⑦切芝がこれである。本書ではこの七不思議のほか、三つの不思議を紹介しよう。


⑦泉川の石 (鴨の七不思議)

二番目の鳥居を入ってすぐ左手に瀬見の小川に架かる紅葉橋がある。この橋のたもとに昔、雨乞いを祈る「こがらし社」があり、願いが叶うと泉川の小石が飛び跳ねたという。江戸時期は『林泉都名所図会』で「泉川の納涼」と紹介されているように、庶民の夕涼みの名所であった。泉川の名は、『山城名跡巡行志』に「古老の曰く、古へこの辺りに和泉式部の住居があったことに因む」とある。


泉川に架かる紅葉橋


長明の方丈

⑧長明の方丈

長明ゆかりの川合神社境内に日野外山で結んだ方丈の原寸大の模型が復元されている。『方丈記』の鴨長明(11551216)は、下鴨神社禰宜(ねぎ)の次男に生まれ、若くして歌道に天分を発揮。父の死後、後鳥羽院が河合神社の禰宜に任じようとしたが、下鴨神社の反対により世を儚んで出家。大原に遁世して和歌三昧の生活を送る。長明が瀬見の小川を詠んで新古今和歌集に登載された有名な歌「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを尋ねてぞすむ」については、『都名所車』に「この判者師光入道にて、かかる川やあるとて(長明の)負けになり。そののち顕照法師が判ぜしは加茂川の実名なりし。故にこの歌新古今に入りたるを、長明過分の面目なりとて無名抄に(かけ)り」とある。

(きり)(しば)(鴨の七不思議)

糺の森のへそ(真中)にある古代からの祭場。五月十五日の葵祭に先立つ御蔭(みかげ)祭において、東遊(あずまあそび)と称する風俗舞を舞うことを切芝神事といい、その舞台となる。


切芝


烏縄手

⑩烏縄手

 楼門の前の鳥居の手前から少し東にある。神社の駒札によると、「古くから言い伝えられている一つにカラスのナワテというものがある。カラスとは、祭神賀茂建角身命の別名ヤタカラス(太陽という意味)に基づくもの。ナワテとは細くて長い道という意味で、カラスナワテとはヤタカラスの神へ詣でる長い参道を指す。古くは、糺の森の木の間を分けて幾筋もの細い参道があり、この程、その一部を復元した」とある。泉川に沿う樹林の中の閑静な小道である。


⑪赤椿 (鴨の七不思議)

楼門手前の鳥居の南側の林には椿が植えられている。下鴨の神主は位が高く、他から来るお使いは位が低いことが多かったので、装束に気を使って赤い椿を植え、目立たぬようにしたという。近世以前は、「養老衣服令」(718)などにより、位階ごとに衣の色が決められていた。下鴨社の神主の位は二位なので(あさ)(むらさき)の衣を着用したが、神社に代参する官人の位は(あさき)(あけ)という赤系統の衣を着用した五位以下の者が多かった。そのため、浅緋が目立たないよう参道に赤椿を植えたという。

⑫さざれ石

楼門の南にある鳥居の西にある。駒札によると、「さざれ石とは、小さな石を意味する。火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石で、長野県の天然記念物。日本各地には、子持ち石とか赤子石など石を神として祀る信仰が多い。さざれ石は年とともに成長し、岩となると信仰されている神霊の宿る石である」とある。


さざれ石


連理の賢木

連理(れんり)(さか)()(鴨の七不思議)

楼門の左手にある縁結びの摂社相生(あいおいの)(やしろ)(祭神神皇産(かみむすび)霊神(のかみ))の傍らにある。連理とは、一本の木の幹や枝が他の木の幹や枝と連なって木理が通じていることをいう。転じて、夫婦や男女の深い契りをいう。賢木とは榊のことである。柵で囲われた中に三本の榊の木があり、そのうち二本の木が中ほどで繋がっているので、連理の賢木という。縁結びの神の御神徳により二本の木が一本に結ばれたものと伝えられている。夫婦木ともいい、現在の木は、四代目である。

⑭船ヶ島・奈良社 (鴨の七不思議)

船ヶ島は楼門の東、奈良小川と泉川に囲まれた三角州をいう。日照りや戦乱の時、船ヶ島で流れをかき回すと小石が跳ね、願いが成就するという。また奈良社は、正しくは奈良(なら)殿(どのの)神地(かみのにわ)といい、船の形をした船ヶ島を磐座(いわくら)とし、神殿成立以前の無社殿神地として古代祭祀に使われたという。


船ヶ島


比良木社
⑮何でも(ひいらぎ) (鴨の七不思議)
 楼門を入って左手にある比良木社のそばに植わっている木は、全て葉がギザギザになって柊化するという。比良木社は、柊さんとか、柊宮ともいった。『洛陽十二社霊験記』は、「この神、柊を愛し給ふ。依て諸人立願する時、心願成就を守り給はば柊を植て奉るべしと申て、神験を蒙りたる上にて柊を社辺に植る多し。或は祈願の(ともがら)、社辺に異木を植て若し願成就を得しめ給はばこの木を柊になし給へと願うもあり。諸願成就を得る事にて、その植たる木とも柊に変ぜざるはなし。これ目の当たりに神験の奇瑞を見るなりといへり」と記す。江戸期の随筆に、植えた榊が半分柊になりかけたのを抜いて家に持ち帰ったという話もあったようだ。「山城の七不思議」の一つとされている。

⑯みたらし川の水あわ (鴨の七不思議)
 夏の土用の丑の日にみたらし池で行われる御手洗祭(足つけ神事)では、池の清水に足をひたし無病息災を祈る。池から湧く水あわを形どったのが、名物のみたらし団子である。古来有名な神泉。『莵芸泥赴』に「本宮の北東にあり。六月十九日より晦日(みそか)まで会式とて社家神事を修す。京の老若男女このあいだ詣でて、この井にて手あらひ口すすぐ。昔の御祓の遺法なるべし。水辺樹下納冷のため酒茶瓜菓もてはやし遊ぶ。みたらし団子とて家つとに笹につつみてもて帰る事もあり」とある。

みたらし池




コラム4 山城の七不思議

『京の七不思議』は次の不思議を「山城の七不思議」という。今は知る人も少ない。

①煮栗焼栗の森:宇治田原の栗の森では、焼いた色の皮とゆでたような柔らかい皮の栗ができるという。

②比良木社の柊:この社の境内にどんな木を植えても必ず柊になるという。

③新熊野神社の雨垂石:雨垂石のところへ角型の石を置くとすぐに円形になる。

④伏見稲荷大社の御山の木(主として杉):初午のとき、御山の木を抜いて自宅に植え、根が付くと願事が叶うという。

⑤相楽郡瓶原村の井出川の(はかり):井出川は慈心上人が開鑿したもので、秤石に達する水の高低でその年の豊凶を占う。

⑥宇治川の亀石:興正寺の前の川中にある亀の形をした名石で、伏見城の抜け穴がこの下に通じているという。亀石に達する水の高低でその年の豊凶を占う。

⑦八坂神社の白朮(おけら)():八坂神社の大晦日の白朮火の煙が東に棚引けば近江、西ならば丹波が豊年になるという。


























上賀茂神社・下鴨神社不思議探訪順路(イメージ)


フッターイメージ