病名 脊椎すべり症 (Spondylolisthesis) |
3.【手術の日】 10月25日(木) AM:6時40分 起床(昨夜、座薬と睡眠薬を服用して眠り)痛みも感じず久しぶりに良く寝られた。 Am:7時00分 看護婦さんに、「おはようさん、良く寝られましたか?今日はいよいよ 手術ですね頑張ってね!」と 明るく声をかけられ、「検温も35.8度と安定している。」と告げられる。 (盲腸もまだ切っていないのに、大手術を・・どんな?・・・・・・! 結構自分が、冷静に居られるもんだな〜と不思議に感じる) AM:8時00分 今日は、朝食は無しで 点滴針の痛み止めテープを貼りに来られる。 AM:8時40分 レントゲン室より呼び出しで、主治医の池永先生の注文で、背中から・横からの撮影をする。 AM:10時20分 手術前の点滴開始(ソルデム3A・ブドウ糖電解質液「維持液」・500ml) PM:12時00分 昼食は無し(朝・昼ぬきでお腹が空く・・、アッ!特別に食いしん坊では無いですよ!) PM:2時頃 手術着に着替えて、ストレッチャーで、手術室へ(まるで、映画のワンシーンのように病院の ローカをストレッチャーで運ばれ、天井を見ていると天井が流れているようだ) 手術室に入り、手術台?に確か乗換え(たと思う) 麻酔医に「気分は・大丈夫か」と、 声をかけられ、全身麻酔の酸素マスクを付けられると、身体が少し熱くなって来たのでその事を 麻酔医に話す内に意識が無くなった。 【 腰椎後方固定手術 】 ※↓に画像を挿入しています、少しお待ち下さい※
※今日は家内の話しと、私が少し意識が戻った時の記憶になります。※ PM:9時50分 誰かに名前を呼ばれる声で気がついたら病室であった、家内・先生 看護婦さん達の姿は見えたのだが、とに角、全身が痛くて痛くて(人の動きで、 空気が動いても)狂いそうに痛み、「早く、痛みを止めてほしい」と何回も頼むがその都度 「痛み止めの処置はしてある」の返事で、「でも痛くて、どうしょうもない、モルヒネでも打って 痛みを取ってほしい」と、無理難題を言っていたらしい。 後で家内の話しでは、術後(PM:9時40分に)回復室で座薬で処置済みで、5時間は 空けないと 次の処置が出来ないとの事。また 「平均して全身麻酔が醒める時に、嘔吐をする患者が多いのだが、ご主人は嘔吐がないので その分本人はまだ楽ですよと」主治医の話し。 【私が意識の無い間に、池永主治医が家内に「脊椎の悪さは、思っていたより悪くて最初の 手術予定時間より2時間以上多くかかり、輸血も自分の貯血800ccと別に2000ccを輸血を した、又体内の血を出す為に管を入れているが、術後3日間できれいに出なかったら、 血が溜まりその影響で不随になる可能性があるので、 その時は再手術しなくてはいけないので上手く血が抜けるか3日間が勝負」 と言われていたそうだ。】 「部屋に戻った時点」※点滴は・抗生物質(生理食塩液)@A・ソルデム3A(ブドウ糖電解質液)@A ※輸血は・人赤血球濃厚液(赤血球MAP B型) 痛みを我慢しながら、麻酔が残っているのか"うつらうつら?”で・・・・! 10月26日(金)術後1日目 AM:2時30分 ヤット、肩に痛み止めの筋肉注射をされ、自然に眠ってしまった。 AM:8時過ぎ 激しい痛みで目がさめると、 鼻に入っていた管(何の為の管か?)を撤去されるが、まだ 「酸素マスク・手の甲に点滴と輸血の針・尿道に管・背中に体内の血を抜く管等が」身体に 付いているし、痛くて、痛くて身動きも出来ない。 また座薬を入れてもらい少しは楽になる・・・・・・が。 AM:8時23分 動脈から針を撤去(多分輸血の・・・) ほんの少し、水を飲まされる! 以後、激痛であまり記憶がないが、1日に座薬を 3回から4回挿入し 点滴は繰り返し、痛みで眠れないので睡眠剤を飲むが 身体は、左下にして横向きは少し痛みが楽で、上向きは痛みが激しくて とても無理である。 麻酔もさめて来てわかったのが、病室が手術前より小さいし他の患者ベットも無いし?? わかった、個室である! 治療・看護のし易い事と、同室人に迷惑をかけないように 重病患者様の部屋との事らしい。 10月27日(土)術後2日目〜10月29日(月)術後4日目 ・個室・ とに角、動けないので、毎日が激痛との闘いで、1日に座薬(3回から4回挿入)と 点滴の繰り返し、痛みで眠れないので睡眠剤を飲む。 身体は、相変わらず左下・横向きしか楽でない。 腰椎12位から足指までシビレて感覚が半減している。 【 食 事 】 食事は時間通り有るが「おも湯からお粥」で、看護婦さんが持って来てくれて 「寝てては食べ難いので、ベットの背を立てますよ」と云いつつ手動で上げるが 少し上がってくると、激痛が有り「ダッ!ダメ!痛い」と訴えてもまだ 上げようとするので「食べないので、おろして!」と訴えて、ヤット元の水平に ベットの位置にしてくれたが、食事の「おも湯からお粥」はベットから10p程 離れた台の上で、しかも食器が目線より上で中が見えないし横になったまま スプーンで口に運ぶのだが、少ししか自分で食べられない。 夕食は家内が来て食べさせてもらえるのでホットする。 看護婦さんが次から次と変わるので、その都度同じ事の訴えをしなければ ならない、引継ぎが出来ていないので、不信を感じるようになる。 (全看護婦さんでは無いが) 25日から大便が出ないので(初めてベットで大便をする行為は、恥ずかしいやら 複雑な気持ちで、排便の感覚が出てこない) それで29日に、無理やり?これまた生まれてはじめて浣腸の経験をするが 恥ずかしいやら、痛い(腰が)やら・・・・・・で大変であった。 29日・酸素マスクも背中に体内の血を抜く管も撤去する。 10月30日(火)術後5日目 AM:6時30分頃 痛みで目がさめる (とに角、寝返りも痛くて出来ないので、座薬は昼夜・睡眠剤は夜 欠かせない、それでも幾度か目がさめる) 5分程して検温・血圧・脈拍測定 AM:7時00分頃 点滴(抗生物質(生理食塩液)@A・ソルデム3A(ブドウ糖電解質液)@A) 28日から一日2回(朝・夜)になる AM:8時00分 朝食(七部粥?)で横になったままで食べる。 AM:9時30分頃 看護婦長が来て、この個室から4人部屋へ移ってもらうとの事。 AM:10時過ぎ ベットに寝たまま、4人部屋(354号室)へ移動する。 窓際のベットで、なんか助かったような気持ちである。 先住?の3人に寝たままで、挨拶するが顔はわからない。 (後日判ったのだが反対の窓際ベットの患者さんは、手術はされて無いが、 頚椎が悪く?フラツキとしびれで観察入院で、 隣りの(入り口側)患者は脳神経?らしく、これまた観察入院の様子で その反対の患者は一番高齢で、同じような入院患者らしい。 私が一番、寝たっきりの(今のところ)重症患者である。 PM:12時00分 昼食・やっと普通食になり、寝たまま(横向き)でも食べやすくなった。 PM:4時00分頃 整形外来のギブス室より呼出しで、ストレッチャーで(ベットから乗換える 時の痛いこと、大変な思いだ)ギブス室へ行くと主治医の池永先生・たしか 担当医のお二人、外来担当の看護婦さんがおられてこれからギブスを着ける、 「普通ギブスを着けるのに、直立姿勢で付けるのだが貴方の場合は立てない から、ここに寝てギブス巻くので」と池永先生。
先生3人がかりで(確か)急いで、脇から足の付け根まで巻かれる、 (ギブスを巻かれる時、温かいのですごく気持ちがよかった) その間15分から20分位に感じたが、速乾性との事で早く固まりパイプからストレッチャーに 移動する。 PM:5時頃 部屋に戻る ストレッチャーからベットに移される時は、ギブスを着ける前より痛みは少なくなり やっと、寝返りが出来るようになり(ギブスを着けているので、ベットのワク(パイプ)をもって 痛みの少ない角度を見つける・・・!)少しでも楽になるかな・・・?
PM:6時00分 夕食(普通食で・横向けでも食べやすいように おにぎりにしてもらう) PM:6時30分 点滴をする、 痛みが強く 座薬を入れてもらう。 PM:9時00分 消灯時間であるが、なかなか寝られないし・動けないし・痛いし 有料テレビを11時30分位まで見て、眠剤を飲んで眠るがどうしても熟睡出来ない。 10月31日術後6日目 AM:6時頃 痛みで目がさめ、ナースコールをし座薬を入れてもらう 20分程痛みを我慢すると(何時もの事である)少し痛みが楽になる。 今日も何時もの、点滴・痛みとの闘い横になったままの食事・ 排便がないので、下剤の服用など特筆する事は無いと思ったが PM:5時頃 リハビリの内田先生がこられて、一度ベットの上で座る練習をして見ようとの話しで 「先生、どんな角度でも痛いし座るなんて・・・」と話すが「一度試して見ましょ」と先生が ベットの背を立てかけられるが、ホンの20p位で腰に激痛?が走り、先生に訴え 直ぐに「中止にしょう」と又、様子を見る事になる。 PM:6時00分 夕食で何時もの、痛みと不眠との闘いである。 |