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旅 行 記

  宮島・門司・津和野   2011年  11月   JA3ARI

(写真の上にポインターを置くと説明文が出ます)

  今回は新幹線に乗るので朝6時10分に家内と自転車で家を出た。駐輪場に自転車を預けて地下鉄で新大阪に。厳島神社の鳥居、連絡船より新大阪は家から近いので時間を甘く見ていて集合時間の7時ぎりぎりに到着した。新幹線は開業以来、会社の出張で大阪東京間を数え切れないほど乗ったが、西へ向かう新幹線に乗るのは今日が始めてで楽しみでした。7時35分発ひかり(N700系)で広島へ。揺れも少なく広島まできっちり1時間半で定刻通り到着、出迎えのバスで宮島へ向かう。途中、原爆ドーム、平和記念公園を車中から見ながら、ここへは過去に2回も訪れているなと。厳島神社の鳥居そして宮島口に到着、連絡フェリーで宮島へ。15分で宮島に到着。

<宮島>
  安芸の宮島は、私は3度目、妻は2度目の訪問です。しかしツアーコースに入っているので仕方が無い。五重の塔記念撮影の場所まで連れて行かれて記念撮影、その後自由行動となった。この日は干潮で鳥居まで歩いて行けそうだ、先の2回は鳥居まで行ってないので行って見た。そして先の訪問で気になっていて見ていない五重の塔を見に行く事に。五重の塔の紅葉3度目の訪問とは言え、何十年も前の事だしあまり憶えていない。五重の塔の前には豊臣秀吉が造りかけた千畳閣があり、新しい発見である。紅葉谷公園にも行って見たかったが、滞在制限時間が短いのでほんの一部しか見る事が出来ない。それでも宮島の記憶を新しいものにして島を離れました。連絡フェリーで宮島口に戻り、ここで昼食(穴子釜飯)。しばし休息の後バスで秋吉台に向かう。秋吉台の上に拡がる青空

<秋吉台・秋芳洞>
  秋吉台も2度目、秋吉台、カルスト台地では何でこのツアーに参加したのかと言えば、目的はこのあとにあったからです。秋吉台は日本最大のカルスト台地で石灰岩が無数に拡がっている。と、まあそれだけですが。見ものは秋芳洞です。秋吉台から秋芳洞に向かう。秋芳洞は昔、しゅうほうどう、と言っていたと思うが、洞窟の入り口には、あきよしどう、と書いてある。秋芳洞の黄金柱秋吉台に対しては、しゅうほうどう、と言うより、あきよしどう、と言った方が憶えが良いからだろう。字もそう読めるから。あとで分かった事ですが今回は逆コースを歩いたようです。でもこの鍾乳洞は広くて大きいから閉所恐怖症の人でも受け入れられるのではないかな。まるで地底探検をしているような感覚になります。以前来た時と違う事は、我々老齢者は転ける事を恐れる。地面は濡れている所も多いし登ったり下ったり、階段もあるしそれに暗い。歩くのに一番注意した場面でした。以前来た時は会社員になって間もない若い頃でしたから、そんな事は全然気にしなかったものです。洞窟を出てほっとした所に綺麗な紅葉が・・・・・。日暮れが近づいた秋芳洞をあとにしてバスは中国道を走り下関に。


秋芳洞の鍾乳石秋芳洞の鍾乳池秋芳洞の出入り口

<下関>
  バスは火の山公園回転展望台へ。スペースワールドのスペースシャトルここで夕食を戴くと言う事なのですが、展望台の回転レストランからは門司や下関の夜景が綺麗・・・・・ですが、スムーズに回転せずに時折ワウやフラッター(回転むら)がある。船に弱い私も家内もなんだか船酔いしそうで、ふぐ料理も松茸ご飯も美味しかったのか美味しくなかったのかお腹に入ったのか何処に入ったのか判らなかった。スペースワールドのスペースシャトル早々に食事を済ませ回転台から降りた。

<八幡ロイヤルホテル>
  再びバスで中国道から関門海峡大橋を渡り九州自動車道を北九州市へ、北九州八幡ロイヤルホテルに到着。スペースワールドこのホテルをインターネットでサーチするとホテルの前が、かの有名なスペースワールド(遊園地)だった。さて部屋割りは吉と出るか凶か。到着時の関心事はこれひとつであった。部屋は9階の921号室、部屋に入って窓を開ける。ラッキー!!・・・・・目の前にスペースワールドの夜景が展開していた。スペースワールド部屋番号は1番違えば反対側になりスペースワールドは見えなかったのだ。
  このホテル、部屋も温泉も朝食もグッド。何よりも眺望が良かった。スペースワールドへ行くわけではないが、全容が眺められただけで満足。ホテルのロビーには豪華なクリスマスツリーが飾られていました。

<門司>
  2日目、バスは朝8時ホテルを出発、門司港に向かう。旧門司三井倶楽部門司港のレトロな建物の観光だ。先ずはJR門司港駅、レトロな駅はそのまま現在も使われており、新旧混在だがレトロな雰囲気を漂わせていた。この駅を通り抜け、表通りに出ればアインシュタイン夫妻が泊まったという旧門司三井倶楽部。レトロ船乗り場と31階マンション旧大阪商船、旧門司税関、など見て歩いた。旧門司税関では偽ブランド品の展示、輸入禁止品の展示など興味を引いた。しかし、この地域に無粋な高層マンション(31階)が建っていた。これがなんと黒川紀章氏(若尾あや子さんの旦那)が設計したそうで、反対を押して建てられたとか。関門海峡大橋良かったのか悪かったのか、この建物は下関側からも良く見えた。  門司をあとにして関門トンネルへ。

<関門トンネル人道>
対岸の下関   関門トンネル人道の入り口に到着しエレベーターで一気に降りる。このエレベーターは門司側60メートル、下関側50メートル地下に降りる。それぞれに乗り合わせた門司側のエレベーター、最近電車の駅にあるエレベーターと同様、乗った側のドアと反対側のドアから降りる方式になっている。旧門司税関ドアが閉まって60メートルを降り、到着した。しかしドアが開かない。みんなしばらく待った、しかし開かない。家内がドアのそばの人に「開」ボタンを押して下さい、と言った。ドアのそばの人が「これですか、押してみましょうか」と恐るおそる押した。と、ドアが開いた。みんな「うおー」と言って安堵の表情。いっせいに降りた関門トンネル人道。このエレベーター、到着しても自動でドアが開かない、手動式だったのだ。
  この人道も私は宮島・錦帯橋・湯田温泉・秋吉台・下関・門司・小倉を旅行した時に歩きました。この時は下関から門司に向かって歩いて地上に上がった所で、めかり菊人形が開催されていたのを記憶しています。関門トンネル人道、県境この時は2人だけでしたので上の国道を走る車の音がしていました。最近では殆どの車は関門海峡大橋を渡るし、今回は人道を大勢の人が歩いたのでその騒音の所為か車の音は聞こえなかった。
  門司、下関から見た門司と関門海峡大橋下関の境界線の所で皆さん記念撮影をして無事下関の地上へ。バスは門司から一足先に到着、待機しており、途中みやげ物屋さんにより一路中国道へ。そして国道9号線を津和野へ。下関、壇ノ浦の砲台

<津和野>
  津和野へ到着。実はここが目的地。ふつう、萩・津和野とひとくくりにされて居るので、萩にも行きたかったが、今回のコースには萩は含まれていなかった。その代わり下関でふぐが食べられ、門司レトロが見られる。で、萩はこの次に、と言う事にした。
  津和野に着いて最初は森鴎外旧邸宅の見学でした。説明員の軽妙な語り口を聞こうと、あとに付いて行くのがやっとで写真もろくに撮れなかった。でも面白かった。ここで昼食(津和野郷土御膳)、しばし休息の後、名所、史跡の集まる場所に移動、散策。制限時間があり、あまり遠くにも行けず、結局津和野をつまみ食いした程度となった。
津和野津和野津和野
しかし、清流に泳ぐ鯉もメタボで水も濁って幻滅、これなら寝屋川市公園墓地の鯉の方が立派。津和野の紅葉観光客がやたらと多く、およそ史跡を辿るという雰囲気では無かった。ここに泊まって、ゆっくり時間を掛けて巡れば良い所が沢山あるだろうと思うが、まあ、テレビコマーシャルの画面からは、ほど遠いのだと言う事が認識出来ただけでも良かった。津和野の紅葉

<錦帯橋>
  津和野を発ったバスは国道187号線を南下、岩国の錦帯橋に到着。ボランティアの案内人に案内されながら錦帯橋を渡る。岩国城個人の旅では案内が無いので見過ごす事が多い名所旧跡を案内してくれるので歴史も判って有り難い。しかし、ここでも夕暮れが迫り、時間の余裕は無かった。写真撮影は到着時のみで、錦帯橋ひと廻り案内されて帰ってきた時は、辺りは薄暗くなっていて風景写真の撮影には耐えられなくなっていた。帰りの新幹線の時間も心配だろう。添乗員も心なしか焦り気味。

  錦帯橋を出たバスは国道187号線から山陽自動車道へ、そして広島に向けてひた走り、広島市内に入り時折渋滞したので時間は如何ばかりか、と思われたが50分の余裕を持って広島駅に到着。お陰で駅構内のレストランで夕食も食べられ、20時1分発ひかり(N700系)で大阪へ。新大阪着21時31分、家に帰着22時10分。1泊2日の急ぎ旅は終わりました。     (2012.01.11.掲載)

(写真の上にポインターを置くと説明文が出ます)




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