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旅 行 記

  上 高 地   2010年  10月   JA3ARI

  朝6時50分に家を出て、梅田発8時のバスに乗りツアーはスタートしました。
この旅行記のページは、1988年よりパケット無線局JA3YDO−RBBS(無線の掲示板)が開局されまして、その「旅」コーナーに旅行記を掲載するようになり、RBBSはのちに廃局となりましたが、そこに載せて居た私の記事をこのホームページに移して掲載し、現在に至っております。「旅」はRBBS(無線の掲示板)が盛んだった1990年(平成2年)から1994年にかけて家族で夫婦で或いは社員旅行でよく出掛け、旅行記の掲載をしましたが、その後、仕事の責任も重くなり、旅行の機会が得られないまま定年を迎えました。その定年リタイアも2年余分に勤めた後のリタイアですが、環境の変化で体調も変化し、狭心症を発病し、病院通いが続きました。新穂高ロープウエイから手術の後、病状が安定してきましたので2007年(平成19年)より再び旅行が出来るようになり、四国の道後温泉へ行ったり、北海道まで足を伸ばしたりしてきましたが、その時は旅行記を書く機会がありませんでした。
  山の紅葉この度、旅行記を書く気になったのは、2007年(平成19年)に亡くなった山歩きの好きな学友が、学生時代に、ぜひ一度行くようにと私に推奨してくれた上高地だからです。その亡き友との約束を果たせたぞ、との思いからです。その時(当時)彼は上高地と白樺湖を挙げました。その白樺湖は18年前の1992年に(この旅行記ページの諏訪湖、善光寺を参照下さい)行き、その約束の1つを果たしました。展望台からしかし、その時は既に白樺湖は俗化して昔の面影はなかったのです。そしてこの度はもう1つの目的地、念願の上高地に行く事が出来ました。展望台から西穂高岳を望む
  バスは一路、新御堂筋を千里中央へ向かい、中央環状線から吹田ICを経て名神高速道路を北上、伊吹パーキングエリアから一の宮JCTを経て東海北陸自動車道を北上し、飛騨清見ICから国道158号線を高山市へ向かいました。高山市を素通りして平湯温泉から国道471号線に左折、荒神の湯から右折して林道に入り、新穂高ロープウエイ、しらかば平着。ロープウエイに乗り西穂高中腹、西穂高口(2,156m)まで登り、穂高連峰から槍が岳などの山々を望む事が出来ました。展望台の上に拡がる青空この日はお天気も良く晴れて上々の登山日より。ロープウエイから見る山腹は紅葉が八分通りまで進み、目を楽しませてくれました。この新穂高ロープウエイ登山は我が夫婦の目的では無かったのですが、コースに含まれていて我々としてはおまけです。しかし、山の紅葉と山々の絶景はおまけと言うには申し訳ないくらいでした。壮大な景色と紅葉を楽しませてくれたのは此処だけでしたから。展望台は寒いと思い、チョッキとジャンパーを着込んで登りましたが、意外に寒くなく、チョッキは不要だったようです。
  そしてバスは林道をとって返し国道471号線から158号線に戻り、梓川沿いを下り、奈川瀬ダムから水殿ダム、稻核ダムを経て野麦街道を通り、松本市から安曇野市の安曇野温泉に到着しました。食事して温泉に浸かって落ち着いた頃、息子から電話が掛かってくるからと携帯電話をチェックすると、家内の携帯も私の携帯も圏外。鉄筋の室内ですが3Gケータイ2.4GHzはここ安曇野では中継局が少ないようだ。窓際にぴったり近づけて家内の携帯はギリギリセーフでした。翌朝のロビーで試すと家内の携帯はOKでしたが私の携帯は依然として圏外。あずさ川と明神岳私の携帯はインターネットに繋いで雨雲レーダーを見られるように折角準備して行ったのに無駄となりました。大阪では考えられない事でした。
  翌朝8時、安曇野温泉をスタート。松本市から国道158号線を梓川に沿って上高地へ。横を松本電鉄が並行して走っていました。梓川から奥穂高を望むが梓川に設けられた三つのダムを昨日とは逆に走り右折して釜トンネルに。間もなく上高地、大正池着、約半数の客が下車。大正池から河童橋まで歩こうかと思いましたが、我々夫婦ともに健脚ではなく、諦めて大正池はバスの中から見て、河童橋周辺を散策する事にしました。バスターミナルでバスを降りて河童橋へ向かう。ここも気温は思ったほど下がらず、河童橋チョッキ無しのジャンパーのみで過ごせました。変わりやすい山の天気は昨日と違い、少し雲が掛かっていましたが、まあまあの写真を撮ることが出来ました。河童橋この上高地は厳格に山の自然が護られているので、昔と変わらない景色を見る事が出来ました。河岸で絵を描いているおじさん、その姿をカメラに納める人、絵と同じ風景を写真に撮る人、本格的な登山装備をしている人にも出会いました。河童橋は沢山の人で混雑していました。しかし、聞こえてくるのは声高の中国語ばかりで、若い娘さんも中国語、中年のおじさんも中国語。河童橋尖閣列島でこれだけ日本と中国が揉めているのに中国人観光客がこんなに多いとは、日本は安全な国なんですね。たまに日本語が聞こえてくるとホッとしました。面白い光景を見ました。河童橋を渡る猿の親子橋の上は人で一杯、橋の下は? 吊り橋のロープが張ってあり、そのロープを伝って猿が次々と橋を渡ってくる、中には親子の猿もいる。そして渡り終えると餌を貰って居る、立て札には「鴨や猿に餌をやらないで下さい」と書いてあるのだが。お昼になったのでレストランで食事する。えっ、ウエイターは中国人? これだけ中国人観光客が多ければ、そうなるか、なんだか上高地が占領された感じで残念だった。占領されるのは尖閣列島だけでは無いのかも知れない。上高地は紅葉には少し早かったようです。上高地でも携帯電話をチェックしましたが、さすがに観光地で家内のも私のも問題なく通話OKでした。もう少し若い頃に来ていたら白樺林をトレッキング出来たのにと残念な思いで上高地をあとにしました。
  バスは飛騨高山に向かう。高山では古い町並みを散策しました。ここも中国語の氾濫、青い目の外国人も多いが中国人の方が多い。日本人は何処に? 古き良き時代を偲べる古都の雰囲気ではありませんでした。早々に引き上げバスへ、そしてバスは出発、白川郷に向かいました。
白川郷の合掌造り  白川郷の駐車場に到着。早速、野外博物館 合掌造り民家園に入園し、合掌造りについて勉強。その後、であい橋を渡って荻町合掌造り集落へ。民家の2階までは昇ったが、降りる事を考えて3階に昇る事はやめた。若ければ昇ったと思うが、降りてくる人のへっぴり腰を見ていると、無理をしない事にしました。合掌造りの歴史や内部構造については、テレビでさんざん見ていますから目新しいものはありませんが、この土地に立って、この目で直接見られたのが収穫です。集落は圧巻で雪景色が良いのだろうけれど、そんな寒い時期にわざわざ来なくても、それならテレビを見ていれば良いと思います。最近のテレビはハイビジョンですから。
  最後の行程を終えてバスは帰途に就きました。東海北陸自動車道を南下し関サービスエリアで小休止、一の宮JCTを経て名神高速道路へ、さすがに車内は話し声も途絶え、皆さんお休みの様子。草津パーキングエリアで小休止してバスは一路大阪へ、梅田着午後9時丁度。予定通りの行程でバスの旅は終わりました。夜9時50分帰宅。
   (2010.11.10.掲載)




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