<歩むこと>
   
 子供が生まれてはじめて立って歩き出したとき、両親はさぞ喜んだことでしょう。
そのときから人として人生を歩むこと、それはこれから出会う苦しみや悲しみも,
もちろん喜びも幸せも、またさけることができない出来事にも出会うことでしょう。
そんなとき、やっぱり人は独りで前を向いて歩んでいくことしかないことを、みなさ
んは知っていると思います。立ち止まっていても何も進まない、解決しないことを
知っています。
 しかし、私達の周りにはそれに気づかずに悩み苦しんでいる人がたくさんいます。
背負う荷物が重く、目の前には断崖絶壁が、人の裏切りと闇の中に自分一人取
り残されるという思いが、失望なって鬱になり死を選ぶのでしょう・・・・・・・・・・・。
 半年前に山登りへ行く途中、乗り合わせた電車に男性が飛び込み自殺されました。
目の前での一瞬の出来事でしたが、命を絶つのがいかにたやすいものかと、その
時に感じました。また運転手さんと車掌さんとの手慣れた処置にも驚きましたが・・・
命を絶った瞬間、その人はただの物体になったわけです。悲しい出来事です。
私も人の子ですから、みなさんと同様によく悩み苦しむことがあります。周りの人
はそう思わないとおっしゃると思いますが・・・・・・・・・。

 ところで、私は山歩きで死を覚悟したことが2回ほどありました。ヤブに迷って道
を見失ったとき、遭難する事とは、このようなことから始まるのかと・・・・・・・・。
道に迷ったときは冷静に来た道を思い出しながら原点にもどりますが、迷ったと気づ
いた時はすでに遅し、孤独と絶望が襲ってきます。人とは『自分が常に正しい』から
始まります。 B型の私は典型的な自分の間違いを認めたくないタイプです。
 自分は間違ってると認めるには、自分を冷静に見る目と素直さが必要と私は思い
ます。もどることへの悔しさと空しさが残りますが、これも良い思い出と自分に言い聞
かせ素直でありたいと感じる心を大切にしたいものです。

 2回目は、石畳で滑って動けなくなった時です。独りで山歩きするものですから自分
自身が頼りです。たまたまマイナーな道を選んだためにすれ違う人も全くなし、人の助
けをかりることができないと腹を決めたとたん、火事場の馬鹿力とはこのことでしょう。
足と背中の痛みが消えるのです。これは不思議です。無事、登山口に止めた車にのり
エンジンをかけたとたん力がぬけて数時間気を失っていました。次の日は会社へ普段
通り出勤しましたが、湿布と包帯をして痛みを堪えながら、いつも通りの冗談を言いな
がら、びっこをひいて仕事をしました。
 そのときの教訓として、苦況に立たされたとき『大切な人が待っている』、『死ねない』
『生きて帰らないと』とそのときは本当にそう思いました。やはり心の支えは生きる上で
大切なファクターだと感じました。それは家族であり、友人であり、恋人であると私は思
っています。

お陰様で、山歩きのおかげでこれからもいろんなことに出くわすでしょう。
それは、熊?友人?それとも素敵な女性?いやいや人を包む大自然がそこに待っている。
山は常にそこで待っていてくれる。自然は裏切らない・・・・・・・・・。
どこかのドラマの北極星(ポラリス)みたいでしょうか・・・・・・・・・・。
いずれにせよ 『 歩む 』 とは前に進むこと。前を向いてこれからも素敵な王子を目指して
山歩きに励みたいと思います。


                                    Written by 山歩きの王子