それぞれの

 

 心配してくれているのは分かるんだけどさ……。

 

 朝、スバルが目覚めたのは止まる事のない風を切る音。何故こんな小さな音で目覚めてしまったのか自分でも分からないが、取り敢えず音の正体を知ろうと寝惚け眼をこすりながら襖を開ける。眩しい光と共に入ってきたのは一心に木刀を振り落とし続けるキュウマの姿。スバルは、そんなキュウマの姿から目が離せなかった。額から流れ落ちる汗を見て、この肌寒い中を何時間もそうしていたのが簡単に予想できる。何時間も。他にも色々としていたのかもしれないが、その他のものがスバルには想像できなかった。というのも、朝早くから稽古をしているキュウマの姿なんて初めて見たからである。

 スバルの視線に気付いていないほど真剣なのかそれとも気にしていないだけなのか、掛け声と共に木刀を振り落とし続けているキュウマ。そんなキュウマが浮かべる表情をずっと見詰めていたスバルが、唐突に呟いた。

「何でそんなに苦しそうな表情を浮かべてるんだよ……」

 襖を持っている手に自然と力が入る。

 

 

 そんな出来事があった日の昼、今日もパナシェと遊ぶ約束をしていたので幻獣界集落に向かおうとしていた時であった。珍しくキュウマに呼び止められる。何かキュウマに呼び止められるような事などしただろうか。確かに思い当たるものは沢山ある。しかしそれはキュウマももう諦めてしまっているはずなので、その他といえば思い当たるものは一つもない。少し緊張しながら「何?」足を止め、振り向く。

「自分を護衛としてお供させてください」

 その言葉を聞いて叱られる訳ではないと安堵の息を吐いた後、すぐにそんな大袈裟なと溜息が出そうになった。確かに最近は外が危なくなってきているとはミスミから何度も聞かされている。しかし、どこか知らないところに行くならともかく、幻獣界集落に行くのだ。確かにここからでは少し遠い。だが毎日行っている場所な訳であり、例え危険な状況に陥ってもアティ達のおかげで他の集落にも行き来する事が可能になったので、助けを求める事ぐらいする。なので、わざわざキュウマに同行してもらう必要はないのであった。

「別にいいよ、護衛なんて。そんな危険な所で遊ぶ訳じゃないんだし」

「しかし、安全な場所が常に安全という保障はありません。スバル様にもしもの事があれば、ミスミ様に合わせる顔がありません」

 キュウマの言葉に少し引っかかる単語も混ざっていたが、あまりにも真剣にそう頼むキュウマの目を見ていると断りきる事が出来ず、「無駄な時間使うだけだと思うけど……」しぶしぶ同行を許可する事にした。真面目すぎるんだよ、キュウマは……。いつもは幻獣界集落まではあっという間なのに、今日に限って時間はゆっくりと過ぎているように感じる。

 幻獣界集落につくと、パナシェはすでにあの大木の下で待っていた。いつもならここから大声でパナシェを呼んで手を振るのだが、どうしても後ろにいるキュウマが気になってそういう行動が出来ない。スバルに気が付いたパナシェも、どう反応すればいいのか戸惑っているようだ。

「キュウマさん、どうしたの?」

「護衛なんだって、別に気にしなくてぜ。それよりマルルゥは?」

 キュウマの傍から離れてパナシェの横に並ぶと、口元に手を当てて心配そうにパナシェがそう尋ねてきたので、面倒臭かったがそう素っ気無く答えてすぐに別の話を口にする。キュウマの事など口にして欲しくなかったが、気にならないはずがない。分かっていても、苛立ってしまう。

 大木に寄り掛かり、マルルゥが来るのを待つ。早くいつもの様に三人で遊んでキュウマの事など忘れたかった。しかしこんな時に限ってマルルゥはなかなか来なくて、キュウマの視線ばかりが気になってしまう。ちらっと横目でキュウマを見ると必ず視線はぶつかって思わず反射的に逸らしてしまう、それが何度も起こり、その回数が増えるたびにスバルの苛立ちは大きく膨れ上がってとうとう我慢できなくなってしまった。

「――っ! キュウマッ!!」

 気が付けば大声で名を叫んでいた。隣にいるパナシェも、キュウマも驚きの表情を隠せないままスバルから視線を逸らせない。

 何事だとスバルの気持ちなど何も分かっていないキュウマが近付いてくる。それを見て思わず「来るな」口からそんな言葉が吐き出されていた。罪悪感が襲ってくるが苛立ちの方が勝ってしまい、次から次へと思っていない言葉が口から吐き出されていく。

「キュウマなんか大っ嫌いだ!」

 キュウマがどんな表情を浮かべて自分を見ているのか、そんな事を考える前に足が先に動き、その場から離れていった。後ろでパナシェとキュウマ同時に自分の名を呼んでいるのが聞こえるが、足は止まるどころか更に速度を上げてその場から去ろうとしていた。もちろん何故スバルがそんな事をしだしたのか分からないキュウマが後を追いかけてきて、当たり前だがあっという間にスバルはキュウマに捕まる。

「スバル様……?」

 何も分かっていないキュウマが腹立たしく、そう思うのは当たり前なのに苛立ちが止まらない。勢い良く手を振り払い、「キュウマはおいらの気持ちなんて全然考えていないんだ!」睨み付けた時にキュウマの表情がはっきりと映らない事で初めて自分の目から涙が溢れ出している事に気が付いた。そこでやっと我に返る。唐突に叫び出して走り出して、更に泣いてしまって――キュウマは何もしていないのに、これではただの八つ当たりではないか。そう考えると急に自分が恥ずかしくなり、いても立ってもいられなくなって再び走り出した。もう後ろからはキュウマの声は聞こえない。

 

 

 自分は一体何をしたのだろうか……? スバルの後姿を何も出来ないまま見送った後、すぐにそう考え始める。本当は追いかけなければいけないのに、スバルの涙を思い出すと足が動かなかった。

 当たり前の事だが何も思い当たらなく、それでも真剣にスバルを泣かせてしまったのだから自分に何か非があったのだと更に考える。だが、何も思い浮かばなかった。そんなキュウマを嘲笑うかのように、キュウマの上を鳥達が飛び去っていく。

「――っ! こんな事していても仕方ない。スバル様の後を……」

 はっと我に返り後を追おうとして、ようやく気がついた。そう、今の時刻を。日は落ちかけており、それを見て自分が何時間考え込んでいたのかがやっと分かり、嫌悪を抱く。いくらなんでももう屋敷に帰っているだろう。そうだと信じつつ、急いで屋敷に戻った。

 帰ってきたキュウマを出迎えたのは心配そうな表情を浮かべているミスミ。どうやらスバルはもう帰っているらしく、何も言わないまま自室にこもっているスバルの事を心配しているようだ。取り敢えず部屋に行き、今日あった出来事を一つ残らずミスミに話す。全て話し終わると、「ふむ……」ミスミはただそう呟き、目を瞑った。そして、ゆっくりと口を開く。

「キュウマ、そなたの気持ちは良く分かる。じゃがな、スバルの気持ちを考えた事があるか? 一方的な思いだけでは、守れるものもいともたやすく失ってしまうぞ」

 その言葉を聞いて、何も言えなくなってしまった。確かに、自分はスバルの気持ちを考えた事があるだろうか。初めて、自分とスバルの中ですれ違いが起こっている事に気付く。

「ミスミ様、自分は……!」

「待てキュウマ。わらわに話しても何も変わらぬぞ。直接本人に話すのが、一番早い方法じゃ。スバルにはちゃんとわらわから話してそなたと会うように願ってみる。後はそなた次第じゃ」

 そう言って立ち上がるミスミの後姿を、キュウマは見送る事しか出来なかった。

 

 

 しばらくしてからそっと襖が開く音がしたので思わず反射的に見ると、そこには暗い表情を浮かべたスバルが立っていた。ゆっくりと襖を閉めてキュウマの前に立つと、正座をする。重苦しい沈黙が流れ、その沈黙を破る為に何か喋ろうと口を開いても、そのままその口は何も発する事なく閉じられてしまう。そんな事を何度もやっていた時であった。

「……ごめんなさい」

 先に沈黙を破ったのはスバルの方で、しかもその言葉は謝りの言葉。自分はともかく、スバルは何が何をしたというのだろうか。何をおっしゃるのですか。そう言う前にスバルは更にポツポツと喋り続ける。

「ごめんなさい。こんな事言ったら、ただの言い訳だと思うと思うけど……朝、キュウマが稽古しているのを見た時、さ、すごく苦しそうな顔してて……おいら達を守る為に何でキュウマはあんな苦労をしなくちゃいけないんだろうって考えると……自分の無力さを改めて思い知らされたみたいで……。キュウマには八つ当たりしちゃって……ごめんなさい」

 だんだん声は小さくなっていき俯いていくスバルを見て、初めてスバルがどんな気持ちをしていたのかを知った。朝見られていたなんて、そんな表情を浮かべていたなんて知らなかった。スバルの気持ちを聞いて、自分は嫌われていた訳ではないのだと安堵すると同時に今度は自分の気持ちを話さなければと、無駄に緊張してくる。

「自分は二人を守れるのなら、例えどんな事でも苦だとは」

「それだよ!」唐突にそう遮られ、驚きを隠せないキュウマを気にせずスバルは更に言葉を続ける。「キュウマは真面目すぎるんだよ。いっつもおいら達の事だけ考えてさ……。おいら達だけ楽してキュウマが苦しい思いをするのは、例えおいら達が楽でも嫌なんだよ!」立ち上がって、そう叫んだ。

「だっておいら達、家族なんだろ?」

 家族。今までただ二人を守る事だけ考えていた自分に、一体どうすればその様な重大なものをやっていけるのだろうか。「では、自分は一体何をすれば……?」

「簡単だよ。ただ、無茶しないっておいらと約束してくれれば、それだけでいいんだ」

 キュウマの目の前に小指を立てた右手を出してくる。指きりを求めているのだとすぐに分かったが、自分ごときがそのような事をしていいのか正直戸惑った。しかし、期待に満ちているスバルの表情を見ると裏切る事は出来ず、恐る恐る自分の小指をスバルの小指に絡める。そっと、しかし強く。

 その時スバルが浮かべた笑顔。その笑顔を守りきろうと、新たにキュウマは誓う。それがスバルとの約束だと、キュウマはそう思ったからであった。

End

 

 

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第六話のキュウマさんを見て思わず敵になったかと思ってしまいましたが、真面目すぎて道を間違ってしまっただけなんですね。安心。
しかし、スバルとキュウマの…何愛だ、あれは?取り敢えず愛がすごく好き!心配しているのですがそれぞれのやり方でしか表せず、そのせいですれ違ってしまう…そんな感じですね、二人は。

難しいんですよ、口調が!くそう。
でも皆好きなんですよ。多分4つの集落の中で一番好きです。頑張れキュウマ!キュウマの真面目さに負けるなスバル!そっと二人を見守ってあげて下さい、ミスミ様!!

04年10月12日