An Angel Without Wings -翼のない天使-
晴れの日は嫌いだ。温かそうに見守っている様で、本当は見ているだけで何の助けもしてはくれない。温かいつくり笑顔を見せながら、人々が苦しみ、もがいている姿を見てほくそ笑んでいるだけなのだから。
雨の日は好きだ。沈んでいる時も優しくそっとしていてくれて、冷たい雨で全てを流し去ってくれる。だから今日も、傘をささずに外に出る。嫌な思い出を消してもらう為。
耳に入ってくるのは、雨音だけ。もうどのくらい外にいるのか分からないほど長い時間、ただ歩き続けていた。体にまとわりつく服にも気にならなくなり、俯いたまま水溜りを踏む自分の足を見詰めながら歩く。時々何かに気付いて顔をあげると、そこには新しい発見があり、そしてそれがまたすごく美しく見えるので自然に笑みを漏らすと、再び俯いて歩く、そんな行為の繰り返しが、何回も続いていた。
肩にかからない短い黒髪と同じ長さの前髪が視界を遮ると、そのままの状態で天を見上げ、空から落ちてくる無数の雨粒を見詰める。そうすると自然に前髪の方からどいてくれるので、わざわざ手を使う必要がない。そんな自然を感じていた。
「――ザ、ローザ!!」
ふと雨音と共に耳に入ってきた聞き覚えのある声。足を止めて聞こえてきた方向――後を振り向くと、そこには知り合いの男性――フォマーが右手を大きく振り、びしょ濡れになりながら走ってくる姿が目に映った。
フォマーはすぐに女性――ローザの隣まで来ると、前屈みになって荒い息を整えていた。少し肩にかかる程度の金髪が少しだけ体にへばり付いており、服も所々濡れているところから見て出てきたばかりなのだろうと確信する。
「……フォー、どうしたの?」
雨音に消されてしまう様な声で尋ねると、弾ける様に顔だけあげてもう逃がすまいという感じに両肩を強く掴まれた。「き、きたいのは……こっち、だ」
「あ、ごめん」口先だけそう言うと、本当に謝っているのかと睨まれてしまったので、扱いにくいなぁと思いつつ「本当に悪いと思っている」だから離してくれとはあえて言わず、少し後退りする。
「いいか、明日は大事な日だ! 分かっているか?」
今思い出したくないものを、しかも怒鳴り声でそう言われたので外に出てスッキリした気分が全て台無しになり、「分かっているよ、そんな事」軽く両手を払うと頼んでいた宿へと足を進めた。「分かっているから……言うなよ」そんな呟きが、雨音の中へ消えていく。
「……分かってないから言っているんだけど」
しばらくローザの後姿を見送っていたフォマーは、急いでローザの隣に並ぶと覗き込む様な形で続けて言葉を放つ。「それとも何だ、まだ機嫌悪いのか?」
唐突にローザが止まると、「うぉっ!? あっぶねー」半歩後ろに下がって文句を呟くフォマーの方に振り向いて、溢れ出しそうな涙をこらえながら、叫ぶ。
「フォーは? フォーは平気なの!? 関係ない人々を殺めて……」
空が光ったかと思うと、しばらく経ってから雷の音が二人の耳に入ってくる。ローザの言葉が以外だったのか、フォマーは驚きを隠せない表情で、ただローザを見詰めるだけ。平気じゃない、ただその言葉だけが聞きたかった。そうすれば幾分気が楽になっただろう、思いっ切り泣く事が出来ただろう。しかし、ローザの耳に入ってきたフォマーの言葉は、その期待を裏切った。
「……平気だ」そのまま見向きもせず歩き出したので、ローザは数歩遅れて走り出す。何故、どうして? 尋ねたい事は沢山あったが、怖くて聞けない。そんな重苦しい沈黙が流れたまま宿についてしまい、遅くなって入ってきた客に驚いたお姉さんが慌てて純白なタオルを二枚用意してくれて、急いで頼んだ二部屋に案内してくれたが、二人は部屋に入ろうとはしなかった。
「あの……」
「あ、すみません。後はちゃんとやりますので……ご迷惑をおかけしました」
そう話しかけたのはフォマー。お姉さんは笑顔を浮かべ鍵を渡し、「では、ごゆっくりと」お決まりの台詞を口にして深く会釈をし、下に降りていく。
「……入らないのか?」
再び沈黙になるかと思ったが、フォマーがまるで何ともなかったかの様に話しかけてきたので苛立ちを感じ、「そっちこそ」素っ気無くそれだけ口にすると、そこで会話は途切れてしまった。
何やっているんだろ、私……。もらったタオルを、顔を隠す様に頭にかぶって髪の毛を拭く。人を殺めるのは自分達の仕事で、それが明日からまた始まる。嫌だったから逃げ出したかった。しかし逃げる場所なんて自分にはどこにもないから外に出てあてもなく歩く。そして思った、自由が欲しい。
だんだん乱れていく髪にも気にせず拭いていると「お前は?」唐突に質問をされたので手を止め、タオルで顔を隠したまま振り向く。「だから……平気じゃないのか?」
「――当たり前じゃない」呟く様に言い捨てると再び手を乱暴に動かす。何も聞きたくなかった、何故平気じゃないのかとか、じゃあ何故こんな仕事を選んだのかとか――、こんな能力さえなければ、こんな仕事を選ぶ事もなかった。貧乏な家庭、一番必要な金。それをもらうには、自分の能力を活かす事しか思い付かなかった。
「殺すのは初めて会った赤の他人だから……何も感情を抱かない」
考えていたどの言葉にも当てはまらない言葉に我が耳を疑い、驚いて再び手を止め思わず小さく聞き返す。「だから、気にするなって話。何も無差別でやっている訳じゃないんだから」どうやら慰めようと放った言葉らしい。そんなので、納得する訳ないじゃないかと思っていてもあえて言葉にはせずに「ん……」曖昧な返事を返すと、フォマーは笑みを浮かべてじゃあ明日は早いからもう寝るなと言い残し、軽く右手を振ると鍵で扉を開け、中に入っていく。
中へと消えていったフォマーにローザも右手を振ると、最後に彼が残していった言葉についてふと思い付いた事があった。『初めて会った赤の他人には、何も感情を抱かない』では、初めてではないずっとそばにいた人なら、彼はどういう感情を抱くのだろう? 鍵穴に鍵を差し込んで外し、扉を開けて電気のついていない部屋に入りふらふらとおぼつかない足取りでベッドに近付き、そのまま倒れ込む。外では雨粒が窓を叩き続けていた。
じゃあ彼は、私が死んだらどんな感情を抱くのだろう……?
†
「おいローザ、いつまで寝ているんだ!?」
昨日の雨が嘘の様に空は晴れ晴れとしていて青い。いつもフォマーより早く起きるローザは変な事に下に降りてもいないし、お姉さんに聞いても「今日は見かけていませんが」の一言。
しぶしぶ二階にあがり先程から何度もローザが泊まった部屋の扉を叩いているが、中からは返事の一つも返ってこない。まさかと思いつつドアノブに手を掛けると、扉は何の抵抗もなく開いてくれた。
「ローザ、戸締りくらいちゃんと――」
扉から目を離し、ベッドの上で寝ているであろう彼女の方に目を向けるが、その途中で開けっ放しになっている雨粒の跡が付いた窓に腰掛けて外を眺めているローザの姿が目に映る。いつもと違う雰囲気が漂う彼女をただ見詰めていると、まるで今気づいたかの様にローザはフォマーの方に振り向いた。
「ローザ、悪ふざけは止めろ」
先に口を開いたフォマーは、それでもローザに近寄れず扉を閉める。「悪ふざけ? 私はいつも本気よ」笑みを漏らし、右掌に顎を乗せてフォマーを見詰めるローザの目は、笑っていなかった。
こんな予想も付かないローザの行動は毎度の事で、いつもは軽く受け流していたが今回はそうもいかない。誰が見ても分かるような彼女の思い、その後の行動。ハッキリと分かっているのに、そのまま見捨てる訳にもいかないじゃないか。
「ローザ、これ以上オレ達を困らせないでくれ」
近付く事も許されない雰囲気を漂わせるローザをなだめる様に喋るが、彼女はクスクスと抑えた笑い声を漏らし、急に真面目な表情をする。「私はね、貴方がどんな感情を抱くか知りたいの」唐突に何を言い出すかと思えば、バカな事は止めてこっちに来い、そう言いたかった。しかし、言えなかった。
「さようなら」
一瞬、何が起こったか分からなかった。笑みを浮かべながらローザは後へと倒れ、そのまま姿を消していく。飛び降りたという事に気付いたのは数秒後で、信じられなかったが確かめる事が出来ずその場に立ち竦んでいた。確かめて、確信する事が怖くて。
結局ローザは何がしたかったのか、何を言いたかったのかはフォマーには分からなかった。
翼をなくした天使は 自由な空を求めて 飛び立った……
昔の小説その1。結構気に入っている作品だったり。
飛び降りは何度書いても厭きないなぁ…(嫌な表現;)。また挑戦してみようと思ったり。
今度はもう少し長く書けたらいいな。
04年9月5日