真実
光すら受け入れないよう漆黒のカーテンで締め切った部屋。そんな闇しかいない部屋に一人の少年が椅子に腰掛けていた。忙しそうに手を動かし、こんな暗闇の中見えているのかその手はぎっしりと文字が記入されている紙を沢山持っている。
「……また失敗したのか」
唐突に静寂に包まれた部屋にそんな言葉が響き渡った。何も見えないはずなのに少年は気配だけで、しかも誰かまで読み取ったのである。もう一つの気配はその冷たい言葉に思わず誰が見ても分かるほど体を強張らせた。しかし、何も言わない。
再び静寂が戻ったが、唐突に少年が鼻で笑い飛ばす。「まぁいい」手に持っていた沢山の紙をそこら辺にばら撒き、パサパサと沢山の紙が床に落ちる音が耳に入ってうるさい。
「生き残りを見つけた。ソイツを仕留めてこい」
その声が部屋に響いてしばらくすると、気配は再び一つに戻った。
少年はテーブルの上に置いてある他の沢山重なっている紙の一番上を取り、顎に手を当てそれをじっと見詰める。口元を吊り上げ、浮かべる表情はどことなく楽しそうだ。
「二度目のチャンスだ。必ず殺してこいよ」
その紙の右斜め上に貼り付けてある写真に向かって引き出しに入れていたナイフ取り出して突き刺し、そのまま何の迷いもなく下へとナイフを下ろしていく。ビリビリと無抵抗な紙に貼り付けられた写真は、簡単に二つに分かれた。「お前達には何の感情もないんだから」
†
「他人の事より自分の事だろ?」
テレゼはカルガの左腕を掴み無理矢理袖をめくりながら呟いた。袖から現れたのは綺麗な赤い線。袖には破れたような後はないのに腕にはくっきりと傷が残っていた。これは放浪霊につけられた傷だという事がそれだけで分かる。
「……うるせー」
テレゼの言葉に目を逸らしながらカルガも呟く。先程放浪霊と戦った時、放浪霊がテレゼに向かって鎌を振り落としてきたのでテレゼを突き飛ばした時につけられたのであった。これだけの傷ですんだのはカルガが日頃鍛えているおかげで、一般人が受ければ最悪の場合死に至る時もある。
宿屋に帰りテレゼの部屋にあった救急箱から消毒液を出し、そっとカルガの傷に軽く当てる。さすがというべきか、カルガは傷口に消毒液を当てられても眉一つ動かさなかった。そこからどれだけ傷をつくっているのか簡単に想像出来て、何も出来ない自分が悔しい。「痛い」知らず知らずのうちに力が入ってしまっていたのか、そんな文句の言葉が聞こえてくる。といっても、まるで表情を忘れてしまったかの様にカルガは無表情のまま傷口を見詰めていたが。
「やっぱり放浪霊と戦う時は無傷じゃすまないんだ」
「戦うんじゃない、守っているだけだ」
きっと本人にとっては何気ない言葉のつもりだったのであろうが、何故かテレゼはとても嬉しい気持ちになっていた。「そう、だな。いつもありがと」少し恥ずかしくなってきたので思わず俯きながらそう呟くが、カルガは当たり前だという表情を浮かべているのだろう。何も言わない。そこがカルガらしくて良いのだが。
消毒も終わったので包帯を巻こうとしたが、たったの一言で断られてしまう。「それより買い物の途中だったんだろ?」無理矢理まくられた袖をなおして立ち上がりながら振り向きもせずそう言った。
テレゼも立ち上がり、カルガと反対方向に行き窓の外を眺める。いつも通り静かすぎる外、時々見かける必ず二人以上で歩いている人間達。放浪霊のせいであんなに賑やかだった町もこんなに静かになってしまった。静寂が好きなテレゼ達にとっては好ましい事なのだが。
「うん……ルカに文句言われるのは嫌だし」
今日仕事が入ったというので代わりに買い物に行っているのだが、こんな風に放浪霊に襲われて買い物に行けなくなったりすると頼んだくせにものすごく文句を言われるのであった。もちろんロースの一睨みでルカはしぶしぶ口を閉じるのでそんなに長く文句を言われる心配はない。
外に出ると冷たい風が身を包む。ほんの数日前まではあんなに暑かったのに唐突に寒くなって、まるで丁度いい気温を忘れてしまったようだ。なので最初出かける時は長袖一枚だった二人も、今はその上にジャケットを羽織っている。「誰だよ、昼から暑くなるって言った奴」そう文句を呟き、そういえばルカとロースもそんなに着込んでいなかったので大丈夫だろうかと心配する。
「行くぞ」
この町がこんなにも静かでなければ聞き取れない様なくらい小さな声でカルガがそう言い残すと、テレゼが振り向いた時はもう後姿を見せて歩き始めていた。慌てて走り出して横に並ぶ。走ったせいで荒くなった息遣いがつくった白い息が視界に映った。
「……おい、こんな物どこに売ってあるんだ?」
「さぁ?」
ルカからもらった小さな紙に書いてある文字を見て呟いたカルガの言葉に答える。そんな他愛ない会話だけ交わして、二人はそのまま黙り込み紙に書いてある通りの商品を探す為、店を探した。
†
やっとの思いで見つけたルカの頼み物。何件も探して、見つけた時にはテレゼの体力はもう限界に近かった。なので今はたまたまその店の近くにあった無人の公園にあるベンチに座っている。カルガは何か飲み物を買ってくるからそこにいろと言い残して何処かに行ってしまい、普段離れるなと怒っているカルガにしては珍しい行動だったが、カルガなりに気を使っているのかもしれないしもしかしたらカルガも疲れているのかもしれない。それにカルガに一人になっても文句を言われずにすむので、すごく気が楽だ。
ベンチの背もたれに背を預け、空を仰ぎ両手を伸ばす。静かだ。まるで青い絵の具を塗りたくった様な空に鳥が自由に飛びまわっていて、それでもやはり真っ青な空から逃げられなく自由を求めて飛び回っている鳥の群れを、両手を伸ばしたまま見詰めていると唐突に背筋に悪寒が走った。すぐに背筋を伸ばし両手を膝の上に置き、強張った表情を浮かべた辺りを見回す。しかし、視界に入るのはただ雑草が無造作に生えている閑散とした公園。怪しいものは何も映らない。
気のせいかと思い仰々しく溜まった重い息を吐き、ベンチから離れカルガが戻ってこないか辺りを見回した時であった。首筋に当てられた冷たい感触、目だけ下に動かした時に見えた黒い物、そして先程から頭の中で響いている危険信号。それで後ろにいる者は放浪霊だと確信する。「放浪霊がこんな行動するなんて聞いた事ないな」まぁ聞きだす前に皆死んでしまっているから聞けないがな、何故か冷静にそんな事を考えていた。
しかし、後ろの放浪霊はそのまま鎌を動かすことなくそのまま時間が止まったように止まっている。同じだ、あの時と。その時は幼かったので詳しくは覚えていないが、この様に殺すのを戸惑っていたのは鮮明に覚えている。この放浪霊は昔に会った放浪霊と同じ放浪霊なのか、それとも他にも殺す事を戸惑う放浪霊がいるのか。例え後ろを向いて確かめてみても顔らしきものは真っ黒で何も分からないだろう。しかし、何かやらなければ頭が混乱しそうだったので恐る恐る振り返ろうとした時であった。
「あーあ、せっかくチャンスを与えてあげたのに」
後ろから聞こえてくる、風を切る音。その音と共に後頭部に風が当たった。すると、首筋に当てられていた鎌はまるで砂が風にさらされて飛んでいくかの様に消えていく。ずっと感じていた悪寒も、共に消えていった。「所詮、出来損ないは出来損ない。期待した僕が悪かったー」何も出来ず茫然としていたテレゼの後ろから、まるで子供が期待を裏切られて残念がるような声が聞こえてくる。
今度こそ後ろをぎこちなく振り返ってみると、そこに立っていたのはショートヘアーで真っ黒な前髪が長くて表情が読み取れない、まるで闇に溶け込んでいきそうなほど暗い服を着た、多分自分より身長が低い男性――いや、少年と言った方が正しいかもしれない。右手には恐ろしいほど長い刃を持つ刀を持っていて、空いた左手で頭を掻いていた。
「あ、君。大丈夫?」まるで今気付いたかの様にそう声をかけてきて、口元は笑みを浮かべる。瞳を見なければ少年がどんな事を考えているのか、全く読み取れなかった。
「アンタ……放浪霊を、殺したのか?」
自分でもはっきり分かるほど声が震えている。「え、何で? 放浪霊は殺すものでしょ?」そんなテレゼの問いに少年は言葉だけ不思議そうに問い返してきた。その声が演技だというのが誰にでも分かるほど感情がこもっていなく、テレゼを更に腹立たせる。確かに少年が言った通り、放浪霊は危害を与えるものなので殺さなければならない。しかし、今の放浪霊は確かに殺す事を拒んでいた。そんな危害を与える気のないものを、何故殺さなければいけないのか。
「もしかしたら“殺す”方法以外で放浪霊を成仏させる事が出来たかもしれないのに……なのになんでアンタは平気で殺すんだよ!?」
思わず怒鳴ってしまっても目の前にいる少年は怖がるどころか、しばらく目を見開いてテレゼを見詰めた後、腹を抱えて笑い出した。「ちょ、ちょっと冗談でしょ?」笑いながら何とかその言葉だけ吐き出している。
「まるで、話し合えば血を流さず解決出来るって口先だけそう言う偽善者みたーい」
子供だ。やれやれと手を上げて首を振る少年を見て、反射的にテレゼはそう思った。外見だけじゃない、中身だっていつまでも子供なんだ。自分がよければそれでいいと思っているんだ……! そんなテレゼの怒りを読み取ったのか、少年は刀を鞘になおしながら仰々しく溜息をついた。
「全く、こっちは助けてあげたのに……怒ってもらうどころかむしろ感謝して欲しいくらいだよ」
他にもブツブツと呟きながらポケットに手を突っ込んで、こちらに近付いてくるので思わず体を強張らせてしまう。俯いたままブツブツと呟きながら近付いてきて、そしてすれ違い様「アンタだけは絶対殺してやる」今まで聞いていた少年の声からは全く予想出来ないほど冷たく、棘を含んだ言葉を吐き捨てそのまま去っていった。彼は一体何歳なのだろうと疑ってしまうくらい、低い声でまるで呪いを吐くかのように、その言葉を呟いたのだ。
しばらく後ろを振り向く事も出来ず、そのまま何もない前方を見詰める事しか出来なかった。気づいた時には目の前に少し息の荒いカルガが立っていて、彼にしては珍しく心配そうな表情を浮かべて見詰めていた。
「……遅い」
テレゼはただそれだけしか呟く事が出来ず、やっと思うように動かせるようになった体の向きを変え、ルカ達が待っているだろう宿屋へと足を進める。自ら買いに行くといったカルガが手ぶらで帰ってきて、しかも息が荒いという事はカルガも放浪霊に会ったのだろうという事はすぐに予想出来たのだが、他人の心配をしていられるほど今のテレゼには余裕がなかったのである。背筋にまだ悪寒が走っている。袖をめくると、鳥肌が立っていた。冷たい風にさらされて立った訳ではない、鳥肌が。
†
暗闇しか存在していないような真っ暗な部屋。その部屋から、先程から電話が鳴り響いている。
「はいはい、もしもーし?」
電話のコール音が消えたと同時にそんな高い声が部屋に響いた。「あーはいはい、もうお耳に入っちゃっているのね。……分かってるって、勝手にやった事は謝るよ、ごめんなさい」そんな感情のこもっていない言葉で相手は許したのか、それから再び静寂が訪れる。そしてしばらくしてから、何もする事がない空いた手は暇な時間を持て余すかのように紙を触っているのか、紙と紙がこすれる音が響く。
「――ん、分かった。りょーかい。……だーいじょうぶだって、今度は勢い余って殺さないようにする。大丈夫大丈夫……」
まるで自分に言い聞かせるようにその単語を繰り返しながら、受話器を置いた。
「アイツらが怒らすような真似をしなければ、の話だがな」
先程電話に答えていた人物と同じとは想像出来ないほど冷たい声と、紙が地面に大量に落ちていく音だけが、この部屋に存在していた。
End
はいごめんなさい頼光さんみたいなキャラが書きたかっただけですすみません…;;
思っていた以上子供っぽくなってしまいましたが、今までの中で一番満足したキャラです。小説を書き続けてきて、本当によかったなと思いました。やっぱり楽しいですよ、自分のキャラを文字で表現するっていうのは。キャラが描かれていないので自分で想像して、それが書いた人と読んだ人と全く違う人物。同じ物を読んでいるのに、当たり前ですがやはり面白いと感じてしまいます。
本当は放浪霊を殺す予定じゃなかったのですが、自然と指が動いて彼を登場させてしまったので仕方なく…。もし彼が登場していなかったらどんな話になっていたのでしょう?;
電話で会話しているのを書くのが好きです。
04年10月27日