時の

 

 トテトテと覚束ない足取りで右手に薄い本を持ち左手でツギハギうさぎを抱え、色んな物が転がっている薄暗い廊下をそれでもしっかりと踏まない様に避けて歩いてくる少女の目にはちゃんとした目的を持っていた。その表情は嬉々に満ちており、よくみればその覚束ない足取りはスキップにも感じ取られる。

 少女は今まで通ってきた扉の中で一番薄汚く、というよりも壊れかけているのを無理矢理立たせている様な感じの扉の前に立つと、腕に抱えている為伸ばせない腕が届くくらい体と扉の距離を縮めて軽く二度ノックする。すると中から面倒臭そうに短く返事をする女性の声が小さく聞こえてきたので「あの」それだけ口にすると、ティスク! どうしたのこんな夜遅くに? いきなり扉が開き、中から薄い紫色の布で口を隠し一つに高いところでくくった茶色い長い髪と同じ色の瞳を輝かせた女性――ルイラが飛び出してきた。

 どうしたと聞いてきたわりには訳も聞かず取り敢えず中に入ってとルイラが部屋の奥へと入っていったのに続きティクスと呼ばれた少女も小さくお邪魔しますと呟いて中に入っていった。中は月明かりだけが部屋を照らしていて、うっすらと床に転がっている物達が影をつくっている。あ、気をつけてね。色々物転がってるから。今更言っても遅いようなと呆れつつ必要以上に足をあげて窓辺の近くにある人一人ゆったりと座れる二つの椅子の片方にルイラに促され腰掛けた。

 で、用は何かしら? 今日はバノン仕事中だから邪魔される事はないわ。手を組み甲に顎を乗せて目を細めるルイラを見ながら、そういえばこの前もこんな風に同じ理由で来た時、丁度珍しく用事があったらしいバノンと鉢合せになりどちらが先に用事を済ますかと口論になって結局何も出来ず終わった事があったなと思い出す――普段はルイラの顔を見れば文句ばかりのくせに――。あの自分に関係ない事には一切手を出さないバノンが仕事をしているのだ、よほどの事なのだろう。

「あの、この本……」

 たどたどしい口調で説明を加えながら恐る恐る右手に持っていた本を差し出す。しばらく喋っていなかっただけで言葉を上手く操る事ができないという事は、自分の声を聞き取れないという事は何ともどかしいものなのだろう。別に多くの人と会話する事は望んでいないしむしろこちらから願い下げだが、せめてルイラとは――唯一自分に話しかけてきてくれた彼女とはまともに喋れるようになりたかった。他人と喋れなくなくなっても良かったので、せめてルイラとは……。

 ん、良いよ。私なんかで良ければ。差し出された本を受け取ったルイラは、その本のタイトルを見て目を細める。人を助ける仕事をしているといってもティクスは他の子供でいえばまだ親の愛の中でぬくぬくと育っているくらいの年。自分で人形を抱き静かに本を読んでいるより、やはり人の声を聞いてその人の感情から話を読み取りたいのである。声を直接頭に届けてくれるルイラには、いつもこうやって本を読んでもらっていた。

 ルイラは椅子を近付けてティクスに本に描いてある絵が見える様にひじかけに置いて表紙をめくり、でかでかとそれもひらがなで時々出てくる漢字にはちゃんとルビがうってある文字を読み上げていく。えっと、何々……むかしむかし――。たったそれだけ読んだルイラはまるで驚いて言葉を失ったかの様に文字を見詰めて表情すら動かなくなった。もしかしてこの本の内容はルイラを怒らせるような内容だったのだろうか。心配がよぎる。だがどうしてそうなってしまったのか分からず結局ティクスはオドオドする事しかできない。

 ティクスが今回選んだ本は珍しく“むかしむかし”から始まる昔話だった。もちろん一度一人で読んだ事がある本なので内容は理解している。だがルイラが読むとどう感情がこもるのか、それが知りたくていつも読んでもらっていた。

「る、ルイラ……? ご、ごめ」

 え、あ、ううん。ティクスのせいじゃないのよ。

 重く冷たい沈黙に耐え切れず恐る恐る名を呼んで謝ろうとすると、まるで今まで意識は違う所へ飛んでいっていたかのようにルイラは顔を上げ大きく首を振った。ただちょっと……“むかしむかし”何て言ったら昔の事思い出しちゃって……ね。そう伝えながら本に目を落としたルイラの瞳には、悲しみの色が混ざっている。

 ここにいる者達は過去に触れようともしない。それはほとんどは思い出したくもない思い出で、後は気付がここにいたというティクスの様に過去を知らない者達である。どうやらティクスの選択は間違っていた様であった。

「私も過去知ったら……皆みたいになる、かな……?」

 ほとんど無意識で、ルイラから聞いて自分で言葉を放ったのを知り驚いたくらいだ。ううん、無理に思い出さなくていいの。アナタは忘れたままのアナタが良いのよ。そっと肩に手を乗せて、それからまるで顔を見せたくないかの様にツギハギうさぎを間に挟んでティクスにまるで硝子細工に触れるかの様に抱きついてきてくれた。パサリと本が落ちる音が響く。腕から、体全身から体温が伝わり、温かい。

 私も皆みたいに過去を知れば、目標ができて今までよりも頑張れるかもしれないのに。ルイラの背中に手を回しながら、うつろな目で全て姿を現した月を見詰める。

End

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新年早々過去話かよって感じで;うん、私にとったら新年もただの通過点さ(当たり前)。
やっぱ新しい年っていったら過去話だよな。私の表現力が悪いからただの過去話の話になっちゃってるけど…。
ティクスは今の所10歳前後の設定。

あ、扉が壊れかけてるのはルイラの意識飛ばしの失敗の影響です(笑)。

05年1月1日