痛いけど
「ねぇ、何で痛いって感じるの?」
木に登ってただ茫然と空を見詰めていたら唐突に下から高い声でそんな事を尋ねられたので、驚いて思わず木から落ちそうになった。しばらくドキドキと早鐘を打つ胸を抑え宙を見詰めていてそれからだんだん気配も何も感じなかったのですっかり油断して素直に驚いた自分が恥ずかしく思えてき、軽く咳払いしてから取り敢えず高い所からでは失礼なので下へ飛び降り軽々と着地する。案の定目の前には肩にかかるくらいの浅黄色の髪が風に弄ばれているケルアがいつもとは違いしっかりとエメラルドグリーンの瞳で見詰めていたので「……いきなり何だ?」取り敢えず質問には答えず、逆に尋ねる。
「別に、いきなりじゃないよ」
「俺にとっては唐突すぎて何か分からん」
どうもコイツは自分の事しか考えなさすぎだ。その前に会話があったのならともかく、現れて第一声がそれなのだから。普通は名を呼ぶとかするであろう。呆れを通り越して溜息すら出てこない。ケルアの唐突すぎる行動は慣れたつもりであったが――いや、こういうのは慣れる慣れないの問題ではないのだろう。
あからさまに面倒臭いとでも言いたげな表情を浮かべられたので、それくらい当たり前だろと目で訴えてみる。「えー……」しかし今度ははっきりと不満の声を漏らされたので、「じゃあ俺も答えない」声には声で返すとものすごく冷たい視線で睨みつけられてきたが、適当に受け流していたら向こうの方が挫折してくれた――何回もやられれば誰だって慣れてくる――。
溜息の次に勢い良く出てきた細い開ききった左手。ちゃんと食事をしているのかと疑ってしまうほど細く、きっと本より重い物を持った事がないんだなとか呑気に変な事を考えている自分がいた。「これ」しかし口を開いたケルアの放った言葉でそんな考えは吹き飛び、そういえば頭に記録している、部屋の中に閉じこもって本を読んでいる為日に当たらず不健康な白い肌とは違い少し赤く、人差指の腹に出来た赤く太い線が目立って目に映る。それが入ってきたと同時に嫌な考えが流れる様に浮かびそれを掻き消そうとしたら、
「怪我した」
考えていたのと同じ言葉をケルアはいとも簡単に言い放った。それだけ言うのを面倒臭がった青年を面倒臭がりなんて可愛い言葉でなんてとても表現できない。
ほら、言ったんだから。そんな目付きで促され、ケルアの掌で踊らされている自分に呆れを感じてこのままどこかへ逃げ出そうかと一瞬思ったが、フォルを巻き込んだら迷惑だと結局帰ってきた時のケルアが怖いのでしぶしぶ口を開く。
「生きている証拠、なんじゃないのか?」
「生きている……しょう、こ」
意外な答えだったのだろうか、ほうけた表情を浮かべてオウム返しされた。何と言うか、ケルアは本当分かりやすい人間であるが、時々分かっているだろうと思って言ったら分かっていなくて質問され、分かっていないだろうと説明したら知っていると怒られ、ある方向だけに傾きすぎていて扱いづらい時がある。しかしこんな表情を浮かべられるなんて、逆に自分の方が意外に思った。
「痛みを感じなくてほっておいたら致命傷になる時もあるだろ」続けて答えたらほうけた表情は心なしか残念そうな表情に変わり、じゃあ他になんて答えればいいんだよと顔をしかめる。
「じゃあ、胸の痛みは?」
「胸の痛み?」
せっかく答えたのにケルアはそれについては顔だけで返事して次の質問を続けたので、今度は逆に彼がオウム返しで尋ね返す番になった。多分顔の方も同じ様にほうけた表情を浮かべていたのだろう、その態度が気に入らなかったのかケルアは視線を落とし「もういい」頬を膨らまして駄々っ子の様にそれっきり黙り込んでしまった。
今日のケルアはどうも様子がおかしい。自分勝手な行動は相変わらずであったが、しつこく突きかかってこない。そんな事は初めてだったのでどうしていいのか分からず自分まで黙り込んでしまい、ただ重い空気だけが流れた。視線を合わせようとしないケルアからぎこちなく視線を逸らし、何か言葉はないのかと自分に問いかける。だが焦れば焦るほど頭の中で糸が絡まっていくだけで、沈黙はだんだん重苦しいものになっていくばかりであった。
唐突に冷たい風が頬を撫でて頭を冷やせと忠告してくれたおかげで考えに集中しすぎていた彼ははっと我に返った。どれくらいここに向かい合った姿勢のままで固まっていたのだろうか、分からないがケルアがふてくされたままなのでそんなに長い間いた訳ではないのだろうと勝手に解釈し、風のおかげで糸は解けやっと思いついた言葉を口にする。
「絆創膏貼るぞ」
たった一言それだけ、だがそれだけで充分だった。ケルアが上げた視線とぶつかる事なく横を通り過ぎて家の中に入ろうとしたが、「……妖術では治せないの?」多分本人はただ思い浮かんだ疑問を口にそのまま出しただけだろう。しかし彼にとっては聞き捨てられない台詞で、
「……それぐらい自分の体に任せろ」
肩越しに振り返り眉をひそめてそれだけ伝え、視線を戻しさて絆創膏はどこだっただろうかと考える。どうせケルアの事だから聞いても知らないと言うのは分かりきった答えで、自分一人で探さないといけない事に少しげんなりしてきて小さく溜息をつく。
それっきり何も問わなくなったケルアが後ろから急いで追いかけてくる足音を風が彼の耳へと運んできた。
「――っ!」
唐突に左手の人差指に違和感を覚え、反射的に触っていたものから手を離す。思考の追い付いていない頭は何事かと一瞬だけ遅れをとり、そして先程まで見ていた本と小さく痛みを訴え始めた指の感覚から、あぁ……切っちゃったんだとのんびり答えを見つけ出した。ページをめくるのを待っていた指がページの端を撫でていたら誤って切ってしまった様である。古い本だというのをすっかり忘れていた。
ぼんやりと未だに痛みを訴えてくる指の腹にてきた口から恐る恐る覗いてくる赤い液体を見ていた彼は唐突に左手で開いたままの本を奪うように取り、壁に目掛けて何の迷いもなく勢い良く投げ飛ばした。そしてその本が壁にぶつかるのを待たずに机に向かって思いっ切り手を開ききって押さえつける様に叩きつける。耳に二種類の音が破裂音の様にあっという間に伝え通り過ぎていって、静寂を待たずに再び机を叩きつけた。何度も何度も。その度に掌が痛いとわめいたが、気にせず叩きつける。
しかしまるでネジがきれていく様に勢いは衰えていき、最後には机にしがみつく様に床に崩れ落ちた。そんな彼を気遣うかの様に掌はジンジンと痛む。まるで存在を認めてくれるかの様に。
「苦しい……胸が、痛い……」
「――ケルア、何か言ったか?」
どうやら自分でも気付かないほど無意識に呟いてしまったらしく、不思議そうに覗いてきた男性の顔を見て一瞬驚いてしまい、目を見開いたまま男性から目を逸らす事ができなくなった。「……いや、別に」取り敢えず言葉を探してそう言ったら怪訝そうな顔をされたが、別にただ聞いてみただけらしく指を出せとすぐに話を変えられる。その言葉でそういえばと自分から言ったくせに何故こんな状況になったのかすっかり忘れてしまっていて、言うとまたうるさいだろうなー、自分のせいなのに他人事の様に考えながら左人差指の腹にできた傷口が見える様に手を差し出した。
また考え込んでしまっていたらしい。別にそれは構わないが、現実のもの全て遮断して過去に集中してしまうのはどうも自分の悪い癖だ。
「さっきさ、自分の体に任せろって言ったよね?」
絆創膏の入った箱が開くと独特の臭いが辺りを漂い、男性より遠いところにいるはずのケルアにも鼻を突く様な臭いがやってきて眉をひそめていたら、ふと先程男性が言った言葉を思い出してそのまま尋ねてみる。「……あぁ、言ったが」箱から絆創膏を一枚取り出した手を止めて一瞬ケルアの顔を驚いた様に見詰めていたが、すぐに問い返してきた。
「それなら絆創膏貼るより、そのままにしておいた方が治り早いんじゃないの……?」
言った後で先程の自分の行動が絆創膏貼れと言っているのと同じな事に気がつき、もしまた質問で返ってきたらもう問うのは止めようかなと思っていた時、
「どうせページめくろうとして切ったんだろ? 同じ事をしない為の予防だ」
一瞬何言われたか思考が追い付かなかった。追い付いた時にはもう絆創膏は最低限のシワをつくり綺麗に自分の人差指に絡まり終わった後だった。指を再び違和感が包み込んだが今度のは先程とは違い、心地良い違和感。守られているという感覚。
「メルヴィー」
絆創膏に包まれた指先から目を逸らし、きっと今日初めて名を呼んだだろう男性――メルヴィーの顔を見る。丁度ゴミを捨てていたメルヴィーは肩越しに不思議そうな表情で振り返るので何だかいじめてみたいという感情の方が強くなり、「――やっぱりいいや。何でもない」立ち上がり自室へ向かいながらそれだけ口にした。後ろから声は聞こえてこなかったが絶対に怪訝そうな表情で自分の後姿を見ているのだろう、そう思っただけで自然と笑みがこぼれた。
痛いと感じるのは生きている証拠、しかしその感覚を味わわない為に人は守る。そんな矛盾に安心している自分がいた。
静かに扉を閉め、その扉に背を預ける。
「お礼はまだ言わないよ」
だって、言う時間はまだ沢山有り余っているのだから。
End
んー、なーんか最初考えていたのと最後が全然違う…;やっぱり何日もかけてじっくり書いていったらダメだなぁ…。
……まぁ、結果オーライって事で(…)。
ケルアは外見明るく見えて結構マイナス思考なので一人になったら部屋の隅でうずくまってイジイジしているタイプ(苦笑)。痛みでしか自分を制御する事ができなく、だけどメルヴィーに怪我の予防だとか優しくされて、彼と一緒にいたら違う方法で自分を制御できるかなとちょっと今までの自分を変えられそうで嬉しくなった…てな感じ……のつもり;(え)
感情表現が下手でどうしても押し付ける形になり、そのせいで上手く人と交流できず人付き合いが嫌いになり本の虫となった。暇な時はメルヴィーの所に行くか自室にこもって本を読んでいます。意外と(笑)。
05年1月24日