夜の海
なるべく物音を立てないようゆっくりと足を動かし、少し床が悲鳴を上げただけでも体が強張り辺りを見回して誰も出てこないのを確認すると安堵の息を漏らしてそっと海賊船から外に出たアティは後ろを振り返り、改めて誰も気付いていないのを確認すると海へと向かった。夜の外はただ立っているだけでも寒いのに更に塩の香りを含んだ風が頬をなで長い赤い髪をなびかせてゆく度に身震いをしてしまうほどである。それでも外に出てきたのは、別に用があった訳ではない。海を見たかっただけ、ただそれだけである。
思えばアティはゆっくりと海を見ていない事に気付いた。見たとしても遠目からである。近くで見ていたとしたらこの島に流れ着いてこの海賊船に来るまでの間で、その間もアリーゼやこれからの事ばかり考えていて海などゆっくり見ている暇すらなかった。だから一度、近くでゆっくりと海を見て見たいと思った。しかし昼間にそんな暇などあるはずがなくあれば他の事に使うので、この様に夜になるのをひっそりと待ち皆を起こさぬよう抜け出してきたのである。
靴を脱ぎゆっくりと足を砂の上に乗せて靴は海に持っていかれぬよう安全な所に置く。さらさらとした感触が足の裏から伝わってきて、自分達を飲み込みこの島まで連れてきた恐ろしい海も今では静かに波を打っていてその音が静かに耳へと伝わっていき――、とても心地良かった。
腰を下ろし足を伸ばしていると寄ってきた波が軽く足の裏に触れて砂を落とし冷たい感覚を残して去っていく。ただ茫然と、しかし色々と形を変えてはやってくる海を見詰めていたら、
「先生?」
いきなり海の音と共にそんな声が入ってきたので一瞬体が強張ってしまい、そして恐る恐る肩越しに振り返れば「アリー、ゼ……」目に映ってきた人物に驚き、思わず間抜けな声でその人物の名を呟いた。普段は高いところで二つにくくっている茶色い髪をくくらず、眠そうに目を擦りながらアティに近付いてくるアリーゼの横にはいつも一緒にいるキユピーはいない。
「どうかしたんですか?」
そのまま隣に座るアリーゼを見詰めながら取り敢えず思い浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「先生が……外に出て行くのを見かけたので……」擦っていた手をあくびがもれた口にもっていき、そしてあくびが納まってから「先生こそ、こんな夜中にどうして外へ?」そんな事を聞かれるのは当たり前なのに何故か言葉が詰まってしまい、動揺で見詰め返してきた瞳を見続ける事はできず自然と海へと逃げてしまった。
再び海の音だけが聴覚を支配し、その音で絡まってしまった糸が解けて冷静になったアティは、「――海を、見てみたかったんです」無意識に口からそんな言葉が出たのに気付く。アティが喋るまで海を見詰めて待っていたアリーゼが弾ける様にこちらを向くのが視界の端から見えた。
「ふと思ったんです、私、海をちゃんと見た事がないなって。アズリアがずっと見詰めてきた海からも、目を逸らしている事に」
そこで言葉を切りアリーゼの方を見てみると、彼女は膝を曲げその膝に顎を乗せ心なしか悲しそうな表情を浮かべている。アティとアズリアの関係を聞いた彼女には自分からアズリアの名を出させてしまった事に罪悪感を覚えたのではないだろうか、いや、彼女の性格からして絶対にそうであろう。
「……ちゃんと見られて良かったって思っていますよ」
震えてきたアリーゼの肩にそっと手を回し、自分の方に寄せる。何て優しい子なのだろう。他人の事をまるで自分の事の様に感じ取ってくれるなんて。「だから、大丈夫ですよ」そう声をかけると今まで我慢していたものが全て弾け出たかの様に、堪えていた彼女はアティの腕に顔を押さえつけ、それでも小さく声を漏らして泣いてくれた。アティの分まで、涙を流してくれた。
ありがとう……アリーゼ。
「――ほら、だから彼女に任せて大丈夫だって言ったでしょ」
寄り添う後姿から下で自分と同じ様に物陰から心配そうに見詰めるソノラに目を向け声をかける。それでも彼女は顔を上げ、「でも……」そこまで言いかけてスカーレルの目を見て感じ取ってくれたのか、そこで言葉を切りその言葉の続きを言う事なくもう一度寄り添う後姿に目を向けた。
アティが外に出て行くのに最初に気付いたのはソノラであった。たまたま廊下に出たところ何故か急いでいるソノラと出会ってしまい、「来てっ!」その一言だけで説明もせずいきなり腕をつかまれここまでつれてこられたのである。まさかこんな事になるとは思っていなかったので、もちろんいつもは上げている髪もそのままで風に弄ばれている。最初は急に何だとソノラに文句を言っていたが、ふと視線を上げると一人たたずむアティの後姿が視界に入り、その後姿を見て瞬時に理解した。今日の出来事。考えが合わず結局戦う事しかできなく、そして誤解されたまま逃げていったアズリア。あんな事があって何も思わない人なんているだろうか。
ソノラが出ようか出まいかとそわそわしていた時、丁度アリーゼがやってきたのである。ここからでは声は聞こえないが彼女達の後姿を見たところ、取り敢えず気持ちは落ち着いた様であった。
「スカーレル、どうする?」
こちらを向かず見詰めたまま小さな声でボソボソと尋ねてくるソノラに、「……取り敢えず、もう少し様子を見ておきましょう」そう口にして再び寄り添う後姿を見詰める。きっと今アティに必要なものは、優しさと静かな波の音だけだろうから。
End
これもまた予定と全然違う内容になってしまった;
最初は普通にアリーゼと一緒に海を見て終わり、みたいな感じのつもりだったのですが…色々調べているとそういえばアティ先生は陸戦隊でアズリアは海戦隊だったなぁと思い出してしまい、それから道がそれた。それすぎですよ何なんだコレは;;全然シリアスな話じゃなかったはずなのに…。
アリーゼと同じ様に途中からアティ先生の所へ行く予定だったスカ様を出しそこねたので無理矢理出してきたって感じ…;
ソノラと二人っきりですが、本当はカイルもヤードも覗き見(笑)させるつもりだったんですよ。でもカイルはともかく、ヤードはしなさそうだなって思い…結局二人にしました。
アティ先生こっそり出てきたつもりが皆にバレバレですね…。まぁそれだけ皆がアティ先生の事が好きで心配しているって事で。
…皆髪おろしているのは私が書いてみたかっただけです(笑)。
05年2月3日