必需品
アティがこれを思いついたのは、何もする事がなく暇だなと思いながらただ茫然とゆっくりと流れる白い雲を見詰めていた時であった。普段忙しくて本を読む時間がないのだからこういう暇な時こそ本を読めば良いのに、そういう時に限って本は手元にない。それならいつも持ち歩けば良いのだが暇な時間なんて時々あるぐらいなので、溜まっている本は大きく重い本ばかりで結局読まないまま荷物になるだけ。さてどうすれば良いだろうかと考えて、答えが出るのは意外と早かった。
「普段から身につけていれば良いんですね!」
手を叩き、周りには誰もいないが自分に言い聞かせる様に声に出して喜びを表現する。あまりにも簡単すぎて思い付かなかった。確かに時々持っていくだけだと邪魔になる事ばかりだが、いつも身につけていればそのうち慣れてくるだろうし、暇をもてあます事もない。
随分前の話だが、スカーレルにそのファーは戦闘中邪魔にならないかと尋ねた事があった。唐突にそんな事を尋ねられたので、振り返った彼の顔は珍しく驚きの表情を浮かべており、少し間をあけてから「これ?」漆黒の柔らかそうなファーの先を細い指先で摘んで軽く持ち上げ、問い返してきた。そうですと頷くとスカーレルはファーを離した手を口元に持っていき、いきなりねと少し笑みをこぼしてから、
「そんなの慣れよ、慣れ」
前屈みになってアティと視線を合わし、左手は腰に当て右手の人差指を振って軽く右目を瞑った。
よーし、そうと決まればさっそく実行です。くるりと体を反対の方向に向けそのまま自分の部屋まで足を止めず走ったアティは、さて本を数冊選んだのは良いがどうやって身につけようと違う問題の壁にぶつかる。まさかカバンを持っていく訳にもいかない。これなら慣れてもスカーレルの様に戦闘に支障のない戦いはできないだろう。どうしようかと考えながらベッドに腰掛ける為に腰に巻いていた剣を外そうとした時であった。剣と同じ様に腰にくくりつければ邪魔にならないのではないだろうか、そんな考えが浮かび、即座に本をくくりつけて腰に巻けそうな物を探す。もちろん腰に巻く時は本を下にして剣を抜きやすいようにする。
あっという間に準備が整ったアティは、さっそくその日から本を持ち歩く事に成功した。最初は重いのはもちろんの事、膝裏に本が容赦なく打ち付けてくるので長いブーツの上からだったとはいえ、ものすごく痛く、帰ってからそのままベッドに倒れこむ事が多かった。しかし、彼女がその事に慣れるのにはそれ程時間はかからなかった。
そんな彼女の変化について、別に他人に気にしてほしかった訳ではないが純白の長いコートを着ている為か、もしくは特に気にしていないのか誰も話しかけてくる者はいなかった。
今日までは。
冷たく心地良い風が木々を揺らせて通り過ぎていく森の中、アティとアリーゼはいつもの様に授業をしていた。今日は相手の攻撃をかわして隙を見て攻撃する練習で、接近戦が苦手なアリーゼにはそれだけ疲労も大きい。しかし、だからといって逃げてばかりいてはいけない。敵は容赦なく襲い掛かってくる。いざという時少しでも早く反応してもらう為とはいえ、なかなかできずに悔しさと疲労の表情を浮かべているアリーゼを見ている事はアティには辛かった。
そして今は休憩の時間。いつもは休憩の時間にも早く修得する為に練習しているアリーゼも、相手がいないと思うようにイメージを浮かべられないので大木に寄りかかり休憩している。隣りではキユピーが心配そうな表情を浮かべて見詰めていた。
その大木から少し離れた場所でアティは腰に巻いている本を一冊取り、どうやったらもっと分かりやすく説明できるだろうかと本を読んでいた。暖かく、葉が擦れ合う音しか響かないこの場所では集中して本が読める。
「――せ、先生っ!」
唐突にアリーゼの普段より大きな声が耳に入ってきたので勢い良く本を閉じ、肩越しに振り返る。顔を上げて一番初めに目に映ったのは、アリーゼの少し不機嫌そうな顔。多分何度も呼んでいたのだろう。すみませんと謝りつつ本を横に置いて立ち上がり、「どうかしましたか?」
アティが尋ねると不機嫌そうな表情を浮かべていたアリーゼは急に気弱な表情に変え、「あの……読書の邪魔をしといてすみませんが」口元に手を当て、恐る恐る少し俯きながらそこで言葉を切った。どうやらその事を気にしているらしい。大丈夫だという意味を込めて笑顔を浮かべ続きを促す。
「あの、何でいつも本を持ち歩いているんですか……?」
それでも言いにくそうにしぼり出す様に放ったアリーゼの言葉を聞いて予想もしていなかった言葉の為か素直に驚いてしまい、答えるのが遅れてしまった。アリーゼはそれを怒っていると解釈してしまったのか、「ご、ごめんなさいっ!」慌てて謝る。
「あ、いえ……ただ、今まで誰もそんな事聞いてこなかったのでちょっと驚いただけです。別に怒ってなんていませんから……ね?」
俯くアリーゼの表情を窺う為腰を曲げて顔を覗き込む。すると心配そうに見詰める彼女の瞳とぶつかったので、もう一度笑顔を浮かべた。
それから、さすがに腰を曲げている姿勢で話しているのは辛かったのでしゃがみ込み、アリーゼの両腕をつかむ。自分で叱ったのに子供を慰める為にしゃがみ込んで俯いた視線をあわせた時の親の気持ちはこんな感じなのだろうか。怒った訳ではないが、少なくとも悲しい表情なんて浮かべて欲しくないという気持ちは同じだろう。そんな考えが一瞬だけ脳裏をかすめた。
「大した理由じゃないですよ。最初はただ、本を読む時間が欲しかっただけです。でも今はこんな風に休憩時間中に勉強もできて、結構便利ですよ」
そう言いながら地面に置いた本を手に取る。風が運んできた葉がその本の上に乗っかっていたので、葉についていた土も払う為に軽く叩き、アリーゼに渡す。
もっと特別な理由があるからと期待していたのかアリーゼは「そう、ですか」ポツリと呟いて本を受け取った。パラパラとページをめくり、時々何か目に留まったのかめくっていた指を止めてそのページを少し読んだりしながら、最後までページをめくる。
「ありがとうございました」
こっちが勝手に渡したのにちゃんとお礼を言って返すところがアリーゼらしいな、「どういたしまして」笑みを浮かべながら差し出された本を受け取る。ふと視線を上げるとそこには不安な表情を浮かべたアリーゼがいて、きっとアリーゼの事だからこんなに沢山の事を自分はやれるのだろうかと不安になっているのだろう。
「大丈夫ですよ」気が付けば口からそんな言葉が出ていた。もちろん何も言っていないのにそんな事を唐突に言われ、弾ける様に顔を上げたアリーゼは素直に驚きの表情を浮かべている。戸惑いと不安が入り混じった瞳を見詰め返しながら頭の上に手を置き、「最初から何でもできる人なんていません。何もしなければ、何も始まりませんよ」髪の流れにそって頭をなでる。
「そう……ですね!」
頭をなでるアティの手に自分の右手を添えたアリーゼは、満面の笑みでアティに微笑み返した。そんなアリーゼの笑顔を見てもう大丈夫だと思い、頭から手を離して代わりに彼女の温かい手を握る。
「先生! 続き、やりましょう!」
そう言ったかと思えば次の瞬間にはアリーゼは握っていた手を握り返して走り出したので、アティも彼女の足を踏まないように気をつけながら歩調をあわす。ふとアリーゼの足から視線を上げたアティの目には、今日教えてもらった事を頑張って修得しようと気合が入っている彼女の横顔が入ってきて、思わず笑みをもらした。
そんな二人を見守るように、木々の間から太陽は暖かい光を送り続けていた。
End
ギャラリーを見て初めてアティ先生が本を持っている事を知り、書きたくなった。なかなか書けなかったのは前書いていたヤツが妙に長くなってしまったから。…結局後から読んだらものすごく文書変だったんで没になりましたが;
で、書いたのは良いが……ちゃんと終わってくれた;もう書き始めのほうなんて最初の部分しか思いついていなくちゃんと書けるかどうか心配だったんですが…良かった。
…むしろスカ様を書きたくて書いた小説じゃないですよ?(笑)……まぁ、台詞の後のヤツは一度書いてみたかったんですが…。うん、この文だけ雰囲気変なのは気のせいではない。
…本当はスカ様にしようと思っていたんだけれど、さすがに…あの位置ではちょっと…;(苦笑)
今度アティがスカ様に尋ねたところを書いてみたいと一瞬思ったが、上手く話を終えられるかどうか分からないので書く気が起こらない(おい)。
05年5月3日