重なり
全ての生き物が寝静まり、ただ止まっている船が時々やってくる波にだけ揺られるほど静かな夜、甲板には手すりにもたれかかり月の光が反射してキラキラと、まるで夜ではないかの様に明るい海を見詰めている一人の女性がいた。時々吹く冷たい風に腰まである赤い髪と純白なマントが弄ばれ、その度に寒そうに両腕を冷たくなってきた手で擦っていて、それだけで温かくなる訳がないのでかじかんできた手に温かい息を何度も吐く。中に入り少し歩けば自分の部屋。それでも女性は上着を持ってこようとはせず、ただ絶えず小さくゆらゆらと動いている海を見詰めていた。
「アティ」
低いけれどまるで鈴を転がしたように凛とした声に呼ばれ、その声と共にふわりと両肩に暖かく、そして頬にふさふさとした感触につんとこない良い香りが辺りに漂う。「……スカーレル?」アティと呼ばれた女性は驚きを隠せない表情で、それでもゆっくりと振り向き後ろに立っていた人物の名を呟く。「どうか……したのですか?」スカーレルの浮かべる笑顔と首にまかれたふさふさの感触をした漆黒のファーを交互に見ながら恐る恐る尋ねる。
「聞きたいのはこっちなんだけど?」アティの右隣に同じ様に手すりにもたれかかったスカーレルは、アティの問いには答えず逆に同じ事を尋ねてきた。「まぁどう見ても悩んでいる様にしか見えないけれどね」黙っていようと俯いたアティは見事にそう当てられてしまい弾ける様にスカーレルの方を見て、「どうして分かったんですか?」
「分かるわよ。性格と行動さえ分かっていれば後姿や何気ないしぐさだけでもどう思っているか分かるわ」
満面の笑みを浮かべてそう答えてくれたスカーレル。それは他人の事を考えているスカーレルだからこそ分かるものなのだとその笑顔を見れば何となく理解できた。
「――で、どんな悩み? アタシでよければ聞いてあげるわよ」
口調はいつもの様に優しいけれど浮かべる表情は真剣で、からかう訳じゃなく真剣にその悩みを聞いてくれようとしているのだと分かり、だから皆はスカーレルに安心して任せられるのだと改めて理解した。スカーレルから借りたファーを強く握る。
いざ悩みを話そうとすると緊張して思わず俯いてしまう。どうやって話せばいいのか、ぐるぐると頭の中で色々な単語が駆け巡り、真剣に悩みを聞いてくれようとしているスカーレルを待たせているので早くしなければと思うと余計混乱してしまい、「――分からないんです」気がつけばそんな意味の分からない事を口にしてしまっていた。それでもスカーレルは何も言わず黙って次の言葉を待っていてくれたので、小さく深呼吸して頭の中を整理してから恐る恐る口を開く。
「アリーゼちゃん最近雰囲気が固くなって、私の事拒絶しているように見えるんです……。実際そうなのかもしれませんが、私、アリーゼちゃんに何かしたのかと考えても何も思い浮かばなくて、それで余計すれ違ってしまい……。スカーレルの言っていた鏡の話の事、考えてみたんです。それでもやっぱり分からなくて……分からない事だらけで、私……先生失格なんじゃ」
言っている間だんだん自分が情けなく思えてきて、だんだん言葉が尻すぼんでいく。こんな事を悩みととらえてスカーレルの時間を借りてしまって――悪い方向に思考が進んでいる時に唐突に頭に温かい感触。そしてゆっくりとその感触は動き、それでこれはスカーレルの手なのだと理解した。ゆっくりと顔を上げると、やはり優しい笑顔を浮かべるスカーレルの瞳とぶつかり、「ごめんなさいね」何故か謝られてしまった。
「アタシが言った事、かえってセンセを困らせる事になってしまって。そんなつもりじゃなかったの」
アティが言う前にスカーレルはそう言葉を続ける。そんな事はもちろんなく、ただアティが勝手に悩んでいただけで別にスカーレルのせいではない。スカーレルの手を乗せたままの頭を激しく振り、否定の意味を表す。慌てて止めたスカーレルが「ありがと」小さくそう呟いた様に聞こえた。
そして再び辺りは静寂に包まれ、時々魚が水面を跳ねた時飛び散った水が弾ける音でさえ響き渡るほど静かで、この重苦しい沈黙はアティに耐えられるものではなかった。「……重なってしまうんです」唐突にアティはそう呟き、スカーレルですら聞き返してしまうほどである。
「頑張って周りの人に合わせようとして、結局は孤独な自分に気付いてしまうアリーゼちゃんと、昔両親をなくして孤独になった私と。だから私、アリーゼちゃんの事分かったつもりでいたんです。私と似ていたから……」
そのままアティは黙り込んでしまい、再び沈黙の重さがアティを襲う。スカーレルの顔を直視する事ができず、俯いたまま顔を上げる事ができなかった。スカーレルは呆れ果ててしまったのだろうか。早くこの沈黙が終わって欲しい様な、それでもスカーレルの言葉は聞きたくなくてこのまま沈黙が続いて欲しい様な複雑な気持ちにまで襲われて、この場から逃げ出したくなる。
「……それは、センセと彼女が全く違うから」今度は唐突にスカーレルがそう言い出したので、アティが聞き返す番になった。「誰にだってあるわ、考えていた事と結果が違う事なんて。それは当たり前。でもね、そのまま置いておいたらその計算違いはどんどん大きくなっていくばかりよ。例え傷付く結果になってしまっても、一歩踏み出さなければ相手を知る事はできないわ。失敗は成功のもと、って言うでしょ? 一度ぐらいの失敗で誰も責めたりしないわよ」
そう言ってくれるスカーレルの優しさが嬉しくて、小さく頷いた。確かにそうだ。今までの自分はアリーゼを傷付ける事を怖がって、一歩遠いところから見ていた。確かにそれで全体は見渡せても中身、つまりアリーゼが思っている事までは分からない。知っているつもりになっていたのである。
「さ、明日に響かないように今日はもう寝ましょ。悩む事なんていつでもできるけど、体をゆっくり休めるのはこの時間しかできないわよ。でもその前に、スカーレル特製ホットミルクをご馳走してあげるわ」
顔を上げればいつもの笑顔を浮かべるスカーレルの瞳とぶつかり、二人で笑みを浮かべた。スカーレルの手が背中に当たり中に入ろうと促してくるので、「カイルの作るホットミルクとどう違うんですか?」歩きながらカイルを例に挙げて尋ねてみると「愛情が違うのよ、愛情が」当然の如くスカーレルはそう言った。
ただ人に打ち明けるだけですっきりとするこの気持ちとスカーレルの好意も無駄にしない為に明日、アリーゼに勇気を出して一歩近付いてみようと、肩越しに月を見たアティは心にそう誓う。
End
…結局何にも解決していないじゃん、という話(…)。これはアリーゼが連れ去られる前の夜だとでも思ってくれれば嬉しいです。
スカ様ってアリーゼの事何て呼ぶんだろう…アリーゼちゃん?彼女?
…結局何が書きたかったかというと、スカ様のファーを貸してもらいたいなー…という事だけです。ははは…;
眠れない時はホットミルクがいいですよー。トリプトファンが眠気を促してくれます。
スカ様は眠れる様にという意味でホットミルクを出してくれたんです。ホットミルク(砂糖入り)が好きな訳ではありませんよ(…)。
やっぱり久し振りはダメですね…;;
04年11月10日