それは悪魔の魚
鬼妖界集落にあるゲンジの庵、そこにここの主であるゲンジに、オウキーニとカイルという珍しい顔ぶれがそろっていた。縁側に座り腕を組んで目を瞑り何か考え込んでいるゲンジを、オウキーニとカイルは静かに立ったままじっと見守っている。その姿を見れば、二人がゲンジの知恵を拝借しにきたというのは安易に予想できるが、何せ相談に来たのがこの組み合わせである。オウキーニは何故仲間とではなくカイルと一緒にゲンジに会いに来ているのか――ってゆーてもウチ個人は恨んでへんし、向こうもしぶしぶ付きおうてくれてるようやけど――。
それは、オウキーニの悩み事が始まりだった。
随分前の事だが、オウキーニはカイル一家の船外でいつものように料理を作っていた。料理を作る側としては、相手に美味しいと喜んでもらえるのは最高級の幸せである。そんな皆の反応を楽しみにしながらシルターン自治区では食材として当たり前に使っていた物を料理しようとしたら、たまたまオウキーニの手さばきを見に来ていたスカーレルに耳が声を聞き取れなさそうなくらい甲高い声で叫ばれ、手に持った物を見詰めながら勢い良く後退っていったのである。
「な、なな何っ、そそそ……その、その――っ!」
口元に手を当てながら震える右手で指を差す。オウキーニが持っているものは別に珍しい食材な訳ではない、誰でも知っているであろう海の生物。それでもそこから言葉が出てこないという事は、もう視界に入れるのも許されないほど嫌いなのだろうか。
もしその場にいたのがスカーレルだけであれば、オウキーニもそこまで拒絶反応を見せるなら仕方ないと、その食材を片付け別のものを用意していただろう。だがスカーレルの不幸は、同じくオウキーニの華麗な手さばきを見に来た者がよりにもよってその食材に興味を持った事だった。
「へぇー、今日はコイツを使うのか? 食った事ねぇから楽しみだな」
それが海賊カイル一家の若き船長、カイルであった。近付いてきて前屈みになり、まだ動いている海の生物をまじまじと見る。そんなカイルの姿を遠くから、あんな拒絶反応を見せても怖いもの見たさというか、それでも恐る恐る見ていたスカーレルが目を見開いて絶句している姿が視界の端に映った。その浮かべる表情は、どんな凶暴なはぐれ召喚獣と出会っても恐れを見せず立ち向かっていくスカーレルの姿からではとても考えられないほど間抜けである。もしかしたらスカーレルの最大の敵がこれなのかもしれないと、その敵を平然と素手で持ちながらどうでも良い事が脳裏を横切った。
ともかく、スカーレルには悪いが「で、どうやって料理するんだ?」料理の邪魔にならない位置で今か今かと待ち構えられていたら、期待に答えようとするのが普通である。それにスカーレルの反応からは、食わず嫌いだろうという事が安易に予想できた。それならば食べられるようにするというのが、料理人の腕の見せ所である。
急かすカイルをなだめ、沸騰した湯がなみなみと入っている大鍋の近くまで海の生物を持っている手をもっていくと、身の危険を感じたのか急に暴れ出したので逃がさぬようしっかりと掴み、湯が跳ねないようゆっくりと入れる。すると、海の生物は動かなくなっていくのに比例してどんどん丸くなっていき、最後には後から後から押し寄せてくる泡にぶつかり小さく体を動かすだけになってしまった。そんな光景をじっと見詰めていたカイルは、感嘆の声を上げる。
軽くゆがいた後に用意しておいた冷水に浸し熱を取り、水気をふき取って水かきを切り皿に乗せると、「え、もう終わりか!?」ただゆでるだけというあまりの簡単さにカイルが今度は驚きの声を上げた。
「はい。後は色々つけて食べるのもええんですけど、初めてやったら、まずは何もつけんと食べてみるとええですわ」
箸と共にカイルに渡すとしばらくその食材を色々な角度から見た後、恐る恐るといった感じで口にもっていく。少しかじってゆっくりと味わった後、「お、なかなかイケるな」こんな簡単な料理なのに想像以上の美味しさだったのか目を輝かせる姿を見られて、オウキーニは安堵の息を吐いた。自然と笑みが浮かぶ。
「そうですか? そりゃ良かったですわ」
しばらくの間お互いの浮かべる笑みを見詰め合っていたが、まるで打ち合わせでもしていたかのように全く同じタイミングでスカーレルの方を振り向く。そんなに2人の息が合っていたのか、それとも単にカイルに一口かじられた海の生物に怯えているのか、スカーレルは誰が見ても分かるくらい肩を強張らせた。どうやら3人共同じような考えが思い浮かんだらしい。
慌てて逃げようとするスカーレルだが、何せこちらは2人。しかも想像したくない事への恐怖で足が思うように動かないらしく、元暗殺者とは思えないほどあっさり挟まれてしまった。
「駄目っ、本っ当にアタシ駄目なのっ!!」
逃げ場を失ったスカーレルは、最終手段――必死に懇願し始めた。一口かじられた海の生物どころかカイルすら視界に入れないように手で視界を狭めながら、顔を振りこの現実から目を逸らそうとしている。
さすがのオウキーニも、ここまで拒否反応を見せられると罪悪感を覚えてくる。しかし、ここで見逃すのは料理人のプライドが許さなかったし、大体食わず嫌いというものは食べてみると意外と美味しかったという言葉を聞く事が多い。自分の為にも、そしてスカーレルの為にもここで引き下がる訳にはいかなかった。
「まぁそう毛嫌いせーへんと、一口だけでもええから食べてみて下さいって」
「そうだぜ? 見た目が嫌なら目ぇ瞑って食えば良いじゃねぇか」
「嫌! 絶っ対、嫌っ!! 何でそこまでし」多分、オウキーニの言葉に続いたカイルの言葉にスカーレルは、何でそこまでして食べないといけないのよ、と怒鳴りたかったのだろう。しかし食べたくないという気持ちで頭がいっぱいになっていて、言い返そうと弾けるようにカイルの方を向いたスカーレルの瞳に映ってきたものは彼の顔ではなく、カイルが箸でつまんで近づけてきたスカーレルの最大の敵だった。
一瞬、変な沈黙が走る。が、すぐに3人の周りはスカーレルの悲鳴で包まれた。不意打ちだった為心構えができていなかっただけでなく、きっと今まで近付いた中で1番近い距離だったのだろう。しかし、いくらなんでもこんな至近距離では叫ばないだろうと油断していたオウキーニ達なんて、もしかしたらそれ以上驚いたのかもしれない。カイルなんか驚いた反動で海の生物を箸から離してしまい、慌てて両手で受け止める。
そんなスカーレルの姿を哀れに思ったのか、そこに救いの手が差し伸ばされた。スカーレルのただ事ではない悲鳴を聞いて、アティが慌てて駆け付けてきたのである。
「どうしたんですか、スカーレル!? 何かあっ」
「センセ――――――ッ!!!」
心配そうな表情を浮かべて走ってくるアティを見て、スカーレルはそれこそまさしく希望の光に見えたのだろう。後ろを向いたオウキーニ達の隙を逃さずその隙間から走り抜け、アティの声を遮り勢い良く救いの手にしがみつく。
体当たりせんばかりの勢いで走っていったので、そのままの勢いで両肩を掴まれたアティは少しよろめいていた。「センセっ、助けてぇ! アタシ、もう駄目かと思った――ううん、駄目だった。あんなっ、あんなもの間近で見るなんて……!」そう言いながら後に周りかがみ込んで身を隠すなんて、余程の事があったのだろうとアティは考えたに違いない。いきなりの事だったのでしばらくの間驚きの表情で自分の肩に置いてあるスカーレルの手を見詰めた後、いつも穏やかなアティが険しい表情でこちらを見てきた。そして何があったか問いただそうとしたのだろう。しかしその表情はすぐに崩れ、驚きに目を見開いている。
オウキーニは別に変わった格好をしていた訳ではないし、何も持っていない。それならばと視線を横に流した先に、いきなりの事で追いつけず唖然としたままのカイルが持っている、海の生物。まさかと自分の考えを否定しつつ弾けるようにアティを見ると、
「あ、あの……それはもしかして……」
悲しくもオウキーニの考えは的中してしまったのである。どうやら単にスカーレルが嫌いな訳ではなく、彼らにはこれを食べるという事すら考えた事はないらしい。
その時初めて出した料理を拒否されたオウキーニは、絶対に彼らにこの海の生物を食べさせる事を誓った。誓ったのだが、なかなか思うようには運ばなかった。
見た目が悪いとアティに指摘されたのだが、これはゆでるとどうしても丸まってしまい、この見た目を直す事はできない。ならば活け造りならどうだと再挑戦したのだが、むしろ前よりも拒絶反応を返されてしまった。しかも、一緒にいたアリーゼまでもが首を横に振るばかり。肝心のスカーレルはというと、どうやらヤッファの所へ行っていたらしくオウキーニが来た時にはすでにいなかった。だが、アティの反応が前よりひどかったので、もしかしたらむしろいなくて良かったのかもしれないと、考えてしまう自分が何だか嫌だった。
そして最後に考え付いたのが、彼らはこの味を知らず見た目だけで拒否をしているので、それだと分からず食べてもらうという事だった。だが、分からなくする為にと細かくくだきすぎてはその味に気付かず、逆に警戒心を与えてしまう。だからといって、この海の生物の味を生かして食べられる料理というのは、残念ながらオウキーニは知らなかった。もちろん初めて食べたカイルが知るはずもないが、相談できるのは彼しかいない。しばらくカイルと一緒に相談できる相手はいないのかと考え、そして唐突に手を叩いた彼が言った人物が、ゲンジだったのである。
ゲンジもここに召喚された者の一人で、元はニッポンという国の学校の先生をしていたらしい。事情を話しその海の生物を使った食べ物はないかと尋ねた所、何ともあっさりと頷いてもらえたのであった。だが、やはり唐突に普段気にしていない事を聞かれても急に思い出せるはずがないし、第一ゲンジはもう長い事ここで生活をしているのである。しかも“それだと分からずに食べてもらえるような料理”なんて細かく尋ねれば、それだけ思い出す時間もかかる。
しかし、待った分ゲンジは良い答えを教えてくれた。
「おぉ、そういえば……」
†
幻獣界集落からの帰りの森の中、ゆっくりと自然を見詰めながら歩いていたスカーレルの背中に悪寒が走り、船へと向かっていた足を止める。しかもそれは触れた、何ていう可愛らしい感覚ではなく、まるでイモムシが背中の上を這った後のように後味が悪くて――もちろんそんな感じがしただけよ、感じが――、その感覚を払うかのように背中を撫でた。暗殺者として生きていた頃には自分の身を守る為の知らせも、今ではただの寒気でしかない。どうやら自分では気を付けているつもりでも、やはり環境が変われば変わってしまうようである。そんな甘い自分に嘲笑を浮かべるが、すぐに顔を引き締めた。感覚が変わっても、危険を知らせる事には変わりない。その証拠に、カイル達と出会ってからでもこれのおかげで何度も最悪の事態を免れた事があった。
背中を撫でていた手をゆっくりと短剣に触れさ、柄を撫でる。大丈夫、腕までなまった訳じゃないんだから……。焦る気持ちを抑える為にそう自分に言い聞かせ、小さく深呼吸をした。もちろんこれは勘なのだからほんの些細な事もあったし、外れた事もあった。しかし注意するにこした事はない。昔は緊張をしていない時なんて一時もなかったのに、すっかりこの生活に慣れてしまい気が緩んだ自分を引き締めるにはこの感覚は丁度良かった。
とにかく、こんな隠れる場所が沢山ある森の中を戒心もせずに歩いているのでは、狙って下さいと言っているのと同じである。早く抜けようと足を進めるが、ある考えが浮かび、一歩踏み出した足を止めた。アタシの事なんだから、むしろアタシがあえてここにいた方が皆には被害がないんじゃ……。そんな考えがスカーレルの思考を支配するが、ふと脳裏を横切る皆の顔に頭を振ってそんな考えをかき消す。いつ起こるか分からないのにいつまでも帰らなかったら、逆に皆を心配させてしまう。
「帰らないと」
気が付けば口からそんな言葉が漏れていて、自分でも驚いてしまい口に手を当てる。帰らないと、か……そんな事一度でも考えた事があったかしら? ただ与えられた任務をこなして、そして無事に戻る事だけを考えてたっけ……。帰ると戻るとでは全く同じだが、この場合持つ意味が違っていた。どんなに危険な事や大変な事があっても自分の場所に帰ってきて安心できる“帰る”と、毎日同じ事の繰り返し、やっと進んでもまた元に戻ってしまう“戻る”。全く同じはずなのに、全く違う意味を持つ言葉。
ふと、また気が緩んでしまった自分に気が付き、今度は柄を握る。取り敢えず今は皆の無事を確認しないと。そう言い聞かせ、地面を蹴り走り出す。閑静な森にはただスカーレルが地面を蹴る音と、風に揺られ葉が擦れあう音だけが響いた。
いくら閑静な森でもちゃんと道というものはあり、しばらく走っていると耳には聞きなれた波の音が入ってくる。人の声も聞こえてくるがうるさくはなく、森を抜け出せば静かな碧海が目に映り、どうやらまだ何もなかった事に安堵の息を吐く。取り敢えず慌てて帰ったら何があったと心配されそうなので速度を落とし、砂浜に足跡を残していく。
そんな自分に都合の良いように考えて……甘えすぎね。小さく溜息を吐き俯くと、ふと耳にだんだん大きくなっていく砂を蹴る音が入ってきたのでその方向を見れば、肩まで乱雑に伸びた目立つ金髪にマントをなびかせて黒手袋をはめた手を振り近付いてくる人物は、見間違えるはずがない。「おーいっ、スカーレル!」カイルだった。短い黒い紐にくくられたクロスが走る度に胸の上で弾く。
その様子から見て、別に深刻な事が起こった訳ではなさそうだ。ゆっくりと歩きながらスカーレルからも近付くと、カイルはいきなりスカーレルの左手首を掴み、それから立ち止まったのであまりの唐突な出来事に素直に驚いてしまう。
「丁度良かった。今から捜しに行こうとしてた所だったんだよ」
満面の笑みでそう言うカイルと掴まれた左手首を交互に見詰めた後、眉をひそめてカイルを見る。「……やる事と言う事の順番が違うんじゃない?」嫌な予感がした。しかもこれはただ事ではない。もしかしたら先程の悪寒はこの事を表していたのかと思ったが、それにしては大袈裟すぎるような気がするのでそんな事はないだろうと否定する。だが、いきなり腕を掴んできた事といいカイルの浮かべる笑みといい、絶対良くない事が起こるのは安易に予想できた。
取り敢えず手を振り解こうとするが、どれだけ力を入れているのか手を振る事すらできない。そんな自分の腕を見て余計に焦る。「まぁ別にどっちが先でも良いんだけどよ」そんなスカーレルの気持ちを知るはずのないカイルが、のんびりと先程の不満に答えた。良い訳ないじゃない、このバカ力っ! そんなカイルを睥睨しつつ、何とか手を振り解く事を考えていると、
「んで、何で捜しに来たかっつーと、オウキーニが新メニューを公開してっからさ……食うだろ?」
そんな言葉が耳に入り、考えていた事が全て消え去っていった。オウキーニの新メニューといえば、アティから聞いた事がある。たまたまスカーレルがヤッファの所へ飲みに行っていた時オウキーニが来て、前にスカーレル達が食べなかった海の生物を使った料理をつくってくれたんだそうだ。それが前よりも見た目が悪くてしかもまだ気持ち悪く動いていたそうで、その時ヤッファの所へ行っておいて本当に良かったと心から思ったスカーレルであった。
別に個人で楽しむならそれで良い。他人の楽しみに文句を言うつもりはない。それなのに、何故オウキーニとカイルは嫌がる相手に無理矢理食べさせようとするのだろう。
タコを。
スカーレルにとっては名を口にするのもおぞましい存在だった。ぬめりを持った体に8本なんて無駄にある足――腕とも聞くけど――をゆっくりとあちらこちらに不規則に動かす姿。そして何といっても、まるで地獄へ道連れにしようとするかのように吸い付いてくる吸盤は、想像の域を超えていた。それはもう“忌まわしい”という言葉ですらタコの前では可愛い表現となってしまうくらいである。
できれば見たくもなかったタコを、事もあろうにオウキーニはそれをゆで、カイルは足で顔――それともあれは体? 腹? あぁもうどうでも良いわ想像したくない――を覆い隠した姿になってしまったタコをかじり、更にスカーレルにそれを近付けてきたのであった。人が駄目だと言っているのにそこまでやる奴がいるだろうか――いるからアタシはこんな目にあってるのよねぇ――。
しかもタコ刺しなどと名前をつけて再びこの船の前であれを料理したのだから、もうこれは嫌がらせとしか考えられない。
やはりもう少し森の中にいとけば良かったと後悔しながら、「……何ていう料理なの?」もしかしたら違うかもしれないという小さな希望を胸に抱いて恐る恐る尋ねてみる。しかしカイルはそんな問いを「まぁ取り敢えず食ってみろよ」満面の笑みのままそんな言葉で流した。
確信した。絶対行かない方が良い。
「じゃあアタ」丁寧に断ろうとそこまで口を開くが、問答無用だとカイルに左手首を掴まれたまま引っ張られてしまった。最初はいきなり引っ張られたので前のめりになり、倒れないようバランスをとる為に足を動かすが、途中からは何とか抵抗しようとして失敗した長い2本の線が砂浜の上に残っていくだけだった。
だがそうやって何とか立ち止まろうとしていたスカーレルも、だんだんはっきりとしてくる辺りを漂う食欲をそそる良い匂いを嗅いで、自ら足を進めていく。砂を引きずる音が聞こえなくなり軽くなった事でやっと歩き出した事が伝わったカイルは、すぐに手を離してくれた。
近付くにつれ船の周りにできている人だかりが目に映り、何だかいつも以上に騒がしいと思っていれば、オウキーニだけでなくジャキーニや手下達までもが、たちこもる煙と熱気の中汗を浮かべ料理を手伝っているのが見えてきた。しかも、試食に来た人もいつも以上に多い。
「随分と好評な様子ね」
その光景を見詰めたまま足を止めず、後にいるカイルに話しかける。「あぁ、だからお前にも食ってもらいたいと思ったんだ」もちろん顔を見ずに言ったのでどんな表情でそう言ったのかは分からないが、何だかとても嬉しそうだった。そんな声を聞いて、疑った自分を恥じる。いくらなんでも警戒しすぎよね。あの時は誰も信用できなかったけど、今は信用できる人達がいるんだから。
試食人の数があまりにも多くあちこちから急かす声が響いてその度に、均等に並べられた丸い穴があいている鉄板の中に流し込んであるドロドロとした液体を先のとがったもので突付いているオウキーニが2度返事をする。そんな光景が目に映ってきたので、これでは自分が食べられるのはまだまだだなと思い遠くから見守っていたスカーレルに、丸くてきつね色の3つの食物の上に茶色い液体と緑の粉がかけられ、薄い皮のようなものがその上で踊っているものが乗せられた皿をカイルが渡してきた。
「ほれ、お前の分」
どうやらスカーレルの分はちゃんと予約しておいてくれていたらしい。「あ、ありがとう」まさかこんなに早く食べられるとは思ってもいなく、予想していなかった出来事にどもりながら礼を言って受け取る。丸いきつね色の食物の大きさは一口で食べられるほどだが、丁度口に納まるくらいの大きさで噛むのに苦労しそうだ。「出来立ては熱いけどよ、そいつは一口で食っても大丈夫だと思うぜ」そんなスカーレルの考えを読み取ったかのようにカイルがそう言葉を付け足す。
皿に一緒に乗せてあった箸を持ち、丸いきつね色の食物を恐る恐る口にもっていく。せっかくの好意を疑ったら駄目よ! こんなに良い匂いを漂わせて美味しそうな食べ物にあれがあるはずないわ!! 心の中で自分に言い聞かせ、そのまま口の中に入れる。口元に手を当てて、少し大きくて噛むのに苦労しながらも良く味わって食べる。この丸いきつね色の食物は、外側はカリカリと歯切れが良いのに対し、中は熱くもなく冷たくもなく丁度良い温度でトロトロとしていて、特にその中に入っている食材の感触がとても良かった。想像以上の美味しさである。
スカーレルの顔を覗き込んできたカイルと目が合うと、「どうよ?」口端を吊り上げそう尋ねられた。その表情は食って良かっただろとも言っている。そんなカイルに、口の中にはまだ噛み切れていない丸いきつね色の食物が入っていたので口元に手を当てたまま2度頷くと、顔をあげた彼は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「そうだろ?」
その声に、あの時カイルが無理矢理連れて行った事を改めて感謝する。もしあの時カイルが諦めていれば、この丸くてきつね色のとても美味な食物とは出会えなかっただろう。
ゆっくりと時間をかけて咀嚼したものを嚥下し、美味しいものを食べられた事に幸せを感じながら先程から離れない疑問を口にしようとした時だった。「あの……これは何て言う食べ物なのですか?」自分と同じ疑問を尋ねる声が耳に入ってくる。その方を見てみれば、腰まで達する赤い髪に赤い服、白い帽子に白いマントと膝上まである白いブーツといういつも通り赤と白を強調した格好をしたアティが、スカーレルと同じように丸いきつね色の食物が乗った皿を持ちながら、この料理をつくった張本人でありスカーレルにタコ料理を食べさせようとしているオウキーニに尋ねている姿が目に映ってきた。
「あぁ、これでっか?」
丸い穴が並んでいる鉄板に流し込んだドロドロとした液体を全部使ってしまったのか、早くしろと手下達を急き立てるジャキーニを見ながら流れ落ちてくる汗を袖で拭いていたオウキーニは、恐らく何度も同じ質問に答えているだろうに嫌な顔1つせずに、かえって嬉しそうに満面の笑みを浮かべてアティの方を振り向く。アティの後ではアリーゼも同じように期待の眼差しでオウキーニを見詰めていた。
「これは、タコ焼きですわ」
料理名を聞いたアティとアリーゼは、同時に驚きの声を上げていた。へぇー、これタコ焼きって言うのね。心の中で料理名を復唱しながら皿に乗っている丸いきつね色の食物を見詰めていた時、ふと違和感を覚えたので、今度は小さく声にして名前を言った時だった。
「……タコ?」
最初のうちは思考が追い付けず呆然としていたが、無意識のうちにその2文字を言葉に発した時、あまりの驚きの事実に今度は頭が真っ白になって、何も考えられなくなってしまった。冷静に考えようと落ち着けと何度も自分に言い聞かせるが、その言葉を1つ自分に言い聞かせる度に、渦に巻き込まれていくような激しく揺れ動くような感覚に襲われ、頭の中を掻き乱される。え、ちょっと待って。
遠くの方では、先程驚きの声を上げていたアティも同じように皿の上に乗ったタコ焼きを見詰めていた。だがその表情は驚いてはいるもののショックを受けているようには見えない。それもそのはず。今まで不味だと思っていたものを、自分の意思ではないとはいえ食べてみて、美味しかった。その事に驚く事はあっても食べてしまった事にショックを受ける事は、普通はない。むしろ美味しいものを見つけられて喜ぶだろう。それはスカーレルだって同じだ。
だが、それはあくまでも普通は、であるし、今回の場合は使われた材料――タコへの好感が非常に悪かっただけである。これはもう、味が良かったから何かで解決される問題ではない。
そんな風に色々と否定していたスカーレルを現実に戻したのは、いつの間にか隣にいていたはずのカイルがオウキーニの所に行っていて談笑している声が耳に入ってきたからであった。多分――いや絶対にタコを食べてもらっただけではなく好感をもってもらった事を喜んでいるのだろう。それは安易に予想できた。予想できなかったのは、談笑しているオウキーニやカイル、タコ焼きが乗った皿を持っているアティやアリーゼの所へ、ゲンジがやってきた事であった。でも、来た理由は何となく分かるような気がする。ゲンジの浮かべる満足そうな表情に、振り向くオウキーニとカイルの、探していた人を見つけられた時の嬉しそうな表情を見れば、自然と浮かび上がる答えだったが、考えたくない。考えてはいけないような気がした。しかしそうやって努力をしていたスカーレルの耳に、もちろん彼のそんな気持ちを知るはずのないカイルの声が入ってくる。
「これも全て、ジイさんのおかげだな」
何だか解放されたような、何か重たいものにのしかかられたような複雑な感覚がスカーレルを襲う。何故あの時自分の勘を信用しなかったのだろう、何故帰らないとなんて思ったのだろう――、後悔という名の波がスカーレルを飲み込んだ。目に映る全てのものが敵、まさしくあの頃に戻ったみたいだ。
ふと今まで考えていた事を考え直してみると、今のスカーレルでも充分分かるほど全く関係ない事まで混ざっていて、混乱している。そんな自分を落ち着かせようとするが、そう意識すればするほど頭の中では周りで飛び交う雑談がまるで早送りしているかのように響き渡り、苛立しげに右目を隠す長い紫色の前髪を掴んだ。
取り敢えず、ゆっくり考える時間が必要なようである。
†
雲1つない晴天の下、鬼妖界集落にあるゲンジの庵の縁側にオウキーニは小包を膝の上に乗せて座っていた。オウキーニがここにいる理由は、もちろんこの前タコを使った料理はないかと尋ねた時にとても良い料理を教えてくださったお礼を言いにきたからなのだが、では何故縁側に座っているかというと、ゲンジが今茶の準備をしている為である。こちらが勝手に来ただけなのにそんな事をしてもらうなんて失礼だと思い最初は丁寧に断ったが、遠慮するなと言われたので、2度断る方が失礼だと思いこうやって1人縁側で待っているところであった。
「すまんな、わざわざ来てもらったというのに」
そんなゲンジの声が後ろから聞こえてきたので、「いえ、そんな事ないです」体ごと振り向きながら否定する。むしろ謝らないといけないのはこちらの方である。
湯気が漂っている湯飲みを2つ持っているゲンジが目に映ったので小包を置いて慌てて立ち上がり、1つ受け取る事にした。「おぉ、すまんすまん」ゲンジから受け取った湯飲みは、たった今沸かしてきたばかりなので当たり前だが大変熱く、熱に耐えながら持ち続ける事はとてもじゃないができそうにない。それなのにゲンジは、まるで飲み終わって空になった湯飲みを持っていたかのように平然としている。まさか熱が伝わっていないとかそんな事がある訳ないかと思い浮かんだ疑問を否定していると、縁側に腰掛けたゲンジがあいた手で湯飲みの下を支えている様子から熱に耐えていたという事が分かり、さすがだなと、何故自分でもさすがだなんて思ったかは分からないが、感心した。
右隣にオウキーニも同じように腰を下ろし、勝手に飲むのも何だか厚かましいような気がしたのでちらっとゲンジの表情を窺うと、たまたま目が合ってしまい、遠慮するなと促される。そのまま視線を逸らすのも気がひけるので軽く会釈をし、薄く綺麗な緑色に映る自分の顔を少し見詰めてから湯飲みに口をつけて、熱いのでゆっくりと飲み込んだ。豊かな香りと、口に広がる少しの苦味が茶のうまみを引き立てていて、その一口だけで安らかな気持ちになれる。自然と満足の息を吐き出していると、「どうだ?」横からそんな風に尋ねてくる声が聞こえてきたのでそちらの方を見てみれば、もうすでに答えが分かっているという表情を浮かべながらもあえてそう聞いてくるゲンジの目と合った。
「はい。何と言うか……こう、香りもうまみも全てが良くて……今まで飲んだ中で最高の茶ですわ」
こういう時に少ない言葉からしか選べず、的確な言葉で表現できないのがもどかしい。しかし、それでも自分なりに言葉を選んで素直に感想を述べると、「そうか、それは良かったわい」ゲンジは満足そうに頷いて自分も茶を一口飲み込んだ。
しばしの間、互いに熱い茶を飲んでいた為に沈黙が辺りを漂っていたが、ふと、タコ焼きを教えてもらった礼に持ってきた料理の事を思い出し、自分の右側にそっと湯飲みを置いて、ゲンジに声をかける。
「この前はホンマにありがとうございました。これはほんのお礼で……といっても、口に合うかどうか」
苦笑を浮かべながら小包を渡そうとすると、意外だったのか湯飲みに口をつけようとしていたゲンジが弾けるようにこちらを向いて驚きの表情を見せた。「何を言っておる! 礼ならこの前作ったタコ焼きで充分じゃよ」
「そんな事ありまへん! 教えてもらった相手にその料理を食べてもらうのは当たり前ですわ。それに、あの出来じゃウチが満足できまへん!!」
言下に身を乗り出す勢いで大声を出してそう言うと、ゲンジはしばし目を丸くしてオウキーニを見詰めて、「あ、あぁ……そうじゃな」呟くようにそう言いながら湯飲みを置いて手を差し出す。しかし、自分でそう言っておきながらてっきりまた断られると思っていたので、渡すのに少し反応が遅れてしまった。
お礼を言いつつ受け取ったゲンジは再び茶を飲み始めたので、自然と沈黙に耐える為にオウキーニも湯飲みに手を伸ばす。用事は終わったので、さてどうやって話を切り出そうかと考えながら少しずつ茶を流し込んでいると、「そういえば……」突然湯飲みを掌に置いて考え込むような表情で遠くを見詰めていたゲンジの声が、ほんの少ししか言葉を交わしていなかったのにまるでそれまでずっと喋っていたかのように自然と空気に混ざり込んできた。
「あれから彼奴はどんな様子か?」
同じく掌に湯飲みを置いてゲンジの方を見るが、相変わらず遠くの方を見詰めている。
多分、アイツというのはスカーレルの事だろう。そう尋ねられた瞬間、あの日の事を思い出した。タコ焼きという食べ物を、名前を知らせずに食べさせた事は確かに悪いと思っている。だが絶対に味には自信があったし、最初は驚いていたアティやアリーゼも美味しいと褒めてくれた。さて1番食べて欲しかったスカーレルの反応はどうだろうとアティ達と同じ反応を予想しつつ彼に話しかけたのだが、オウキーニの期待は見事に裏切られ、彼はまるで重い物を持っているかのようにタコ焼きが乗った皿を腰辺りに持ち、目を伏せて茫然自失とそれを見詰めていたのである。それを見てオウキーニはやっとスカーレルのタコへの好感は、もう味が良いからなんていうものでどうにかなるものではない事を悟った。
もちろん料理を教えた張本人がそれへの感想が気になるのは当たり前で、ゲンジもその時のスカーレルをしっかりと見ていた。謝られてもむしろ迷惑なのは分かっていたのだが、奥底で渦を巻く罪悪感に耐え切れず自分の為に後で謝りにいった時は少し不機嫌そうな表情を浮かべていたのを覚えている。多分あえてこちらを見ていないのは、怒りを抑える為なのではないだろうか。
「はぁ、それが……普通に会話はするんですが、料理の話は全くですわ」
料理の話に変わった途端表情を引きつらせるスカーレルが自然と思い浮かび、思わず仰々しい溜息を吐きながら目を伏せる。一体何がスカーレルをあそこまで恐怖に陥れたのか。できる事ならスカーレルにタコのすばらしさというものを伝えたいが、そんな事をしたらどんな事が起こるか――、前までであればまさかと否定していただろうが、今のオウキーニでは簡単に否定できずに行動に移す事ができなかった。
そうかと、ゲンジも溜息交じりで答えた為、その声はあまり響く事なく空気の中で消え去っていく。もう一度様子を窺う為に視線をゲンジの方へと流すがまるで何事もなかったかのように茶をすすっている彼の姿が目に映ったので、オウキーニも今の話を忘れ少しぬるくなってきた茶を一口飲み込んでいると、
「まぁ、彼奴の気持ちも分からんではないがな……」
そんな言葉が、溜息というよりも、今までずっと溜め込んできた重い息を長く吐き出すかのように出てきた。「はい?」このまま沈黙が続くと思っていた時に予想外の言葉に弾けるようにゲンジの方を向き、思わず反射的に短く尋ねる言葉が口から出てくる。そんなオウキーニと目線を合わせようとはせず、茶を一口飲み込んでしばらく思い出そうとしているような目付きで遠くを見詰めて、それから言葉をつなぎ始めた。
「ワシの国では食材として当たり前だがな、欧米では“悪魔の魚”と呼ばれ、忌み嫌われておるのじゃ。まぁ確かにあんな外見じゃからな……じゃが!」唐突に声を荒げ、茶は全て飲み終わったのか右側に叩きつけるように勢いをつけて縁側に置くので、その動作を目で追う事ができなかったオウキーニはいきなり空気を震わせた音に素直に驚いてしまう。もちろんオウキーニの方を見ていなかったゲンジはそのまま言葉を続けた。「やはり好き嫌いをするというのはけしからん! 好きになるまでいかんでも、せめて普通に食べれるようにしなくてはな」
驚きのあまり早鐘を打つ心臓落ち着かせようと胸を押さえていた為続いた言葉の意味を理解するのに少し時間がかかったが、理解した瞬間、オウキーニも負けずに頷きながら大声で返事を返す。
こうしてゲンジは密かにオウキーニの先生にもなった事を、スカーレルはもちろん、アティも知らなかった。
†
アティに分からない所があるので教えて欲しいと頼まれたスカーレルは、彼女が持ってきた本を広げ隙間がないほどびっしりと並んでいる文字を指差しながら、ちゃんと理解できるようにゆっくりと時間をかけて説明をしていた時、背中を悪寒が這いずり、そのあまりの気持ち悪さに説明の途中で言葉が切れて文字を指差していた手で背中を撫でる。
「スカーレル、どうかしましたか?」
そんな不自然に言葉が途切れ顔を強張らせているスカーレルを見て心配そうに顔を覗き込んでくるアティに「いいえ、何でもないわ」これ以上心配かけないよう笑顔をつくり、本を押さえていた手で先程まで差していた文字を指差し、未だに悪寒が残る背中から感覚を払うかのように少し強くさする。
自分の身を守る警告を感じ、一番初めに考えが辿り着いたのは敵の心配ではなく、オウキーニやカイル、そしてゲンジ達の事であった。忘れもしない、タコ事件。あの料理を食べる前に感じた悪寒と良く似ていて気持ち悪い感覚が後に残っている。
もう放っておいて欲しいわ……これ以上アタシに何を望むのよ……。考えないようにしようと意識すればするほどその事を考えてしまい頭が重く感じて、頬杖をついて気が付けば溜息をついていた。
「スカーレル……あの、疲れているのなら別に」
「ううん、本当に何でもないのよ。ごめんなさいね、溜息なんてついちゃって……」
そう言っても疑わしそうに見詰めてくるがそれ以上その事について話してくる事はなかったので、顔を起こし説明を再開する。取り敢えず落ち着ける為に今だけでもこの事に集中して忘れる事にした。したのだが、やはり意識してその事をしようとするとむしろ思い出させてしまい、別にアタシが嫌いで食べないからってどうにかなる訳じゃないじゃない……。心の奥底でしつこく文句を呟いていた。
End
……タコイベントの時あの後スカ様はどうなったのかという疑問から出来上がったはずなのに、いつの間にか「悪魔の魚」を言わせる為の小説になってしまいました。あれ?
話をつなげる為色々つくってあります。特にタコ焼きの時は全然覚えていなかったので、「タコ焼き」ってアティに教えているのがゲンジではなくオウキーニになっていたりと…;
ってか、どうしよう。オウキーニの口調が分からない;年配の人と話す時、関西弁だとちょっと失礼な時もあって……あぁ、もう無理…;;しかもオウキーニだけじゃない。カイルも、事もあろうかスカ様までもか危ういよー;;アティも微妙だ…ってか全員じゃん;しかもアリーゼ名前だけだし;;
私、タコ焼きって絶対半分に割らないと食べられないんですよ。で、そんな事したら絶対中にタコが入っているってバレるので、少し冷まして無理矢理一口で食べさせました;(酷)ごめんよスカ様ー;;
前髪を掴ませたのは、単にやって欲しかっただけですが(おい)、あんなに嫌いな食べ物を無理矢理食べさせられて苛立つはずがないと思い、そう自分に言い聞かせて書きました(え)。私は苛立つと無性に何かを強く掴みたくなるんですよ。
オウキーニが何の料理を持ってきたかというと…実は思いつかなくてあえて書きませんでした;(ボソボソ/おい)一応予定では和菓子…だったのですが、さてここにあるのでしょうか…?うーん…謎だ(そうやって自分を納得させようとする)。
必要以上に母にタコの事を色々と聞いていたらタコの絵を書いてもらい、カタログにあった干しダコの写真までもらってしまいました。パソコンの隣に置いてあります(笑)。
ところで…書いている時にふと思ったのですが、タコ焼き器はあったのでしょうか…?;
05年10月7日