車 石

車石 【車石】三条・大津街道(東海道)(浜大津~三条大橋、逢坂峠・日ノ岡峠が二大難所)以外にも、竹田街道(東洞院塩小路~伏見)、鳥羽街道(千本九条~下鳥羽)の要路にも、湿地のぬかるみ対策や道路保全のため車石が敷設されていた。長さ3尺(約90cm)の牛道をはさんで2列に花崗岩の石が敷かれていた。標準的な車石の大きさは、縦1尺(30cm)、横2尺(60cm)、厚さ1尺(25cm~30cm)であると。「車石・車道研究会」
【正覚山實相寺】車石・車道くるまみち (少し長いが紹介する)
江戸時代、下鳥羽から上鳥羽を経て羅城門までの街道(鳥羽街道に相当)は、横大路・下鳥羽の湊(草津湊に相当)に荷揚げされた年貢米や穀類・木材などを洛中へ運ぶ牛車の專用道路(車道)であった。人や馬の通る往還のぬかるみ対策で人馬道がかさ上げ改修を繰り返すなかで、街道の片側あるいは中筋の車道は、一段低く位置することになった。この区間は、低湿地帯で、雨でも降れは土道である街道はぬかるみ、牛車の車輪がぬかるみにとられてスムーズに通ることができなかった。そこで、江戸時代の後期、車道の車輪の通るところ二列に規格化された厚板石を敷き並べ牛車を通りやすくした。この石が車石(輪形石(わがたいし))である。車石は、下鳥羽辺りから上鳥羽を通り羅城門付近まで、延々と敷設されており、単線のため、午前中は上り、午後は下りと一方通行になっていた。車石に残る深い轍の跡は重量物を運ぶ牛車の頻繁な往来によりできたものである。(これらの車石は、入江氏(南区上鳥羽)から寄贈されたものである)