■編集後記

・この『覚書き』、いま寓居としている「岩倉」と祖父以前の「彦根」の地域に「我が家の足跡」を重ね記しています。『出自研究』を出発点とします。我が家と「関係なさそうな」出来事。いや、「関係ありそう」として度々同じ文献や書籍を覗くところ、その地域とその時代の繋がりを発見することしばしばです。それが歴史の醍醐味でしょう。
 我が家の祖父が明治10年頃、彦根より京都へ仕事を求めて出て来ていますが、それは明治維新を経験した彦根が、見る影もなく廃れていくのを目の当たりに見たからです。その後、彦根に見切りをつた曽祖父が息子を追い京都へ移住し、明治16年に54歳にて没しています。彼の次女が囲碁友達の京都の某寺住職嫁いでいることを考えると、移住したのは明治11,12年あたりでしょうか。因みに、曽祖父の子は5人で、長女は彦根、次女は長浜へ嫁ぎ、二男は長男と同じく京都へやって来て住居を構えましたが、その後に流行った疫病にて二男の家は絶えています。我が家は、明治10年あたりまで「近江に軸足を持っていた」ことになります。
 平凡な一家転住も、幕末まで譜代筆頭として栄えた彦根藩の没落があったことに起因します。では、なぜ我が家が彦根城下に居住していたか、このところを研究したものが『歴史覚書』です。
 この『歴史覚書き』は、成政関連部分は兄の研究が多く、私は『彦根城下』、『松原家の国人としての活躍』あたり、そして出自とは無関係な『岩倉や京都の歴史』の部分です。
 いまでは、読者を意識し『出自研究』から離れた部分が多くなり、自然と『出自研究』を後ろに回す傾向があります。内容は、当初「出自の関連文献」を年代順に取り上げていたため、読者にはその脈絡わかりずらいものです。読んでいただけるなら、[リンク]にて飛ばし読み、ないし[歴史散歩道]や[検索事項]を頼りに横断的に読んでほしいと思います。