川北黒大豆民話

むかし むかしの話です。丹波(たんば)川北(かわきた)に、心やさしい大臣(おとど)村人(むらびと)()らしていました。
 
(さくら)()(はじ)めた(あさ)のことです。いつものように大臣(おとど)氏神(うじがみ)さん(まい)りをしていますと、ぼうさんが(みち)にたおれていました。

「よわっておわれるようじゃが・・・・。あっ   これはひどい(ねつ)じゃ。 ほっておけへん。」  (いえ)につれてかえりました。ぼうさんは十日(とおか)たっても()たきりです。「えんりょせんと、ゆっくりようじょうしてもうたらよいさかいに。」
「おおきに、迷惑(めいわく)かけてすまん・・・・・ 」と、おぼうさんは、なみだ(こえ)いうのでした。

そのころ、ひでりが、(つづ)いていました。田植(たう)えときがきたので、あちこちの(むら)では、田植(たう)えがはじまりました。でも、ため(いけ)のない川北(かわきた)は、(あめ)()らないと田植(たう)えができないのです。

「そうや。あっ、きっとそうや。むかしからこの(むら)によそもんを()めたらたたりがあると()いたことがあるぞ。」「それにちがいない。あのぼうずや。」「よし、大臣(おとど)さんに(ばなし)をしてみよう。」
村人(むらびと)たちは、ぼうさんを(はや)()()してほしいとたのみました。「いや、もう少しまってくれ。病気(びょうき)なんゃ。()()すなんてでけへん。」

大臣(おとど)()いてくれません。「わしらあ、(こめ)がとれないと()()にや。それでもええといわはんのか・・・・。」「わしらあ、自分(じぶん)のいのちがだいじや。ぼうずを()()せ、()()せ。」
きがくるったように、村人(むらびと)たちは、大臣(おとど)(いえ)(いし)をなげつけたり、かきねをこわしはじめました

ぼうさんは、はって()てきました。「みんなやめておくれ。わたしは()て行くから。そのまえに、お(れい)がいいたい。なんでも(のぞ)みのものをいっとくれ。」村人(むらびと)たちは相談(そうだん)しました。「(あめ)だ、(あめ)がほしい。」といった村人(むらびと)一人(ひとり)は、子供(こども)がおやつに()べている(しろ)いいりまめをよこどりして、「このまめをまいて、()()してくれへんか。」といりまめの(ふくろ)をわたしました。
「よろしい。今日から三七(さんしち)二十一日(にじゅういちにち)、お(いの)りをしよう。」と大臣(おとど)(にわ)でお(きょう)をとなえはじめました。

おーい、(あめ)だ (あめ)だ。田植(たう)えだ・・。」村人(むらびと)田植(たう)えをはじめました。ぼうさんはすっと()()がると、(しろ)いいりまめを()んぼのあぜに植えてまわりました。「ぼうさん おおきに。」と村人(むらびと)たちは、ぼうさんをさがしましたが、もういませんでした。いりまめの()が出て、やがて(じつ)がなりました。

あっ、 くろまめだ。大きなくろまめだ・・・・。」川北(かわきた)(ひと)たちは毎年(まいとし)、くろまめがとれるたびに、ぼうさんのことを(おも)い出すのでした。

●文:田中忠夫●
カット:後藤秩里
丹波むかしばなし編集委員会編集の『丹波むかしばなし第1集』より出展させいただきました。

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二十日目(はつかめ)(あさ)になりました。(あさ)からかんかんでりです。「やっぱりあいつは、くそぼうずだ。()()せ、()()せ。」と村人(むらびと)()しよせようとしたとき、「ぴか ぴか、ぴか ぴか・・・。」といなびかりがして、黒雲(くろくも)のうずまきがおこると、(あめ)(はげ)しく()りだしました。