音速の貴公子サイレンススズカが先頭だ。

二番手には、じわじわとビッグサンデーがやってきました。

そして、外のほうから的場が選んだグラスワンダーが迫ってきました。

さあ、府中の直線五百Mに入ります。このままサイレンススズカが、圧勝するのか。

あるいは、無敗のエルコンドルパサー、グラスワンダーの3強対決になるのでしょうか。

サイレンススズカが、坂の頂上だ。まだ三馬身の差があるぞ

サイレンススズカ逃げる逃げる逃げる、グラスワンダーは、どうした

苦しいぞ、変わって満を持してエルコンドルパサーが追いこんできました。

サイレンススズカとエルコンドルパサーの二強対決になりました。

さあ、残り二百のハロン棒、サイレンススズカがまだ先頭だ。

エルコンドルパサーの海老名が叩く、しかしその差は縮まりそうにありません。

サイレンススズカが今先頭でゴールイン。

音速馬サイレンススズカこれで重賞五連勝、まさに何人たりとも寄せ付けず。

しかし、エルコンドルパサーも強かった、グラスワンダーも頑張った。


サイレンススズカの話をしよう

 

サイレンススズカは1994年5月1日北海道沙流郡平取町にある稲原牧場で生まれました。

父は、凱旋門賞馬トニービンの代役としてサンデーサイレンス。母はアメリカで7勝し

千Mを57秒台で逃げ切り勝ちした快速馬。なんと生まれてきた子馬は栗毛でした。

鹿毛の母ワキア 青鹿毛の父サンデーサイレンスでしたから…。どうやらサイレンスは

母ミスワキ系の血を色濃く受け継いていました。当時の状況を稲原一美さんは、

「ウーン、栗毛かぁ……」馬体も平均よりも小さいし、女馬が生まれたかと思ったようです。

小さい頃のエピソードなんてほとんどありませんでしたが、たまにみんなの先頭に立って

牧場の広い牧草地を駆けまわっていた事があったようです。あれってもしかすると本当は

自分が1番速いのが解かっていたかもしれませんねと仰っていました。

母ワキアは、彼のデビューを待たずに彼が3歳時に2頭の弟を出産していましたが夭逝してします。

2歳になったサイレンススズカは、稲原牧場の目と鼻の先ニ風谷軽種馬トレーニングセンター

へと旅立ちました。


3歳になったサイレンススズカは栗東の橋田厩舎に入厩します。過酷なトレーニングに耐えた

サイレンススズカは、1997年2月1日京都競馬第7R芝1600M戦でデビューを迎えます。1枠1番での出走でした。

スタートから軽く先頭に立ったサイレンスは、ゴールまで持ったままの状態で2着馬バルスビード

に7馬身差をつけて圧勝します。この勝利で陣営はクラシックに行こうと決心します。

第二戦目はいきなり皐月賞の前哨戦 G2弥生賞に各上挑戦しましたがゲート潜り事件や大外枠からの

スタートこんどは大きく出遅れ、しかし4コーナでトップグループに追いつきもしやと思わせました。

サイレンススズカはこの後ニ連勝し競馬の祭典、日本ダービになんとか出走しますが終始中途半端な

レースをしてしまい、悔いが残る結果でした。その後、神戸新聞杯 天皇賞 マイルCS 香港国際C

と懸命に挑戦しますが、なかなか勝つ事ができませんでした。しかし成長し古馬になればきっと…


先頭をどこまでも先頭を

 

古馬となったサイレンススズカは、約9ヶ月振りの勝利をバレンタインSを飾りますと。

伝統の中山記念も危なげなく逃げきり初の重賞制覇

レコード勝利の小倉大賞典、武騎手の最強馬宣言が出た中京芝二千レコードタイム勝ち金鯱賞。

春の締めくくり宝塚記念で初のG1制覇、秋初戦、後に伝説のG2と呼ばれる毎日王冠と破竹の六連勝

を続けました。そして最大目標天皇賞へと…。

 

 

1998年11月1日 弟118回天皇賞は、サイレンススズカのためだけのレースでありました。

圧倒的な支持率、1.2倍 それは最大のライバルエアグルーヴがエリザベス女王杯に出走

する事になったからかもしれません。ここも誰もがいつものレースをすれば絶対勝てる

もちろん、スタッフもここを勝ってからJCそして海外遠征の予定をしていました。

いつものレースでした、千のラップ57秒台を刻み誰もがもう勝ったかと思っていました。

果たして彼が後続馬を何馬身離しどれほどのタイムを叩き出すのか、のこり800……。


 

 

よく晴れた日だった。空は澄み、芝は輝き、その上を明るい栗毛が駆け抜けた。

どの馬も最初から最後までその馬の影に触れることができなかった。

逃げたのではない、速すぎたのだ、駆ける速度も、生きる速度も。

 弟39代宝塚記念馬サイレンススズカ、伝説と出会った記念日がまた巡ってくる

 

 

サイレンススズカの話をしよう

 


逃げたんじゃない、導いたのだ、後に続く馬たちを。

外れたんじゃない、越えたのだ、日本の競馬の常識を。

弟39回宝塚記念馬、サイレンススズカ。

快速が時代の速度を追い越した、あの記念日がまたやってくる。

 

サイレンススズカの話をしよう

 

 

……・1年後……・・

1999年10月31日、弟120回天皇賞

サイレンススズカは府中の杜に舞い降りました。

1分五十八秒…天皇賞・秋のレコードタイムを残して…

 

サイレンススズカの話をしよう

 

サイレンススズカは、今、 稲原牧場横にあるお墓の中で眠っています。

お墓の前に立ち目を閉じ、そっと耳を澄ませるときっと聞こえてきます。

サイレンススズカの蹄音が、いつまでも、どこまでも、あの頃の風に逢いたくて


Silence Suzuka

サイレンススズカ (1994〜1998)

牡4歳 栗毛 栗東 橋田満厩舎

‘94年5月1日生 馬主 長井啓弐

‘98年11月1日天馬生 生産者 稲原牧場

生涯獲得賞金 4億4930万円


幻の天皇賞・秋

サイレンススズカが独走です、のこり800Mを切りました。後続馬とはいったい何馬身開いているのでしょう。

サイレンススズカ逃げるサイレンススズカ逃げる、これが史上最速馬の走りなのでしょうか…

サイレンススズカの前に馬はなし、サイレンススズカの後にも馬はなし!

 

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