きまぐれなんでも週記

2005年

6月

パリの女性たちはどんなお昼を過ごすのでしょうか、フランス料理に代表されるように

フランスと言えば、美食の国と言ったイメージが強いのですが、パリジェンヌのお昼ごはんは意外に質素だそうです。

例えば、職場の近くでおかずを買いそれにパンと清涼飲料水を買ってきて職場でおしゃべりをしながら食べるとか。

もしくはセルフサービスの大きなお店に行き好きなものを色々選び外ですばやく済ませるという人が多いそうです。

これは普段のお昼は出来るだけ簡単に済ませ、そのお金をレジャーに華やかに使うためで、

まぁ、楽しい目的のためにわき目も振らず勤しむというところなんでしょうか。

でもそれなら自分でお弁当をもってくればいいのではとおっしゃる方がいらっしゃるのかもしれません。

このお弁当、ほとんどのパリジェンヌは作ることはないんだそうです。

その理由はどんなに質素でも食事はちゃんとお皿に盛り付けるという彼女たちの美的感覚のせい・・・

それともうひとつ朝はやはり忙しくお弁当を作る暇がないという人もいます。

さてこの二つの答えいったい・・・どちらだとお思いになりますでしょうか・・・


5月

明日から5月光あふれる季節です。パリの街は明日5月1日春の風物詩スズラン祭りを迎えます。

この日は愛する人にスズランの花を贈るという慣わしだそうで、別名愛の日とも言われています。

この日ばかりは町のあちこちで子供たちが「鈴蘭はいかがでしょうか、どうぞ鈴蘭のように美しく」と可愛い声を張り上げて

大人たちに小さな鈴蘭の花束を売っています。

子供たちはこの鈴蘭祭りのために朝早くから起き、近くの森に出かけ鈴蘭をいっぱい摘んでくるといいます。

まぁ、大人にとっては愛の日のこの鈴蘭、子供たちにとっては一時豊かな気分にしてくれる大切な花ということでしょうか。

この鈴蘭という花、日本ではキミカゲソウと呼ばれていたそうです。たいそうロマンティックで愛の日を表す花

に相応しいな名前のようながします。でも今は鈴蘭と呼ばれるばかりキミカゲソウという名前が存在感が失いつつあるのは

ちょっともったいないような気がしてなりません。


3月〜4月話しお休み(ペコリ)


2月

知人の家に出かけたときの事です。

わが家のとっておきの風景をお目にかけましょうと2階へ案内されました。

階段を上がるとつきあたりに明かり取りの窓がはめ込まれていて

そこから遠くに景色が広がっています。

その風景の真ん中に富士山がシルエットになって浮かんでいました。

藍染のような色でそそり立つ富士の山。この窓の枠がもし額縁だとしたら・・・

まさしくそれは壮大な富士山を画いた一枚の風景画でした。

ステキでしょうと言いたげな知人の笑顔を見ていたら、富士山が人々の心を虜にする訳が

なんとなく分かったような気がしました。

そして空気が冷たく澄んだこの季節こそ富士がもっとも美しい姿を見せてくれるのではと感じたものです


1月

冬の星オリオン座が印象的な姿を夜空に浮かべています。

特別明るい二つの星そして横にきちんと並んだ3つの星とその特徴ある形からでしょうか

この星に親しみを感じるという人は昔からたいへん多いようです。

それにしても、この形から逞しい狩人をイメージし、さまざまな星物語を作り上げた古代の人たちなんと想像力武豊なことでしょうか。

現在は眩しいほどの明るさの中で、暗闇の持つ奥行きの深さは逆に薄れてしまいました。

そして夜も昼間と同じぐらい活動する慌しい暮らしは、一日は24時間では足りないと感じさせるほどです。

でも、もし24時のあと25時まで時間があるとしたら、冴えた冷たい冬の空気の中で、

是非星たちと話をしたいものです・・・万馬券ゲット話のとか(汗)


2004年

12月

映画館に入った時どの辺りに座るか、これは中々難しくて案外大事なことと言えないでしょうか

この頃はどうも背の高い方が多くて真ん中辺りに座っていたのでは、前の人の頭に画面の下の方がかなり隠されてしまい

画面全体が見えないほどなのです、そういう時はどうも落ち着かなくてせっかくの映画もゆっくり集中して見ることができません。

ですから最近は思い切ってかなり前の方に行き、

多少見上げるような格好になっても画面がゆっくり見られるところに座ることにしています。

でも前は自分前に座っている大きな人と言えば、大抵男性でした、ところがこの頃は女性も随分大きくなっているんですね。

靴屋さんに行っても女性のサイズこの頃は24センチ辺りが1番種類も数も多くなっているようなのです。

映画館に入って前の方に席を移し、脚も長く背の高い女性たちに囲まれながらタメ息をつくこの頃です。(汗)


10月

いよいよ10月今年もあと3ヶ月余り・・・。

朝カレンダーを一枚めくって見たら

色とりどりの紅葉が紙一面に現れ、こちらの方に飛び込んでくるようです。

どこの国でしたか、季節を女性の一生に例えると

春は華の乙女、夏は恋人、秋は母と言った言葉で表される。

そんな話を聞いたことがあります。

季節の移り変わりと共に女性も年齢を重ね落ち着いたものになっていくというものなのでしょう。

深まっていく秋はもの静かで満ち足りた季節。

確かに年齢を重ねてきた女性の美しさが際立つ季節ということなのでしょうね。


7月〜9月放牧休みです(ペコリ)


6月

 

あいかわらず言いましょうか今も昔も女性にもっとも人気があるもののひとつに星占いがあります。

例えば女性は、初対面の男性にまずあなたの星座はなんですかと尋ねることが多い

そしてこう言う質問をする女性には大抵の男性はうんざりしているのに

あいもかわらず、女性はあら貴方は水瓶座じゃあたしとは相性がいいんだわ等と言う。

そんなことおっしゃっていたのはどなただったのでしょうか

星座というのは今からおよそ5千年も昔、バビロニアの遊牧の人たちが空に輝く星々を繋いで考えたというものです。

そしてやがてギリシャローマに伝わり星占いが始まりました。

その頃の昔昔の星座と今に生きる私たちが仰ぐ星座の形はほとんど変わっていません

でも同じ形の星座の見える場所というのはどうかといいますと、長い間にはその位置の方はズレて行くのだそうです。

例えば、今は獅子座という人だったらもし星占いが始まった頃の位置で考えたとしますと本当はカニ座となってしまうという事もあるんだそうです。

まぁ、そんなことを聞きますと星占い一体どこまで正確なのかという気もしてきます・・・ペコリ


5月

春になって日差しが明るい時など時に妙にもの悲しくなることがあります。

そんなときは決って一つの漢詩と一つの短歌を思い出すんです。

まぁ、これはレパートリーが狭いせいもあるんですか

一つの漢詩と言うのは中国の詩人杜甫の『春望』、「国敗れて山河あり、城春にして草木深し」というあれです。

もう一つの歌の方は万葉集 大伴家持の「うらうらに照れる春日に 雲雀あがり心悲しいも 一人し思へば」これです。

二つとも戦いで荒れ果てた野に立って詠っている所とか、

それにも関わらず自然は去年一昨年5年前10年前と同じように草青み光り輝くというところが似ていると思うんですね。

まぁ、裏返しの一種の自然賛歌とも言えるでしょうか、でもこの間ちょっと面白いことを聞きました。

今の歌、詩がそう言った訳ではないんですが、私達はそういう状態になりますと人間の作り出したものは、

みんな儚いものだと言う風に考えてしまうんですが、本当にそうなんだろうかと言うのです。

いえむしろ自然は花は萎み葉は落ちるのだけれども翌年にはまた草青み花開きます。

ですからたとえ今の自分の心が荒れ果てていたとしてもまたいつか青い草がそして赤い花が咲くこともあるという風に取る事が出来ないかと言うのです。

こういう解釈が本当に的を射ているかどうかそれは分かりません。

でもいつの日かまた心に青い草が生えるのを待つという方に今はより多く心が惹かれます・・・


4月

白い大きな花が清清しいハクモクレンはものみな旅立つ季節にいかにも相応しい花ではあります。

毎日の通勤の行き帰り青い空に大きく枝を張り白い花をつけたハクモクレンの姿を見つけますと、

なんだかこちらの心まで浮き立つようです。

もう遥か遠い昔になりますが学校を卒業するころに記念にみんなで庭に植えたのがこのハクモクレンでした。

そのときはせいぜい腰に届くのがやっとぐらいの小さなものでしたが、

7年前ほどに尋ねてみますと随分大きくなって木のほうは20年間で確実に枝を伸ばし、

そして毎年毎年春がくれば必ず花をつけ葉が出てくる。まさしくこれほど確かな成長存在というのはありません。

まぁ、それにくらべてこちらのほうはこの20年間一体なにをしていたのでしょうかと

大空に飛んでいきそうな白い花を見ながら思わず考えさせられたことでした・・・。(ペコリ)


3月

ある女性向けのアンケートの中にこういうのがありました。

子供も大切だけど、夫ももっと大切というのです。

まぁ、これは夫の方にも当てはまりそうではありますが、わざわざ、こんな質問が入っているところを見ると

どうやら、夫も妻もまず子供と考えているのではないのでしょうか

昔はお互いにプレゼントなんかしたけれど、今はなんだか、照れくさくって・・・そんな話もよく耳にします。

でも、これはまた別のアンケートなのですが女性の楽しみにしていることの弟2位にプレゼントの交換というのがあるんですね

まぁ、プレゼントというのは空けるのも楽しみだけど、自分がプレゼントしたものを相手が喜んでくれるかどうか

その時のものを考えるのもあれこれ考えるのも楽しいものです。

まぁ、バレンタインデーの方はもうとっくに終わってしまいましたが、誰かが言っていたように

別にそういう特別の日でなくても家族の中の記念の日というのも作ってみてはどうでしょうか

そうすればきっと子供も大切だけど、夫ももっと大切でしょうか・・・といった質問もなくなってくるのではと思われてくるのですが 


2月

木枯らしの吹く夕暮れ乗換えの駅で電車を待っておりました

郊外の駅のホームには容赦なく風が吹きつけ頬に当たります。

それは、もう冷たいのですが不思議にそれほどその寒さが嫌ではないのです。

冷たい風に吹かれながら確かに自分は今ここにいるそう分かったような気がしていました。

そういえば、友達にいつも降りる駅を乗り過ごして離れた街に降り、近くの野原を風に吹かれながら歩くのが好きそんな人がいます。

その話を初めて聞いたときは何もわざわざ遠くまで行ってそんな寒い思いをしなくてもと思ったのですが。

ものみな萌える春や明るさいっぱいの夏には、そんな周りの生命に圧倒されて

返って自分の存在なんてはっきり見えないのかもしれません

冬の野原で冷たさや寒さを肌で感じながらそれで自分の中に溢れている命を確かめる、

そんなこともあるのではないのでしょうか・・・


1月

風の冷たい午後でした、自動ドアが開き入って行ったビルの玄関に敷詰められた絨毯が柔らかです。

ふと見ますと足元に何か動くものがあります、一枚の枯葉が小さく揺れていたのでした。レンガ色の絨毯と紛れるような深い色。

せわしい足取りで通り過ぎてしまったら、この小さな存在にはきっと気がつかなかったことでしょう。

そして、もし同じこの木の葉を公園で見ていたとしても他のたくさんの葉に混じってなんの変哲もない枯葉になってしまうのでしょう。

ビルの中に舞い込んだ一枚の枯葉は、気づいた人にだけそっと小さな声で話かけていました。

それは、冬の街に舞い降りた空からのメッセージのようでした。。


2003年

12月

もうあと数時間で大晦日を向かえてしまいますね、泣いても笑っても今年もあと1日だけ。

西暦2003年がいつまでも心に残る年になるのか、それとも思い出そうとしても

思い出せないようなその他大勢の年のひとつになってしまうのか、今は分りません。

いいえ、たぶん、それは来年以降自分がどんな風に生きるかによって

違ってくるのだろうと思います、ひょっとしたら知らないうちに今年は

何かの種を蒔いているかもしれません。

それはまだ芽を吹いてはおりませんが、その芽を大事に育て育んでいくのか

見過ごして萎れさせてしまうのかはこれから先の自分に掛かっているそう思いたいんです。

除夜の鐘は暦のページを繰ることは出来ましても、所詮時の流れを立ち切ることは

できないんですから、過去を捨て切れないのと同じようにやはり未来に望を失っては

ならないのだろうと思います。只ひとつ、今年も戦争で明け暮れた一年になってしまいました…

ちっぽけな一人の人間が地球の片隅で明日を待ち望むことが出来るように、

平和への祈りの心だけは忘れたくないなぁと思います…。


11月

夕暮れ迫るころ、菊人形を見に行ったことがあります。

人のめっきり少なくなった遊園地で菊人形の並ぶそこだけが灯りに照らされ

浮き上がっているようでした。菊人形は歴史のドラマを作ってきた

有名な武将やお姫さまをモデルに作られる事が多いのですが、

その優れた歴史のヒーローたちに菊の花のイメージがぴったりと重なって

感じられるのは、菊の華の持つあの気品ある香りのせいなのでしょうか。

人形には魂があるとよく言われていますが、子供たちのにぎやかな歓声が

少なくなった夕暮れの遊園地の中で菊人形たちはいきいきと自分の存在を

主張し始めていました。

前に菊人形を作る人にお話を伺った時の事、人形を作る上で一番難しい所は

肩の上の滑らかな線、いかに自然に出すかとその方はおっしゃっていました。

その間も、ずっといとおしそうに人形を見つめているその方とお話をしていましたら

こういう思いがきっと人形に命を与えるのではないのではないかとそう思えてきました


10月

ムラサキシキブの実が秋の空気の中に溶け込んで静かに小さな実を光らせています。

紫色は秋になると恋しくなる色の一つですが、

木の実と言えば、赤い実が目立つ中で紫色の実をつけるこの紫式部はひときわ嬉しい存在です。

この実に惹かれるのは源氏物語の作者と同じ名を持つせいもあるのでしょう。

植物学の世界ではこの名を日本の美しい果実というのだそうです。

わが家の庭に子この木が植えられたのはもう10年くらい前なのでしょうか

そのときはせいぜい30センチくらいでしたか、

今ではすっかり枝を伸ばし少女の若紫から紫の上といった風情です。

でもあんまり成長しすぎてちょっと窮屈そうに見え自分の家の庭の狭さを棚に上げ、

これはどうも紫式部と言う名前のイメージに惑わされたのでは等と思ったりもしています。


9月

9月秋の七草の一つすすきの穂が一際伸びて秋の風に揺れています。

あの清少納言は枕草子の中で秋の野の全てを考えてもなんと言っても

すすきが一番趣がある、穂先の濃い赤が朝露に濡れて打ち靡いているのは

他にこれほど素晴らしいものがあるだろうかとその風情を絶賛しています。

でも朝のすすきもいいけれど、すすきは秋の夜にこそ合うものではないのでしょうか。

月の明かりを受けて銀色に輝いているすすきをみるとあっ私も日本人だなぁって思ったりもします。

だからなんでしょうか、昼間のすすきを見るとどうも根元の逞しさ辺りについつい目がいってしまい

そういえば、他にも秋の草って萩にしても秋桜にしても可憐な花のわりには力強かったな、

なんて思い出したりもするのです。もしかしたら秋の草というのは厳しい冬に耐えるために

力を蓄えているそんなところなのかもしれませんね


8月

子供の頃大人達が読んでくれる本といえば童話でした。

小学生になって心躍らせ自分で読んだのも童話でした。

大人になって懐かしくそして子供に読んであげる本もやっぱり童話になりました。

ところで、こんな事を調べた人もいるんです。

それは、赤ずきんちゃんでお馴染みのグリム童話なんですが、200篇の登場人物を抜き出して例えば、

いつも大活躍しているお母さんやママ母は16人、悪い父親は3人だったそうです。

次に悪い意地悪な魔法使い女性が26人男性は2人自分に想いを寄せてくる

男性をわざわざ危険な目に合わせる若い女13人反対に自分の花嫁に悪さを仕掛ける男性はいませんでした。

となっていたのですが、一体これを調べた人何を言いたかったんでしょうね・・・。


7月

よく買い物に行くお店が模様替えするので中にあった棚や何かをすっかり片付けていました。

普段置いてあった物がすっかり取り除かれますと、まぁ広いこと広いこと(汗

よく出入りするお馴染みのお店とは思えず改めてその広さに驚きました。

そういえば、家の中でも何時の間にか物が増え狭い部屋がごちゃごちゃしてしまいます。

家具の店に参りますとそういった狭い部屋を広くするためのアイデアいっぱいの

家具が並んでいます。例えば人数に合わせて大きくできるテーブルソファーベット等

様々ありますが1番びっくりしたのが、机とベットがひとつになっている家具です。

それにしても机の上で見る夢…一体どんな夢なんでしょうか。

おそらく夢の中でも勉強が出来るに違いないんでしょうね(汗)


6月

先日友人がイギリスの人をつれてやって来ました。

初対面な外国の人で言葉も通じませんのに、ごく自然に振舞えたのはその外国の人の

気さくで積極的な人柄のおかげだったのでしょうか。

いっしょのお昼ごはんの後コーヒーでしょうかそれとも紅茶でしょうかと申し上げたら

直ぐにコーヒーという答えが返ってきました。

あらイギリスの人は紅茶とばかり思っていましたのにと言いますと。

イギリス人だからアメリカ人だからとそれだけでみんな一緒であるようなわけではないでしょう。

それぞれ違う個性なのですからとやさしく言われてしまいました。

確かに私たちも外国に訪ねてこれが日本の伝統でしょうとお抹茶が出てきたりしたら

きっと返って面食らうかもしれませんね(汗)


5月

以前、こんな話を聞いたことがあります。

私達人間と虫たちの見る花の美しさは随分と違うそんな話でした。

例えば蝶や蜜蜂は私達には目にすることが出来ない紫外線を捉えることができるのだそうです。

もし私たちが蝶や蜜蜂のような目を持ったら一体どんな世界が広がっているのでしょうか。

きっと自然を見る目も変わってしまうことでしょうね。

でもそんな虫の気も知らない人間たちは自然の花の世界をどんどん作り変えてきています。

例えば、自然にはない黄色いアサガオや青いバラ緑の菊と次々と新しい色を持つ花が研究されて来ています。

でもその新しい色の花の登場する一方で香りと蜜の方はと云いますと段々少なくなってしまっているんだそうです。

なんだか見掛けは美しく…でも本当に大事なものが少なくなってしまっている。そんな気がしてまいります。


4月

満開の桜が降り注ぐ宝塚ファミリーランド。今日その92年の歴史が幕を閉じてしまいました。

長い間続いて来たものがいよいよ無くなる・・・そんなことになりますと

急に私達はロマンティックになってしまうようです。

失われるという事になるとそれまではさほど気にも留めていなかったものが、

急にいとおしく掛け替えの無いほど大切な物のように思われるのでしょう。

そしてまた時間が経つとともに懐かしく…そして気になる存在として思い出されるのです。

今はただ静かにそっと私達の心の中に仕舞い込むことにしよう…。


3月

春といえば風を感じる季節。

少しずつ暖められた空気を揺らして風が春の香りを伝えてくれます。

日溜りの公園に行くと、風車が勢いよく回っていて、そして木の枝や草の動きが

風の姿を捉え私達にいきいきとした風の存在を教えてくれます。

ところで、春先に付きものの強風というのは、別に日本だけということでだけはなく

世界各地で見られるようです。そういえば、昔フランスでは今の時期を

「風の月」と名付けていたようです。また、イギリスではこういう諺もあるようです。

「3月の風と雨降る4月がうららかな5月をもたらす」。

そして、もうひとつ「春はライオンのようにやってきて子羊のように去る」というのです。

まあ、のどかな一時がやってくる前には強さも必要なのかもしれませんね。

どうやら、ターフに懐かしい風が戻ってきてくれたようです。


2月

近くの神社に行くとたくさんの絵馬がずらりと掛けられていました。

中にはおぼつかない字で合格の文字を綴った小学生の子供の物もありました。

何よりも驚いたのは絵馬を掛けるところが

たいへん頑丈な金属で出来ていて相当たくさん掛けても大丈夫そうな事でした,

ふいに上を見てみると随分古い絵馬があります。

明治、大正と杉の跡もはっきりと書かれた絵馬はたいへん大きくて立派なものです。

いったいこの立派な絵馬を掲げた人、一体どんな願いことをしたのでしょうか。

それにしても、まぁ、絵馬の大きさや何かには違いはあるのですが。

そこに願いを込める気持ちは、今も昔も変わらないという事なんでしょうか。

優しさを込めていつか夢のように…。


1月

今年も年賀状を一枚一枚見ていて、今更ながら人の書く文字ってよくよく不思議だなって思います。

虫眼鏡が必要かなって思うほど小さなそれでいて几帳面な字を並べている人がいます。

お話をしていても、小さな声でいつも謙虚そのものといった人です。

反対に伸びやかな大きな字で綴られた葉書もあります。

特に宛名の名前が飛びぬけて大きく書かれていて目立ちます。

その人は、名前というのは親の願いが込められた世界中でたった一つのもの。

だから、一角一角心をこめて大切に書くといってました。

ゆったりとしたその文字を見ているとその人のやさしい笑顔までも思いだされてきます。

今や煌びやかで色とりどりに印刷された年賀状が町中に溢れています。

でも、せめて名前だけは印刷ではなくその人の書いた文字であって欲しい。

そう思うのは、文字を通してその人に逢いたい…そう願うからではないでしょうか


 

2002年12月

12月31日大晦日は年末ジャンボ宝くじの抽選日ですね。

1等が前後賞を合わせると3億円、尤も最近は億という単位でプロ野球の選手が契約をしたり

オクションという言葉もあったりして身近なとてつもない数字でなくなってきたという

方もいらっしゃるかもしれませんが、私達庶民のレベルからみれば3億円というのは夢のまた夢ですね。

お買いになった人で当ったらどうしよう困ったなんて当る前に困った人はいらっしゃいませんか。

昔、アメリカの喜劇俳優ダニーケイの映画でなんでも直ぐ空想してしまう男の映画がありました。

信号待ちをしている時に横に並んだ車に美人が乗っていると、もうその女性と次から次へと空想の世界で

お付き合いしてしまうというお話。まぁ、空想の世界ですから事が全て自分の都合の良いように

進んで行くのですから、こんなに楽しい事はありませんね。

んで、この映画の結末は確か、空想が現実になるハッピーエンドでしたが。

このダニーケイではありませんが、ジャンボ宝くじ3億円当ったらどうしよう、なんて

当った時の空想をしてみるのは楽しい筈ですね、でも私の場合先ずは住宅ローン返してと…

直ぐに現実的になってしまうのは寂しいところです。

そして残りをどう使うかって、そこは、馬好きの哀しさです。

サラブレットを1頭買うに決ってしまいそうで、結局中々空想の自由を楽しめません。

まぁ、こんな事ではとても大当たりという現実大晦日にとってもやってきそうにありませんね。


11月

日本にやってきた外国の人は、おみやげには何を選ぶのでしょうか。

先日お会いしたイギリスからのお客さんに尋ねてみましたら、どうしても欲しい日本のカメラがあるので

私は明日それを探しに逝きますと仰います。では奥様には一体何をお求めになるのですかとさらにお聞きしましたら。

3週間も旅をしていましたから私自身が彼女への最大のプレゼントです、という答えが返って来ました。

そのユーモア溢れる表情と話方がなんともステキでまるでドラマの一つの場面を観ている様なのです。

やはりユーモアと会話を楽しむ日々の暮しがこんなやりとりを自然に生み出すのでしょうか…。


10月

朝の空気がほんとに爽やかに感じますね。ちょっとだけ朝早く起きて家の周りを散歩してみたくもなります。

早起きには自信のないという方は目覚まし時計を2つも3つもセットして

それでも心配で寝る前にお呪いを唱えたりするとか(汗)千波にきちんと起きるお呪いとは明日5時に起きなければ

寝る前に枕を5回叩くというもの、朝早く起きて競馬場に逝くとかゴルフに逝くあるいはクラブの早朝練習に逝く。

そんな時できれば他の家族を起こしたくはないですよね、でも目覚まし時計の音は容赦なく同じ部屋で寝ている家族を

起こしてしまいます。そんな時には便利な目覚しい時計が出ているようです。それは音ではなくて振動で起こしてくれるもの

なんですが、枕にセットして時間が来るとブルブルと振動して目が覚めるんだそうです。


9月

秋を愛する人は心深き人というのは、四季の詩とでもいいましょぅか

人恋しく懐かしく感じるのはナンといっても秋なのでしょうか。

秋になると玄関にともった燈がうれしく、ポストになにか

手紙が入っていたらいいなぁ、なんてなんとなく思うのです。

まあ、今ならメールなんでしょうけど。

ましてその手紙が暫く遭わなかった懐かしい友達だったりすると

秋の夜長は本当にうれしい一時を演出してくれます。

まさしく心深い秋は人のぬくもりが欲しくなる季節なのでしょうね。

今年も秋のやわらかな日差しと共に、懐かしい思い出が蘇ってきます。


8月

スポーツとはおよそ縁のなさそうな物静かな方が競馬が大好きとおっしゃってちょっとびっくり

した事があります。その方は馬が走る、馬が怒るといった馬の動きに大変興味があるそうで

競馬を観る楽しみも馬が生き生きとした動きに心惹かれる、そうおっしゃっていました。

よく馬に限らず様々なスポーツの場面の写真を見る事があります。

そしていつも思うことは顔の表情がすばらしく身のこなしがまた美しいことです。

やはり物事に熱中している人達が生き生きと動いている、その表情がこういう表情を生み出すのでしょうか。

まあ、スポーツに限らず私達もそんな良い表情をどこかで持ちたいものです…

万馬券ゲットの瞬間とか(爆)


7月

トマトといえば、すっかり同じみの野菜になりましたが。

この頃のトマトが昔のような独特の香りがあまりしなくなったような気がします。

ところで、ずっとずっと昔昔のトマトというのはいったいどんな風だったのでしょうか。

トマトのふるさとといえば中南米メキシコやペルー辺りのようです。

そのころのトマトの色は、赤色というよりは赤紫に近い色合いで小さな物でした。

それから、長い年月を経てヨーロッパに渡り最初は、食べると言うよりも

鑑賞用として大切にされ「愛のリンゴ」と呼ばれていたそうなんです。

まあ、そんなドラマを思い浮かべながらトマトを見つめていますと。

なんだかアイデスの風が運ばれてくるようです。


2002年6月

空を飛ぶことが夢物語だと思われてきた時代から随分と経ちました。

今では飛行機は極日常的な乗り物の一つに挙げられています。

また現代の化学は男と女の関係にも大きな影響を投げかけています.

以前はSF小説の世界としか想像できなかった事が現実に起こりつつあります。

たとえると、男性の精子は凍結しますと半永久的に生きたまま保存できるといいます。

そうしますと女性は、男性が急な事故や病気で死んでしまったとしても、その男性の子供を

作る事が可能になるわけです。まあ、これをロマンティックと見るか神への冒涜として

見るかは人さまざまなんでしょう。もちろん化学の成果を反映し利用していく事は

私達人間の心です。ところで化学の発達に比べると、

人間心の方はなんと愚かで儚くてあい変わらずのようにと思うのです。


2002年5月

先日の事です、満員電車の中で花をたくさん手にした女の人がいました。

女性は、多くの人に囲まれながらその花たちをなんとか守ろうと一生懸命のようです。

周りの人達も時々振動でゆれそうな体を必死でささえています。

それはまさしく、女性の花を守るためにがんばっている、様子です。

偶然同じ車両に乗り合わせた人達が、まさしく一つの時間を共有している。

そんな感じになる時があります。全く仕事も住所も名前も何一つ知らないながらも

偶然が生んだ一時といいましょうか、一緒に過ごすことになった人達。

今夜もどこかの街で、そんなさりげなさとある共通の感覚をのせて…

たぶん演じられているんでしょうね。


4月

毎日時計を付けて出掛けるようになったのは、電車通勤を始めた高校生の頃だったのでしょうか。

最初の頃はどうも時計を付けたところがちょっとしっくりこなくて、なんだか落ち着かない感じでした.

そうしている内にすっかり時計を付けるのにも慣れて、なにかで時計を付けるのを忘れた時

逆に手持ち無沙汰で落ち着かなくなったものです。

それは、また1分1秒という時間が大切になって、時間を気にする暮しの始まりだったと

言っていいのかもしれません。そういえば、あのラスベガスのカジノには時計がないという話を

聞いて事があります。まぁ、ギャンブルに熱中している人人にあまり時間を考えないように

という事の様なんです。まぁ、時計を見て時間ばかり気にしているようでは、折角のツキも

逃げてしまうという事なんでしょぅか…(汗


3月

友人が春物のシャツを着て訪れてくれました、別に一流ブランド品ではないのですが

彼にはお似合いで特徴のあるシャツです。

そのシャツを見た瞬間、去年同じシャツを着て現われた友人、その顔が浮かび一緒に出かけた所まで

思い出されました、その時あれからもう1年も経ったのだなァ〜っとまず思ったものです。

そして、シャツが1年という時の流れを教えてくれることもあるものだなぁっと、そんな事に思わず感心したりしました。

まあ、最近はすっかりエアコンが普及したおかげでしょうか、部屋の中ではそんなに寒いと感じる事は少なくなってきました。

そのおかげで部屋の中で着る服は1年中そんなに変わらないようになってきています。

でも洋服で感じる季節のアクセント、無くなってしまうのも、ちょっと残念な気がします。

2月

ピラミッドというとみなさんはなにを思うのでしょうか。

紀元前2700年から2500年代に建てられた古代エジプト国王の墓といわれていますが。

実に原始的な方法でたくさんの人々が幾年もかかって本当にピラミッドを作り上げたのでしょうか。

でも、神話の世界では天空から降りてきた人達が不思議な音楽を奏でますと巨大な石が勝手にひとりで

ふわりと空に浮かび次から次へと積み重なってピラミッドが出来たと書かれています。

同じような神話がヨーロッパにもあるようです。さて本当に巨大な石が勝手にひとりでに空に

浮かび飛んでいくようなことがあるのでしょうか、現代人である私達は考えてしまいます。

もし私達の歴史の記憶はどこかでバッサリと切れていたとしたら。

もしかすると現代の私達には計り知れない知識と化学を持ち合わせていた遠い古代人がいたかもしれませんね。

空には無数の星が輝いています、私達が知っているつもりになってぃるのは極僅かな数だけのようにね…。


1月

このお正月初詣にはいらっしゃいましたでしょうか。

この頃は全国のあちこちの神社で七福神参りがブームになっているようです。

そういえば、もう随分昔のことですが、毎年新しい年の始まりと同じに初詣に

出掛けるそんな先生の呼びかけで大晦日の夜更け15人ほどのグループで集まって

出かけた事がありました。あの時は一体幾つくらい神社やお寺をまわったのでしょうか…

それにしても後にもサキにも大晦日から元旦にかけてあんな風にすごしたのは

一つも無かったような気がします。

確か一緒に出かけた友人も「こういう事はめったにできないから行ってみよう」

そんな風だったと思います。まぁ、それにしてもたくさんの人が出ていることには

びっくりしました。ようやく夜が白白と明ける頃最後の目的地に着いた時には

みんなほっとしたものです。

まあ、あれだけ回ったからといってあの年特別良い事がいっぱいあったということはなかったと思いますが。

一つの区切りとして今も懐かしい想い出になっています。


 

 

 

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