◇ 「ひとびとの跫音」についての感想 岡田
1981年 中央公論社 上・下 2巻
この作品は司馬氏の多くの作品の中で異彩を放っていると言えるでしょう。司馬氏が
何故それほど「子規」が好きなのだろう、と思うのと同じようにどうしてこの作品を書いた
のかも不思議であった。私はこの作品の主人公の一人が、友人の父という事で興味を
もって読んだのだが、読むほどにその人物の人柄が滲み出て面白い。
司馬氏はこの作品を書きあげた時に「これで私の人生は終わったな」と感じたという。
◇「ひとびとの跫音」について、司馬遼太郎著
― 忘れ得ぬ二人の男 ―
司馬氏はこの作品は小説のつもりで書いたのではないと言っていて、この本を書いたのは
ここに出てくる二人の男の葬式を出す事になった自分が「書き留めて置くこと」これが自分が
生きている以上義務だと思ったからだという。
二人の男とは正岡子規の養子である「正岡忠三郎」と、二高時代の友人の共産党員であり
詩人でもあった「西沢隆二(ぬやま・ひろし)」で、共に昭和51年の秋に亡くなっている。
正岡忠三郎氏は実母、養母(律・子規の妹)に反抗して東京を離れて二高を受験し入学する。
大学はまた東京を避けて京都大学へ、就職も二人の母親を避けて阪急(大阪)へ。
西沢隆二は「坂の上の雲」を読んで「子規の事を話したい」と言って司馬さんのところへ突然
現れる。
司馬さんが、自分の小説を媒体にして知り合った二人の葬儀までひき受けてしまうほど深入り
した理由の一つは、二人の其々の夫人が、共通して人間的に魅力ある女性だった事にある。
あや子夫人は「あのボヘミアンの忠三郎が、私と子供の為に働いていてくれたって事を今にな
って感動するのよ」という。
西沢夫人の摩耶子さんは画家の徳田耕一氏の娘、共産党員の夫との結婚生活十八年の内
僅か四年余しか同じ屋根の下での生活がなかったという苦闘の中で童心を失わぬ幼女の様
に生きる。この二人の生き方に感動してこれを書いたのかもしれない、という。
― 透明感強い生きざま ―
これを書き終わった時に司馬さんは「これで自分の人生は終わったな」と感じたという。
それは、上手に書こうとか良い作品を書こうとかの気持ちは全くなかったという。歴史小説な
どと違って主人公たちは、ついさっきまで生きて市井をあるいていただからファクトがある、
だから読めば気楽に読めるが、一点一画もおろそかにしてはいけない気持ちで執筆したから
連載中は一回分書くごとにげっそりやつれ、毎月健康を害しているという心境だったと言う。
「正岡さんは志を持つことを自分に禁じた無名の知識人、西沢さんは志を遂げなかった一人の
政治運動家」だという。そして二人とも生まれつき、倫理的に厳密に自分を拘束して、他人に
迷惑をかけなかった。それを書くということは今にして思えば私(司馬氏)にとって、人生と人間
についての透明感を描きたかったんだろうと言う気がしますと、と回顧している。(1982年)


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