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◇司馬遼太郎 「坂の上の雲」〔秋山兄弟〕 ー 〔坂の上の雲〕あらすじ ー |
◇『坂の上の雲』の正岡子規と夏目漱石 |
◇祖父 加藤拓川、父、忠三郎のこと。 |
〔正岡子規と父、忠三郎〕
〔根岸子規庵 〕 子規は、東京・根岸(現東京都台東区)に住み、日本新聞社の社員として生計を立て乍ら
俳句や短歌などを短誌型文学の革新、写生文の創始など文芸の近代化を次々に手がけた。
三十五年の短い生涯を文学に費やした子規は、子供は望まなかったが、後継者を欲した。
正岡家では、子規の看病につきっきりだった妹、「正岡 律」にも子がなかった。
家系を絶やさないためにも養子が必要になり、白羽の矢が立ったのが子規の従兄弟に当る
父、「正岡忠三郎」だった。
忠三郎は、養子になった後も実父の「加藤拓川」の家で過ごし、中学校も加藤家から通った。
その後京大経済学部に進学。京大卒業後は現在の阪急電鉄に入社し、世界的な指揮者と
知られる「朝比奈隆」氏と車掌と運転士のコンビを組んでいる。
不思議なほど「才能人」との出会いが多く、評論家の小林秀雄、詩人の富永太郎、中原中也
西沢隆二とも出会った。
父から聞いたエピソードであるが「中原中也に頼まれて早稲田を替え玉受験させられそうにな
ったよ」とか「音楽家への夢を抱いていた朝比奈さんは、電車の運転の最中でもバイオリンの
練習をして、おかげで駅を停車ぜずに通過してしまったこともあったんだ」などと話してくれた。
父はこれだけの交遊関係をもち、子規の家を継ぎながら生涯をサラリーマンで過ごし、俳句も
短歌も評論も一切書かなかった。
これには訳があり「父は正岡家の養子になる条件として、文学を生業にしないように律に言わ
れたそうです。律は子規を尊敬していましたが子規の困窮ぶりを身近に見ていて、とても厳し
い世界だと思っていたのでしょう」
昭和二十年、伊丹市の上空をB29爆撃機一機が襲い、落とした爆弾で家が焼けたことがあっ
た。この時父は「子規の遺品を焼いたらダメだ」と大奮闘した。
また、昭和四十年代にも火事騒動があったが、この時は病床の父の指示で私が、真っ先に
二階にあった重いトランクを運び出した。トランクは、子規の遺品が入った皮張りの立派なもの
である。それがいかに大切なものかは、家族には痛いほど分かっていた。
〔泥酔常連の忠三郎〕
そんな父、忠三郎の思い出は、深夜に泥酔して帰宅し、玄関先に寝てしまう姿ばかりであった。
この話は、「朝比奈隆 わが回想」で詳しく紹介されているので抜粋して紹介します。
〔祖父、加藤拓川のこと〕
本名常忠。大原観山の三男で、子規の母方の叔父。外交官のち、衆議院議員、貴族院議員
松山市長を勤める。司法省法学校では陸羯南 、平民宰相として最初の政党内閣を結成した
原敬と交わる。秋山好古とは同年で幼い頃からの友人。
〔祖母、加藤ひさのこと〕
〔祖母、ユスティシアのこと〕
◇司馬遼太郎 『ひとびとの跫音』と父、忠三郎のこと。 |
◇朝比奈隆さんと父忠三郎のこと |
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