部落史学習
2002年12月2日 更新

「部落史の見直し」という言葉が聞かれるようになってから、かなりの時間を経過しました。しかし、なかなか十分に広がりを見せているとはいえません。「以前の方が教えやすかった」というような声を、しばしば耳にします。ここでは、「部落史の見直し」の概要とともに、部落史学習のポイントを見ていきましょう。

以下の4点が部落史学習を進めるポイントだと考えています。

1,小・中学校の教科書に、部落問題の明確な記述があり、すべての子どもたちが取り組む題材であること。
2,歴史の中で、ねじれからまってきた人権の問題を解きほぐす営みであること。
3,被差別部落出身の子どもたちにとって、ムラに誇りを感じ、アイデンティティを確立する学習であること。
4,全ての子どもたちにとって、自分自身の差別性を見つめる学習であること。


被差別部落は、近世政治権力によってわがまま勝手につくられたとはいえない(近世政治権力創出論の克服)

被差別部落は、人の嫌がる仕事を強制されてきたのではない(人の嫌がる仕事強制論の克服)

 従来は、死牛馬の処理や刑吏役などの仕事は、政治権力から強制されてきたと考えられてきました。しかし、様々な史料の発見によって、「キヨメ」の職能による「草場権」から発生する権利であったり、「キヨメ」の職能を政治権力が利用したものであったりしたことが明らかになっています。

 牛や馬は死んだ瞬間に「ケガレ」を発生するために、「キヨメ」の職能を持つものしか触ることができません。したがって、「キヨメ」の職能を持つ「かわた村」の人それも「草場権」を持つ人に無償で権利が移ることになっていた(斃牛馬無償取得権)のです。あるいは、神社などの祭礼の際や芝居興行などの際に、一定の金品を受けとるようになっていました。これは、「キヨメ」が行われないとこれらのことを行うことができないという、当時の思想に基づいていたものです。

 つまり、「かわた村」の周辺村は、「かわた村」を畏怖・畏敬の念を持ってみていたということができます。

では現代の差別につながる主たる原因は…

 1700年前後に、上記の「草場権」のうち、死に関わるもの以外が消失していく事例を多く見つけることができます。民衆の意識の近代化によって、神社祭礼や芝居興行などの際に「キヨメ」に依存しないようになってきたことと同時に、飢饉が起こり「簡略仕法」という倹約令が出たことによって、櫓銭や十分の一銭の取得権が消失していきました。しかし、仏教やヒンズー教の思想によって、死に関わるものを避けようとする意識だけは強く残っていきました。これによって、「かわた村」への意識は畏怖・畏敬の念から、忌避するものへと大きく変質していったと考えられます。
 これによって、現代の差別意識に直接つながるものへと変化したと考えられます。すなわち、主たる差別の原因は、周辺村の住人たちの「かわた村」に対するまなざしとその変質と考えられるのです。

 もう一つのポイントとして、江戸後期の「かわた村」の急激な人口増と、明治維新後の「斃牛馬勝手処理令」「地租改正」「松方デフレ」による貧困化が挙げられます。
 人口が増えていたことに重ねて、中世から続いていた草場権益が無くなり、さらに小規模地主が小作化した「地租改正」そして追い打ちをかける「松方デフレ」により、同対法以前の被差別部落の景観が形成されてきたと言えるでしょう。もちろん差別意識によって、近代産業に就労できなかったことも大きな原因です。近代においての部落の景観の変化は、周辺村の差別意識を加速したと言ってよいのではないでしょうか。

 しかし、その中においても一定程度経済的に豊かであり続けた人々もいました。彼等が、全国水平社の創立につながる地下水脈としての自主的部落改善運動を生み出していったのです。

現代に生きるわたしたちの問題意識として

 現代に生きるわたしたちには、周辺村の住人たちが「かわた村」に向けたようなまなざしはないでしょうか。自分自身を見つめてみると、いろいろなケースを見つけることができると思います。
 例えば、クラスのなかまに向ける子どもたちのまなざしに、このような事例はいくつも見つけることができると思います。子どもたちに限らず、大人の社会の中にも思い当たるところはたくさんあるはずです。
 これらを見つめ、克服していくことが、差別意識の解消のための1つの方法となると考えられます。

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