『経済学史学会年報』第37号(1999年11月)、156-158頁

 

書評 大村泉著『新MEGAと《資本論》の成立』(IX頁+5頁+436頁)

 


 本書は 、 新MEGA刊行によって初めて公表された『 資
本論』関連草稿の詳細な分析と草稿関係情報の筆者独自
の調査を踏まえて、『経済学批判』草稿 ( 1861-1863年)
以降の『資本論』成立史および『資本論』理解をめぐる
論争問題を解決すべく 、筆者独自の見解を展開した野心
的な著書である。
 本書の内容は3つの部分から構成されている。 第1章
が第1部分であり、第2章〜 第9章が第2部分であり、
第10 ・ 11章が第3部分である。第1章では、ベルリンの
壁崩壊以後の国際マルクス /エンゲルス財団を中心とす

るMEGAの編集 ・ 刊行体制の変更経過とMEGA編集・刊
行の現状についての詳細なレポートが行われている。 第
3部分の「附篇」(第10・11章)では、『資本論』第1部初
版本やマルクス稀覯本 (東北大学所蔵の『哲学の貧困』
マルクス自用本)等の日本への伝承、 国内各種学術機関
の所蔵調査についての詳細な報告が行われている。 これ
らは日本への マルクス主義普及史の貴重な記録 でもあ
る。
 本書の中心的な部分は第2部分である。これらの諸章
において筆者が『資本論』研究に大きな貢献をしたと思
ー156ー



われる論点は、@1861−1863年草稿ノート]Y〜]Z記
載の草稿第3章「資本と利潤」・「雑録」は『剰余価値学
説史』に先行して執筆された;価値―生産価格問題の核
心部分は『剰余価値学説史』起筆段階には解決されてい
たという主張 、Aいわゆる機械論草稿は『 剰余価値学
説史』を挟んでその前後の執筆されたのではなく、『 剰
余価値学説史』擱筆後に連続して執筆されたという主張、
B『資本論』第1部のマルクス「最終決定版」は、エン
ゲルス編集増補第3版や第4版ではないという主張、の3
点ではなかろうか。第2章は『 資本論 』関連の論争点
を概観する導入的・総論的部分であり、第3章以降が本書
の本論である。
 第3,4章では上記論点@が取り上げられている。第3
章では、草稿第3章「資本と利潤」・「雑録」の作成時期
は1861年12月ー1862年3月であり 、同草稿は『剰余価値
学説史』に先行して執筆されたと筆者は主張する。この
主張は国内外から多くの支持を受け、MEGA編集者も
旧説を訂正した。評者も、論拠は異なるが、筆者の推定
する執筆時期を支持する者の一人である。第4章では、
価値ー生産価格問題は、『剰余価値学説史』に先行して執
筆された草稿第3章「資本と利潤」において基本的に解
決されているという主張を補強するために、価値―生産
価格問題の基本的解決を『剰余価値学説史』「g)ロート
ベルトゥス氏」における研究にもとめる諸説を尽く批判
している。評者も批判対象の1人である。筆者は、『剰
余価値学説史』起筆段階にマルクスは「利潤に関する章」
の主題の一つとして J.ミルの葡萄酒価格論批判を考え
ていたに違いないという「推定」に基づいて『剰余価値
学説史』起筆段階には既に価値ー 生産価格問題の核心部
分を解決していたはずであると主張し、価値―生産価格
問題の基本的解決を『剰余価値学説史』「g)ロートベル
トゥス氏」における研究に求める評者らの見解を批判し
た。しかし、『剰余価値学説史』起筆段階にマルクスが
「利潤に関する章」の主題として考えていたのは、利潤
に関する2つの「転化」問題だけであって、この問題と
不可分なはずの価値ー生産価格問題は まだ十分解明され
ていなかったために、「のちに」「証明する」とだけ指示
せざるをえなかったと考えるべきではなかろうか。
 第5,6章では 上記論点Aが 取り上げられている。
第5章では、機械論草稿は『剰余価値学説史』を挟んで
その前後に執筆されたとする 執筆中断説( 佐武弘章、
MEGA編集者等)への鋭い批判が展開されている。筆
者は、機械論草稿部分を含む草稿ノートX執筆は、ノー
トV p.189 で中断され、その後ノートYの『剰余価値学
説史』執筆に向かったと推定し、問題の機械論草稿部分

は『剰余価値学説史』擱筆後に連続して執筆されたと主
張する。その論拠は、「中断箇所」とされる前後を含む
機械論草稿冒頭部分の問題関心が機械の採用と労働日延
長の理論的な関係という点で一貫しているということ、
『テヒノロギー史抜粋ノート』を読み返した旨が記され
ている 1863年1月28日付のエンゲルス宛手紙と機械論草
稿冒頭のノートV p.192 の間には対応が見られること、
(機械論草稿冒頭と同時期に執筆され)ノートVに後か
ら挿入された8ページ分の用紙の「綴じ穴」と同紙質の
ノート]Y、]Z、X、\、]の「綴じ穴」とが必ずしも
一致しないということ、である。第6章では、『剰余価値
学説史』擱筆後、機械論草稿およびノートVへの挿入部
分における工場法と機械制大工業の発展との相互関係の
認識深化を経て、機械論が拡充され工場法分析が剰余価
値論に編入されていく過程・内的必然性が詳細に分析さ
れている。評者には、「中断箇所」前後を含む機械論草
稿冒頭部分の問題関心の一貫性が直ちに連続執筆説の根
拠になるのかどうか疑問である。
 次いで第7章では、『資本論』第1部のマルクスにとっ
ての「最終決定版」は、エンゲルス編集増補第3版でも
第4版でもなく、1877年にアメリカで計画された英語版
のためにマルクスが作成した「『資本論』第1巻のための
変更一覧表」の変更指示を完全に実現した版であるとい
う筆者年来の主張が、MEGA編集者の見解を批判しつ
つ展開されている。その考証内容は妥当であり、取りあ
えず早急に筆者の言う「最終決定版」を実現しなければ
ならないであろう。しかしそうして実現された「最終版」
がマルクス著 『 資本論 』「最終版」であるとしても、直
ちに、我々にとっての『資本論』「最終最良版・決定版」
となるかどうか。これが本来の問題であろう。
 第8章では、『資本論』第3部の「主要草稿」の公刊後進行
しているエンゲルス編集『資本論 』第3部の問題点を検
討する際の問題視角を確認している。 第9章では、『資本
論』第3部の「主要草稿」に接して得た新たな知見を踏ま
えて、エンゲルス編集の『資本論』第3部に潜む様々な
問題点を日本人研究者が取り上げてきた主要論点に即し
て網羅的・総括的に指摘されている。どれもこれも最重
要論点であるが 、 もはや紙幅がなくなったので、紹介は
省略するが、評者に降りかかった火の粉を払うために一
言お許し願いたい。「複数論理コース」で恐慌の必然性
を解明するという早坂啓造の主張を「重要な問題提起」
と受けとめる筆者の立場は 、 マルクス経済学界の「約束
事」(資本主義的生産に固有な「矛盾」から恐慌発生の
必然性・メカニズムを解明するという枠組)に背く立場
ではなかろうか。
ー157ー



 最後に、本書は 、新MEGA の刊行開始後20年余りの
内外の研究史において『資本論』草稿群に焦点を当てた
最初の本格的なMEGA研究書である。国際的に見ても、

本書は、現時点におけるMEGA研究の大きな到達点で
あり、今後のMEGA研究の不可欠の出発点になるであ
ろうことだけは間違いない。 (松尾純)
ー158ー