『経済学史学会年報』第30号、1992年11月発行

文献紹介・梅沢直樹『価値論のポテンシャル』(昭和堂、1991年)

 本書は、マルクス説とりわけ労働価値説の「相対化」を通じて、価値と生産価格との関連問題を解決し、併せて従来『資本論』に投げかけられてきた諸問題を解決し、マルクス説の「ポテンシャル」を引出そうとしている。
 著者の言うマルクス説の「相対化」とは、まず、価格水準は労働量によって因果的に説明し得るものではなく、交換の世界は「労働」の世界・「労働」に即応した世界から相対的に自律しているという立場に立つことであり、第二に、価値の実体は、社会存立の基盤を確保するための人間にとっての費用という本質的論点からみた時、労働のみに限定されるべきではなく、資源問題や環境問題も考慮されるべきであるという立場に立つことである。
 第一の「相対化」によって、労働による価格の緊密な支配を主張する価値と生産価格の直接的連関説を批判する。マルクスの場合、価値と価格とは交換の世界において実体・現象の関係にあり、価値の実体は抽象的人間労働であるとされており、価値は労働の世界と交換の世界(価格)を媒介する役割を担わされている。著者によれば、このような価値概念の加重負担にこそ、マルクス説の難点の根源がある。著者は、この加重負担を取り除くために、マルクスの価値概念を、交換の世界において価格の実体をなす「交換力」と「労働」の論理に即応した世界に属する「価値」とに二分することによって、「労働」の世界と交換の世界との「間接的連関」を主張する。
 交換力概念を基軸とする交換の世界は、「労働」の世界や「労働」の論理に即応した世界とは一応切離されて自律する。すなわち生産過程を自らのうちに含みつつそれを交換力の自己増殖運動の一環としてかつ労働力商品等を購入するというかたちで包摂することによって、交換力の回収と増殖という論理を基軸とした、交換力によって交換力を規定する閉じた世界を形成する。そして価格と交換力とは、実体・現象の関係をなしているのではなく、交換の繰り返しのなかで基準となるべき交換力水準が自ずと織りなされてくるという関係になっている。他方、「労働」の世界は、体制貫通的な社会的総労働の配分問題に即して措定される概念としての抽象的人間労働と、価格の世界における交換力の動静を反映しつつ抽象的人間労働を数量化した価値概念から成っている。価値は、交換力水準の直接の説明原理になりえないにしても、自己の世界の独自の視角から交換の世界に一定の照明をあたえ、交換の世界のグロテスクな姿を修正する鏡の役割を果たす。社会存立の基盤たる抽象的人間労働は、価値を介して価格の世界に一定の照明を与えるにしても、「労働」の世界と交換の世界とは、ストレートな因果関係にある訳ではなく、一定の弾力性をもって関連する。このように一定の弾力性を持ちうる原因は、交換当事者に特有の「生産費」観である。交換当事者が費用とみなすのは労働力の購入に費やす交換力であって、その労働力が現実に支出する労働量ではなく、また彼等はその他の投資についてもそれを何に投資するかにかかわりなく一様に増殖すべきものとみなしている。こうした「生産費」観のゆえに、交換の世界は、「労働」の世界に対してそれなりに自律化した世界を展開する。しかも両世界の弾力性をもった接合の最大要因である労働力商品はその消費過程に商品自体の意識が介入する商品であり、この意識性のゆえに、資本制経済が基礎理論の段階においてさえ自己完結的な体系にはなりえないという問題が起るのである。以上が本書の概略である。
 最後に少しばかり批評を述べたい。著者は、諸物を生産・分配・消費するという経済活動は、「労働」の論理に即応した鏡と交換の世界の鏡の両方にその像を写すのであって、前者の鏡に写る像を参照しつつ後者の鏡に写るグロテスクな像が修正されると言われるが、二つの世界・鏡がそれぞれ独自の論理をもっているにもかかわらず、なぜそのようなことが可能なのか、またどの程度の限度に達すればそうしたことが生じるのか、といったことが充分に明らかにされていない。本書第4章の利潤と剰余価値との対応関係・利潤率と剰余価値率の連関の証明だけから、前者の鏡の像を基準にして資本の論理の社会の在り方を批判することが可能であるという結論を引きだしうるであろうか。また、著者が交換の世界の自律性として明らかにしているのは、社会存立の基盤としての「労働」の世界からのそれであって、「労働」の論理に即応した世界の価値からの自律性ではないように思われる。「価値の世界は基本的には交換の世界が自らの論理にしたがって形成した世界に追随して行くものなのであって、交換の世界と無関係に技術的に存立するというような世界ではない」(127n)とすれば、「労働」に即応した世界の価値と労働そのものとの関連をどう理解すればいいのか、読者には疑問として残る。(松尾 純)