『経済経営論集』(桃山学院大学)第33巻第4号、1992年3月発行

  

生産価格論の成立の起点をめぐって
――大村泉氏の所説をふたたび検討する――

 

松尾 純

   T.はじめに――問題の所在
 筆者は、かつて、マルクスの生産価格論の形成をめぐる最近の興味深い諸
議論を検討するために、マルクスの1861- 63年草稿1)における生産価格論の
形成過程を詳細に追跡するとともに、この問題をめぐるMEGA編集部およ
び大村泉氏の所説を検討した2)。本稿は、その際、論点整理の都合上、取上
げることができなかった論点で、当の大村氏にとって最重要とされている問
題点を検討することにしたい。
 本論に入る前に、以下簡単に旧稿での議論を整理して見よう。
 MEGA編集部は、従来、生産価格論の成立過程について次のような所説
を表明してきた。「マルクスは、『剰余価値に関する諸学説』のなかでその
理論[平均利潤率と生産価格論の理論――松尾]を包括的に立証した・・・・・・。


1)Karl Marx, Zur Kritik der politischen Ökonomie (Manuskript 1861- 63), in:
Karl Marx / Friedrich Engels Gesamtausgabe, Abt. U, Bd. 3, Teil 1, 1976;
Teil 2, 1977;Teil 3, 1978;Teil 4 , 1979;Teil 5, 1980;Teil 6, 198 2, Dietz
verlag. 以下この書をMEGAと略記する。 引用に際しての訳文は 、Teil 1〜5
部分については 、資本論草稿集翻訳委員会訳『マルクス資本論草稿集 』(以下草
稿集と略記する )CDEFG 、大月書店 、1978、1980、1981、1982、1984年に
従う。 幾つかの個所で訳文を変更したが、いちいち断わらない。 以下この書から
の引用に際しては 、MEGA,Abt.U, Bd.3,Teil 1-5 については引用箇所を、引
用文直後にMEGA の引用ページと草稿集のページを 次のように略記して示す。
例(MEGA、1974;草稿集C234)。
2)拙稿「生産価格論の形成(1)(2)(3)(4)」『経済経営論集』(桃山学院大学) 第28巻第
1号、第2号、第3号、第4号、1986年6月、10月、12月、1987年3月。 同「生産
価格論の形成をめぐる最近の論調―― 大村泉氏の所説の検討を中心にして――」
『経済経営論集』(桃山学院大学)第29巻第1号、1987年6月。

ー101ー

・・・ノート第16冊でマルクスは、 『第3章。 資本と利潤』という表題のもと
ではじめて、この理論の体系的な形での叙述を与えている」(MEGA、Abt.
U,Bd. 3,Teil 5, S. 8++; 草稿集G16*)。「マルクスは『剰余価値に関する
諸学説』の執筆中に得た彼の認識に依拠して、 ノート第16冊のなかで、剰余
価値の利潤への転化、平均利潤の(および生産価格の)理論、ならびに利潤
率の傾向的低下の法則を説いている」( ibid. , S. 15++; 草稿集G25*)。
 このようなMEGA編集部の捉え方は 、1861-63 年草稿中の 草稿「第3
章 資本と利潤」および「雑録」部分(ノート]Yおよびノート]Z冒頭数ペー
ジ)が『剰余価値に関する諸学説』(以下『諸学説』あるいは『学説史』と
略記する)部分執筆以降の1862年12月〜 1863年1月に執筆されたという推定
に基づいている。 このような執筆順序の推定からMEGA編集部は 、草稿
「第3章 資本と利潤」の平均利潤論および「標準価格」論は『諸学説』の
研究成果をふまえたものであると見るのである。
 ところで、このMEGA編集部の主張の根拠をなしている執筆順序の推定
は、その後、大村氏らの批判を受入れて大きく変更された。すなわち、「新
たな内容上の分析と外的な諸標識の比較研究とをつうじて、少なくともこの
章[「第3章 資本と利潤」――松尾]の主要部分は、『学説史』のまえに・・・
・・・書きとめられたことを示す典拠がますます増大してきた」3);「ノートXYお
よびノート]Zの最初の数ページは、1861年12月ないし1862年1月に書かれた
ものと考えてまちがいない」4)、と。だが、このような変更にもかかわらず、
生産価格論の成立過程についてのMEGA編集部の主張は基本的には少しも
変らなかった。すなわち、「たしかにマルクスは、第3章で剰余価値と利潤
とを、また利潤率と平均利潤率とを相互に区別している」5)が、「競争の二重
作用、価格均衡化の二重の運動についての言及はいっさい見られず、『標準

3)Manfret Müller / Wolfgang Focke, Wann entstand das "3 Capitel: Capital
und Profit", das in Marx' Manuskript "Zur Kritik der politischen Ökonoー
mie" von 1861 bis 1863 enthalten ist?, Beiträge zur Marx-Engels-Forsー
chung, Bd. 16, 1984, S. 175.
4)ibid., S. 176-177.
5)ibid., S. 178.

ー102ー

価格』と『現実的な価格』との区別が存在するだけである」6)。それは、「第
3章」の仕事をマルクスが「『資本一般』の枠組みのなかで一貫して進めて
いた」7)証左である。ところが、「『学説史』においてはじめて、彼は、この
枠組みを『揚棄』することをはっきりと意識することになった」8)。「『学説史』
の仕事をすすめるうちに、価格は・・・・直接的には生産価格として現象すると
いうことに気づいた」9)。「平均利潤や生産価格の理論・・・・は、『ただ例解』と
して『のみ』,予定されていた資本関係の叙述に挿入しようと決めた」10)と。
 以上のようなMEGA編集部の主張に対して、大村氏は次のような批判を
展開した。すなわち、草稿「第3章 資本と利潤」および「雑録」部分は、
『諸学説』部分に先行する1861年12月〜1862年3月に執筆されたのであって、
『諸学説』以降に執筆されたのではない。「マルクスが『価値―生産価格』
の問題を『解決』し、『価値は・・・ 直接的には生産価格として現象する』と
いうことに『気づいた』のは、・・・ノート]〜]V=リカードウ批判」11)にお
いてではない。「マルクスが、草稿『第3章 資本と利潤』をはさむある時
期に、部門内競争と部門間競争の基本的な相違を明瞭に意識するようになっ
た」12)ことは間違いない。草稿「第3章 資本と利潤」執筆以前の時点には、
たしかに「生産価格や市場価値・市場価格を、『第3章 資本と利潤』=『資
本一般』においてではなく、『資本一般』の続編(章)としての『競争』で
取り扱う構想を有していた」13)が、しかし『学説史』冒頭の1862年3月の時
点においてはすでに、「マルクスは『のちに私が証明するように、商品の平

6)ibid., s. 178.
7)ibid., S. 178.
8)ibid., S. 178.
9)ibid., S. 178.
10)ibid., S. 178.
11)大村泉@「新『MEGA』編集者による編集訂正と『資本論』成立史の新たな時
期区分――『マルクス・エンゲルス研究論集 』第16集( Beiträge zur Marx-
Engels- Forschung, Heft 16, Berlin, 1984 ) による私見の公表によせて――」
12)同上、313ページ。
13)同上、313ページ。

ー103ー

均価格でさえ、つねにその価値とは相違する』、と述べている」14)ところから
分るように、「価値―生産価格」問題は「資本一般」の続編(章)としての
「競争」論ではなく、「資本一般」の「第3章」において議論されると考え
ていたのである、と。
 このような大村氏の主張に疑問を感じた筆者は、旧稿において概略以下の
ような批判を展開した。
 @まず、生産価格の諸規定が「 資本一般 」に「編入」されたのは、草稿
「第3章 資本と利潤」の起筆以降『学説史 』起筆(=1862年3月)の間で
あるとする大村氏の主張について。
 大村氏のこの主張の根拠は、1861-63年草稿ノートY・220(MEGA、333;
草稿集D5)、259(MEGA、381;草稿集D90)で強調されている事柄とノ
ートY・264(MEGA, 386; 草稿集D90 )で強調されている事柄とは「まっ
たく同一の延長線上にある」15)問題であり、したがってノートY・220、259
に見られる「第3章」=「利潤に関する章」は、ノートY・264に見られる価
値と「平均価格」の相違について「のちに私が証明する」個所と一致する、
と見る文言解釈にあるが、筆者はこのような文言解釈に次のような批判を加
えた。すなわち、ノートY・220で述べられていることは、「剰余価値そのも
の」と「利潤および地代という特殊な諸形態」とを区別しない経済学者たち
を批判し、彼らの誤りは、「剰余価値が利潤としてとる非常に変化した形態
を分析する」・「第3章で・・・・・・さらに明らかになるであろう」、ということ
であり、要するに、ここでは、「剰余価値の利潤への転化」問題は「第3章」
で考察されるという構想が表明されているだけであり、「価値―生産価格」
をめぐる問題についてはなんら言及されていない。また 、ノートY・259で
は、剰余価値と利潤とのあいだの2つの「修正」問題(「剰余価値の利潤へ
の転化」論および「利潤の平均利潤への転化」論)がしてきされ、それらは
「利潤に関する章において見る」、ということが述べられているだけであり、

14)同上、313ページ。
15)同上、314ページ。

ー104ー

ここでも「価値―生産価格」問題については一切言及されていない。ところ
が、ノートY・264では、「商品の平均価格でさえ、つねにその価値とは相違
する」という問題は、「第3章」=「資本に関する章」に属するとは言わず
に、「のちに私が証明する」とだけ述べている。ノートY・220・259とノー
トY ・ 264とにおける 指示文言のこのような 相違は単なる偶然ではない。
『学説史』冒頭時点のマルクスにとっては、「剰余価値の利潤への転化」や
「利潤の平均利潤への転化」は「第3章 資本と利潤」で論じるということ
だけははっきりしていたが、「平均価格」論については、――平均利潤論に
関連して付随的に言及し問題の所在だけは指摘していたにしても――それを
どこで論ずるかは未定であったために、「のちに私が証明する」という曖昧
な表現を使用したものと思われる。
 A次に、生産価格の諸規定の「資本一般」への「編入」が、草稿「第3章
資本と利潤」の起筆(1861年12月)以降『諸学説』の起筆(1862年3月)の間
に行われたと主張されるのであるが、もしそうだとすれば、それは「マルク
スのいかなる研究を媒介にしてか」16)ということが次に問題になるであろう。
この問題に対して大村氏は草稿「第3章 資本と利潤」の作成過程にそれを
求めることができると答えられる。すなわち、草稿「第3章 資本と利潤」第
1節の一連の叙述を引用したのち、次のように言われる。「こうした一連の
言及のなかに・・・・・・引用文B、C、D、E[MEGA、386;草稿集D90:Karl
Marx,Das Kapital,MEW,Bd. 23, S.181; 国民文庫『資本論』@292ページ:
MEGA、333;草稿集D5:MEGA、381;草稿集D82――松尾]における
諸規定と同一主旨の諸規定をみいだすことができる」17)、と。また、草稿同章
第6節「生産費」g)項の内容を概略したのち、次のように言われる。「以上
が草稿第3章『資本と利潤』における『利潤の平均利潤への転化』論の核心部
分である。ここで最も注目すべきは、・・・『標準価格』に触れた留保文言が、
こうした一連の文脈を受けたもの・・・・・・であったとこれである。この留保文

16)同上、315ページ。
17)同上、316ページ。

ー105ー

言では、『第2の場合には』と述べられた後、そうした場合には、諸商品の
『標準価格でさえも 、それらの価値から相違する 』、とされていたのであ
った。留保文言に至る文脈が上述したものであるかぎり、留保文言にいわゆ
る『標準価格』の内容として、上の一連の文脈で解明されている一般的利潤
率の規定性を挙げ、価値の内容として、これもまたこの文脈で解明されてい
る異種部門間における特殊利潤率の相違を挙げたとしても何ら支障はないで
あろう」18)、と。さらに、次のようにも言われる。「草稿『第3章 資本と利
潤』の擱筆の段階でマルクスが、生産価格や市場価値・市場価格の全面的な
解明にいついかなる時点において取り組むことになったとしても、なんら不
思議ではないという理論的水準に到達していた」19);「資本間『競争の二重作
用、価格均衡化の二重の運動』にかんする基本的な認識を確立したのは、・・・
・・・草稿『第3章 資本と利潤』の作成過程をつうじてのことであった」20)、と。
 このような大村氏の主張に対して、筆者は次のような批判を加えた。すな
わち、大村氏は、「商品の現実の価格は、・・・・本質的に修正され、商品の価
値とは相違することになる」(MEGA、1606;草稿集G99)という叙述や、
「こういうわけで、第2の場合には、利潤と剰余価値とのあいだに、それと
同時に商品の価格と価値とのあいだに、本質的な相違が現われる。そのこと
から、諸商品の現実の価格が――それらの標準価格さえもが、それらの価値
と相違するということが生じる」(MEGA、1630;草稿集G139)という叙述
を引用し、そこに見られる「標準価格」は、先行する平均利潤論を直接受け
たものであり、したがって、この「標準価格」論は、先行する平均利潤論を
織り込んで理解されるべきであり、そうした場合「草稿『第3章 資本と利
潤』の擱筆の段階でマルクスが、生産価格や市場価値・市場価格の全面的な
解明にいついかなる時点において取り組むことになったとしても、なんら不

18)大村泉A「絶対地代の発見と『資本一般』――『剰余価値学説史』『g.ロート
ベルトゥス氏』と草稿第三章『資本と利潤』との連係―― 」『経済学』(東北大
学)第48巻第3号、1986年11月、55ページ。
19)大村論文@、318ページ。
20)同上、319ページ。

ー106ー

思議ではないという理論的水準に到達していた」21)ことがわかると主張され
るのであるが、しかし、筆者の見るところ、これらの叙述をこのように一面
的に理解することはできない。というのは、まず前者の引用文についていう
と、そこでは、「現実の競争すなわち価値よりも高いかまたは低い価格での
売買」(MEGA、1605; 草稿集G98)=「資本家どうしのごまかし合い」
MEGA、1605;草稿集G98)の結果、平均利潤が形成され、「商品の現実
の価格」と「商品の価値」の相違が発生するという問題が述べられているの
であって、この「商品の現実の価格」論は、後の生産価格論に直ちに結びつく
ものと理解することができないからである。この「商品の現実の価格」と「商
品の価値」の相違のなかには、平均利潤の形成によって生じる価値と価格の
相違と「資本家どうしのごまかし合い」によって生じる価値と価格の相違と
が含まれているのであって、ここではまだ、マルクスは、後の生産価格論に
相当する問題を独自な理論領域として明確な形で取り出していないと見るべ
きである。また後者の引用文についていうと、ここでは、先行する個所にお
ける平均利潤論を受けてか、若干の認識の進展が見受けられ、平均利潤の形
成によって生じる「標準価格」と「価値」との相違と「商品の現実の価格」と
「価値」との相違とが用語上区別されているが、それにもかかわらず、「商品の
現実の価格」や「標準価格」は「商品の価値」と本質的に相違するというこ
とだけが指摘され、それらの相違の具体的な内容については一言も触れられ
てはおらず、また「標準価格」論についての主題的な考察はまったく与えら
れてはいない。しかも、「商品の現実の価格」と「商品の価値」との相違が
「本質的な相違」論のメイン・テーマとしてまず指摘されたのち、それに付随
するサブ・テーマとして「それらの標準価格さえもが、それらの価値と相違
する」(下線は筆者のもの)ということが述べられている。要するに、草稿
第3章では、平均利潤論については詳論されているにもかかわらず、後の生
産価格論に相当する「標準価格」論についてはほとんど未展開であり、「商
品の現実の価格」と「商品の価値」との相違問題に付随して言及されている

21)同上、318ページ。

ー107ー

にすぎないのである。
 このような理論状況は、「生産費」概念の形成過程を概観することによっ
ても確認することができる。というのは、1861- 63年草稿の前半期と後半期
とではマルクスの「生産費」概念の中身が異なっているからである。すなわ
ち、ノート]Tまでの前半期(ノート]Yおよび]Z冒頭部分を含む)では、資本
家の前貸したC+Vに等しい「資本家の立場から見た生産費」と商品の価値
C+V+Mに等しい「商品の内在的な生産費」という2つの「生産費」概念
だけが存在するのに対して、ノート]T以降の後半期では、「前貸資本の価
値」に等しい「商品の資本家にとっての費用」と「商品の価値」に等しい「
商品の内在的な生産費」、それに「前貸の価値・プラス・ 平均利潤の価値」
に等しい「本来の意味・・・・・・での生産費」という3つの「生産費」概念が存在
する。つまり前半期には、「前貸の価値・プラス・平均利潤の価値」に等し
いものとしての第3の「生産費」概念が存在しないのであって、その原因は、
この時期マルクスはまだ「前貸の価値・プラス・平均利潤の価値」に等しい
ものとしての価値・価格概念を持っていなかったからである。これは、後の
「生産価格」に相当する「平均価格」・「標準価格」概念をマルクスがこの
頃まだ持っていなかったということと相応していると考えることができよう。
 大村氏はまた、「マルクスは第3章『資本と利潤』の段階で、部門内競争
と部門間競争との相違をはっきり認識している」22)と主張しているが、これ
についても、筆者は次のような批判を加えた。まず、2つの競争を区別・対
比した明確な叙述・文言が『学説史』「g.ロートベルトゥス氏」・「h.
リカードウ」以前にはまったく存在しないし、またノート]の途中までのち
の「生産価格」概念を現わす用語として「平均価格」という用語が使用され
ているが、この用語は、マルクスが2つの競争のそれぞれの内容と両者の違
いを明確にしえていない1861- 63念草稿の前半期に特徴的な用語法であると
断言できる23)、と。

22)大村泉・大野節夫「DDRでの二つのコロキウムに参加して」『経済』261号、
1986年1月、322ページ。
23)拙稿「生産価格論の形成(3)――『平均価格』から『費用価格』へ――」『経済経→

ー108ー

 B大村氏は、生産価格の諸規定の「資本一般」への「編入」をもたらした
モチーフは何かという問題を提起され、それは、ある時マルクスが草稿「第
3章」の「体系構成上の内的矛盾」に気づいて、それを是正するために生産
価格の諸規定を「資本一般」に「編入」することになったからである、と主
張された。 しかし、もしそうであったとすれば 、草稿「第3章 資本と利
潤」の擱筆時期を前後する時期ではなくて、草稿同章執筆中に、マルクスは、
なにゆえに、この「矛盾」に気づかなかったのかというと疑問が生じてくる。
草稿「 第3章 資本と利潤 」の擱筆時期を前後する時期になってはじめて
「体系構成上の矛盾」にマルクスが気づいたのはなぜか、という「重要な問
題」に対する大村氏の説明は納得のいくものではない。
 以上が、前稿までにおける大村氏の所説に対する筆者の批評の要約である
が、しかし、本稿冒頭にも述べたように、これによって大村氏の所説はすべ
ての問題点を論じ尽くしえた訳ではなかった。もう一つの、しかも大村氏に
とっては最重要な論点が、検討を加えられることなく残された。それは、以
下のような大村氏の主張である。
 「草稿同章の体系的な展開の骨格を『資本論』第三部のそれへと転換する
という構想がマルクス自身に胚胎したのは、これを草稿同章の擱筆時期を前
後する時期に推定する」24)ことができる。転換のモチィーフは、一般的利潤
率と生産価格とは統一的に解明される必要があるにもかかわらず、前者だけ
が「資本一般」内で解明され、後者は「競争」論に委ねるという「草稿同章
における論理体系上の矛盾」25)に求めることができる。したがって、「転換
は、たとえマルクス自身が『剰余価値に関する諸学説』を作成していなかっ
たとしても、・・・・行うことを余儀なくされた転換であった」26)。草稿同章第
6節で解明されている「商品はその価値以下で売っても利潤をつけて売るこ

営論集』(桃山学院大学)第28巻第3号、1986年12月、36-41ページ参照。
24)大村泉B「一般的利潤率・生産価格と剰余価値の利潤への転化」『北海学園大学
経済論集』第30巻第3号、1982年12月、40ページ。
25)同上、39ページ。
26)同上、39ページ。

ー109ー

とができる 」という法則は 、「 生産価格を展開する際根幹に捉えられるべ
き法則である」27)が、「マルクスは、かかる法則を解明していたにもかかわ
らず、・・・・・・生産価格を草稿同章同節項g)では展開していないのである。な
ぜであろうか」27)。草稿同章の体系構想が「論理体系上混乱した構想」であ
るにもかかわらず、「マルクスは 、そうした『混乱』をもあえて犯しつつ草
稿同章を展開しているのである。この『混乱』は果たして何に基因(ママ)すると言
えるのであろうか」28)
 このように問題提起されたうえで、大村氏はそれに次のように答えられる。
 草稿同章第1〜6節では、「固定資本の価値移転の特殊性の問題を 、論理
展開に内在的に取り込むことに成功していない」29)。「確かに、ここには『一
定の回転期間内』という用語も見出すことができるが 、肝心の『生産費』に
ついては、前貸資本の一部ではなく、その『総額』が、『商品の生産費』『と
して現われる』、とされているのであって、『前貸資本の総額 』と『商品の
生産費 』とは 、用語的にはともかく 、概念的に峻別されているとは言えな
い」30)。「草稿『第三章「資本と利潤」』が、細目上の異同は別として、現行
『資本論』第三部第一―三篇と同様 [の]・・・・・・順序で体系的な展開を試みな
がら、しかも、『 商品はその価値以下で売っても利潤をつけて売ることがで
きる』という『法則 』をも『解明 』しておきながら、それにもかかわらず、
この『第二の』転化で、一般的利潤率のみを展開し、『標準価格( =生産価
格)』の考察は・・・・『競争の章に属する』としたのは、『第一の』転化を解明
する際、費用価格の超過分という形態規定を 、理論的に十分処理できなかっ
たことに、決定的ともいうべき問題があった」31)からである。「草稿『第三
章「資本と利潤」』におけるマルクスの根本的な誤謬の一つは、 草稿同章第
6)節『生産費』を説論する際、・・・固定資本の価値移転の特殊性を、・・・・・・

27)同上、51ページ。
28)同上、52ページ。
29)同上、66ページ。
30)同上、67ページ。
31)同上、68ページ。

ー110ー

いわば無視したかたちで行論を企て、その結果として、利潤率を規定する際、
・・・・ 利潤率は商品価値を不断に費用価格とその超過分とに転化する前貸―回
収という関係を前提にしているということ 、こうしたことを理論化すること
ができなかったというところにあった」32)
 では、この「矛盾」・「混乱」は、いつ・どこで 、解消されることになっ
たのか。大村氏の答えはこうである。
 草稿同章の第6節とは違って、草稿同章第7節では 、「固定資本の価値移
転の特殊性は、その行論に理論的に取りこまれていると言ってもよい。そして
さらに注目すべきことは、マルクスは 、・・・・・・『こうしたことは生産費の部
分に属する』・・・・・と言うのである。あきらかにこの留保文言は、草稿同章第
6)節『生産費 』における致命的ともいうべき問題の解消にむけて、マルク
ス自身が大きく前進をとげたということを意味している」33)。こうして大き
く前進をとげたマルクスは、 ノートY冒頭に注目すべき幾つかの留保文言を
記すことになる。 「これらの留保文言でマルクスの言う『のちに私が証明す
る』、『利潤の章』あるいは『剰余価値が利潤としてとる非常に変化した形態
を分析する』『第三章』という構想は 、いずれも一個同一の構想であると言
ってよいであろう。そして、これらの留保文言は、Heft]Yの『第三章「資本
と利潤」』の場合とは異なり、そうした『第三章』――『利潤の章』、『のち
にわたしが証明する』箇所――においては、『平均価格(=生産価格 )』や
『市場価格』に関する諸規定が、 同章の展開にとって内在的な規定として位
置づけられている 、ということを如実に示していると言えるであろう。とす
れば、・・・マルクスは草稿Heft]Y記載の『第三章「資本と利潤」』の体系的
な展開の骨格を 、『資本論』第三部のそれへと転換するという構想を、草稿
同章の擱筆時期を前後する時期から『剰余価値に関する諸学説 』の起筆時期
にかけて、抱懐したとみて何ら支障はあるまい」34)、と。

32)同上、71ページ。
33)同上、71ページ。
34)同上、72ページ。

ー111ー

 以上の大村氏の主張を要約すると次のようになろう。すなわち、草稿「第
3章 資本と利潤」の体系構想を『資本論』第三部のそれへ転換する必要性
をマルクスが感じたのは、草稿同章の擱筆時期を前後する時期である。構想
転換のモチィーフは、「資本一般」では一般的利潤率のみを展開し、「標準
価格」論は「競争の章に属する」とする「草稿同章における論理体系上の矛
盾」にある。転換は、マルクスが『学説史』を作成していなかったとしても
生じえた転換であった。草稿第3章においてマルクスはすでに「生産価格を
展開する際根幹に捉らえられるべき法則 」を解明していたにもかかわらず、
生産価格論を展開していない。このような「混乱」を犯してまでマルクスが
生産価格論を展開しなかった原因はなにか。それは、固定資本に前貸された
資本価値は、一定の回転期間を経てはじめてそのすべてが回収される関係に
あり、こうした関係こそが、前貸資本から費用価格を区別する関係であるに
もかかわらず、草稿同章の「剰余価値の利潤への転化」論では、マルクスは
こうした固定資本の価値移転の特殊性を無視して議論を展開した結果、利潤
率を規定する際、利潤率は商品価値を不断に費用価格とその超過分とに転化
する前貸―回収という関係を前提にしているということを理論化することが
できなかったからである。ところが、草稿同章の最終節=第7節では、固定
資本の価値移転の特殊性の問題がその行論に理論的に取りこまれている。こ
れは、草稿同章第6節の「致命的ともいうべき問題」の解消にむけて、マル
クスが大きく前進をとげたことを意味している。かくてマルクスは、ノート
Y冒頭に一連の留保文言を記すことになる。 それらの留保文言は 、「第三
章」おいて生産価格の諸規定を位置づけるということを示している。それゆ
え、草稿同章の体系構成を『資本論』第三部のそれへと転換するという構想
は、草稿同章の擱筆時期を前後する時期から『諸学説』の起筆時期にかけて
生じたと言うことができる、と。
 以上の要約から分るように、 生産価格論の成立の起点について 大村氏は
次のように考えているのである。 すなわち 、草稿同章の体系構想を『資本
論』第三部のそれへ転換するという考えが生じたのは、 草稿同章の擱筆時期
ー112ー

を前後する時期である。それは、草稿同章第7節で固定資本の価値移転の特
殊性の問題がその行論に理論的に取込まれるようになったからであり、これ
によって草稿同章第6節「生産費」の「致命的ともいうべき問題」の解消に
むけて大きく前進をとげ、「第三章」おいて生産価格の諸規定を位置づける
ことができるようになったからである、と。一言で言えば、生産価格論の成
立の起点は、草稿同章第7節における固定資本の価値移転の特殊性論の展開
に求めることができる、というのが大村氏の主張である。
 だが、はたして、大村氏のこのような主張を成立史的に確認することがで
きるであろうか。以下、詳しく検討してみることにしよう。

U.大村泉氏の所説の検討
 (1) まず、草稿同章の最終節=第7節において「固定資本の価値移転の特
殊性は、その行論に理論的に取りこまれ」、その結果 「草稿同章第6)節『
生産費』における致命的ともいうべき問題の解消にむけて、マルクス自身が
大きく前進をとげた」、という大村氏の主張を検討して見よう。
 大村氏の言う「草稿同章第6)節『生産費』における致命的ともいうべき
問題」とは、端的にいえば、草稿当該箇所では「『生産費・・・・・』が・・・『前
貸資本の価値・・・・・』と等置されている」35)ということ;「『費用価格』は、固
定資本の損耗分+流動資本であって、固定資本の価値移転の特殊性によって
前貸し総資本から区別される概念である」36)にもかかわらず、草稿当該箇所
では「『生産費』規定にこの固定資本の価値移転の特殊性は意識的につらぬ
かれてはおらず、しばしば前貸し総資本と無造作に等置され」36)ているとい
うこと;「生産価格はこれを一般的に規定すれば、費用価格(固定資本の損
耗分+流動資本)+平均利潤」37)であるにもかかわらず、草稿当該箇所では


35)同上、52ページ。
36)大村論文@、317ページ。
37)大村泉C「資本一般と競争――草稿第3章『資本と利潤 』を中心に―― 」経済理
論学会編『『資本論』の現代的意義』(経済理論学会年報第21集)、青木書店、1984
年、160ページ。

ー113ー

「固定資本の価値移転の特殊性を理論的に処理しておらず、『生産費』にた
いして、前貸総資本のいわば別称以上の意味を付与してはいない」38)という
こと、である。
 もし、大村氏の言われるように、草稿同章第7節においてこの「致命的と
もいうべき問題 」が克服され 、固定資本の価値移転の特殊性が理論的に処
理されたとすれば、この草稿同章第7節以降、「生産費」はもはや「前貸総
資本」とは等置されず、したがってまた「標準価格」・「平均価格」は、前
貸総資本と等置された生産費 + 平均利潤とは規定されず、正しく費用価格
(固定資本の損耗分+流動資本)+流動資本と規定されることになるはずで
ある。ところが、管見の限りでは、 マルクスは、それ以降の箇所において、
大村氏の強調される論点に配慮した形で「平均価格」――旧稿ですでに詳し
く見たように、ノート]T〜]U以降ではこれに代って「費用価格」という用語
が使用されるようになり、さらにノート]X以降ではそれに代って「生産価
格」という用語が使用されるようになるのであるが――を規定している訳で
は必ずしもない。というのは、マルクスは、草稿「第3章 資本と利潤」第
7節以降において、「平均価格」(あるいは「費用価格」や「生産価格」)を
次のように様々な表現をもって規定しているからである。
 すなわち、「生産費は、各個の商品においては前貸資本を表わしており、
この生産費を越える超過分は、前貸資本が支配する不払労働をあらわしてい
る」(MEGA、695;草稿集E42)。「ある商品の平均価格はその商品の生産
費( 労賃であれ、 原料であれ、機械であれ、またはたとえどんなものであ
れ、それに前貸しされた資本)・プラス・平均利潤に等しい。したがって、
・・・・・・C(前貸資本)・プラス・P/C、平均利潤率である。」(MEGA、727-
728;草稿集E89)。「原生産物がその価値どおりに売られるとすれば、その
価値は、他の諸商品の平均価格よりも高い、またはそれ自身の平均価格より
も高い、すなわち、生産費・プラス・平均利潤率よりも大きい」(MEGA、747;
草稿集E123 )。「商品の平均価格とはなにか?その商品の生産に投下され

38)同上、161ページ。

ー114ー

た総資本(不変資本・プラス・可変資本)・プラス・・・・・平均利潤に含まれ
ている労働時間である」(MEGA、780;草稿集E179)。「平均価格――すな
わち 生産費・ プラス・ 平均利潤によって[形成された]価格」(MEGA
798;草稿集E206)。「諸費用(生産費・プラス・平均利潤)」(MEGA、798;
草稿集E206)。「諸費用(前貸・プラス・平均利潤)」(MEGA、799;草稿集
E208)。「平均価格すなわち前貸・プラス・平均利潤」(MEGA、815;草稿
集E231)。「平均価格――または、われわれが言いたいように言えば費用価
格――・・・この価格は・・・・・商品に前貸しされた資本・プラス・平均利潤によ
って規定されるものである」(MEGA、827;草稿集E248)。「商品の費用価
格は、それが商品に含まれている前貸の価値・プラス・同じ年利潤率によっ
て規定されるかぎり、商品の価値とは違っている」(MEGA、833;草稿集E
259)。「費用価格、すなわち商品に含まれている経費・プラス・一般的利潤
率」(MEGA、859;草稿集E300-301)。「費用価格は、前貸・プラス・平均
利潤に等しい」(MEGA、855;草稿集E345)「この商品の価値は、その費用
価格、すなわち道具の損耗分と労賃と平均利潤とを越えている」 (MEGA
891;草稿集E355)。「支出資本・プラス・平均利潤・・・は、スミスが自然価
格とか費用価格などと呼んでいるものだ。・・・ リカードウは価値と費用価格
とを混同している。だから、彼は、もし絶対地代というもの・・・・が存在する
とすれば、農業生産物などは、費用価格(前貸資本・プラス・平均利潤)よ
りも高く売られるのだから、つねに価値よりも高く売られることになるだろ
う、と考えるのだ」(1962年8月2日付けエンゲルス宛のマルクスの手紙)39)。
「彼 [リカード] が費用価格と考えているものは前貸・プラス・通常利潤に
ほかならない」(MEGA、957;草稿集E456-457)。「地代は、農業生産物の
価格・・・・・・がその費用価格を越えるところの、すなわち前貸資本価値・プラス
・資材の通常(平均)利潤を越えるところの超過分である」(MEGA、957;
草稿集E457)。「なぜ価格は費用価格に、すなわち、前貸・プラス・平均利
潤に、等しい高さでなければならないのか?」(MEGA、959;草稿集E461)。

39)国民文庫『資本論書簡』@、大月書店、1971年、313ページ。

ー115ー

「資本の立場からすれば・・・ 費用価格が必要とするのは、ただ、生産物が前
貸のほかに平均利潤をも支払うということだけである 」(MEGA、969;草稿
集E477)。「十分な価格とは、 実際には生産価格すなわち費用価格なのであ
って、・・・ 資本家の前貸のほかに通常利潤をも支払うところの価格、資本の
いろいろな充用部面で 資本家間の競争が生みだす ような平均価格なのであ
る」(MEGA、979;草稿集E490)。「生産価格 (または費用)が前貸資本・プ
ラス・平均利潤に等しいかぎりでは、・・・」 (MEGA、1018;草稿集E557)。
「与えられた大きさたとえば 100 の一資本が一定の期間たとえば1年間に手
に入れる剰余価値のわけまえが、 平均利潤または一般的利潤率を形成するの
であり、それが各産業部門の 生産費のなかにはいるのである。このわけまえ
が15だとすれば、通常利潤は15%であり、 費用価格は115である。たとえば
前貸資本のうちのただ一部分だけが損耗分として価値増殖過程にはいるとす
れば、費用価格はこれよりも低いことがありうる。 しかし、それはつねに、
消費された資本・プラス・15すなわち前貸資本にたいする平均利潤、 に等し
い」(MEGA、1058;草稿集E614)。 「商品の費用価格は前貸資本の価格・
プラス・平均利潤に等しい」(MEGA、1265;草稿集F102)。 「社会的資本が
1000で、一特殊生産部門の資本が100であるならば、また 、剰余価値の・・・総
量が200つまり20%であるならば、特殊な生産部門の資本100は 、その商品を
120の価格で売ることになるであろう。・・・・・・/これは費用価格であり、 そし
て、本来の意味(経済的な、資本主義的な) での生産費が問題とされるとすれ
ば、それは、前貸の価値・プラス・平均利潤の価値のことである 」(MEGA
1274;草稿集F115)。「資本主義的生産の基礎のうえでは、商品は、 それが
前貸の価値・プラス・ 平均利潤の価値に等しい費用価格を生まないならば、
――長い目で見れば平均して― 市場へはもたらされない」 (MEGA、1275;
草稿集F117)。「平均利潤率は、 工業では諸資本の利潤の均等化とそれによ
る価値の費用価格への転化とによって与えられている。 この費用価格――前
貸資本の価値・プラス・平均利潤――は、 農業が工業から受けいれる前提で
ある」(MEGA、1289;草稿集F145)。 「生産費と呼ぶことができるのは、
ー116ー

・・・・・・前貸資本の価値・プラス・平均利潤、によって規定される価格である。
・・・・・このような価格が生産価格である」(MEGA、1510;草稿集F496-497)。
「費用価格は、諸前貸資本の価値・ プラス・それらによって生産された剰余
価値が特殊な諸部面のあいだにそれらの部面が総資本のなかで占める割合に
応じて配分されるもの、にほかならない」(MEGA、1513;草稿集F500)。
「前貸資本の価値、費用・プラス・平均利潤、つまりK+A.P.を生産価格
とみなすならば、商品の価値がどんなに変動しようとも、生産価格が同じま
までありうる」(MEGA、1521;草稿集F513)。
 以上の引用文に見られるように、マルクスは、「平均価格」・「費用価格」
・「生産価格 」を次のように規定しているのである。 すなわち、「平均価
格」=「商品の生産費(労賃であれ、原料であれ、機械であれ、またはたと
えどんなものであれ、それに前貸しされた資本)・プラス・平均利潤」;「C
(前貸資本)・プラス・P/C、平均利潤」;「生産費・プラス・平均利潤」;
「商品の生産に投下された総資本(不変資本・プラス・可変資本)・プラス・
平均利潤」;「前貸・プラス・平均利潤」;「商品に含まれている前貸の価値・
プラス・同じ年利潤率」;「商品に含まれている経費・プラス・一般的利潤
率」;「道具の損耗分と労賃と平均利潤」;「支出資本・プラス・平均利潤」;
「消費された資本・プラス・・・・・・・平均利潤」;「前貸資本の価値・プラス・平
均利潤」、と。
 これらの等式からわかるように、マルクスは、大村氏が強調するように固
定資本の価値移転の特殊性を意識的・理論的に取り入れて、「平均価格」や
「費用価格」を定式化している訳では必ずしもない。たとえば「平均価格」
=「前貸資本・プラス・平均利潤」という定式について言えば、「前貸資本」
という文言が、はたして、「商品の生産に投下された総資本(不変資本・プ
ラス・可変資本)」のことなのか、それとも「消費された資本」・「商品に含
まれている前貸の価値」のことなのか 、ただちに判別しうるものではない。
その前後の文脈を見るかぎり、「前貸資本」という文言は、厳密に規定され
た「固定資本の損耗分+流動資本」という意味をもっているとは必ずしも言
ー117ー

えず、むしろ「前貸総資本」という意味で使用されているように思われる。
 したがって、草稿「第3章 資本と利潤」第6節と同様に、草稿同章第7
節執筆以降も、したがって『学説史』においても、生産費は「前貸資本」と
意識的・明示的に区別されているとは言いがたく、むしろ「前貸資本」と等
置されていると見ることができる。言い換えれば、草稿「第3章 資本と利
潤」および「雑録」部分の擱筆以降も、マルクスは、固定資本の価値移転の
特殊性の問題に配慮した形で「平均価格」・「費用価格」・「生産価格」を
規定している訳では必ずしもないのである。
 ところが、大村氏は、草稿「第3章 資本と利潤」第7節の利潤率の傾向
的低落の根本要因を議論する一連の文脈において、「固定資本の価値移転の
特殊性」問題を発見し、これを「生産費」(=「費用価格」)論に理論的に
取り入れる構想を獲得したことによって、マルクスは、それ以前の草稿同章
における「体系構成上の内的矛盾」に気づき、「草稿 Heft]Y記載の『第三
章「資本と利潤」』の体系的な展開の骨格を、『資本論』第三部のそれへと転
換するという構想を・・・抱懐」40)するようになった、その証拠がノートYの
冒頭部分での一連の留保文言である、と言うのである。しかし、大村氏の言
うように、体系構成を転換するほどの深遠な意味を「固定資本の価値移転の
特殊性」問題が担っていたというのであれば、なにゆえに、肝心の「平均価
格」・「費用価格」概念を展開するノート]以降の文脈において、「固定資
本の価値移転の特殊性」問題を理論的に明確な形で取り込んだうえでのそれ
らの概念の定式化を行っていないのか、大いなる疑問である。
 (2) ところで、大村氏は、草稿「第3章 資本と利潤」の体系構成からノ
ート][記載の(「第3篇 資本と利潤」に関する)プラン草案への構想転換
の起点、言い換えれば生産価格の諸規定の「資本一般」への「編入」の起点
は、草稿第3章第7節における「固定資本の価値移転の特殊性」問題の発見
とその問題の行論への取込みにあると主張するだけではなくて、さらに次の
ように言われる。「編入はリカード批判といった外在的な契機によって媒介

40)大村論文B、72ページ。

ー118ー

されたものではなく、内在的な必然性に基づいていた」41)。「『学説史』のリ
カード批判は、そうした転換後の構想の、 学説批判というかたちをとった、
第一次的な具体化」42)である。「転換は、たとえマルクス自身が『剰余価値に
関する諸学説』を作成していなかったとしても・・・ 行うことを余儀なくされ
た転換であった」43)、と。
 こうした生産価格論の構想転換に関する捉え方を、大村氏は、さらに、マ
ルクスによる地代論の構想転換問題にも当てはまると主張される。すなわち、
ノート]Tの留保文言――「ここで問題であるのは、ただ、価値と費用価格に
関する私の理論の例証として 地代の一般的法則を展開することだけであり、
他方、地代の詳細な説明は、私が特に意図して土地所有を論ずることになっ
たときにはじめて与えるであろう」(MEGA、907;草稿集E381)という文
言――を引用したのち、次のように言われる。 「この Heft]Tの留保文言に
みられるマルクスの立場は、・・・・・・草稿『第3章「資本と利潤」』第6節『生
産費』における地代の処理にみられる立場よりも、また・・・・草稿同章の冒頭
文節における、地代をもって『土地所有の考察に属する』という立場・・・・よ
りも、はるかに『資本論』のそれに近接している」44)。「生産価格の諸規定が
草稿同章の体系的な展開に編入されるということが、論理必然的であるとす
れば、その延長線上において、この Heft]T の留保文言で言われるような
『地代の一般的法則』が、したがってまた『資本論』第三部にみられるよう
な地代論が、展開されたとしても、そのこともまた論理必然性をもった処理
である」45)、と。
 ところで、この大村氏の捉え方にしたがえば、生産価格論の「資本一般」
への編入と同様に、 地代論の「資本一般 」への「編入 」についてもまた、
『学説史』のリカード批判は外在的な、比重の軽い契機をなしているにすぎ
ず、転換の論理必然性をなしているのは、あくまでも草稿第3章第7節にお

41)大村論文C、154ページ。
42)同上159ページ。
43)大村論文B、39ページ。
44)同上、57ページ。
45)同上、57ページ。

ー119ー

ける固定資本の価値移転の特殊性論にあるということになる。
 だが、はたして、大村氏の言うように、ノート]〜]Vにおけるロートベルト
ゥス地代論批判やリカード地代論批判が地代論の「資本一般 」への「編入」
にとって軽微な意味 しかもちえなかったと考えることができるであろうか。
筆者には、どうしても、そうは思えない。というのは、ノート]以前ではな
く、まさにノート]〜]Vの執筆過程において、マルクスは、「地代」の取扱
いを大きく変化させているからである。以下その間の事情を少し見ておこう。
 まず確認されるべきは、草稿「第3章 資本と利潤」の冒頭におけるマル
クスの次のような留保文言である。「ある与えられた流通期間内に生み出さ
れる剰余価値は・・・ 前貸された総資本で計られる場合には――利潤と呼ばれ
る。(ここでは利潤のなかに・・・・・・利子だけではなく、・・・地代もはいってい
る。資本がこの特殊な投下によってどのように個別に特殊化されるかという
ことは、土地所有の考察に属する。・・・・・・)」(MEGA、1598;草稿集G87)、
と。ここでは、明らかに、地代の問題は「土地所有の考察に属する」とされ
ている。また、ノートY・220・『諸学説』冒頭では、マルクスは次のように
述べている。「すべての経済学者が共通にもっている欠陥は、彼らが剰余価
値を純粋に剰余価値そのものとしてではなく、利潤および地代という特殊な
諸形態において考察している、ということである。このことからどんな必然
的な誤りが生ぜざるをえなかったかは、第3章で、剰余価値が利潤としてと
る非常に変化した形態を分析するところで、さらに明らかになるであろう」
MEGA、333;草稿集D5)、と。ここでは、要するに、「剰余価値が利潤
としてとる非常に変化した形態」は「第3章」――恐らく「第3章 資本と
利潤」の意――において「分析」される、ということが述べられているが、
ここで言われる「剰余価値が利潤としてとる非常に変化した形態 die sehr
verwandelte From , die der Mehrwerth als Profit annimmt」(下線
は筆者)の中味は、恐らく「利潤」および「平均利潤」のことである。した
がって、この留保文言は、「第3章」では「剰余価値の利潤への転化」およ
び「利潤の平均利潤への転化」を考察する予定を述べたものであると思われ
ー120ー

る。「地代」は、「第3章 」で考察される「剰余価値が利潤としてとる非常に
変化した形態」のなかには含まれていなかったと思われる。マルクスは、こ
の時点では、地代が利潤や利子と同様に剰余価値の一分肢にすぎないという
認識を持っていたにしても、剰余価値がいかなる中間項を経て必然的に地代
という分岐形態に転化するかという問題を解明することができていなかった
と思われる。地代論の分析の前提となる「生産価格」論の「資本一般」への
「編入」さえいまだ表明していない『学説史』冒頭の段階で、マルクスが、早
くも、地代の分析を「資本一般」の「第3章」において行うことを表明した
ものであると、この『学説史』冒頭文章を理解することはできないであろう。
『学説史』の各所――たとえばノートY・271(MEGA、396;草稿集D106)、
ノート]・461(MEGA、704;草稿集E57)――において「利潤に関する
第3章」という表現が登場することからわかるように、また「資本一般」の
第3部分の表題として「第3章(篇)資本と利潤」が1861- 63年草稿におい
て一貫して保持され続けたことから分るように、「第3章」のテーマとして
彼の念頭にあるものは、 あくまでも「利潤 」および「平均利潤」であると
見るべきであろう。 寧ろ、筆者の見るところ、この『学説史』冒頭文章は、
草稿「第3章 資本と利潤」第1節末尾の次の文章と同主旨であるよう思わ
れる。「第四に、剰余価値と利潤との混同または両者の区別の欠如は、ただ
正当な叙述それだけが問題であるかぎりでは、経済学における最大のばかげ
た誤りの源[であった]。・・・・・・だが、このような批判は、この章の最終部分
[Abschnitt]に属する」(MEGA、1606、草稿集G100-101)。ここで問題に
されていることは、もっぱら、「剰余価値と利潤との混同または両者の区別の
欠如」、言い換えれば「剰余価値の利潤への転化」および「利潤の平均利潤
への転化」の問題であって、これらの問題と同列に「地代」の問題を論じよ
うとはしていない。「価値― 生産価格 」問題の基本的解決が果されていな
いことが明白な草稿「第3章 資本と利潤」の第1節末尾の時点の叙述とし
ては、当然の内容である。 さらに、ノート]・451には次のような叙述が見
られる。「ある商品の価値は、その商品に含まれている支払労働・プラス・
ー121ー

不払労働の量に等しい。ある商品の平均価格は、その商品に含まれている支
払労働 (対象化された労働または生きている労働)の量・プラス・不払労働
の平均的分けまえに等しい。・・・・特定の生産部面では、その価値が前述の意
味での平均価格への還元に従わないような諸事情のもとで仕事をしており―
―こうした勝利を競争に許さない!ような諸事情のもとで仕事をしていると
いうことは、ありうる――私はそれをこの本の対象には属しないのちの研究
に譲る――。こうしたことが、たとえば農業地代または鉱山地代の場合に起
こりうるとすれば・・・・――そのことから当然の結果として、あらゆる工業資
本の生産物は平均価格に まで引き上げられたり引き下げられたりするのに、
農業の生産物は平均価格よりも高いところにあるはずのその価値に等しい、
ということになるであろう」(MEGA、686;草稿集E27-28)。ここでは、草
稿「第3章 資本と利潤」冒頭同様に、地代の考察は「この本の対象には属
さないのちの研究に譲る」とされている。「のちの研究 」とは 、恐らく経
済学批判体系プラン中の「土地所有」のことであろう。こうした考え方に対
応するように、1862年6月18日 付けのエンゲルス宛の手紙でもマルクスは次
のように述べている。 「今ではついに地代の問題も片付いた(といっても、
この部分ではそれをただ暗示しようとさえも思ってはいないが)」46)、と。
「地代の問題」が片付いたとエンゲルスに誇示しているにもかかわらず、そ
の問題を「この巻」で「ただ暗示しようとさえも思ってはいない」というの
である。
 ところが、1862年8月2日 付けのエンゲルス宛の 手紙において、マルクス
は、それまでの方針を変更する考えのあることを表明している。「すぐにこ
の巻のなかで地代論を、挿入された一章として、すなわち以前に立てた一つ
の命題 [ 価値と費用価格とに関する私の理論 ] の『例解』として、取りこ
む」ことを「いま僕はもくろんでいる」47)、と。ここではじめてマルクスは、
地代の問題は「資本一般」のあとの「土地所有」に譲るとしてきたこれまで

46)国民文庫『資本論書簡』@、308-309ページ。
47)国民文庫『資本論書簡』@、310ページ。

ー122ー

の構想を変更して、いま取り組んでいる「この本」・「この巻」の「価値と
費用価格とに関する理論」篇の「挿入された一章」として地代論を取り扱う
という構想を抱くに至っている。さらに、この手紙の恐らく執筆直後48)のノ
ート]T・578-579において、マルクスは、次のように述べている。「ここで問
題であるのは、ただ、価値と費用価格とに関する私の理論の例証として地代
の一般的法則を展開することだけであり、他方、地代の詳細な説明は、私が
特に意図した土地所有を論じることになったときにはじめて与えられるであ
ろう――だから、私は事柄を複雑にするような事情はすべて避けてきたので
ある。・・・・・・これらはすべて、ここには属さない」(MEGA、907;草稿集E
381-382)。ここでは、明確に、「地代の詳細な説明」は「特に意図して土地
所有を論じる」際に行い、「地代の一般的法則」は「価値と費用価格とに関
する・・・・・・理論の例証として・・・ 展開する」という構想を表明している。因み
に、この構想をのちに体系的に位置づけたのがノート][の「第3篇 資本と
利潤」のプラン草案中の「4、地代。(価値と生産価格との相違の例証。)」
である。
 以上の地代論をめぐる構想の変化をみて分かるように、マルクスは、草稿
のノート]に至るまでは、地代の問題の考察を「資本一般」ではなく「土地
所有」の項に全部譲っていたが、しかしノート]〜]Tにおける地代・費用価
格(=生産価格)・平均利潤の諸問題を検討するなかで、次第に「地代の詳

48)1862年8月2日 付けのエンゲルス宛の手紙の執筆直後に 1861- 63年草稿ノート]T
・578-579(MEGA、907;草稿集E381- 382 )が執筆されたと筆者が判断するの
は、 次のような事情があるからである。すなわち 、1862年 8月 2日 付けの手紙で
は、「平均価格 」という用語と「 費用価格 」という用語が並存している ; ノート
]T・529ではじめて登場しノート]T・540以降愛用されることになる「資本の有機
的構成 」という用語が この手紙に登場している ; ノート]・489におそらくはじ
めて登場したと思われる「 絶対地代 」という用語が この手紙に登場していること
から考えて、この手紙はおそらくノート]T・540(MEGA、847;草稿集E281)
以降に執筆されたものと思われ、さらに、ノート]T・551、566(MEGA、866、
891;草稿集E313、355: MEGA, U/3.3, Apparat, 1978, S. 44, 47)におけ
る「 平均価格 」から「費用価格 」へのマルクスによる意識的な書き換えを経たあ
とのノート]T・578- 579では「 費用価格 」という用語がもっぱら使用されている
ことから考えて、 ノートの この箇所は 手紙の直後に執筆されたものと考えられる
からである。

ー123ー

細な説明」は相変わらず固有の「土地所有」論に委ねるとしても、地代の問
題の基本的な部分(「地代の一般的法則」)を目下執筆中の「資本一般」の
「第3篇 資本と利潤」の「挿入された章」において「価値と費用価格とに
関する理論」の「例証」として取り扱ってみてはどうかという構想を持つよ
うになったのである。
 以上のことが確認されるとすれば、われわれは、大村氏の主張――すなわ
ち生産価格論の「資本一般」への「編入」と同様に、地代論の「資本一般」
への「編入」においても、『学説史』のリカード批判は外在的な、比重の軽
い契機をなしているにすぎなく、 転換の論理必然性を なしているのは草稿
「第3章 資本と利潤」第7節にあるという主張――に同意することはでき
ない。大村氏は、草稿「第3章 資本と利潤」第7節において、生産価格の
諸規定の「資本一般」への「編入」を阻んできた「致命的ともいうべき問題」
が克服され、しかも草稿「第3章 資本と利潤」の作成過程を通じて、「価
値―生産価格」の問題の「解決」が基本的に完了していた、その直後の『学
説史』冒頭で早くも明確に「『第3章』――『利潤の章』、『のちにわたしが
証明する』箇所――においては、『平均価格(=生産価格)』や『市場価格』
に関する諸規定が、同章の展開にとって内在的な規定として位置」づけられ
た、と主張されるのであるが、しかし、もしそうであるとすれば、なにゆえ
に、地代の問題を――『学説史』冒頭と同時期の1862年3月 においてではな
くて、また1862年6月執筆のノート]・451 においてでもなく、 それより2
ヶ月も後の――1862年8月になって漸く、「資本一般 」へ「編入」するとい
う構想をマルクスが抱懐することになったのか、大いに疑問とせざるをえな
いのである。
※       ※       ※

 以上、われわれは、マルクスの生産価格論の形成過程をめぐる大村氏の所
説を検討してきた。本稿での検討の中心課題は、大村氏の次のような主張で
ある。すなわち、草稿「第3章 資本と利潤」の体系構想を『資本論』第三
部の構想へ転換するという考えが生じたのは、草稿同章の擱筆時期を前後す
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る時期である;それは、草稿同章第7節において固定資本の価値移転の特殊
性の問題がその行論に理論的に取込まれるようになったからであり、これに
よって草稿同章第6節「生産費」の「致命的ともいうべき問題」の解消にむ
けてマルクスは大きく前進をとげ、「第三章」に生産価格の諸規定を位置づ
けることができるようになった、という主張である。このような大村氏の主
張には、当然、『資本論』の生産価格論の場合にも固定資本の価値移転の特
殊性の問題が重要かつ不可欠な契機として理論的に取込まれていなければな
らない、という主張が含まれている訳であるが、そのような所説の理論的側
面の検討は別の機会に譲ることにして、本稿では、もっぱら、所説の形成史
的側面に注目して問題の検討を行った。
 大村氏の所説の形成史的側面の検討の結果、大村氏の言う固定資本の価値
移転の特殊性の問題がその行論に理論的に取込まれるようになった草稿第3
章第7節以降の時期・箇所においても、マルクスは、多くの場合、生産費を
「前貸資本」に等置して議論を進めているし、固定資本の価値移転の特殊性
の問題に配慮した形で「平均価格」・「費用価格」・「生産価格」を規定し
ている訳では必ずしもない、ということが明らかになった。したがって、草
稿同章第7節においてはじめて固定資本の価値移転の特殊性の問題がその行
論に理論的に取り込まれ、その結果草稿同章第6節「生産費」のもつ「致命
的ともいうべき問題」の解消にむけて大きく前進をとげ、「第三章」に生産
価格の諸規定を位置づけることができるようになった、と言うことはできな
いし、また、それを契機に以後草稿同章の体系構想を『資本論』第三部のそ
れへ転換するという考えが生じた、と言うこともできないであろう。
(まつお じゅん/経済学部教授/1992.1.14受理)

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