『経済経営論集』(桃山学院大学)第29巻第1号、1987年6月発行

  

生産価格論の形成をめぐる最近の論調
――大村泉氏の所説の検討を中心にして――

 

松尾 純

 

T. はじめに――問題状況
 『資本論』の成立史、とりわけ生産価格論の形成をめぐって最近興味深い
議論が展開されている。1)
 最近に至るまでMEGA編集部は、1861ー63年草稿2)における生産価格論
の成立過程について次のような主張を堅持してきた。すなわち、「マルクス
は、『剰余価値に関する諸学説』のなかでその理論 [平均利潤と生産価格の
理論――松尾]を包括的に立証した・・・。・・・・ ノート第16冊でマルクスは、


1)1861ー63年草稿 における生産価格論の形成過程をめぐる議論に関連する最近の
 ――とりわけ、 関係する草稿部分がMEGAその他において公刊されて以後の
――主要な論稿については、拙稿「生産価格論の形成(1)――用語の変遷を手掛り
として――」桃山学院大学『経済経営論集』第28巻1号、1986年6月の注3)を
見よ。それ以降筆者が入手しえた論稿として次のものがある。@鳥居伸好「マル
クス生産価格論の形成」経済学史学会第50回全国大会(早稲田大学)、1986年11
月8日、 レジュメ。A大村泉「絶対地代の発見と『資本一般』――『剰余価値学
説史』『g. ロートベルトゥス氏』と草稿第3章『資本と利潤』との連繋――」
『経済学』(東北大学)第48巻3号、1986年11月。それ以外に勿論、拙稿「生産
価格論の形成」(1)、(2)、(3)、(4)『経済経営論集』第28巻第1号、第2号、第3号、
第4号、1986年6月、10月、12月、1987年4月がある。
2)Karl Marx, Zur Kritik der politischen ökonomie (Manuskript 1861-63),
in: Karl Marx / Friedrich Engels Gesamtausgabe, Abt.U, Bd. 3,Teil 1,
1976 ; Teil 2, 1977 ;Teil 3, 1978 ;Teil 4, 1979 ;Teil 5, 1980 ; Teil 6,
1982,Dietz Verlag.以下この書をMEGAと略記する。引用に際しての訳文は、
Teil 1〜5 部分については、 資本論草稿集翻訳委員会訳『マルクス資本論草稿
集』(以下草稿集と略記する)CDEFG、大月書店、1978、1980、1981、1982、
1984年に従う。幾つかの個所で訳文を変更したが、いちいち断わらない。以下こ
の書から引用に際しては、 引用文直後に MEGA の引用ページと草稿集ペー
ジを次のように略記して示す。例(MEGA, 1974; 草稿集C234)。

ー1ー

『第3章 資本と利潤』という表題のもとではじめて、この理論の体系的な
形での叙述を与えている。」(MEGA、 Abt.U, Bd. 3, Teil 5, S. 8++; 草
稿集G16*)。「マルクスは『剰余価値に関する諸学説』の執筆中に得た彼の
認識に依拠して、ノート第16冊のなかで、剰余価値の利潤への転化、平均利
潤の(および生産価格の)理論、ならびに利潤率の傾向的低下の法則を説い
ている。」(ibid., S. 15++; 草稿集G25*)。以上要するに、平均利潤・生産
価格の理論は「剰余価値に関する諸学説」において「包括的に立証」されて
おり、ノート第16冊では「第3章 資本と利潤」という表題のもとに「『剰
余価値に関する諸学説』の執筆中に得た・・・・認識に依拠して」平均利潤・生
産価格の理論の「体系的な形での叙述」が与えられている、と把えるのであ
る。このようなMEGA編集部の把え方は、1861ー63年草稿中の、「剰余価
値に関する諸学説」部分(ノートY〜ノート]X)と草稿「第3章 資本と利
潤」および「雑録」部分(ノート]Yおよびノート]Z冒頭)との執筆順序に
たいする次のような推定に基づいている。 すなわち、1861ー63年草稿の「第
3の段階は、1862年12月に『資本と利潤』の項目・・・・のための一つの草案を
書くことで始まった。この草案を含んでいるノート第16冊を、マルクスはは
じめ『最終ノート [Heft ultimum] 』と呼んだ。・・・・・・1863年の1月から7月
にかけてマルクスはさらに7冊のノートを書いていった。 はじめ 1863年1月
に彼がつくったノートは、まだ『最終ノート2 [Heft Ultimum 2] 』であ
った。この2冊の『最終』ノートには、その後、16および17というノート番
号がつけられた」(MEGA, Abt. U, Bd. 3, Apparat. Teil 1, S. 10. 草
稿集C44*-45*)。「1862年12月に、マルクスはノート第16冊・・・・ を書いた。
彼はこのノートの表紙へも『12月』と書いた。/ノート 第17冊およびノート
第18冊・・・・・・は、どうやら1枚の共通の表紙をもっていたようである。・・・
日付は、『1862年1月』となっている。この誤った年号は、マルクスがこのノ
ートを書き始めたのが、彼が新しい年号にまだあまりなれていなかった1863
年1月であったことを推測させる」(ibid., S. 14; 草稿集C52*-53*)。以上
要するに、MEGA編集部は、「最終ノート2」(=ノート]Z)の表紙の日
ー2ー

付「1862年1月 」は「1863年1月 」の誤記であり、「最終ノート」(=ノー
ト]Y)の表紙の日付「12月」は1862年の「12月」のことであり、したがっ
て草稿「第3章 資本と利潤 」および「雑録 」は「剰余価値に関する諸学
説」(1862年3月−11月執筆と推定)以降に執筆された、 と推定するのであ
る。このような執筆順序の推定からMEGA編集部は、草稿「第3章 資本
と利潤」における平均利潤論や「標準価格」論は「諸学説」における研究を
ふまえたものであると主張する訳である。
 ところが、このMEGA編集部の執筆順序の推定に対して異論が表明され
た。それは、大村泉氏の次のような主張である。3) すなわち、ノート]Zと
ノート][の「共通の表紙における『ノート終わり、2。・・・・』に対応する
のは、『・・・・・ノート終わり。・・・』としてのノート]Y/・・・にたいするノー
ト]Z、1022ー1028ページ記載の『雑録』に限定されるであろう。したがっ
てまた、この『ノート終わり、2・・・・・・』の1行下の日付、『1862年1月』は、
これを『雑録』の起筆時期にかかわる日付と理解することがもっとも合理的
であろう。・・・・・・/・・・ノート]Yの表紙における『12月』は、これを1861年
12月と理解するほかないであろう。」4)。このように、大村氏は、ノート]Y
の表紙の日付「12月」は1861年の12月のことであり、ノート]Zの表紙の日
付「1862年1月 」はMEGA 編集部の言うようなマルクスの誤記ではない、
したがって、草稿「第3章 資本と利潤」および「雑録」は「諸学説」に先
行する1861年12月−1862年3月に執筆された、と推定するのである。

3)MEGA編集部の執筆順序の推定に異論を表明した大村氏の主要論稿として次の
ものがある。B「一般的利潤率・生産価格と剰余価値の利潤への転化」『北海学
園大学経済論集』第30巻第3号、1982年12月。C「生産価格と『資本論』第3部
の基本論理(上)(中)(完)」『経済』227、228、229号、1983年3、4、5号。D『論
文集「資本論」第二草稿』(Der zweite Entwurf des ≫Kapital≪) (ベルリン、
1983年)の刊行によせて(上)」『経済』240号、1984年4月。E「草稿『第3章 
資本と利潤』=1862年12月作成説にたいして」――同稿は、吉田文和「ふたたび
『機械論草稿』について」『経済』241号、1984年5月に「<付記>原伸子氏の批
判に接して」の「二」として所収。FÜber die Entstehungsphasen des
"Dritten Capitel. Capital und Profit" und "Miscellanea" : Dezember 1862
oder Dezember 1861?, Beiträge Zur Marx-Engels-Forschung. Bd. 16, 1984.
4)大村論文C(完)、304ページ。

ー3ー

 ところが、最近になって、MEGA編集部も、大村氏らの批判を受け入れ
て、執筆順序の推定を大きく変更しつつある。その一端として、M・ミュラ
ー、W・フォッケ共同論文「マルクスの草稿『経済学批判』(1861年〜1863
年)に含まれている『第3章 資本と利潤』はいつ成立したのか?」5)が発表
され、MEGA編集部による草稿「第3章 資本と利潤」の作成時期の推定
が訂正され、その訂正された作成時期にもとづいて、『資本論』成立史に関
する新たな――といっても基本的には、あとでも見るように、「諸学説」を
重視する点で少しも変わっていない――見解が指示された。
 「新たな内容上の分析と外的な諸標識の比較研究とをつうじて、少なくと
もこの章 [「第3章 資本と利潤」――松尾] の主要部分は、『学説史』の
まえに・・・・・・書きとめられたことをしめす典拠がますます増大してきた。」6)
「ノート]Yおよびノート]Zの最初の数ページは、1861年12月ないし1862
年1月に書かれたものと考えてまちがいない」。7) このような推定にもとづい
て共同論文は、生産価格論の成立史に関して次のように主張した。「たしか
にマルクスは、第3章で剰余価値と利潤とを、また利潤と平均利潤とを相互
に区別している。だが、 競争の二重作用、 価格均衡化の二重の運動につい
ての言及はいっさいみられず、『標準価格』と『現実的な価格』との区別が
存在するだけである。/ところが、マルクスは、『学説史』の仕事をすすめ
るうちに、価値は・・・・直接的には生産価格として現象するということに気づ

5)Manfret Müller / Wolfgang Focke, Wann entstand das "3 Capitel; Capital
und Profit", das in Marx' Manuskript "Zur Kritik der politischen Ökoー
nomie" von 1861 bis 1863 enthalten ist?, Beiträge zur Marx-Engels-
Forschung, Bd. 16, 1984. MEGA編集部による執筆時期の変更は、G大村泉
「新『 メガ 』編集者による編集訂正と『資本論』成立史の新たな時期区分――
『マルクス=エンゲルス研究論集』第16集( Beiträge zur Marx-Engels-Forー
schung, Heft 16, Berlin,1984)による私見の公表によせて――」『経済』259
号、1985年11月、H大村泉・大野節夫「DDRでの二つのコロキウムに参加して」
『経済』261号、1986年1月によってその事情を知ることができる。 論文H では
M.ミュラーや W.ヤーンのその後の見解が紹介されているが、 やや大村氏の見
解に引きつけたものになっているように思われてならない。詳細な続報が期待さ
れるところである。
6)Manfret Müller/Wolfgang Focke, ibid., S. 175.
7)ibid., S. 176-177.

ー4ー

いていたのであって、それゆえ彼は、価値の生産価格への転化にかんする理
論として、両者の相関連する叙述をおこなおうと決心したのである。1862年
8月 2日 付のエンゲルスにあてた手紙で、彼は、このことをはっきりとつぎ
のように書いている。『ところで、私は、この巻に挿入された章として、す
なわち、以前に立てた命題の『例解』として、地代論を取り込もうとちょう
ど考えたところだ。』この命題に含意されているのは、価値−生産価格の解
決である」。8) 「第3章」の仕事をマルクスは、「『資本一般』の枠組みのなか
で一貫してすすめていた」9)が、「『学説史』においてはじめて、彼は、この
枠組みを『揚棄』することをはっきりと意識することになった」。10)以上を要
約すると次のようになる。すなわち、「たしかにマルクスは、第3章で剰余
価値と利潤とを、また利潤と平均利潤とを相互に区別している」が、しかし
「競争の二重作用、価格均衡化の二重の運動についての言及はいっさいみら
れず、『標準価格』と『現実的な価格 』との区別が存在するだけである」。
それは、「第3章」の仕事をマルクスが「『資本一般』の枠組みのなかで一貫
してすすめていた」証左である。「『学説史』においてはじめて、彼は、この
枠組みを『揚棄』することをはっきりと意識することになった。」「『学説史』
の仕事をすすめるうちに、価値は・・・・直接的には生産価格として現象すると
いうことに気づいた」。そこで彼は、「平均利潤や生産価格の理論・・・・・は、
『ただ例解』として『のみ』、予定されていた資本関係の叙述に挿入しよう
ときめた」、10)と。
 以上、共同論文は、@草稿「第3章 資本と利潤 」の作成時期について、
それは、「剰余価値に関する諸学説」の起筆(1862年3月 )以前の1861年12
月〜1862年1月 であると推定することによって、MEGA編集部の作成時期
推定の誤りを(自己)批判し、A生産価格論の成立について、「剰余価値に
関する諸学説」においてはじめて「競争の二重作用、価格均衡化の二重の運
動」や「価値は・・・・・直接的には生産価格として現象する」という問題の解決

8)ibid., S. 178.
9)ibid., S. 178.
10)ibid., S. 178.

ー5ー

がはかられたと主張することによって、基本的にMEGAの従来説を継承・
堅持しようとしている、と見ることができよう。
 この共同論文に対する大村氏の評価は当然次のようになる。 論点@ 草稿
「第3章」の作成時期の推定については、基本的には「異存がない」11) が、
論点Aについては、「共筆稿の著者たちがいうように、マルクスが『価値−
生産価格』の問題を『解決』し、『価値は・・・・直接的には生産価格として現
象する』ということに『気づいた』のは、・・・ノート]〜]V=リカードウ批
判」においてではない12)と批判する。
 そこで、以下、この論点Aすなわち生産価格論の形成過程についての大村
氏の主張を詳しく検討することにしよう。

U. 生産価格論の形成についての大村氏の所説
 1)まず大村氏は次のように問題を提起される。「マルクスが『資本一般』
という概念のなかに生産価格や市場価値・市場価格の諸規定を編入したのは
いかなる時期なのであろうか」、13)と。この問題を考えるために、大村氏は、
次の4つの文章を引用される。
 [引用文@] 「商品の市場価格は、需要と供給との関係が変動するにつれ
て、その交換価値以下に下がったり、それ以上に上がったりする。だから商
品の交換価値は、需要と供給との関係によって規定されているのであって、
それにふくまれている労働時間によって規定されているのではない。じっさ
い、この奇妙な推論では、交換価値の基礎のうえでそれと異なる市場価格が
どうして展開されるのか、もっと正しくいえば、交換価値の法則はどうして
それ自身の反対物でだけ実現されるのか、という問題が提起されているだけ
である。この問題は競争論で解決される。」14)


11)大村論文G、297ページ。
12)同上、311ページ。
13)同上、311ページ。
14)Karl Marx, Ökonomische Manuskripte und Schriften 1858-61, in : Karl
Marx/Friedrich Engels Gesamtausgabe, Abt. U, Bd. 2, 1980, S. 139, 資
本論草稿集翻訳委員会訳『マルクス資本論草稿集 』B、大月書店、1984年、 262

ー6ー

 [引用文A] 「労働の価値の水準でさえも、同一の国におけるブルジョア
的時代のさまざまな時期を比較すれば、上下している。だが最後に、労働能
力の市場価格は、あるときはその価値の水準以上に上がり、あるときはそれ
以下に下がる。これは他のすべての商品についていえるのと同じであって、
ここでは、すなわち諸商品が等価物として交換される、あるいはそれらの価
値を流通で実現する、という前提からわれわれは出発するここでは、どうで
もよい事情である(商品一般の価値は、 労働能力の価値とまったく同様に、
現実には、騰落する市場価格を相殺したときにえられるそれらの平均価格と
してあらわされるのであり、これによって諸商品の価値が市場価格のこれら
の変動そのもののなかで実現され、実証されるのである)」( MEGA, 39;
草稿集C64-65)。
 [引用文B] 「商品の市場価格はもちろんその価値よりも高いか低いかで
ある。たしかに、のちに私が証明するように、商品の平均価格でさえ、つね
にその価値とは相違する。ところが、A・スミスは、自然価格にかんする考
察において、このことになんらふれていない。つけくわえておけば、価値の
性質にたいする洞察が基礎になければ、諸商品の市場価格も、またいわんや
諸商品の平均価格の動揺も理解されえないのである」(MEGA, 386, 草稿
集D90)。
 [引用文C] 「・・・・・・市場価格のたえざる動揺、その高騰と低落は、補正
し合い、互いに相殺し合って、その内的基準としての平均価格に自らを還元
する。この基準は、たとえば、比較的長い時期にわたるすべての企業におい
て、商人または工業家の導きの星となる。すなわち、彼は、比較的長い期間
を前提としてみれば、諸商品が現実にその平均価格よりも安くも高くもなく
その平均価格で売られるということを知っている。したがって、利害関係を
離れても考えることにいやしくも彼が関心をもつとすれば、彼は資本形成の
問題をつぎのように設定しなければならないであろう――諸価格が平均価格
によって、すなわち究極においては商品の価値によって規制される場合に、

ページ。

ー7ー

資本はどのようにして発生しうるのか? と。 私がここで『究極において』
というのは、平均価格は、A・スミス、リカードウなどが信じているように
商品の価値の大きさと直接に一致するものではないからである」。15)
 以上4つの文章を引用したのち大村氏は次のように言われる。「時期的な
点からいえば、前二者と後二者とのあいだに草稿『第3章 資本と利潤』が
はいる。 引用文@ではそこに明言されているとおりであるが、 この『第3
章』の作成時期を考慮すれば、引用文Aにおいても、マルクスは、生産価格
や市場価値・市場価格の諸規定を、『第3章』=『資本一般』ではなく、『資
本一般』の続編(章)としての『競争』論で解明しようと考えていた、と理
解してもなんら問題はないであろう」。16) 「引用文@、Aにおいては、商品の
市場価格の動揺は、商品の価値をめぐって、価値を中心に生じるものとされ
ている。・・・・・/・・・引用文B、Cでは、商品の市場価格の動揺を相殺したと
きにえられる『平均価格』は、『つねにその価値とは相違する』、あるいはた
だ『究極において』のみ価値によって『規制される』と正しく規定されてい
る。・・・・・・こうした事実関係は、マルクスが、草稿『第3章 資本と利潤』を
はさむある時期に、部門内競争と部門間競争の基本的な相違を明瞭に意識す
るようになったということを まさに事実としての重みにおいて しめしてい
る」。17) 「マルクスは、引用文@、Aを執筆していた当時は、生産価格や市場
価値・市場価格の諸規定を、『第3章 資本と利潤』=『資本一般』におい
てではなく、『資本一般』の続編(章)としての『競争』で取り扱う構想を
有していた。・・・・引用文Cの時点では、そうした諸規定が『資本一般』の枠
組みに編入されていたことはいうまでもない。・・・・・・ここ[引用文B]ではマ
ルクスは『のちに私が証明するように、商品の平均価格でさえ、つねにその
価値とは相違する』、と述べている」。18)とすれば、「のちに私が証明する」
個所とは具体的には「引用文@、Aにおけると同様、『第3章』=『資本一

15)Karl Marx, Das Kapital, Bd. 1, MEW , Bd. 23, Dietz Verlag, 1962, S.
180-181.
16)大村論文G、312ページ。
17)同上、312-313ページ。
18)同上、313ページ。

ー8ー

般』ではなく、『資本一般』の続編(章)としての『競争』論」であると考え
ることはできないであろう、19)と。以上要するに、 大村氏は、草稿「第3章
資本と利潤」に先行する引用文@Aの時点では、マルクスは、生産価格の諸
規定を「第3章」=「資本一般」ではなく、「資本一般」の続編(章)とし
ての「競争」論で解明しようと考えていたのに対して、草稿「第3章 資本
と利潤」に後続する引用文Bの時点ではすでに、「のちに私が証明するよう
に、商品の平均価格でさえ、つねにその価値とは相違する」と述べ、「価値
−生産価格」問題は「資本一般」の続編(章)としての「競争」論ではなく、
「第3章」=「資本一般」において議論されると考えている、と主張するの
である。
 このような推論が成立するかどうかは、引用文Bにおいて「のちに私が証
明するように、商品の平均価格でさえ、つねにその価値とは相違する」とい
う場合の「のちに」とは具体的には、「資本一般」中の「第3章 資本と利
潤」のことなのか、それとも「資本一般」の続編としての「競争」論のこと
なのか、という点に掛かっているといえよう。
 大村氏の主張の根拠は何か。
 [引用文D] 「すべての経済学者が共通にもっている欠陥は、彼らが剰余
価値を純粋に剰余価値そのものとしてではなく、利潤および地代という特殊
な諸形態において考察している、ということである。このことからどんなに
必然的な理論上の誤りが生じざるをえなかったかは、第3章で、剰余価値が
利潤としてとる非常に変化した形態を分析するところで、さらに明らかにさ
れるであろう」(MEGA, 333; 草稿集D5)。
 [引用文E] 「利潤において、剰余価値が前貸資本の大きさにたいして
計算されるのであり、しかもこの修正のほかに、なお、資本のいろいろな生
産部面における諸利潤の均等化によって新しい修正がつけくわわる。アダム
は、剰余価値をなるほど事実としては説いているが、しかしその特殊な諸形
態から区別された一定の範疇の形態ではっきりと説いていないために、すぐ

19)同上、313ページ。

ー9ー

あとで彼は、剰余価値を、利潤というさらに発展した形態と直接に混同して
しまう。この誤りは、リカードウやそのすべての後継者においても、そのま
まである。このことから(とくにリカードウの場合には、 いっそう明白に、
というのは彼の場合には価値の根本法則がもっと体系的な統一性と首尾一貫
性とをもって貫徹されており、したがってまた前後撞着と矛盾もより明瞭に
あらわれているからである)、一連の前後撞着、解決されない矛盾と無思想
ぶりとがでてくる。これをリカードウ学派の人たちは(のちにわれわれが利
潤にかんする章においてみるように)もののいいまわしによってスコラ哲学
的に解決しようというのである」(MEGA、 380-381; 草稿集D81-82)。
 「剰余価値に関する諸学説」冒頭から以上2つの文章を引用して、大村氏
は次のように言う。「これら2つの引用文においては、先行諸学説の、なか
んずく、古典経済学の根本的な欠陥が、剰余価値と利潤との混同にあるとい
うことが、とくに強調されている。・・・ この剰余価値と利潤との相違・・・が、
価値を生産価格に転化する最大の理由であるが、両者がそうした関係にある
とすれば、生産価格が価値から区別される価格であり、しかも価格が市場価
格の変動の中心になるとういこと、こうした事柄は、剰余価値と利潤とを混
同しているかぎりけっして明白にならないであろう。・・・そうだとすれば・・・
・・・これらの2つの引用文D、Eで強調されている事柄と、さきの引用文C、し
たがってまた、引用文Bで強調されている事柄とは、まったく同一の延長線
上にあるといわなければならない。 かくしてまた、これら2つの引用文D、
Eにマルクスのいわゆる『第3章』あるいは『利潤にかんする章』は、引用
文Bにマルクスのいわゆる『のちに私が証明する』個所と一致するとみてな
んら支障は生じないであろう」、20)と。 要するに、「剰余価値−利潤」問題と
「価値−生産価格」問題は表裏一体の関係にあり、したがって引用文BCD
Eでは「まったく同一の延長線上にある」事柄が強調されている、したがっ
てその事柄・問題が、引用文DEで「第3章」=「利潤にかんする章」に属
するとされている以上、引用文Bの「のちに私が証明する」個所とは「第3

20)同上、314ページ。

ー10ー

章」=「利潤にかんする章」以外にはありえない、と言うのである。
 かくて、大村氏は次のように言う。すなわち、引用文Bにおいて「価値と
『平均価格』との相違については、『後に』『証明する』と述べられている
が、ここでマルクスがいう『後に』『証明する』個所とは、草稿当該個所の
前後の文脈からいって・・・・第3章『資本と利潤』以外ではあり得ない。この
ことは、マルクスが、草稿第3章『資本と利潤』の執筆以降、『学説史』起
筆=1862年3月の間に、 生産価格の諸規定を『資本一般』に編入したことを
意味する」、21)と。
 2)ところで、生産価格の諸規定の「資本一般」への編入が、「草稿「第
3章 資本と利潤」の起筆(=1861年12月)以降「剰余価値に関する諸学説」
の起筆(=1862年3月)のあいだ」22)に行われたというのであれば、それは
「マルクスのいかなる研究を媒介にして生じたのか」、22)ということが問題に
なるであろう。大村氏は草稿「第3章 資本と利潤」の作成過程にそれを求
めることができると言う。
 大村氏は次のように説明される。すなわち、まず、草稿「第3章」第1節
の末尾には、「競争によって『平均利潤が形成される』と、『商品の現実の
価格は・・・・本質的に修正され、商品の価値とは相違することになる』。ある
いは、『剰余価値と利潤との混同または両者の区別の欠如は、ただ正当な叙
述それだけが問題であるかぎりでは、経済学における最大のばかげた誤りの
根源』であった・・・」、ということが述べられているが、「こうした一連の言
及のなかに・・・・引用文B、C、D、Eにおける諸規定と同一主旨の諸規定を
みいだすことができる」。23) また、「第6節『生産費』『g・・・』では、概略次
のように述べられている。/・・・[MEGA, S. 1623-1630 の要約――松尾]
・・・・・・/以上が草稿第3章『資本と利潤』における『利潤の平均利潤への転
化』論の核心部分である。ここで最も注目すべきは、・・・・『標準価格』に触
れた留保文言が、こうした一連の文脈を受けたもの、一層厳密に言えば、こ

21)大村論文A、52-53ページ。
22)大村論文G、315ページ。
23)同上、315-316ページ。

ー11ー

の一連の文脈末尾にいわゆる『第2の場合』を、『したがって、第2の場合
には』、と直接受けたものであったことこれである。この留保文言では、『第
2の場合には』と述べられた後、そうした場合には、諸商品の『標準価格で
さえもが、それらの価値から相違する』、とされていたのであった。留保文言
に至る文脈が上述したものである限り、留保文言にいわゆる『標準価格』の
内容として、上の一連の文脈で解明されている一般的利潤率の規定性を挙げ、
価値の内容として、これもまたこの文脈で解明されている異種部門間におけ
特殊的利潤率の相違を挙げたとしても何ら支障はないであろう」。24)したが
って、「草稿『第3章 資本と利潤』の擱筆の段階でマルクスが、生産価格
や市場価値・市場価格の全面的な解明にいついかなる時点において取り組む
ことになったとしても、なんら不思議ではないという理論的水準に到達して
いた」。25) 「資本間『競争の二重作用、価格均衡化の二重の運動』にかんする
基本的な認識を確立したのは、・・・・草稿『第3章 資本と利潤』の作成過程
をつうじてのことであった」。26)
 かくて、大村氏の所説は次のように纒めることができよう。@生産価格の
諸規定が「 資本一般 」のなかに編入されたのは、 草稿「 第3章 資本利
潤」の起筆(1861年12月)以降「剰余価値に関する諸学説」の起筆(1862年
3月)のあいだである、Aそれが可能であったのは、 草稿「第3章 資本と
利潤」の作成過程をつうじて、「価値−生産価格」の問題の「解決」が基本
的に完了していたからである、と。
 3) さらに、大村氏は、生産価格の諸規定が「資本一般」のなかに編入さ
れることになったモチーフは 何かという問題を提起され、 それに答えて次
のように言われる。すなわち、「一般的利潤率の形成と商品価値の生産価格
への転化とは、本来統一的に・・・・同一の論理次元で、解明すべき課題である
といわなければならない。・・・・部門内競争は、異種部門間競争を前提にしな
がら、それを媒介する関係にあり、したがってまた、この部門内競争も、一

24)大村論文A、54-55ページ。
25)大村論文G、318ページ。
26)同上、319ページ。

ー12ー

般的利潤率とともに解明されなければならない関係にある。・・・・/・・・・かか
る一連の諸規定はすべて、『剰余価値の利潤への転化』⇒『利潤の平均利潤
への転化』⇒『利潤率の傾向的低下』・・・・という一連の体系的な展開のなか
で、統一的に解明される必要がある・・・・・。・・・そうした体系構成を一方で採
用しておきながら、他方において、一般的利潤率の諸規定だけはその内部で
解明し、生産価格や市場価値・市場価格の諸規定は、そうした枠組み=『資
本一般』から疎外し、その続編(章)としての『競争』論にゆだねるという
のは、これら四者のカテゴリー間の内的連関を無視した、誤った見地である
・・・・。・・・・草稿『第3章 資本と利潤』の体系構成にみられる積極的な側面
を徹底純化し、完成しようというのであれば、そうした『第3章』の内部に、
生産価格や市場価値・市場価格の諸規定を『編入』することを、『第3章』
を起筆した段階ですでに宿命づけられていた」27)、と。以上要するに、一般
的利潤率の形成と価値の生産価格への転化とは一連の体系構成のなかで統一
的に解明される必要があるにもかかわらず、一般的利潤率の諸規定は、そう
した体系構成を採用してその内部で解明しながら、他方の生産価格の諸規定
は、その枠組みから疎外し続編としての「競争」論にゆだねるという体系構
成上の内的矛盾が草稿「第3章」にあり、この体系構成上の内部矛盾が「編
入」・「転換」のモチーフである、と言われるのである。
 以上、われわれは、生産価格論の形成にかんする大村氏の所説を、@生産
価格の諸規定が「資本一般」へ「編入」されたのは何時か、A「価値−生産
価格」の問題の「解決」を基本的に完了したのは何時・何処でか、B生産価
格の諸規定の「資本一般」への「編入」をもたらしたモチーフはなにか、と
いう3点について見てきたが、筆者は、これら3点すべてについて大村氏と
理解を異にする。以下、その理由を詳しく述べるとしよう。

V. 生産価格の諸規定の「資本一般」への「編入」時期について
 生産価格の諸規定が「資本一般」に「編入」されたのは、「草稿『第3章


27)同上、320ページ。

ー13ー

資本と利潤』の執筆以降、『学説史』起筆=1862年3月の間 」である、とす
る大村氏の所説@の根拠は、引用文Bにおける価値と「平均価格」の相違に
ついて「のちに私が証明する」個所とは「利潤に関する章」=「第3章 資
本と利潤」以外にはありえないとする文言解釈にある。筆者は、まず、大村
氏のこのような引用文理解に同意することができない。
 大村氏は、引用文DEで強調されている事柄と引用文Bで強調されている
事柄とは「まったく同一の延長線上にある」、したがって引用文DEの「第
3章」=「利潤にかんする章」は引用文Bの「のちに私が証明する」個所と
一致する、といわれる。しかし、はたしてそのように考えることができるであ
ろうか。
 この問題についての筆者の考えは以下の如くである。
 まず引用文Dについて。ここで述べられていることは、「剰余価値そのも
の」と「利潤および地代という特殊な諸形態」とを区別しない経済学者たち
を批判し、彼らの誤りは、「剰余価値が利潤としてとる非常に変化した形態
を分析する」・「第3章で・・・さらに明らかになるであろう」、ということで
ある。したがって、ここでは、「剰余価値の利潤への転化」という問題がは
っきり指摘され、そして、その問題は、まず「剰余価値に関する諸学説」項
で考察され、「さらに」「第3章」で考察されるという構想が表明されている、
と理解することができる。 こうした明確な問題意識と構想をもちえたのは、
すでに草稿「第3章 資本と利潤 」において「剰余価値の利潤への転化」・
「利潤の平均利潤への転化 」論が詳しく展開されていたからである。 草稿
「第3章 資本と利潤」の主題は、大雑把に見て、あくまでも「剰余価値の
利潤への転化」「利潤の平均利潤への転化」という2つの転化論と「利潤率
の傾向的低下」論であって、これらの考察を受けたものがこの『学説史』冒
頭の文章であり、それゆえにこそ、ここでは剰余価値と利潤、剰余価値率と
利潤率の問題のみが指摘され、「 価値−生産価格 」の問題が指摘されてい
ない、と理解すべきである。 次に、 引用文Eについて言うと、 ここでは、
剰余価値と利潤とのあいだの2つの「 修正 」問題――すなわち「資本のう
ー14ー

ち、 賃金を構成しそれに投下される部分だけから、 剰余価値が生じる」の
にたいして「利潤においては、剰余価値が前貸資本の総額にたいして計算さ
れる」という「修正」問題と、「資本のいろいろな生産部面における諸利潤
の均等化」という「修正」問題――が指摘され、さらに剰余価値と利潤を混
同する経済学者たちの誤りが指摘され、これらの問題は「利潤にかんする章
において見る」、ということが述べられている。したがって、ここでは、2
つの「修正」問題、すなわち「剰余価値の利潤への転化」問題および「利潤
の平均利潤への転化」問題は「利潤にかんする章」で論じられる、というこ
とがはっきり表明されているだけで、「価値−生産価格」の問題には言及さ
れていない。ここでのこうした叙述も、草稿「第3章 資本と利潤」におけ
る「剰余価値の利潤への転化」・「利潤の平均利潤への転化」についての詳細
な議論を念頭においたものであろう。かくて、引用文Dと引用文Eに共通す
ることは、どちらにおいても、中心問題は剰余価値→利潤→平均利潤という
2つの転化問題であり、それらが「第3章」あるいは「利潤にかんする章」
に属するということがはっきり指摘されているが、しかし、価値と相違する
「標準価格」・「平均価格」問題についてはいっさい述べられていない、とい
うことである。ところが、引用文Bについてはどうか。ここでは、「商品の
平均価格でさえ、つねにその価値とは相違する」という問題は「のちに私が
証明する」、と述べられている。引用文DEでは「剰余価値の利潤への転化」
・「利潤の平均利潤への転化」論は「第3章」=「利潤にかんする章」に属す
ると明言されているのに、この引用文Bでは「平均価格」論は「のちに私が
証明する」とだけ言われ、「第3章」=「利潤にかんする章」に属すると言
われていない。このような相違は単なる偶然のことではないようにに思われる。
この頃マルクスにとっては、平均利潤の問題は「第3章 資本と利潤」で論
じることははっきりしていたが、「平均価格」論については、平均利潤論に
関連させて随附的に言及し、そうした問題圏が存在することだけは認識して
いたが、その問題をどこで論ずるかは未定であり「のちに私が証明する」と
いう曖昧な表現をとったものと思われるのである。というのは、草稿「第3
ー15ー

章」でも、引用文Bでも、「商品の平均利潤」・「標準価格」は「その価値と
は相違する」と述べられてはいるけれども、しかし、なぜそのような相違が
生じるのか、またその相違の内容はどういうものなのかという肝心の点につ
いては、いっさい明らかにされていなかったからである。マルクスにとって
まだその問題の解明が果されていなかったから、差し当って詳しく言及する
つもりがなかったのであろうと考えられる。
 したがって、このような引用文DEと引用文Bとの相違を無視して、次の
ように言うのは早計と言わざるをえない。「後者 [引用文DEB―― 松尾]
においては、商品価値とこの『平均価格』とは直接的には一致しない、そう
した『平均価格でさえ、常にその価値から乖離する』とされ、しかもその根
拠は、正当にも利潤率の均等化をめざす異部門間競争にあるとされている。
だがそれだけではない。そこではこうした諸点の詳細は、『第3章』(=『資
本と利潤』=『資本一般』)において取り扱われるべき課題であるともされて
いるのである。明らかに、こうした『平均価格』論の位置付けは、草稿ノー
ト]Y記載の第3章『資本と利潤』のそれとは異なるものである。・・・・ノー
トYにおける『平均価格』のとらえ方・位置付けは、この時点ですでにマル
クスが価値−生産価格の問題を基本的に解決しているということをしめして
いる」。28)
 ところで、大村氏は、引用文Bの「のちに私が証明する」という文言解釈
だけによって問題を処理しようとしているわけではけっしてない。
 というのは、氏は次のような推論をされているからである。すなわち、(a)
引用文DEでは「先行諸学説の、なかんずく、古典経済学の根本的な欠陥が、
剰余価値と利潤との混同にあるということが、とくに強調されている。・・・・
この剰余価値と利潤との混同、あるいは同じことであるが、剰余価値は剰余
価値そのものとしては現象せず、つねに利潤という形態をとって現象し、資本
の運動の規定目的が極大利潤にあるということ、このことが、価値を生産価
格に転化する最大の事由であるが、両者がそうして関係にあるとすれば、生

28)大村・大野論文H、315ページ。

ー16ー

産価格が価値から区別される価格であり、しかもそうした価格が市場価格の
変動の中心になるということ、こうした事柄は、剰余価値と利潤とを区別し
ているかぎりけっして明白にはならないであろう」。29)ー→(b)「そうだとすれ
ば・・・・・・引用文D、Eで強調されている事柄と、・・・引用文Bで強調されてい
る事柄とは、まったく同一の延長線上にあるといわなければならない 」。30)
―→(c)「引用文D、Eにマルクスのいわゆる『第3章』あるいは『利潤にか
んする章』は、引用文Bにマルクスのいわゆる『のちに私が証明する』個所
と一致するとみてなんら支障は生じないであろう」。31)
 見られるように、大村氏は、(a)「剰余価値−利潤」の問題と「価値−生産
価格」の問題との間には表裏一体の関係があるという理論的関係から出発し
て、(b)引用文DEと引用文Bとは同じ事柄を強調しているはずであると推論
し、さらにそこから(c)引用文DEの「第3章」=「利潤にかんする章」は、引
用文Bの「のちに私が証明する」個所とは同じ個所であるにちがいない、と
推論されるのである。大村氏は、引用文のDEにおいてマルクスが「剰余価
値−利潤」の問題に言及している場合、マルクスはその論述の背後に「価値
−生産価格 」の問題を十分意識し了解していたと理解しなければならない、
引用文DEの行間をそのように読み込むべきである、 と言われるのである。
 しかし、引用文DEをそのように読むべきかどうかは、むしろ、引用文D
Eの「第3章」と引用文Bの「のちに」が同じ個所をさす文言であるかどう
かが判明した後に論じられうることである。大村氏の推論は形成史研究の方
法としては逆である。問題は、引用文DEの「第3章」と引用文Bの「のち
に」とが同じ個所をさすものなのかどうかということを究明することであり、
もし両者が同じであればそこではじめて引用文DEと引用文Bでは同じ事柄
が強調されているのではないかという推論や、マルクスはその当時両者の関
連を十分意識し了解したうえで論述しているのではないかという読み込みが
可能になるのである。形成史研究においては、問題の理論的把握から形成史

29)同上、314ページ。
30)同上、314ページ。
31)同上、314ページ。

ー17ー

を推論すべきではなくて、 形成史的関係を踏まえて 問題の理論的関係を云
々していくべきである。そうでなければ形成史研究は無用である。問われてい
るのは、まさに引用文D Eを大村氏のように読み込むべきかどうかである。
したがって、ここでの大村氏の推論は、推論の結論とすべきことを推論の出
発点としているといわざるをえない。

W. 「価値−生産価格」問題を基本的に「解決」した時期・個
所について

 大村氏は、生産価格の諸規定の「資本一般」への編入が、草稿「第3章 
資本と利潤」(1861年12月)以降「剰余価値に関する諸学説」の起筆(1862
年 3月)の間に行われえたのは、 マルクスが 草稿「 第3章 資本と利潤」
の作成過程をつうじて、「価値−生産価格」の問題の「解決」を基本的に完
了していたからである。と主張されている。だが、はたして、草稿「第3章
資本と利潤」の理論的水準・内容をそのようなものと見ることができるであ
ろうか。筆者にはそのように見ることができない。
 大村氏は、ノート]Y・977の「商品の現実の価格は、・・・・・本質的に修正
され、商品の価値とは相違することになる」(MEGA,S. 1606; 草稿集G
99)という叙述や、ノート]Y・993の「こういうわけで、第2の場合には、
利潤と剰余価値とのあいだに、それと同時に商品の価格と価値とのあいだに、
本質的な相違が現われる。 そのことから、 諸商品の現実の価格が――それ
らの標準価格 さえもが、 それらの価値と 相違するということ が生じる」
MEGA, S. 1630; 草稿集G139)という叙述を引用し、そこに言及され
ている「標準価格」は、先行する平均利潤論を直接受けたものであり、この
「標準価格 」のなかに先行する平均利潤論を織り込んで理解すべきであり、
そうした場合「草稿『第3章 資本と利潤』の擱筆の段階でマルクスが、生
産価格や市場価値・市場価格の全面的な解明にいついかなる時点において取り
組むことになったとしても、なんら不思議ではないという理論的水準に到達
していた」32)ことがわかる、と主張される。しかしながら、大村氏が重視す

ー18ー

るこれらの叙述をこのように一面的に理解することができるであろうか。
 筆者はこれらの叙述部分(引用文FG)を以下のように理解すべきである
と考える。
 [引用文F] 「競争関係がここで(その展開そのものに属するものとして
ではなく)例証のために考察されるかぎりでは、その競争関係は、個々の資
本家の得る剰余価値が実際には決定的なものではない、ということを必然的
に伴っている。なぜならば、平均利潤が形成されるから・・・である。・・・・・そ
のために、商品の現実の価格は、――市場価格の変動を別にして――本質的
に修正され、商品の価値とは相違することになる。それゆえ、個々の資本家
は、彼自身によって生みだされた剰余価値が彼の得る利潤のなかにどれぐら
いはいっているのか、はいっていないのか、また、資本家階級によって生みだ
された剰余価値の一部分が彼の商品の価格のなかにどれぐらいはいっている
のか、 ということを云々することはできないし、 また知らないのである」
(MEGA, 1605-1606; 草稿集G99)。
 [引用文G] 「こういうわけで、第2の場合には、利潤と剰余価値とのあ
いだに、それと同時に商品の価格と価値とのあいだに、本質的な相違が現わ
れる。そのことから、諸商品の現実の価格が――それらの標準価格さえもが、
それらの価値と相違するということが生じる。 このことをもっと 詳しく研
究することは、競争の章に属するが、そこではまた、 商品の価値の変革が、
諸商品の標準価格とそれらの価値とのこのような差異とは別に、商品の価格
をどのように修正するかということを証明しておくべきである。/ しかし、
最初からわかっていることは、経験的な利潤と剰余価値との混同によってど
のような[混乱が生じる]かということである ―― 利潤はまったく転化した
形態で剰余価値を表わすのであり(それに対応する、諸商品の標準価格とそ
れらの価値との相違そのものの混乱によって [生じる混乱] もまったく同じ
である)」(MEGA, 1630; 草稿集G139)。
 まず、引用文Fについて。冒頭で「競争関係がここで・・・・例証のために考

32)同上、318ページ。

ー19ー

察された 」と述べられているが、草稿中のその内容に該当する先行個所は、
筆者の見るところ、次の叙述部分しか見当たらない。「現実の流通過程では、
これまでに考察してきたような・・・・・諸転化が行われるだけではなく、これら
の転化が現実の競争すなわち価値よりも高いかまたは低い価格での売買と同
時に行なわれるので、そのために、資本家たちにとっては、各個々の資本家
にとって実際にそうであるように、利益は、剰余価値として現われるのでは
なくて、つまり、労働の搾取度によって定まるのではなく、彼らどうしのご
まかし合い・・・によって定まるように見える」(MEGA, 1604-1605; 草稿集
G97-98)。見られるように、ここには、「現実の流通過程」における「現実
の競争」すなわち「価値よりも高いかまたは低い価格での売買」・「資本家ど
うしのごまかし合い」が指摘されている。したがって、引用文F冒頭の「競
争関係」とは、「価値よりも高いかまたは低い価格での売買」・「資本家どう
しのごまかし合い」のことを指していると考えることができるであろう。そ
の証拠に、「現実の競争すなわち価値よりも高いかまたは低い価格での売買」
のために「資本家たちにとっては・・・・利益は、剰余価値として現われるので
はなく、彼らどうしのごまかし合い・・・・によって定まるように見える」とい
う叙述と引用文Fの「その競争関係は、個々の資本家の得る剰余価値が実際
には決定的なものではない、ということを必然的に伴っている」という叙述
とは、内容的に一致している。ところが、これに続く「なぜならば、平均利
潤が形成されるから・・・・である」という叙述は冒頭文章と内容的にズレがあ
るように思われる。というのは、「現実の競争」=「価値よりも高いかまたは
低い価格での売買」「資本家どうしのごまかし合い」と第2文章でいう「平均
利潤の形成」とは、理論領域・次元を異にする事柄であるはずである。ここ
ではマルクスは、「現実の競争」としての「価値よりも高いかまたは低い価
格での売買」・「資本家どうしでのごまかし合い」という問題と「平均利潤の形
成」という問題とを十分区別しきれていないのではないかと思われる。この
ことは、続く次の文章にも現われている。すなわち、「そのために、商品の現
実の価格は、・・・・本質的に修正され、商品の価値とは相違することになる」。
ー20ー

ここでは、「本質的に」「商品の価値と相違する」ものとして挙げられてい
るのは、「標準価格」ではなく「商品の現実の価格」である。「現実の競争」
としての「資本家どうしのごまかし合い」による「価値よりも高いかまたは
低い価格での売買」によって生じるのは、マルクスの言うように、「商品の
現実の価格」と「商品の価値」との相違である。ところが、「平均利潤の形
成」によって生じるのは、正確に言うと、「商品の標準価格」と「商品の価
値」との相違である。したがって、ここではマルクスは、≪「現実の競争」=
「価値よりも高いかまたは低い価格での売買」=「資本家どうしのごまかし
合い」―→平均利潤の形成―→「商品の現実の価格」と「商品の価値」の相
違≫という議論を展開しているが、この「商品の現実の価格」論は、のちの
生産価格規定に直ちに結びついていく訳ではない。「商品の現実の価格」と
「商品の価値」の相違のなかには、平均利潤の形成によって生じる価値と価
格の相違と「資本家どうしのごまかし合い」によって生じる価値と価格の相
違とが含まれていると見ることができよう。したがって、マルクスはここで
はまだ、のちの生産価格論に相当する問題を独自な理論領域として明確な形
で取り出してはいなかったと見なければならない。
 次に引用文Gについて。ここでは、先行する個所における平均利潤論を受
けてか、若干の認識の進展が見受けられる。その点では、たしかに大村氏の
読み方――先行する平均利潤論をここでの「標準価格」規定のなかに読み込
むべきであるという主張――が当を得ているようにも思われる。というのは、
ここで、一応、平均利潤の形成によって生じる「標準価格」と「価値」と相
違と「商品の現実の価格」と「価値」の相違とが用語上区別され、また、続
く個所では(MEGA, 1631; 草稿集G140-141)、「誰もが自分の生産費に10
% [の平均利潤]を付加する 」ということによって生じる価値と価格の相違
と、「資本家どうしのごまかし合い」によって生じる価値と価格の相違とが
対比・区別されているからである。
 だが、このような区別にもかかわらず、草稿「第3章 資本と利潤」では
平均利潤の形成による「標準価格」と価値の相違について、マルクスが十分
ー21ー

な規定・内容を与えているとはけっして言えない。33) というのは、マルクス
は、「標準価格」・「商品の現実の価格」について次のように述べているにす
ぎないからである。「商品の現実の価格は・・・・・・本質的に修正され、商品の
価値とは相違するということになる」(MEGA、 1606; 草稿集G99)、「第2
の場合 [利潤の平均利潤への転化] には、利潤と剰余価値とのあいだに、そ
れと同時に商品の価格と価値のあいだに、本質的な相違が現われる。そのこ
とから、諸商品の現実の価格が――それらの標準価格さえもが、それらの価
格と相違するということが生じる」(MEGA, 1630; 草稿集G139)、と。見
られるように、これらの叙述には、「商品の現実の価格」・「標準価格」は
「商品の価値」と本質的に相違するという文言・指摘だけが存在し、その相
違の具体的な内容については一切説明されておらず、したがって、問題の主
題的な考察が行なわれているとは決して言いえない。しかも、「諸商品の現
実の価格」と「商品の価値」との相違が「本質的な相違」の主内容・主題と
してまず指摘され、次いでそれに附随する問題として「それらの標準価格さ
えもが、それらの価値と相違する」(・・・・は引用者)という問題が指摘
される、という叙述形式がとられており、したがって、ここでの主題はあく
までも「商品の現実の価格 」と「価値 」との相違があり、「標準価格」と
「価値」との相違は附随的な問題であるという把え方がなされている。これ
は「商品の現実の価格」と「標準価格」との区別の重要性が十分認識されて
いけないということを示していると見るべきである。たとえ、大村氏の言うよ
うに、「標準価格」はそれに先行する平均利潤論を受けたもの、先行する平
均利潤論を含意するものと見るべきであるとしても、それでもなお、肝心の
「標準価格」と「商品の現実の価格」との区別が不明確であるという問題が
存在すると言わなければならない。
 このように、「商品の現実の価格」と「標準価格」とが十分区別されてい
ないことは、草稿「第3章 資本と利潤」における「標準価格」という用語

33)この点は、大村氏も認められていることである。すなわち、 草稿「第3章 資本
と利潤」では「価値とは『本質的』に『相違』する『標準価格(=生産価格)』に
ついても主題的な考察は全く与えられていない」(大村論文A、51ページ)、と。

ー22ー

法によっても窺い知ることができる。 というのはこうである。「標準価格」
という用語は、おそらく、草稿中の「標準利潤率」に対応して使用された用
語である。そして、「一般的利潤率」とは、第1に「非常に違ったいろいろ
な利潤率の平均」=「平均利潤率」を意味し、第2に現実の利潤率が変動す
る際の標準としての利潤率=「標準利潤率」を意味する(MEGA、1623; 草
稿集:129)、と述べられており、このような理解からすると、「現実の(標
準的)利潤率」(MEGA, 1626; 草稿集G133)とは、「現実の利潤率」=
「標準利潤率 」ということを表現したものであると理解することができる。
つまり、「標準利潤率」とは、理論的に把握された抽象概念ではなく「現実
の利潤率」である、と理解することができる。とすれば、「標準価格」もま
た、理論的に把握された抽象概念というよりは、「商品の現実の価格」がそ
れを中心として変動する標準としての価格であるという意味合いを強くもっ
ている用語であると考えられる。もしこのように理解しうるとすれば、この
頃マルクスは「商品の現実の価格」と「標準価格」とを認識論的に同じ次元
上の概念として取り扱い、両者をそれほど厳しく理論領域の異なるものとし
て峻別していなかった、と理解することができよう。
 かくて、われわれは次のように言うことができよう。すなわち、草稿「第
3章」では、平均利潤論はかなり詳論されているにもかかわらず、「標準価
格」論は事実上ほとんど未展開であり、 附随的に言及されているにすぎず、
したがってのちの生産価格論と直接結びつけられうる内容を有していないし、
また「競争」篇で展開されるべき概念として「標準価格」が言及される場合
でも、「標準価格」と「商品の現実の価格」との区別が十分であるとは言い
難い、と。
 このような理論状況は、この当時のマルクスの「生産費」概念によっても
知りうる。1861-63年草稿のノート]Tまでの前半期(ノート]Yおよびノー
ト]Z冒頭部分を含む)とノート]T以降の後半期とではマルクスの「生産
費 」概念の中味が異なるという事情がある。 前半期ではマルクスの「生産
費」概念は2つの意味をもつ。 一つは、「資本家の立場から見た生産費」・
ー23ー

「資本家にとって」の「生産費」であって、資本家の前貸ししたものc+v
に等しく、もう一つは、「商品の生産費」・「商品の内在的な生産費」であっ
て、「商品の価値」c+v+mに等しい、ということである。たとえば、ノ
ートU・88では、「生産費は生産物の生産に必要な労働時間・・・・の総計に・・・
・・・帰着するのである。・・・(・・・・資本と利潤のところでは次のことによって
一つの二律背反がはいってくる。一方では、生産物の価値は生産費に、すな
わち生産物の生産のために前貸しされた価値に等しい。他方では、・・・・生産
物の価値は、それが剰余価値を含んでいるというかぎりでは、生産費の価値
よりも大きい。これはつまり、次のことを意味している。生産費は資本家に
とって彼によって前貸しされた諸価値の総計だけあ[る]。・・・・・・ 他方、 生
産物の現実の生産費は、そのなかに含まれている労働時間の総計に等しい。」
MEGA, 145; 草稿集C259-260)。ノート]Y・980-981では、「個々の資
本家の立場から見た商品の生産費と商品の現実の生産費は2つの異なるもの
である。/商品それ自身のうちに含まれている生産費は、商品を生産するの
に要する労働時間に等しい。すなわち商品の生産費は、その価値に等しい。
・・・・・/資本家の立場から見た生産費は、彼が前貸しした貨幣だけからなって
いる」(MEGA, 1611-1612; 草稿集G110-112)。また、ノートZ・326で
も、「{・・・私が財貨の生産費を資本家の生産費と区別している・・・・・ 、それ
は、資本家がこの生産費の一部分にたいして支払をしないからである。 ・・・
・・・}」(MEGA, 469; 草稿集D219)。前半期の「生産費」概念とちがって、
ノート]T以降の後半期における「生産費」概念は3つの意味をもつ。一つは、
「商品の資本家にとっての費用」であり、「前貸資本の価値」に等しく、もう
一つは、「商品そのものの生産費」・「商品の内在的な生産費」であり、「商
品の価値」に等しく、さらにもう一つは、「本来の意味・・・・・・での生産費」で
あり、「前貸の価値・プラス・平均利潤の価値」に等しい、ということであ
る。たとえば、ノート]W・787-790では、「第一に。・・・・・商品の資本家にと
っての費用というのは、当然、その商品が彼に費やさせるものである。・・・・
/・・・・・・(中略)・・・・/第二に。・・・商品そのものの生産費は、・・・商品のな
ー24ー

かにはいる対象化された労働の量・プラス・その商品に支出される直接的労
働の量から成っている。・・・ /第三に。・・・・/・・・・ 本来の意味(経済的な、
資本主義的な)での生産費が問題とされるとすれば、 それは、 前貸の価値
・プラス・平均利潤の価値のことである」(MEGA、1272-1274;草稿集F112
-115)。また、ノート]X・928では、「{費用と名づけることができるのは、
前貸しされたもの、・・・である。・・・/生産費と呼ぶことができるのは、 ・・・
・・・前貸資本の価格・プラス・平均利潤、によって規定される価格である。・・・
・・・/最後に、商品の生産に必要な労働・・・の現実の量は、商品の価値である。
この価値は、商品そのものにとっても現実の生産費をなしている。・・・・『生
産費』という名は、時に応じて3つのうちのどれかを意味する。}」(MEGA
1510; 草稿集F496-497)。以上の比較からわかることは、前半期では「生産
費」は「前貸資本の価格・プラス・平均利潤」という意味をもっていないの
に対して、後半期においては「生産費」はそのような第3の意味をもつ、と
いうことである。ところで、問題は、なぜ前半期には「前貸資本の価格・プ
ラス・平均利潤」に等しいものという「生産費」概念が存在しないのか、と
いうことである。それは、この頃マルクスはまだ「前貸資本の価格・プラス
・平均利潤」に等しいものという価値・価格概念をもっていなかったという
ことに起因していると考えられる。そのような価値・価格概念をもつように
なってはじめて、マルクスは、「生産費」=「前貸資本の価格・プラス・平
均利潤」という「生産費」概念を定式化することができるようになると思わ
れる。これは、前半期ではまだマルクスは、のちの「生産価格」に相当する
「平均価格」概念をもつことができなかったことを物語っている。
 以上、われわれは、生産価格論の形成に関する大村氏の所説のうち、草稿
「第3章 資本と利潤」の作成過程をつうじて、「価値−生産価格」の問題
の「解決」が基本的に完了していた、とする所説を種々検討してきたが、そ
の結果次のように言うことができよう。大村氏の自説の根拠とされている草
稿「第3章」の叙述部分を虚心に分析すればするほど、大村氏のいうような
結論に到達しえない。むしろ逆に、草稿「第3章」ではマルクスはまだ、の
ー25ー

ちの生産価格論に直接結びつけることができるような「標準価格」概念を一
切展開していない。たしかに、問題の叙述中には「商品の現実の価格」・「標
準価格」と「商品の価値」との間に「本質的な相違」が存在するという問題
が指摘されているが、しかし、肝心の「本質的な相違」の具体的な中味につ
いてはまったく説明されていない。そればかりか、同じ文脈のなかで「商品
の現実の価格」と「商品の価値 」の「相違 」と「標準価格」と「価値」の
「相違」とが並列されており、「商品の現実の価格」と「標準価格」との論
理次元の「本質的な相違」が十分認識され、意識されていない。草稿「第3
章」では共に「競争」篇に属するとされている「商品の現実の価格」と「標
準価格」とが、一方は「競争」篇に属し、他方は平均利潤論と同様に「資本
一般」篇に編入すべきである、というようなプランへと発展していくような
叙述・分析(=プラン変更の芽)が草稿「第3章」には見当たらない。
 なお、大村氏は、「マルクスは第3章『資本と利潤』の段階で、部門内競
争と部門間競争との相違をはっきり認識している」、34)と述べているが、筆者
にはそうは思わない。 第1に、 2つの競争を区別・対比した明確な叙述・
文言が「学説史」「g. ロートベルトッス氏」・「h. リカードウ」以前には存
在しないし、また第2にもっと決定的なことに、マルクスは、ノート]の途
中までのちの「生産価格」概念を表わす用語として「平均価格」を使用して
いるが、これは、すでに前稿で指摘したように、35) マルクスが2つの競争の
それぞれの内容を両者のちがいをはっきりと認識・意識しえていない1861ー
63年草稿の前半期での用語法であると断言することができるからである。
 また、大村氏は、「マルクスのエンゲルスにあてた1862年 8月 2日付の手
紙におけるつぎの言及、すなわち『たった今私は、以前に立てた命題の「例
証」として、地代をこの巻に挿入された一章として取り入れることを決意し
た』を引証し、ミュラー、フォッケ両氏はこの一節を有力な典拠に、絶対地
代の発見と価値−生産価格問題の『同時的解決』を説かれているが、ここで

34)大村・大野論文H、322ページ。
35)前掲拙稿「生産価格論の形成」(4)、36-41ページ。

ー26ー

言及されている『命題』が『価値と生産価格との相違』に関する『命題』以
外のなにものでもなく、しかもマルクスはそうした『命題』を『以前に立て
た・・・・』『命題』と読んでいるのであるから、ミュラー説の当否は明白」で
ある36)、「マルクスにおける価値ー生産価格問題の基本的な解決は『学説史』
のリカードウ批判に先行する」草稿「第3章 資本と利潤」において行なわ
れた、36)と主張されているが、 筆者の見るところ、そのような「命題」は
『学説史』のリカードウ批判以前のどこにも定式化されていない。草稿「第
3章」では、「価値−生産価格」問題の存在が指摘され、そして問題解決の
ためのカギが先行する平均利潤論によって与えられているとしても、「価値
−生産価格」問題が解決されている訳でもないし、ましてこの問題に関する
「命題」がここで「立て」られている訳でもないのである。
 以上、われわれは、生産価格論の形成に関する大村氏の所説のうち、@生
産価格の諸規定が「資本一般」に「編入」されたのは、「草稿『第3章 資
本と利潤』の執筆以降、『学説史』起筆=1862年3月の間 」である、とする
所説、A草稿「第3章 資本と利潤」の作成過程をつうじて、「価値−生産
価格」の問題の「解決」が基本的に完了していた、とする所説、を検討した
が、そのいずれもが、テキストにたいする「ミス・リーディング」を前提と
しているか、あるいは、一定の『資本論』理解(これこそ形成史研究の結論
にされるべきものであるのに)からのテキスト(の行間)への読み込みを前
提としており、したがっていずれの論点も確実な根拠のないものであると言
わざるをない。

X. 生産価格の規定の「資本一般」への「編入」をもたらした
モチーフについて

 大村氏の主張はこうである。 生産価格の諸規定の「資本一般 」への「編
入」をもたらしたモチーフは、一般的利潤率の形成と価値の生産価格への転
化とは「剰余価値の利潤への転化」⇒「利潤の平均利潤への転化」⇒「利潤


36)大村・大野論文H、315ページ。

ー27ー

率の傾向的低下」という一連の体系構成のなかで統一的に解明される必要が
あるにもかかわらず、一般的利潤率の諸規定だけはそうした体系構成を採用
してその内部で解明されながら、 他方の生産価格の諸規定は 続編としての
「競争」論にゆだねられるという、草稿「第3章 資本と利潤」のもつ「体
系構成上の内的矛盾」である、と。
 簡単に言うと、一般的利潤率の形成と価値の生産価格への転化との間には
「本質的な関連」があるにもかかわらず、草稿「第3章」では一方のみが取
り扱われるという「体系構成上の内的矛盾」が存在し、これが「編入」の必
然性である、と主張されるのである。つまりは、大村氏は、一般的利潤率の
形成と価値の生産価格への転化との「理論的な関連」を根拠にして生産価格
の「資本一般」への「編入」という「形成史的な関連」を説こうとされてい
るのである。推論の出発点・根拠を「理論的な関連」に求められている訳で
ある。しかし、これは、方法としては逆である。形成史の徹底的な解明から
「理論的な関連」を解きほぐしていくべきであるのに、大村氏はまさにその
逆をされている訳である。大村氏は、草稿「第3章」の「体系構成上の内的
矛盾」にある時点にマルクスが気付いてそれを是正するために生産価格の諸
規定を「編入」することになったとしているが、もしそうであるとすれば、
なにゆえに、マルクスは、――「生産価格や市場価値・市場価格の全面的な
解明にいついかなる時点において取り組むことになったとしても、なんら不
思議ではないという理論的水準に到達していた」37)――草稿「第3章」執筆
段階にこの「内的矛盾」に気付かなかったのかという疑問が生じてくる。ま
た、さらに、マルクスが大村氏の言う「内的矛盾」に気付くのは、どのよう
な事情によるのかという問題が生じてくるが、 大村氏はこの問題についてな
んの考証も与えていないのである。草稿「第3章」の作成過程においてすで
に「価値−生産価格」問題の「解決」を基本的に完了していたと見る大村氏
の考えに従うとすれば、マルクスは草稿「第3章」擱筆段階にはすでに「内
的矛盾」に気付いていたとしてもなんら不思議ではないと思われるが、大村

37)大村論文G、318ページ。

ー28ー

氏はその点をはっきりさせるべきであろうと思われる。これらの問題に答え
られないかぎり、大村氏の「モチーフ」論は成立しえないように思われる。
*  *  *  *  *  *  *  *  *
 以上、われわれは、生産価格論の形成にかんする大村氏の所説を3点に纒
め、それらのそれぞれについて検討してきた。その結果、次のように言うこ
とができよう。大村氏の所説は、いずれの論点もたしかな根拠を有していない
ばかりか、テキストの「ミス・リーディング」に立脚しており、また一定の
『資本論』理解の立場からテキストを強引に読み込み・読み取ることによっ
て独自の理論形成史をイメージされようとしたものである。大村氏の所説が
成立するためには、何時、どのような事情のもとにマルクスが「体系構成上の
内的矛盾」に気付いたのかという問題に明確な答えを与えなければならない
であろう。この問題に対する大村氏の答えは、氏の立場――すなわち、@生
産価格の諸規定が「資本一般」のなかに「編入」されたのは、草稿「第3章
資本と利潤」の起筆(1861年12月)以降「剰余価値に関する諸学説」の起筆
(1862年 3月)のあいだである、 Aというのは、 草稿「第3章 資本と利
潤」の作成過程をつうじて、「価値−生産価格」の問題の「解決」が基本的
に完了していたからである、とする立場――から考えて次のようになるであ
ろう。すなわち、草稿「第3章 資本と利潤」の作成中、あるいは、それ以
降「剰余価値に関する諸学説」が起筆されるまでに間に、マルクスは「体系
構成上の内的矛盾」を認識するに至ったのである、と。しかし、草稿「第3
章」擱筆以降「学説史」起筆までの間にマルクスが「価値−生産価格」問題
について特筆すべき研究を行なったと見ることができない。とすれば、結局
は、マルクスは草稿「第3章 資本と利潤」の作成過程のあいだに既に上述
の「体系構成上の内的矛盾 」に気付いた、あるいは、気付きはじめていた、
ということにならざるをえない。しかし、われわれは、この「体系構成上の
内的矛盾」にマルクスが気付いていたと思われる形跡(叙述)を草稿「第3
章 資本と利潤 」のなかに見い出すことはできない。ここではマルクスは、
明らかに、生産価格論は「競争」篇に譲るとしているのである。大村氏の考
ー29ー

えに従えば、 生産価格論の形成は、その主要な契機に関するかぎり、 草稿
「第3章 資本と利潤」の作成過程において完了していた、ということにど
うしてもならざるをえない訳であるが、 しかし、 そのような草稿「第3章
資本と利潤」理解は、筆者の草稿「第3章 資本と利潤」分析(前稿および
本稿において既述)から見て、過大評価・読み込みすぎであると言わざるを
ないのである。
(まつお じゅん/経済学部助教授/1987.4.27受理)

ー103ー