『経済経営論集』(桃山学院大学)第25巻第4号、1984年3月発行

  

利潤率低下法則論の形成過程(1)
――資本構成高度化と剰余価値率
     上昇の対抗を中心にして――

 

松尾 純

 

 

 T.はじめに
 利潤率の傾向的低下法則は『資本論』で明らかにされている最も重要な法
則の一つであり、マルクス自身、『経済学批判要綱』1)(以下『要綱』と略す)
においてこの法則について論じる際次のように述べている。「これはあらゆる
点で、 近代の経済学の最も重要な法則であり、そして最も困難な関係を理解
するための最も本質的な法則である。 それは歴史的見地からして最も重要な
法則である」、2)と。
ところで、「この法則そのもの」は、『資本論』第3部第13章で次のように
定式化されている。「資本主義的生産は、不変資本に比べての可変資本の相
対的減少の進展につれて総資本のますます高くなる有機的構成を生みだすの


1)Karl Marx,Ökonomische Manuskripte 1857 / 58,in : Karl Marx / Friedrich En-
 gels Gesamtausgabe,Abt,U,Bd.1,Theil 1,1976;Teil 2,1981,Dietz Verlag. 以下、
 これをMEGA、U、1/1およびMEGA、U、1/2と略記する。テキストとしてこの新
 MEGA版を使用するが、引用に際しては、次のデイーツ版のページ数をも示すことに
 する。Karl Marx,Grundrisse der Kritik der politischen Ökonomie,Dietz Verlag,
 1953.以下、これをGr.と略記する。なお、引用する際の訳文は、MEGA、U、1/1部
 分については、とくに断らないかぎり、 資本論草稿集翻訳委員会訳『マルクス資本論
 草稿集@』、大月書店、1981を使用する。
2)MEGA,U,1/2, S.622 ;Gr., S.634.マルクスが『要綱』においてこのように述べ
 たのは、どのような意味においてかという点については、拙稿「『経済学批判要綱』に
 おける利潤率低下法則と恐慌」、『山形大学紀要(社会科学)』第12巻第1号、1981年7
 月を見よ。

ー155ー

であって、 その直接的結果は、労働の搾取度が変わらない場合には、またそ
れが高くなる場合にさえも、剰余価値率は、絶えず下がってゆく一般的利潤
率に表せれると言うことである」。3)
このマルクスの定式化に対しては、周知のように、さまざまな批判や疑問
が寄せられてきた。4) その中心論点は、資本主義的生産の進展・生産力の発
展とともに資本の有機的構成が高度化していくとしても、他方で生産力の発
展によって剰余価値率が上昇すれば、利潤率が低下することになるのかどう
かわからないのではないか、というものである。マルクスは、この種の批判
を予期するかのように、剰余価値率が上昇する場合にさえ、一般的利潤率は
低下せざるをえないことを次のように説明している。「充用される生きてい
る労働の量が、それによって動かされる対象化された労働の量すなわち生産
に消費される生産手段の量に比べてますます減って行くのだから、この生き
ている労働のうち支払われないで剰余価値に対象化される部分も充用総資本
の価値量にたいしてますます小さい割合にならざるをえないのである。とこ
ろが、この、充用総資本の価値にたいする剰余価値量の割合が利潤率なので
あり、したがって利潤率はしだいに低下せざるをえないのである」。5)
ところが、このような説明に対しては、次のような疑問が生じてくるであ
ろう。すなわち、 それは、 充用される生きている労働の量/生きている労
働によって動かされる対象化された労働の量〔=(V+M)/C〕は、利潤率
´=M/(C+V)の超えることのできない上限をなすが、しかし上限に到達
するまでは、 剰余価値率の上昇によって利潤率が上昇する可能性があるし、
またはじめに与えられた剰余価値率が低いほど、この上限に到達する時点が

3)Karl Marx, Das Kapital, Bd. 3, MEW, Bd. 25, Dietz Verlag, 1964, S.223. 岡
崎次郎訳『資本論』E、大月書店、1971年、350ページ。
4)利潤率低下法則のマルクスによる論証や定式化をめぐる論争経過については、とりあ
えず、拙稿「マルクスによる利潤率の傾向的低下法則の論証― 置塩信雄氏のマルクス
批判の検討――」、『経済経営論集』第25巻第1号、1983年6月を見よ。
5)Marx,op.cit.,S.223.訳、350ページ。

ー156ー

無限の将来に延期されさえするのではなかろうか、結局マルクスは生産力の
発展に伴う利潤率の漸次的な低下ではなくて、利潤率の究極的な低下を明ら
かにしたにすぎないのではなかろうか、という疑問である。
したがって、マルクスによる法則の論証や定式化の当否を判断するために
は、われわれは、この種の疑問や批判に対してマルクス自身が有効な解答を
用意しえているのかどうか、もし用意しえているとすればはたしてどのよう
な解答を用意しているのかということを調べてみなければならない。ところ
が、このようなことを行なうためには、『資本論』における法則をめぐる議
論を検討するだけでは不十分であって、『要綱』や1861―63年草稿6)におけ
るマルクスの利潤率低下法則をめぐる議論7)を詳しく分析・検討してみる必
要がある。これらの草稿における利潤率低下法則論の形成過程をフォローす
ることによって、われわれは、『資本論』第3部第13章(および第14―15章)
におけるマルクスによる法則の論証や定式化のもつ真の意味を明らかにする
ことができるし、またその当否を判断することができるものと考える。
利潤率低下法則論の形成過程をフォローするとはいっても、そのすべての
論点にわたって検討することは到底できない。したがって、以下では、法則
の論証、とりわけ労働の社会的生産力の発展に伴って剰余価値率が上昇する
場合にも利潤率が低下せざるをえないという命題に論点を絞って、『要綱』か

6)Karl Marx, Zur Kritik der politischen Ökonomie ( Manuskript 1861-63 ), in :
MEGA, Abt. U, Bd. 3, Teil 1,1976; Teil 2,1977; Teil 3,1978; Teil 4, 1979 ;
Teil 5,1980;Teil 6,1982. 以下、これらをMEGA、U,3/1,3/2等と略記する。引
用に際しての訳文は、MEGA、U,3/1,3/2,3/3,3/4部分については、資本論草稿集翻
訳委員会『マルクス資本論草稿集』CDEFに従う。
7)1861ー63年草稿における利潤率低下法則論の形成過程を多少なりともフォローした最
近の文献として、次のものがある。原伸子「『1861―63年草稿』における資本蓄積論―
MEGA、U/3.6について――」、『経済志林』第50巻第3・4号、1983年3月。同「『1861
ー63年草稿』における『資本論』第1部草稿と第3部草稿との関連について」(経済学史
学会第47回全国大会報告要旨)、1983年11月。松石勝彦『資本論研究』第10〜12章、
三嶺書房、1983年。高須賀義博「マルクスの恐慌論」、『経済研究』第34巻第2号、 1983
年4月。同「マルクスの恐慌観――資料編――」、 Discussion Paper Series No.77,
The Institure of Fconomic Research Hitotsubashi University,1983,3.

ー157ー

ら『資本論』にいたるまでの利潤率低下法則論の形成過程を見ることにする。
そこで、まず本稿では、『要綱』における利潤率低下法則に関する議論を分
析・検討することにしよう。8)
U『要綱』「資本論の生産過程」篇における剰余価値・利潤率
利潤率低下法則について本格的な議論は主として、『要綱』「資本に関す
る章」「第3篇、果実をもたらすものとしての資本」の前半部分(ノートZ、
SS.15―21)に見られるが、そこでの議論を検討する前に、『要綱』の他の
箇所にも目をやる必要があるように思われる。 というのは、この「第3篇」
以外の幾つかの箇所でも、マルクスは、剰余価値・利潤率を展開しながら利
潤率低下法則に関わる重要な問題を考察し、幾つかの注目すべき論点を提示
しているからである。9) とくに注目すべきは、ノートV、S.27〜ノートW、
S.13部分10) であって、そこでの剰余価値・利潤論を分析することによって、

8)筆者は、 以前、『要綱』における「利潤率低下法則と恐慌」論という問題意識から、
対象を『要綱』第3篇前半に絞ってそこでの利潤率低下法則に関する議論を分析・検討
したことがある。拙稿「『経済学批判要綱』における利潤率低下法則と恐慌」、「山形大
学紀要(社会学科)』、第12巻第1号、1981年7月。本稿では、『要綱』全体に分析対象
を広げて、利潤率低下法則に関するマルクスの認識状況を確認することにする。
9)以下で分析・検討するノートV、S.27〜ノートW、S.13部分以外に、たとえば次のよう
な箇所にも利潤率低下法則に関する議論が存在する。ノートW、S.33、ノートX、S.32〜
ノートY、S.8。これら2箇所でのマルクスの利潤率低下法則論は、のちに見る『要綱』
第3篇前半のそれとほぼ同じ理論水準にあると考えられる。というのは、これらの箇所
ではマルクスは、「生産力の増大」によって「不変資本をあらわす資本部分にたいして
給養品をあらわす資本部分の割合が減少する」(MEGA、U、1/2, S.453;Gr.,S.453)
という点からもっぱら利潤率の低下を論定しようとしているからである。なお、これら
の個所、とくに後者は、おおむね、ブルジョア経済学者たちの剰余価値・利潤率に対す
る批判が主として展開されている学説史的部分であり、本稿での分析対象から外すこと
にする。
10)この部分におけるマルクスの生産力の増大と価値増殖の関係をめぐる議論を詳しく分
析した最近の論稿として、次のものがある。山田鋭夫「『経済学批判要綱』における生
産力と価値増殖」(1)(2)、『経済学雑誌』第82巻第6号、第83巻第3号、1982年3月、
1982年9月。川本勝美「資本一般と諸資本の蓄積――『要綱』「資本一般」の理論質の
中間総括をかねて――」、『経済学雑誌』、第84巻第3号、1983年9月。内田弘「『経済学
批判要綱』利潤論の研究」、『専修経済学論集』:第15巻第2号、1981年3月。同『『経済
学批判要綱』の研究』新評論、1982年。

ー158ー

われわれは、当時マルクスが利潤率低下法則についてどの程度の理解をして
いたのかということを窺い知ることができる。
したがって、 以下、 まず、このノートV〜ノートW部分の議論を分析・検
討し、そこに含まれている利潤率低下法則に関連する議論のもつ意味を確認
に、そののちに、利潤率低下法則が本格定に議論されているノートZ、SS.
15―21部分を見ることにしよう。
ところで、ノートV、S.27〜ノートY、S.13部分のメーン・テーマは、筆
者の見るところ、生産力の発展と資本の価値増殖という問題であるが、それ
は、幾つかの相関連する論点に分けて理解することができるように思われる。
まず第一は、ノートV、SS.27―31部分である。ここでの中心問題は、生産
力の発展によって剰余価値率が上昇するが、しかしそれは生産力の発展と同
じ割合で上昇するわけではなく、生産力が発展すればするほど剰余価値率の
上昇率は逓減する、という問題である。これをマルクスは次のように説明し
ている。「労働者は、まる1労働日暮らしていくために……半労働日だけ労
働すればたりる」11)とし、「いま労働の生産諸力が2倍になる……と仮定し
よう。……そのばあい労働者はまる一日生きるためには、1/4日労働しさえす
ればよいことになろう。またそのばあいに、資本家は、生産過程を介して彼
の剰余価値を1/2から3/4に増大させる」12)ことになろう。 したがって「生産
力は2倍になったが、労働者にとっての剰余労働は2倍になったのではなくて、
1/4 しか増加せず、 同じように資本の剰余価値も2倍になったのではなく、
やはり1/4しか増加しなかった」13) のである。つまり、「資本の剰余価値は…
生産力……が増加する倍数どおりに増加するわけではなく、初めに必要労働

11)MEGA、U,1/1,S.248;Gr.,S.239;『資本論草稿集@』、 412ページ以下、『要綱』
からの引用に際しては、引用ページ数のみ、MEGA、Gr『資本論草稿集@』の順で
示すことにする。
12)SS.248-249;SS.239-240;412ページ。
13)S.250;S.241;414ページ。

ー159ー

を表わしている生きた労働の分数部分がこの同じ分数部分を生産力の乗数で
割った数を超える剰余分だけ増加する」14) のである。したがって、「生産力が
増加する以前の資本の剰余価値が大きければ大きいほど、資本の前提された
剰余労働ないし剰余価値の分量が大きければ大きいほど、言いかえるなら、
労働日のうち労働者の等価をなし必要労働を表わす分数部分がすでに小さく
なっていればいるほど、資本が生産力の増大によって手に入れる剰余価値の
増大もまたそれにつれて小さい」、15)と。
見られるように、ここでは、総労働日一定のもとで生産力が発展すれば、
剰余価値率がいかに上昇し、剰余価値量がいかに増大するかという問題が考
察されており、その際生産力の発展に伴なう資本構成の変化の問題がまった
く考慮されていない、言いかえれば、不変資本は問題の考察に際して捨象さ
れ、理論上イコール・ゼロと想定されている。
第二は、ノートV、SS.32―38部分である。ここでの中心問題は、生産力の
発展は剰余価値率を上昇させ、剰余価値の量を増大させるが、それは「直接
的には」16) けっして諸交換価値を増大させはしない、しかし増大した剰余価
値が資本化されることを考慮に入れると、生産力の発展は資本価値を増大さ
せ、ひいては諸交換価値を増大させることになる、という問題である。マル
クスはその要点を次のようにまとめている。「生産性の増大は、それが交換
価値の絶対額を増加させないにしても、剰余価値を増加させる。それは諸価
値を増加させる。なぜならそれは、新たな価値としての価値を、すなわちた
んに等価物として交換されるだけでなく、自己をあくまで保持していくよう
な価値を、一言で言えば、より多くの貨幣をつくりだすからである。問題は、
それが結局が諸交換価値の合計額をも増加させるのか? ということである。
資本的には、このことを認めなければならない。というのも、諸資本が蓄積

14)SS.253-254;S.245;421ページ。
15)S.254;S.246;423ページ。
16)S.259;S.251;432ページ。

ー160ー

されるにつれて、貯蓄が、したがって生産される諸交換価値が増大する……
からである。蓄積の増加とは、とりもなおさず自立的価値――貨幣――の増
加にほかならない」。17)こうした観点からマルクスは、生産力の発展による交
換価値の増大ということを認めないリカードの見解を批判する。
第三は、ノートV、SS.38―43部分である。ここでの中心問題は、生きた
労働の旧価値維持作用――すなわち生きた労働は「ただ新しい価値をつけ加
えるだけでなく、もとの価値に新しい価値をつけ加える行為そのものによっ
て、もとの価値を維持し恒久化する」18)という問題――である。第一、第二
の部分ではマルクスは、「つねに資本の2つの要素……一方は賃金を、他方
は利潤を、一方は必要労働を、他方は剰余労働を表わしている、生きた労働
の2つの部分だけを問題にしてきた」19)が、以後彼は、生産力の発展に伴う
不変資本部分の可変資本部分に対する関係割合の変化を考慮に入れたうえで
「生産力の増大の結果生じる価値〔増加〕についての問題」20)(〔〕内は引用
者)を考察していくことになる。
第四は、ノートV、S.43〜ノートW,S.13部分である。ここでの中心問題は
利潤率と剰余価値率の非並行的関係である。第一、第二部分では生産力の発
展によって資本構成が変化するという要因を考慮に入れずに生産力の発展に
よる価値増加の問題を考察してきたが、いまや生産力の発展による資本構成
の変化を考慮に入れたうえで価値増加の問題、すなわち利潤率の問題を考察
することになる。
利潤率と 剰余価値率の関係 についてマルクスは 次のように論じている。
「資本は……60ターレルの材料……労賃の40ターレルからなっているとすれ
ば、また……利潤は10ターレルであるとすれば、40ターレルの対象化された

17)S.295;S.290;498ページ。
18)S.276;S.270;464ページ。
19)S.266;S.259;447ページ。若干訳文を変えた。
20)S.294;S.289;497ページ。

ー161ー

労働時間によって買いとられた労働は、生産過程で50ターレルの対象化され
た労働をつくりだしており、したがって必要労働時間の25%……の剰余時間
を労働し、すなわちそれだけの剰余価値をつくりだしたのである。……した
がって労働者は、 労働力能と交換された資本を25%増加させたのであって、
10%増加させたのではない。総資本は10%の増加分を手に入れた。……した
がって資本の利潤率は、生きた労働が対象的労働を増加させる率を表わすわ
けではない」。21)
さらに、マルクスは、@60C+40V+10M=110、 A80C+20V+10M=
110、 B90C+10V+10M=110という3つの資本を示したうえで、 利潤率
と剰余価値率の関係について次のように述べている。「以上三つの例をあげ
たわけだが、そのいずれのばあいも、資本全体の利潤は10であるが、第一の
ばあいには、つくりだされた新価値は、生きた労働を買い入れるために支出
された対象化された労働の25%、第二のばあいには50%、第三のばあいには
100%である」。22) 「第一のばあいにも第二のばあいにも、利潤は全資本100の
100%に等しい。ところが生産過程で資本が受けとる現実の剰余価値は第一の
ばあいには25%、第二のばあいには50%である」。23)
以上、要するに、同じ利潤率の諸資本であっても、資本の構成諸部分相互
間の割合が異なれば、その剰余価値率はさまざまであるということである。
ところで、このような利潤率と剰余価値率の非並行的関係をさらに立入っ
て分析することによって、マルクスは、利潤率低下法則論に関連する一つの
興味深い問題を考察している。すなわち、うえの例では、資本@から資本A
へ、 さらに資本Bへと進むにつれて剰余価値率が25%から50%へ、 さらに
100%へと上昇してゆくにもかかわらず、 利潤率は不変(10%のまま)であ
るということが示されたわけであるが、いまやマルクスはさらに一歩踏みこ

21)S.284;S.277;476-477ページ。
22)S.286;S.280;482ページ。
23)S.288;S.282;484ページ。

ー162ー

んで、 剰余価値率が25%から331/3%に上昇するにもかかわらず利潤率が逆
に 10%から62/3%に低下するという例を示し、 利潤率と剰余価値率の非並
行的な関係を分析している。以下、議論の内容を簡単に見ておこう。
冒頭、マルクスは次のような問題を提起する。「資本の構成諸部分のなか
に割合からみて労働にたいしてより多くの材料と用具がはいりこむようにな
ると、 相対的新価値は増大しても、 絶対的新価値は減少しないだろうか?
あたえられた資本とくらべれば、より少ない生きた労働が使用される、した
がってこの生きた労働のその費用にたいする超過分がより大であろうとも…
…絶対的新価値は、必然的に、より少ない労働材料と用具とより多くの生き
た労働を使用する資本のばあいにくらべて――《あとのばあいには》まさに
より多くの生きた労働が相対的により小とならないであろうか?」。24)
この問題に対するマルクスの答えはこうである。すなわち、「100からなる
資本Tは材料に30、手動印刷機に30、労働に4労働日=40ターレルを用いる
とする。利得は10%……である」25) とする。また「200からなる資本Uは材
料に100、 印刷機60、4労働日(ターレル)を用いるとしよう。……利得は
131/3ターレル……である」26) とする。 すると、「第一のばあいには利潤は全
資本にたいして10%、第二のばあいには31/3%にすぎなかったわけだが、 し
かし労働時間にたいしては第一の資本は25%を得たにすぎないのに、第二の
資本は331/3%を得ている。資本Tでは、 用いられた総資本にたいする必要
労働の割合はより大であり、したがって剰余労働は、絶対的には資本Uより
も小であるけれども、より小さい総資本にたいするより大きな利潤の率とし
て現われる」。27)以上の例示から、マルクスは次のような興味深い論点を引出
している。「機械装置をより多く備えて働くより大きな資本の利潤は、生き

24)S.289;S.283;486ページ。
25)S.292;S.286;491ページ。
26)S.292;S.286;492ページ。
27)S.293;S.287;493ページ。

ー163ー

た労働を相対的にか絶対的にかより多く使って働くより小さな資本の利潤よ
りも、より小さなものとして現われるが、それは、生きた労働との対比でよ
り大きい利潤は、使用された生きた労働が総資本にたいしてより小さな割合
をなしている方の総資本にふりあてられるとき、生きた労働との対比でより
小さい利潤――より小さい総資本との比率ではより大きな利潤――よりも、
より小さいものとして現われるからである」。28) つまり「労働をより多く、材
料と機械をより少なく用いる……小資本と、機械と材料をより多く」、29)労働
をより少なく用いる大資本を比較してみると、後者は前者に比べて、剰余価
値率は高いとしても、利潤率は低いということである。
この点を確認したうえで、次にマルクスはバスティアやリカードの見解を
批判する。すなわち、バスティアは「総資本がより大きく、より生産的にな
ると、それにたいする利潤率はより小さなものとして現われるのだから、労
働者の分け前は増えたのだと……固く思いこんで」30) いるが、しかし労働者
の分け前は増えるどころか「労働者の剰余労働の方こそ増えたのである」。30)
リカードもまた「この点を理解していなかったように思われる。さもなけれ
ば、彼は、利潤の周期的低下をたんに穀物価格の騰貴……によってひきおこ
された賃金上昇だけから説明したりはしなかったであろうから」。31)
以上見てきたノートV、S.43〜ノートW,S.13部分におけるマルクスの議
論の進め方を要約すると次のようになろう。すなわち、この部分の中心論題
は、同じ利潤率の諸資本であっても、資本の構成部分相互間の割合が異なれ
ば、その剰余価値率はさまざまであるということであり、このことを証明す
るために、マルクスは、まず、ノートW,SS.1―4部分において、剰余価値
率がさまざまに異なる場合でも、各資本の構成諸部分相互間の割合しだいで

28)S.293;S.288;494ページ。
29)S.292;S.286;491ページ。
30)S.293;S.288;494-495ページ。
31)S.294;S.288;495ページ。

ー164ー

は、諸資本の利潤率は同一でありうることを示し、次に、ノートW,SS.4―7
部分において、もう一歩踏みこんで、たとえば資本Tよりも資本Uが高い剰
余価値率の場合でも、両資本の構成諸部分相互間の割合いかんでは、資本U
の利潤率が資本Tのそれよりも低い場合があることを示し、最後に、資本の
構成諸部分相互間の割合の変化いかんでは、利潤率と剰余価値率が逆方向に
さえ変動するという立場から、バスティアやリカードが「労働者の分け前」
を利潤率の低下と結びつけて把ていることを批判しているのである。
ノートW,SS.1―7部分の内容を以上のように整理することができるとす
れば、ノートW,SS.4―7部分の中心課題は、生産力の発展によって資本の構
成諸部分相互間の割合が変化するが、その変化の仕方しだいでは、利潤率と
剰余価値率が逆方向にさえ変動することがあるという問題であって、けっし
て、生産力の発展によって「労働の搾取度が……高くなる場合にさえも、剰
余価値率は、絶えず下がってゆく一般利潤率に表わされる」32)という命題の
証明が行われているわけではない、と言えよう。
ところで、このあと、マルクスは、まずノートW,SS.7―8において「さき
に中断した論点」すなわち「生産力の増大の結果生じる価値〔増加〕にかん
する問題」(〔 〕内は引用者)にいったん立ち戻って、これまでに明らかにな
った結論を要約し、さらにノートW,SS.8―12において利潤率と剰余価値率
の関係を規定する重要な要因である「資本の構成諸部分の割合」33)(の変化)
の問題に立入った分析を加えている。たとえば次のように述べている。「生
産力の増大は、 資本の総価値が同一のままであるとすれば、 資本の不変部分
(材料と機械からなる)がその可変資本にくらべて、 すなわち生きた労働と
交換される労賃の元本を構成する部分にくらべて増加することを想定してい
る。…… 生産過程にはいりこむ資本の総価値が増大すれば、 労働の生産性、
したがって剰余労働にたいする必要労働の割合が変わらなかったばあいの割

32)Marx,op.cit.,S.223,訳,350ページ
33)S.302;S.298;513ページ。

ー165ー

合にくらべると、 労働元本(資本のこの可変部分)は相対的に減少しなけれ
ばならない」。34)
このように生産力の発展に伴なって資本構成が変化することを明確に把え
たのち、マルクスは再度、資本の構成諸部分相互間の割合いかんでは、 諸資
本の利潤率が同一であっても剰余価値率はさまざまであるという命題につい
て論じている。すなわち、「さきに見たように、総資本にたいする百分比は、
たとえそれが同一であっても、 資本がその剰余価値をつくりだすきわめてさ
まざまな割合、 すなわち資本が相対的ないし絶対的な剰余労働を生みだすさ
まざまな割合を表わすことができる。……その構成諸部分がさまざまな割合
をもつ諸資本が、 したがって生産諸力が異なる諸資本が、 資本全体にたいし
て同じパーセントを生みだすならば、 現実の剰余価値はさまざまな諸部門で
きわめてさまざまなものでなければならない」。35)たとえば、総資本T(50C+
50V+25M=125)が生産力の倍加によって資本T'(75C+25V+25M=125)
となれば、 剰余価値率が50%から100%に上昇するにもかかわらず、 利潤率
の方はあいかわらず25%のままである。(ノートW,SS.12―13)。
かくて、ノートW,SS.7―13部分の内容は次のように要約することができ
よう。すなわち、ノートW,SS.1―7部分において利潤率と剰余価値率の非並
行的関係、 とりわけ両者の逆行的な関係について考察したのち、マルクスは、
まず、「生産力の増大の結果生じる価値〔増加〕にかんする問題」(〔 〕内は
引用者)に最終的な結論を与え、 次に生産力の発展による資本構成の高度化
を分析し、 さらに、 それを受けて再度、 利潤率と剰余価値率の非並行的関係
について論じているのである。
したがって、マルクスがここで生産力の発展による資本構成の高度化を分
析しているとしても、それは、 利潤率低下法則を論証するためのものではな
く、相違なる生産力をのもつ諸資本が、同一の利潤率を生みだすとしても、そ

34)SS.297-298;SS.292-293;504ページ。
35)S.303;SS.298-299;514ページ。

ー166ー

の剰余価値率がさまざまであるという命題を説明するためのものであると言
えよう。
以上、われわれは、『要綱』剰余価値論後半部分における論述を整理・検
討してきたが、その結果次のようなことが明らかになった。すなわち、マル
クスはここで、たしかに、まず@生産力が発展すれば剰余価値率が上昇する
ということを詳しく分析し、次にA生産力の発展によって剰余価値率が上昇
するとしても、他方で資本構成が高度化するば、その程度いかんでは、利潤
率が同じままでありうるし、 また低下しさえするという問題を明らかにし、
さらにBこの問題を解くカギである、生産力の発展による資本構成の高度化
について立入った分析を行なっている。 しかし、そうであるからと言って、
ここですでにマルクスが利潤率低下法則を論証しようとしているとか、定式
化していると考えることはできない。というのは、 マルクスは、たしかに、
いま述べたように、生産力の発展にともなって剰余価値率が上昇するという
こと、 および 生産力の発展に伴なって資本構成が高度化するということを
明確に把握しているが、しかし、その2つの要因がそれぞれ利潤率の変動に
どのように作用し、その結果利潤率がどのように変動するのかということを
――単なるケース・スタディとしてではなく――一般的な問題の形で検討す
ることを少しもしていないからである。
別の言い方をすれば、マルクスは、『要綱』剰余価値論後半(とくにノー
トW,SS.4―7)において、生産力の発展に伴って剰余価値率が上昇すると
しても、資本構成の変化の程度いかんでは、利潤率は低下する場合があると
いう問題に強い関心を抱いたことはたしかであるが、しかし、ここですでに
彼が剰余価値率が上昇する場合を含めて利潤率低下法則の論性を行なおうと
していたと見ることはできないであろう。

ー167ー

  V『要綱』「第3篇、果実をもたらすものとしての
資本」における利潤率低下法則論

次に、『要綱』第3篇前半(ノートZ,SS.15―21)でマルクスが利潤率低
下法則をどのように論証し定式化しようとしているかを詳しく見ることにし
よう。
利潤率低下法則に関する論述そのものの検討に入る前に、『要綱』第3篇
前半全体の内容を見ておこう。筆者の見るところ、以下のように整理するこ
とができる。
@冒頭部分でマルクスは、先行する2つの篇(資本の生産過程と流通過程)
に対して「第3篇」がどのような位置にあるかについて述べている。すなわ
ち、「いまややわれわれが到達したのは、第3篇、果実をもたらすものとして
の資本」36)であり、「資本はいまや生産と流通との統一として措定され」36)、
「みずからを再生産し、したがって年々生きつづける価値としてだけでなく、
また価値を生む価値としても実現されている」36)
Aこの冒頭部分にすぐ続けて、マルクスは、利潤(率)概念について簡単
な説明を行なっている。すなわち、いまや、流通が「資本の再生産過程にと
りいれられることによって、剰余価値はもはや生きた労働にたいする単純な、
直接的なその関係によって措定されたものとして現われな」37)くなる。そう
すれば「資本は、もはやあらたに生産された価値をその現実の尺度、すなわ
ち剰余労働の必要労働にたいする割合によって測らず、それの前提としての
自己自身で測る。……前提された資本の価値でそのように測られた剰余価値
……は――利潤である」。38)「剰余労働の大きさは資本の価値の大きさで測ら
れ、したがってまた利潤の率は、資本の価値にたいするその価値の比率によ

36)S.619;S.631。
37)S.619;SS.631-632。
38)S.620;S.632。

ー168ー

って規定される」。39)
B次に、マルクスは、先行諸篇ですでに「先取り」40)され「展開ずみ」40)
である利潤(率)論を簡単に要約し、そして、それにすぐ続けて利潤率低下
法則の論証を試みている。少し長くなるが、あとの議論のために引用してお
く。
「これまでに展開した一般的諸法則は簡単に次のように要約できる。現実
の剰余価値は、必要労働にたいする剰余労働の割合によって……規定される。
しかし、利潤の形態における剰余価値は、生産過程に前提された資本の総価
値で測られる。したがって利潤の率は――同じ剰余価値、必要労働にたいす
る割合で同じ剰余労働を前提すれば――、原材料と生産手段の形態で存在す
る資本の部分にたいする生きた労働と交換される資本の部分の割合に依存す
る。したがって、生きた労働と交換される部分が少なくなればなるほど、そ
れだけ利潤の率は小さくなる。したがって資本としての資本が直接的労働に
たいする比率でより大きな部面を占めれば占めるほど、つまり相対的剰余価
値――資本の価値創造力――が増大すればするほど、それだけますます利潤
の率は低下する。すでに見たように、すでに前提された、再生産に前提され
た資本の大きさは、生産された生産力としての、見せかけの生命を与えられ
た対象化された労働力としての固定資本の増大において、特有のかたちに表
現される。生産する資本の価値の総量は、その資本のおのおのの部分におい
て、不変の価値として存在する資本部分にたいする、生きた労働と交換され
る資本の比率の減少として表現される。たとえば製造工業をとって見よ。機
械装置等の固定資本が増大すれば、それと同じ割合で原料のかたちで存在す
る資本部分はこのばあい増大しなければならないが、他方生きた労働と交換
される部分は減少する。したがって、生産に前提された資本――また生産に
おいて資本として機能する資本部分――の価値の大きさに比例して、利潤の

39)S.620;S.632。
40)S.620;S.632。

ー169ー

率は低下する。 資本がすでに獲得した実存の範囲が大きくなればなるほど、
新たにつくりだされた価値の、前提された価値(再生産された価値)にたい
する割合は、それだけ小さくなる。……なるほど価値として前提され、原料
および固定資本の形態で存在する資本部分の割合が、生きた労働と交換され
る資本部分と均等に上昇するばあいには、資本は増大しうるし、またそれに
比例して利潤の率が増大しうる。しかしこの均等ということは、労働の生産
力の増大や発展のない資本の増大を想定して」おり、「資本の発展法則と矛
盾」する41)〔以下、これを引用文(A)と呼ぶ〕
以上のように、資本主義的生産の進展とともに利潤率が低下せざるをえな
いことを「論証」したあと、マルクスは、ノートZ,S.19の中程までの部分
において、まず、 利潤率の低下に伴なって利潤の絶対量がいかに変化するか
という問題を考察し、次に、利潤率低下法則が資本主義的生産において「最
も本質的な法則」であり、「歴史的見地からして最も重要な法則」であると
し、その理由を説明し、さらに、利潤率低下を阻止する諸要因に簡単にふれ
たのち、最後に、ブルジョア経済学者たち(A・スミス,D・リカード,E・
G・ウェークフィールド,F・バスティア,H・C・ケアリ等)の利潤率低下
論の批判を行っている。
C以上の利潤率低下法則論に続いて、マルクスは、「本題にもどろう」42)
述べ、再び、利潤(率)の形態規定を行っている。
D最後に、マルクスは、「剰余価値の利潤の姿態への変形に際して明らか
となる2つの直接的な法則」43) について述べている。一つは、利潤率の形態
規定そのものから「直接」出てくる法則であり、利潤率は、不変資本がゼロ
でないかぎり、剰余価値率よりも小さいという法則である。マルクスは次の
ように述べている。「利潤率として表現される剰余価値は、つねに剰余価値の

41)SS.620-621;SS.632-633。
42)S.630;S.644。
43)S.634;S.648。

ー170ー

直接的な現実性における実際の高さよりも小さい比率として現われる。……
利潤率は、資本が労働を搾取する現実の率を表現するものではけっしてなく、
つねにもっとはるかに小さな関係割合を表現して」44)いる、と。
Eこれに続いて、「第二の重大な法則」45)について述べている。それは、ノ
ートZ,SS.15―16においてすでに考察された利潤率低下法則論を総括した
ものであると考えてよかろう。
「第二の重大な法則はこうである。資本が生きた労働を対象化された労働
の形態ですでに領有しおわっている程度におうじて、したがって労働がすで
に資本化され、それゆえにまたますます固定資本の形態で生産過程において
作用する程度におうじて、あるいは労働の生産力が増大する程度におうじて、
利潤率は低下する。 労働の生産力の増大は、a)労働者が資本に与えられる
相対的剰余価値あるいは相対的剰余労働時間の増大と、 b)労働力能の再生
産に必要な労働時間の減少と、 c)一般に生きた労働と交換される資本の部
分の、対象化された労働および前提された価値として生産過程に参加する資
本部分にたいして〔比較しての〕減少と、同意義である。それゆえ利潤率は、
相対的剰余価値あるいは相対的剰余労働の増大に、生産力の発展に、そして
資本として生産に充用される資本の大きさに、反比例している。言いかえれ
ば、第二の法則は、資本の発展、その生産力の発展、ならびに資本が対象化
された価値としてすでに自己を措定した規模の発展つまり労働ならびに生産
力が資本化されている規模の発展、とともに利潤率が低下するところの傾向
である」。45)〔以下、これを引用文(B)と呼ぶ〕
以上が、『要綱』第3篇前半全体の主要内容である。問題の利潤率低下法
則の論証に関連する箇所は、BとEである。以下、これらの箇所でマルクス
が利潤率低下法則をどのように論証し定式化しようとしているかを詳しく分
析してみることにしよう。

44)S.634;S.648。
45)S.635;S.649。

ー171ー

  まず、引用文(A)をパラフレーズすると、次のようになろう。すなわち、 剰
余価値率が不変とすれば、利潤率は「原材料と生活手段の形態で存在する資
本の部分にたいする生きた労働と交換される資本の部分の割合」に依存して
おり、もしこの「割合」が小さくなれば利潤率が低下するであろう。「資本
の大きさ〔の増大〕」につれてこの「割合」が減少していかざるをえない。し
たがって、「資本の価値の大きさに比例して」利潤率が低下していかざるを
えないのである、と。シェーマ化すると次のようになる。剰余価値率一定と
すれば、資本価値の増大―→「原材料を生活手段の形態で存在する資本部分
にたいする生きた労働と交換される資本の部分の割合」の減少―→利潤率の
低下。
見られるように、マルクスは、ここでは、同じ剰余価値率を前提してうえ
で、「原材料と生活手段の形態で存在する資本部分にたいする生きた労働と
交換される資本の部分の割合」の減少という側面だけから利潤率の低下を論
定しており、生産力の発展によって剰余価値率が上昇して場合、はたして利
潤率が低下するのかどうかという問題を少しも検討してはいないと言えよう。
次に、引用文(B)を分析してみよう。ここでのマルクスの論述をパラフレー
ズすると、次のようになろう。すなわち、「労働の生産力の増大」は、「一般
に生きた労働と交換される資本部分の、対象化された労働および前提された
価値として生産過程に参加する資本部分にたいして〔比較しての〕減少」と
同意義であり、「労働の生産力が増大する程度におうじて、利潤率は低下す
る」と。シェーマ化すると、次のようになろう。生産力の増大―→資本構成
の高度化―→利潤率の低下。
したがって、ここでもさきと同様に、マルクスは、労働の生産力の発展に
つれて「生きた労働と交換される資本部分の、対象化された労働および前提
された価値として生産過程に参加する資本部分にたいして〔比較しての〕減
少」という側面だけから利潤率の低下を論定しており、労働の生産力の発展
につれて剰余価値率が上昇した場合にもやはり利潤率が低下するのかどうか
ー172ー

という問題を少しも検討していないと言えよう。
たしかに、引用文(A)や引用文(B)には、生産力の発展につれて剰余価値率が
上昇するという側面をも考慮に入れて利潤率の低下を論定しているかのよう
な文言が見られる。すなわち、引用文(A)には、「資本としての資本が直接的
労働にたいする比率でより大きな部面を占めれば占めるほど、つまり相対的
剰余価値が増大すればするほど……それだけますます利潤の率は低下する」
(傍点は引用者)という表現が、また引用文(B)には、「利潤率は相対的剰余価
値または相対的剰余労働の増大に、生産力の発展に、そして〔不変〕資本と
して生産に充用される資本の大きさに反比例している」(傍点は引用者)と
いう表現が、見られる。
しかし、これらの傍点部分の文言は、けっして、《剰余価値率が上昇した
としても利潤率が低下する》という命題を定立しようとして使用されている
のではなくて、前後の文脈から判断して、「労働の生産力が発展する程度に
おうじて」とか、「資本としての資本が直接的労働にたいする比率でより大
きな部分を占めれば占めるほど」という文言の単なる言い換えにすぎないと
見るべきであろう。46)
46)内田弘氏は、「資本としての資本が直接的労働にたいする比率でより大きな部面を占
めれば占めるほど、つまり相対的剰余価値が増大すればするほど、 …それだけますま
す利潤の率が低下する」という『要綱』第3篇の叙述を引用したうえで、次のような解
釈を示される。すなわち、マルクスはここで「『要綱』直接的生産過程論におけるすぐ
れて相対的剰余価値論の生きた労働(V+M)にくらべて対象化された労働(C)の増
大傾向把握→資本制限措定論と結びつけて、利潤率低下傾向論を展開しているのである
(内田、前掲論文、100ページ)、と。しかし、筆者はこの解釈に賛成することができな
い。
内田氏は、『要綱』直接的生産過程論で「生きた労働(V+M)にたいする対象化さ
れた労働(C)の増大傾向把握→資本制限措定論」が展開されているとし、その内容を
要約、紹介している(内田、前掲論文、98―99ページ)が、しかし関連する『要綱』の
叙述が引用・指示されていない以上、その議論が『要綱』のどこで行われているのか
不明と言わざるをえない。『要綱』でマルクスが明らかにしているのは、内田氏も指摘
しているように、「生産力の増大にもかかわらず、労働日総体が一定のとき、剰余労働
は逓減的にしか増加せず、生きた労働(V+M)を上限としてしだいに剰余労働の〔増
加〕量も増加率もゼロに近づいてゆく」という「『生産力の乗数』の法則」(内田、前掲

ー173ー

  以上のような理由から、われわれは、『要綱』第3篇ではまだ《剰余価値
率が上昇したとしても利潤率が低下する》という問題が考察されていないと
考える。しかし、このようにわれわれが考える根拠は、他にもある。それは、
利潤率と剰余価値率の非並行的関係を説く次のような論述である。すなわち、
「@剰余価値が同じ、すなわち剰余労働と必要労働との割合が同じと前提さ
れても、利潤は不動でありうる……。A現実の剰余価値が上昇しても、利潤
率は低下しうる。B現実の剰余価値が低下しても、利潤率が上昇しうる」47)
(@ABの番号は引用者)。ここで述べられていることを言葉をおぎなって解
釈すると、次のようになろう。@剰余価値率が一定でも、「不変の価値とし
て存在する資本部分にたいする、生きた労働と交換される資本の比率」(以
下「比率」と略す)の変化しだいでは、利潤率は変動しうる;A剰余価値率
が上昇しても、「比率」の変化しだいでは、利潤率は低下しうる; B逆に、
剰余価値率が低下しても、「比率」の変化しだいでは、利潤率は上昇しうる。
これをもう少し整理してみると、剰余価値率が同一の場合にも、またそれが
上昇する場合にも、「比率」の変化しだいでは、利潤率は低下しうる(@+

論文、98ページ、〔〕内は引用者)であるが、すでに本文で述べたように、この法則を
明らかにする際、マルクスは、総労働日一定という前提をおくとともに、生産力の発展
によって資本構成が変化するという要因をまったく捨象して問題を考察している、つま
り対象化された労働(C)に関わる問題はそこではまったく存在しないのである。たし
かに、マルクスは別の箇所で、生産力の発展による資本構成の変化の問題を考察してい
るが(ノートW,SS. 8―12)、しかしそこでは逆に、資本構成の変化の問題をさきの
「『生産力の乗数』の法則」と結びつけて考察していない。以上から、『要綱』直接的生
産過程論ですでに「生きた労働(V+M)にたいする対象化された労働(C)の増大傾
向論(V+M/C→0)が展開されていると言うことはできない。
また、内田氏は、『要綱』の、「相対的剰余価値が増大すればするほど、……それだけ
ますます利潤の率は低下する」という叙述を、「相対的剰余価値が増大したとしても…
…利潤の率が低下する」という意味をもつものと解釈しているが、しかしこのような解
釈は、本文でも述べたように、前後の文脈から見て無理がある。というのは、マルクス
は『要綱』第3篇では、《剰余価値率が上昇したとしても利潤率は低下する》という命
題を論証していないし、また論証しようとさえしていないからである。『要綱』におい
てすでにこのような命題を含んだ形で利潤率低下法則の定式化が行われていると見る
内田氏の理解には、以上のような理由から筆者は賛成できない。
47)S.621;S.633。

ー174ー

A);剰余価値率が同一の場合にも、またそれが低下する場合にも、「比率」
の変化しだいでは、利潤率は上昇しうる(@+B)、ということになる。要
するに、剰余価値率が同じままであろうと、上昇しようと、 低下しようと、
利潤率は「比率」に依存するのであって、この「比率」の変化の仕方いかん
では、利潤率は低下することもあれば、上昇することもある、ということで
ある。これは、明らかに、『資本論』における法則の定式化と異なっている
と言わざるをえない。というのは、周知のように、『資本論』では、資本主
義的生産の進展とともに資本の「不変部分に比べて……可変部分が相対的に
減少して行く」が、 それにつれて「たとえ労働の搾取度は変わらなくても、
またそれが上がる場合にさえも、〔また、――ここでの文脈から当然のことと
して― それが下がる場合にも〕利潤率が下がっていく」、48)と定式化されて
いるからである。したがって、『要綱』第3篇では、マルクスはまだ、剰余
価値率が上昇する場合にも利潤率が低下していかざるをえないという法則を
論証してはいないし、論証しようとしてもいないと言えよう。
念のために述べておくと、マルクスは、利潤率は「原材料と生活手段の形
態で存在する資本部分にたいする 生きた労働と交換される資本部分の割合」
にのみ依存するのであって、剰余価値率にはそれはなんら関係がないと考え
ていたわけではけっしてない。というのは、たとえば、マルクスは次のよう
に述べているからである。「利潤率はたんに剰余労働の必要労働にたいする
割合……によって規定されるばかりでなく、一般的に充用される生きた労働
の対象的労働にたいする割合によって規定される。すなわち対象化された労
働として生産過程に参加する部分と比較しての、一般に生きた労働に交換さ
れる資本部分によって。だがこの部分は、剰余労働が必要労働にたいして増
大するのに比例して減少する」。49) 見られるように、マルクスは、利潤率は
資本構成ばかりでなく剰余価値率にも依存していることを承知していたわけ

48)Marx,op.cit.,S.230;訳、361-362ページ。
49)S.636;S.650。

ー175ー

である。 したがって、正確には、このことを承知していたにもかかわらず、
マルクスは、剰余価値率が上昇する場合はたして利潤率が低下するのかどう
かという問題を少しも検討していないし、 また検討しようともしていない、
と言わなければならない。
かくて、われわれは、『要綱』における利潤率低下法則論について次のよ
うな総括を行うことができよう。すなわち、マルクスは、労働の生産力が発
展すれば剰余価値率が上昇するということを十分に把握していたにもかかわ
らず、彼は、『要綱』第3篇前半では、 同じ剰余価値率を前提したうえで、
労働の生産力の発展に伴なって「不変の価値として存在する資本部分にたい
する、生きた労働と交換される資本の比率」が減少するという事情だけから
利潤率の低下を論定しようとしており、労働の生産力の発展に伴なって剰余
価値率が上昇する場合にも利潤率が低下するのかどうかという問題を少しも
検討していないし、また検討しようとしてもいない、と。
このような『要綱』における研究状況とちがって、 1861―63年草稿では、
剰余価値率一定という条件を解除して利潤率低下法則を論証しようとしてい
る。すなわち、マルクスは、1861―63年草稿ノート]V,S.673において、リ
カードの利潤率低下法則論を批判し、それに対峙する形で自己の利潤率低下
法則論を次のように定式化している。「利潤率が下がるのは、――たとえ剰
余価値率が同じままであるか、または上がるにしても――、労働の生産力の
発展とともに可変資本が不変資本に比べて減って行くからである」。50) マル
クスはこのように述べ、以下、この草稿の幾つかの箇所でこの命題の論証を
試みている。
そこで、稿を改めて、1861―63年草稿において、マルクスがどのような法
則の論証の試みを行なっているかを詳しく分析することにしよう。1861―63
年草稿における利潤率低下法則の形成過程をフォローすることによって、わ

50)MEGA,U,3/3,S.1064;『草稿集』E、621ページ。傍点は引用者。

ー176ー

れわれは、マルクスによる法則の「論証」の意義と限界を確認することがで
きよう。

ー177ー