『経済学雑誌』第74巻第1号、1976年1月発行

  

再生産論の形成とその基本的課題

 

松尾 純

 

    T はじめに     U A.スミスの「V+Mのドグマ」批判のための       「不変資本の再生産の研究」とその理論的成果     V 再生産論の成立にとっての「地代論の完成」の意義     W 再生産論の位置づけに変化があったか     X 再生産論の中心課題に変化にあったか     Y むすび

 

 Tはじめに
 戦後日本のマルクス経済学は多種多様の論争を経過してきたが、そのうちの最も重要な
論争の一つが、再生産論と恐慌論あるいは「生産と消費の矛盾」との関連をめぐる論争で
ある。この論争は、戦後まもなく開始され1960年代はじめまで続けられたものである。し
かし、それ以後、恐慌論の研究者たちは、論争に ”一応の決着” がついたものとして、
それぞれの表式観に基づいて恐慌論の構築を進めてきた1)。 ところが、最近、この再生産論
と恐慌論あるいは「生産と消費の矛盾」との関連をめぐる論争が再熱しつつある。周知の
ように、一つは、久留間鮫造氏と富塚良三氏との論争であり、もう一つは、久留間氏の側
に立つ見田石介氏・大谷禎之介氏と二瓶敏氏との論争である。
前者の論争の焦点は、直接的には、『剰余価値学説史』2)(以下『学説史』と略称)の「そ
れ自体同時に再生産過程であるところの流通過程」(Th.U,513)――マルクスによればこ
とで「恐慌の新しい要素 neues Element der Krise」がつけ加わり「さらに発展した恐慌
の可能性」が問題になる――という文言をいかに解釈するか、にある。すなわち、久留間
氏編『マルクス経済学レキシコン』第6分冊の「栞」によれば、それは「『資本論』第2


1)最近の成果として、例えば、井村喜代子『恐慌・産業循環の理論』 有斐閣、1973年がある。
2)Marx,K.,Theorien über den Mehrwert,MEW,Bd.26,1,2,3,Dietz Verlag,
Berlin,1965,1967,1968.(時永淑・岡崎次郎訳『剰余価値学説史』マルクス=エンゲルス全集、
第26巻TUV、大月書店、1969、1970、1970年)。以下引用に際しては、Th. T,Th. U, Th.V
と略記し、引用の後に原ページ示す。

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部の全体がその分析にあてられている『資本の流通過程』のこと」3)であり、したがって
「さらに発展した恐慌の可能性」は『資本論』「第2部第3篇だけでなくて、第2部全体
についてみる必要がある」4)。これに対して、富塚氏は、それは「後に『資本論』第2巻第
3編……において分析対象とされる……『総=流通 ・ 再生産過程』でなければな」らな
5)、したがって、「さらに発展した恐慌の可能性」は『資本論』第2部第3篇で問題にな
6)、と主張された。そして、以上のような解釈から、「栞」は、再生産論では「生産と消
費の矛盾」は論じられないという結論を、また富塚氏は、再生産論においてはじめて「生
産と消費の矛盾」がいかにして全商品資本の現実を制約するかを理論的に解明することが
できるという結論を、それぞれ引き出そうとされた。
他方、後者の論争は次のようなものである。すなわち、見田氏は、 方法論的見地から、
「表式はどこまでも資本主義生産の矛盾の一側面」を表現するものであり、「表式そのもの
を展開してそこになんらか生産と消費の矛盾が……みられることを証明しようとする試み
はすべた不必要である、まちがいである」と主張された7)。また大谷氏は、『資本論』第
2部注32の――「生産と消費の矛盾」は「次のAbschnitt」ではじめて問題になるという
――マルクスの「覚え書き」について、「エンゲルスにとっては『次のAbschnitt』が第2
部第3篇でないことは自明であったにちがいない」8)とされ、「次のAbschnitt」が『資本
論』第3部を指すことを示唆された。これに対して、二瓶氏は、「問題の内容から『次の
Abschnitt』は第2部第3篇を指す以外にはない」9)こと、「『内在的矛盾』は『再生産論の結
論』として把握」10)されねばならないことを主張された。

3)久留間鮫造編『マルクス経済学レキシコン』大月書店、 第6分冊、1972年9月の栞、 8ページ。
4)同、11ページ。
5)富塚良三「恐慌論体系の展開方法について――久留間教授への公開質問状――」『商学論集』第
41巻第7号、1974年7月、241ページ。
6)同、241〜242ページ。
7)見田石介「マルクスの方法のヘーゲル主義化――弁証法的方法の問題――」『思想と科学』第2
号、1971年、63ページ。
8)大谷禎之介「『内在的矛盾』の問題を『再生産論』に属せしめる見解の一論拠について――『資
本論』第2部注32の『覚え書き』の考証的検討――」『経済経営研究所研究報告』(東洋大学)第6
号、1973年、195ページ。氏はまた次のようにも述べられている。「『次のAbschnitt』=『次の篇』
=『第2部第3篇』と先入見的に考える傾向……は完全に払拭されなければならない」(199ペー
ジ)。
9)二瓶敏「再生産論と『一層発展した恐慌の可能性』―― 表式における『内在的矛盾』把握の否
定論によせて――」(岡崎栄松、大島雄一編『資本論の研究』日本評論社、1974年所収)、183ページ。
10)同、183ページ。

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  以上、簡単に最近の再生産論と恐慌論との関連をめぐる論争を概観したが、本稿でのわ
れわれの課題が、 以上の論争を直接取扱うことではなく、 マルクスの再生産論の形成過
程を追うことによって『資本論』第2部第3篇再生産論の基本的課題を明らかにし、 以上
の論争の解決のための糸口をえることである。そして、このような課題を果たすために、わ
れわれは、昨年はじめて公表された『資本論』第2部用「第1草稿」(ロシア語版『マル
クス・エンゲルス著作集』第49巻、1974年所収11)。表題「第2部、資本の流通過程」、執筆
時期――編集者注68によれば――「おそらく1864後半から1865年春までの時期」12) )を
資料の一つとして利用する。この草稿は、再生産論の形成過程にとって決定的な位置をし
めており、また、私見によれば、さきの久留間・富塚論争に解決の鍵を提供しているよう
に思われる。
ところで、本稿のこのような課題を果たす手がかりをえるために、われわれは、すでに、
再生産論の形成過程に関する 従来の諸見解を検討し それぞれの問題点を指摘しておいた
(拙稿「マルクス再生産論の形成過程――諸見解の整理とその問題点」『経済学雑誌』第
72巻第2号、1975年2月)。いま、従来の諸見解のうち、われわれの見解と根本的に対立
するもの二つをあげることにする。
一つは、高木彰氏の見解である。氏は次のように言われる。『学説史』におけるスミス
の「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本の再生産の研究」(第3章第10節、第4章
第6、9節。1862年1月から4月までの間)とケネー「経済表」の批判的検討(第6章、
1862年4月頃)を起点にして成立したものがマルクスの「経済表」( 1863年7月6日 )で
あるが、しかし、それはあくまでも「表」であって表式ではない、「表」が表式に転化す
るためには、資本蓄積論の完成(1875年)、資本循環論の確立(1877年)を媒介としなけ
ればならない、そのことにとってはじめて、再生産論は「資本制的蓄積の現実的動態過程
の解明」という課題をもつものとして成立しえたと13)。要するに、資本蓄積論の完成・資
本循環論の確立ということが再生産論の成立および意義を考えるうえで決定的な意味をも
っているという見解である。
 もう一つは、山田盛太郎、矢吹満男両氏の見解である。 矢吹氏は次のように言われる。

11)К.Маркс ц Ф.Энгельс Сочинения,Издание второе,том49,Москва,1974.
以下、「第1草稿」からの引用に際しては、マルクスの原稿ページ数のみを示す。
12)この執筆時期の推定は、すでにはやくから行われてきた佐藤金三郎氏の推定とほぼ合致する。
『資本論』「第1部の原稿は1864年8月ごろまでにほぼ完了し、同年後半には第2部にかんする最初
の原稿が準備された」。(遊部久蔵他編『資本論講座』1、青木書店、1963年、107ページ)。
13)高木彰『再生産表式論の研究』ミネルヴァ書房、1973年、35〜109ページ。

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マルクスの「経済表」は、『経済史』におけるスミス、ケネー研究の成果をふまえつつも
さらに「地代論の完成」を媒介として成立することによって、「産業資本主義段階の全再
生産構造を表示する」という課題をもつに至り、さらに「『経済表』それ自体は、その後
の展開のなかで再生産表式へと止揚される」ことによって、マルクスの再生産論は「世界
市場恐慌を理論的に展望し……『変革の規定に貫き徹る鉄の如き必然性を規定するところ
の基準を提示する』」ものとして成立したと。要するに、「地代論の完成」を媒介としてい
るということが、 再生産論の成立および意義を考えるうえで決定的な意味をもっている、
14)という見解である。
だが、われわれはこれら二つの見解に同意することはできない。私見によれば、『資本
論』第2部第3篇再生産論は、商品資本循環を基礎視角にすることによって――つまり、
社会的総資本の流通過程における価値および素材補填の関係を分析することによって――
社会的総資本の再生産過程(およびその諸条件)を考察しようとするものである。これを
「生産と消費の矛盾」に関連させて言いかえれば、再生産論は、「生産と消費の矛盾」の一
側面を、つまり生産と消費の結合関係を明らかにするものである15)。したがって、「生産と
消費の矛盾」が再生産論の「結論」であるとか16)、あるいは、それに「内包」されている
とか17)、と考えるべきではなく、したがってまた「生産と消費の矛盾」の展開過程として
の景気循環の局面分析が、再生産論の一層の展開によって可能になる、と考えるべきでも
ない。
このようなわれわれの主張を形成史的に根拠づけるために、本稿では次のことを明らか
にしてみたい。すなわち、『資本論』第2部第3篇再生産論の形成過程において終始一貫
して決定的な意味をもっていたのは、『学説史』におけるスミスの「V+Mのドグマ」批
判のための「不変資本の再生産の研究」における諸成果であったということ、したがって
また、その過程では、「地代論の完成」や資本循環論の確立はいかなる決定的な意味もも
ちえなかったということである。もし以上のことが明らかになれば次のように言うことが
できるであろう。すなわち、スミスの「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本の再生

14)矢吹満男「『資本論』成立過程におけるマルクス『経済表』の意義」『土地制度史学』第61号、
1973年10月、11〜20ページ。
15)見田石介、前掲論文参照。
16)例えば、宇高基輔「再生産論と恐慌との連繋について」『社会科学研究』(東大)、第3巻第1
号、1951年9月、17ページ。
17) 例えば、山田盛太郎「再生産過程表式分析序論」『資本論体系中』経済学全集第11巻、 改造社
、 1931年。戦後復刊版『再生産過程表式分析序論』改造社、1948年、77ページ。

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産の研究」でマルクスがそもそも何を究明しようとしていたのか、このことのうちに再生
産論の基本的課題を見出すことだできると。

U A.スミスの「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本の再生産の研 究」とその理論的成果
再生産論の形成過程においてつねにその主要課題をなしていたのは、スミスの「V+M
のドグマ」批判のための「不変資本の再生産に関する問題」であった。この問題の本格的
な研究を、マルクスは、1861〜63年の23冊ノートの中の第6〜7冊(『学説史』第3章第
10節)においてはじめて行なっている。しかも、この研究において、マルクスは、二部門分
割と流通の三流れの視角を確立させ、社会的総資本の再生産を事実上商品資本循環の視角
から考察するに至っている。以下、その研究内容を簡単に見ることにする。
マルクスがここで考察すべく提起した問題は、「不変資本の再生産に関する問題」(Th.
T,81)である。それは、マルクスによれば、「年々の利潤と賃金が、利潤と賃金のほかに
不変資本をも含む年々の商品を買うということは、どうして可能であるか」(Th.T,78)
という問題である。言いかえれば、リンネル生産者自身の利潤と賃金の合計によっては12
エレのリンネル総生産物の中の新不可労働部分4エレしか買いもどしえず、それ以上の不
変資本部分の「8エレのリンネルをだれが買うのか?」(Th.T,85)という問題である。
 この問題を解決するためにマルクスは種々の試みを行なっている。すなわち、リンネル生
産者A以外の「BとC・・・が、彼らの賃金と利潤の総額……を全部リンネルに支出する
ものと仮定」(Th.T,87)したり、さらにリンネル生産者のような消費資料生産者だけで
なく生産手段生産者も存在することを想定して「交換をまったく顧慮せずに、12エレのリ
ンネルが、それの生産またはそれの諸要素の生産に参加したすべての生産者たちのあいだ
に、どのように分配されるかを考察」(Th.T,99)したりする。だが、そのような方法で
は、いくら計算を進めていっても、たとえリンネル生産者の不変資本部分の実現・補填が
なされたとしても、リンネル生産者に不変資本要素として参加した生産者たちの不変資本
部分をけっして実現・補填しえないことが明らかにされる。そして、最後に、問題を解決
するためには、不変資本の生産者間の「不変資本と不変資本との交換」(Th.T, 116)を
考えなければならないことが指摘される。
こうして、マルクスは次のような結論に達する。すなわち、「消費用生産物にはいって
行く不変資本部分は、 非消費用生産物にはいって行く 生きている労働から支払われる」
(Th.T,117)。それに反して、非消費用生産物にはいって行く「他の不変資本部分は、総
生産物にはいって行くとはいえ、価値成分としても使用価値としても、消費用生産物には

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いって行かないのであって、現物で補填され」(Th.T,117)ねばならない。しかも、これ
らのことが可能なためには、「消費用生産物の生産と、その生産に必要な不変資本のすべ
ての部分の生産とは、……つねに同時に相並んで行わ」(Th.T,118)れていなければなら
ないと。
ところで、以上の研究成果をふまえて、マルクスは、さらにノート第9冊(『学説史』
第4章第9節)、および第10冊(同第6章)において再生産の研究を行なっている。前者で
は、マルクスは、二部門分割――「消費用生産物の生産者であるA」(Th.T,208)と「非消
費用生産物の生産者であるB」(Th.T,209)――と流通の三流れ――「収入と収入との交
換」(Th.T,205)「資本と収入との交換」(Th.T,215)「資本と資本との交換」(Th.T,
220)――とによって年々の総生産物の補填関係を要領よく概括している。 さらに後者で
は、マルクス以前に社会的資本の再生産の考察において「天才的な着想」(Th.T,319)を示
したケネー「経済表」が検討される。そこでは、マルクスは、年々の総生産物の補填運動
を媒介する諸流通を、それに規定された貨幣の還流運動の分析を通じて考察している。こ
のケネー「経済表」の批判的研究で注目すべき第一の点は、社会的総資本の再生産を考察
するためには、生産的消費を媒介する諸流通と個人的消費を媒介する諸流通との絡み合い
が分析されねばならないことが明確に意識されているということである。このことは、商
品資本循環が事実上再生産論の基礎視角として設定されたことを示すものである。第二の
点は、再生産過程の考察で明らかにされたことのすべてを一つの「表」に総括したケネー
の着想をマルクスが「天才的な着想」として注目していることである。このことは、マル
クスの「経済表」や表式が作成される際の重要なヒントをなしたことを示すものである。
以上、われわれは、スミスの「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本の再生産の研
究」を端緒とする諸研究を検討し、それらが再生産論の形成過程の本格的な出発点をなし
ているとされるゆえんを見た。以下、 これら諸研究の理論的成果が、その後の再生産論の
形成過程においても決定的な意味をもっていたかどうかを検討することにする。そのため
にまず、はたして山田氏らの言うように再生産論の形成過程において「地代論の完成」が
決定的な意味をもっていたかどうかを検討することにする。

V再生産論の成立にとっての「地代論の完成」の意義18)


18)この問題の考察にあたって次のものを参考にした。宮本義男『「資本論」研究序説』(第6章)
ミネルヴァ書房、1957年。同『資本論研究』大月書店、1958年。ブィゴツキー著・富岡裕訳『資本
論の生誕』新読書社、1969年、久留島陽三『地代論研究』ミネルヴァ書房、1972年など。

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  (1)再生産論の成立にとって「地代論の完成」の意義を考えるまえに、まず「地代論の完
成」それ自体の意義を明らかにしておこう。(ここで、「地代論の完成」とは、マルクスに
よる差額地代および絶対地代の解明、とりわけ後者の解明を意味する。その時期は、ここ
では一応、マルクスがエンゲエスに絶対地代の解明をはじめて告げた1862年6月18日付手
紙の項の1862年6月としておこう。)
マルクスは、1850年代はじめにすでに収穫逓減の法則に基づくリカードの差額地代論を
批判しえていた19)。にもかかわらず彼は、1862年6月に至るまで、絶対地代の存在を否定
するリカード地代論の「ごまかし」を発見できないでいた20)。この時期に彼の念願にあっ
た地代論は差額地代論以上のものではなかった。そのためもあって、彼の1857〜58年の手
稿では、「資本一般」の考察では「土地所有はゼロと仮定」され21)、地代は論じられずにい
た。だが、このことは、「地代論の完成」以前のマルクスが、地代は利潤や利子と同様に剰
余価値の一分肢であるという認識をもち、しかも剰余価値とその特殊な分肢諸形態(利潤
利子、地代)とを区別していたことをなんら否定するものではない22)。ただ言えることは、
この当時マルクスは、まだ剰余価値がいかなる中間項をへて必然的に利潤、利子、地代の
分肢諸形態に転化するかということを明らかにしえていなかった、ということである。つ
まり1857―58年手稿では、「地代は資本ぬきにしては理解できない。しかし、資本は地代
ぬきにしてもじゅうぶん理解できる」23)という理解から、地代論は「資本一般」の考察に
は属さないものとされ、十分に研究されなかったのである。
しかし、1862年6月の「地代論の完成」によって事情は変化した。 すなわち、地代論は
当時まず「価値と費用価格とに関する私の理論の例証」(Th.U,268)として「第3篇 資
本と利潤」の「挿入された一章」24)で取扱われるとされ、さらに、1863年1月のプランで
も、「第3篇 資本と利潤」の「(4)(価値と生産価格との相違の例証)」に位置づけら

19)1851年1月7日付マルクスのエンゲルス宛手紙、 マルクス ・ エンゲルス『資本論書簡』@岡崎
次郎訳、国民文庫(以下『書簡』@と略記)、77〜81ページ参照。
20) 1862年6月18日付マルクスのエンゲルス宛手紙、『書簡』@308〜309ページ参照。なお、1851
年5月19日付エンゲルスのマルクス宛手紙『書簡』@97ページも参照のこと。
21)1858年4月2日付マルクスのエンゲルス宛手紙、『書簡』@248ページ
22)『学説史』の冒頭でマルクスは次のように述べている。 「すべての経済学者に共通する誤りは、
彼等が剰余価値を、純粋に剰余価値として考察しないで、 利潤や地代という特殊的形態において考
察していることである」(Th.T,6)。さらにTh.T,18,58なども参照せよ。
23)Marx,K.,Zur Kritik der politischen Okonomie,Einleitung,S.11.(武田他訳『経
済学批判』岩波文庫、1956年、11ページ)。
24)1862年8月2日付マルクスのエンゲルス宛手紙、『書簡』@310ページ。

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れた。さらに、『資本論』第3部用草稿(1865年)では、たんなる「例証」ではなく、利
潤論や利子論とならぶ一つの章――「第6章 超過利潤の地代への転化」――をなすものと
されるようになった25)。こうして、現行『資本論』では、「資本によって生みだされた剰余
価値の1部分が土地所有者に帰属するかぎりでの土地所有」の考察、あるいは「農業にお
ける資本の投下から発生する一定の生産および交易諸関係」の考察なくしては、「資本の
分析は完全ではないであろう」26)といわれるようになったのである。
ところで、重要なことは、このような地代論の取扱い方の変化そのものとともに、「地代
論の完成」を契機とするマルクスの経済学研究の変化・進展である。
マルクスは、23冊ノートの第10〜12冊において絶対地代、差額地代の解明を行っている
が、その際、それらを解明する必要からそれらの理論的前提をなす諸問題を初めて詳細に
展開するに至っている。たとえば、平均利潤、生産価格、資本の有機的構成、市場価値、
部門間競争・部門内競争等の諸規定がそうであった。さらに、これらの諸成果のうえにた
って、マルクスは、つづく諸ノートにおいて、のちに『資本論』第3部で展開される諸問
題の研究を行っている。すなわち、第15冊では、「収入とその諸源泉」「俗流経済学」に関
する挿話につづいて利子生み資本論や商人資本論が展開され、第16冊では、「第3章・資本
と利潤」という表題のもとに『資本論』第3部第1―3篇の諸問題(剰余価値の利潤への
転化、 利潤の平均利潤への転化、 利潤率の傾向的低下の法則 )が 展開されることにな
27)
以上から、われわれは、「地代論の完成」の意義を次のように確認することができよう。
「地代論の完成」以前にも、マルクスは、地代が利潤、利子と同様に剰余価値の一分肢を
なすという程度の認識をもってはいた。 にもかかわらず、 1857―58当時は、地代論の取
扱いプランからも知られるように、彼は、剰余価値がいかなる中間項をへて必然的に利潤
利子、地代の特殊的分肢諸形態に転化するかというメカニズムを十分に研究しようとはし
なかったし、事実把握してもいなかった。それに反して、 1862年6月に「地代論の完成」
を果したマルクスは、 それ以後剰余価値がその分肢諸形態に転化するメカニズムの十分な
研究を行い、その成果を「資本一般」を論じる『資本論』の範囲内において一般的に取扱
うようになる。つまり、「地代論の完成」によって剰余価値の分肢諸形態に関する諸理論
の解明がなされ、それらが『資本論』第3部で論じられるようになったのである。

25)佐藤金三郎「『資本論』第3部草稿について(1)」『思想』、1971年4月、134〜136ページ。
26)Marx,K., Das Kapital, MEW, Bd. 25, Dietz Verlag, 1964, S. 627―628.
27)Th.V,注118参照。

ー79ー

 (2)このような意義をもつ「地代論の完成」が、『資本論』第2部第3篇再生産論の成立
にとって決定的な意味をもっていたかどうかを次に検討しよう。
この問題に関してまず言えることは、「地代論の完成」以前でも以後でも、マルクスは、
再生産論を論じる際にはつねに剰余価値を分肢諸形態をもって表わすことなく、「利潤」
「剰余価値」「剰余生産物」等の表現で一括して取扱っている、ということである。すなわ
ち、「地代論の完成」以前のスミスの「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本の再生
産の研究」でも「全剰余価値を利潤と呼ぶ」(Th.T,79)とされており、「地代論の完成」
以後の再生産研究――23冊ノートの第13冊(『学説史』第17章)および第14冊(同第
21章第1節b)――でも剰余価値範畴は「剰余生産物」「利潤(地代も含む)」(Th.U,491)
「利潤(利潤や地代や利子などの諸分肢……も含めて)」(Th.V,246)とされている。だが
「地代論の完成」によってはじめて剰余価値の分肢諸形態に関する諸理論が解明されたに
もかかわらず、マルクスはなぜ剰余価値範畴をつねにこのようなそれの特殊的分肢諸形態
によってではなく、それらの本源的、一般的形態で取扱ったのであろうか。それはマルク
スが「不変資本の再生産に関する問題」を中心とする再生産の諸問題の本格的な取扱いは
「資本の流通過程」篇に属するとつねに考えていたからであろう。なぜなら、剰余価値の
分肢諸形態を論じる前の「資本の流通過程」篇で再生産論を論じるとすれば、剰余価値は
その本源的形態に一括して取扱われるよりほかないからである。
ところが、マルクスの「経済表」(1863年 7月 6日付マルクスのエンゲルス宛手紙に同
封)に関しては事情が異なる。マルクスの「経済表」においては、剰余価値部分は「剰余
価値」とその収入諸形態である「利潤」(しかも「利潤」はさらに「産業利潤」「利子」「地
代」の分肢諸形態に)とに、可変資本部分は「可変資本」とその収入形態である「労働賃
金」とに分けて表示されている。つまり、抽象的価値範畴と具体的収入諸形態の双方が、
それぞれの対応関係がわかるように線で結びつけられて表示されている。とりわけ、剰余
価値がその分肢諸形態をもって表示されている点が注目される。それは、あきらかに、マ
ルクスの「経済表」の成立にとって「地代論の完成」が一定の意義をもっていたことを示
している。なぜなら、マルクスの「経済表」がこのように剰余価値の分肢諸形態を表示し、
しかも「僕の本の最後の諸章のうちの一章」28)に載せられるためには、次のこと、すなわ
ち「地代論の完成」を契機にして剰余価値の分肢諸形態に関する諸理論がすでに解明され
ていることが前提されていなければならないからである。そして、以上のような事情から
われわれは、『学説史』の「不変資本の再生産の研究」から『資本論』第2部第3篇に至

28)1863年7月6日付マルクスのエンゲルス宛手紙、『書簡』@、340ページ。

ー80ー

る再生産論の形成過程の一段階に、マルクスの「経済表」を位置づけることができない。

W再生産論の位置づけに変化があったか

この問題に関するわれわれの結論を先取りして述べれば、マルクスはつねに再生産論を
「資本の流通過程」篇で論じるものとしていたといえる。
再生産の研究を本格的に開始したスミスの「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本
の再生産の研究」において、マルクスは、すでに「不変資本の再生産に関する問題は、明
らかに、資本の再生産過程すなわち流通過程についての篇 Abschnittに属する」(Th.T,
81)としている。さらに、「地代論の完成」以後にリカード蓄積論批判を行ないつつ自己の
再生産論を展開しているノート第13冊(『学説史』第17章)においても、マルクスは次の
ように言っている。すなわち、「再生産された価値の実現」や「剰余価値の実現」の問題
は、「それ自体同時に再生産過程であるところの流通過程においてはじめて」取扱われる。
「われわれは、完成した資本――資本と利潤――を説明するよりも前に、流通過程すなわ
ち再生産過程を説明しなければならない。なぜなら、われわれは、資本がどのように生産
するかということだけでなく、資本がどのように生産されるかということを説明しなけれ
ばならないからである」(Th.U,513―514)と。
以上において注意すべきことは、『学説史』当時、マルクスは、すでに再生産論を「資
本の流通過程」篇に位置づけていたが、いまだその篇のどの箇所でそれを論じるべきかに
ついては深く考えてはいなかった、ということである。それはおそらく次の事情による。
第一に、「資本の流通過程」論の内容をなす循環論・回転論の研究が1857〜58年手稿以後
あまり進展しておらず、第二に、しかも、新たに登場した再生産論がそれら循環論・回転
論といかなる理論的関連を有しているかについて十分に考察されていなかった。
とすれば、ここでいわれる「それ自体同時に再生産過程であるところの流通過程」をも
って、ただちにそれが現行『資本論』第2部第3篇再生産論を指すものとすることはでき
ない。「資本の流通過程」篇全体を指すものとしてこの文言を理解すべきであるといえる。
それゆえ、さきに見た富塚良三氏の推論――すなわち、そこではじめて「さらに発展した
恐慌の可能性 」が現われうるところの 「それ自身同時に再生産過程であるところの流通
過程」とは、後の『資本論』第2部3篇にあたるものであると解釈し、そこから「生産と
消費の矛盾 」は 再生産論においてはじめて問題になるという結論を導こうとされた推論
――に、われわれは賛同することができない。だが、これとは逆に、久留間鮫造編『レキ
シコン』第6、7栞のように、いまだ循環論 ・ 回転論と再生産論との理論的連関が十分

ー81ー

明らかになっていない『学説史』当時のこの文言の解釈――それが「資本の流通過程」篇
全体を指すとする解釈――をもって、ただちにそこから現行『資本論』第2部第3篇再生
産論の意義の考察に向かうことも、また正しくないであろう。なぜなら、その後明らかに
されてくる――循環論・回転論に対する――再生産論の独自の意義(第2部全体の中での
第3篇の位置)が、このような解釈によって問題にされえないで終わるおそれがあるから
である。再生産論の意義の考察のためには、循環論、回転論と再生産論との視角の相違に
ついて明らかにしておく必要がある。それについてマルクスは、『資本論』第2部用「第
1草稿」(1864―65年)において、現行『資本論』以上に明確な説明を与えているが29)、こ
こでは詳論しえない。ともあれ、『学説史』当時、再生産論は「資本の流通過程」篇で展
開されるものとされていたといえよう。
このような『学説史』での再生産論の位置づけを一歩進めたものが、草稿「第6章、直
接的生産過程の諸結果」における「再生産過程に関する第2部第3章」30)というマルクス
の指示文言である。これは、再生産論を「第2部」のしかも「第3章」に位置づけたもので
あると解することができる。だが、なぜマルクスはこのような位置づけをすることができ
るようになったのだろうか。それはおそらく次のような事情、すなわち、この草稿以前に
マルクスが「剰余価値の生産」論や「資本の蓄積過程」論の考察を行なっていたという事情

29)例えば、次のような指摘がある。「これまで〔第1、2章では――松尾〕、資本の総流通過程ま
たは再生産過程の研究に際して、われわれは、資本が通過するところの諸契機あるいは諸局面を形
式的にのみ考察した。 これに反して、 いまや〔第3章――松尾〕、われわれは、この過程が行わ
れうる現実的諸条件を研究しなければならない」(S.107)(なおS.1,65も参照のこと)。ここで
マルクスが言いたいことは要するに次のことである。すなわち、『資本論』「第2部、資本の流通過
程」全体を通じて、われわれは、「資本の総流通過程または再生産過程の研究」を行うのであるが、
その際、第1、2章では資本の再生産過程を――「現実的諸契機」(S.1)つまり素材的契機を捨象し
て――ただ形式的にのみ考察し、第3章では――この「現実的諸契機」を形態の単なる考察のうえ
に加えることによって――この過程が行われる現実的諸条件を考察する。このようなマルクスの指
摘からすれば、『資本論』第2部第3篇においてのみ再生産過程が取扱われているという理解を前
提にした富塚氏の所説も、『資本論』第2部の第1,2篇に対する第3篇の独自性をそれ相当に認
めない久留間氏の所説も、ともに誤っているといわざるをえない。が、これらの問題の評論は次稿
に譲る。
30)岡崎次郎訳『直接的生産過程の諸結果』国民文庫、120ページ。 なお、 マルクスは、プルード
ンと俗流経済学者フォルカードとの商品の価格を構成する諸要素に関する論争――すなわち、プル
ードンが剰余価値の実現困難を主張したのに対して、フォルカードがそれにもまして不変資本部分
の現実困難を主張した論争――について、この問題は「再生産過程に関する第2部第3章」か、も
っとあとのほうに置くほうがよい(同上、191ページ)と述べている。

ー82ー

によるものと推定される31)。とすれば、そのような「資本の蓄積過程」論の考察を行うた
めには――現行『資本論』第1部第7篇「資本の蓄積過程」のいわゆる「諸言」にも見ら
れるように――「資本の流通過程」論、とりわけ実現論へのある程度の配慮が必要とされ
たであろうと思われる。したがってまた、もしそのような「資本の流通過程」論への一定
の配慮がなされたとすれば、おそらく第2部「資本の流通過程」の章別構成についてのあ
る程度の見通しをマルクスがもちえたのではないかと思われる。
こうして、マルクスは、『資本論』第2部用「第1草稿」(1864―65年)の、しかもその
冒頭において、「現実的再生産過程としての流通過程の考察」は「第3章において行われ
る」(S.1)と明言しえたのである。以後――第3部草稿(1865年)、第1部初版(1867年)
第2部用第2草稿(1868―70年)32)、第8草稿(1880―81年)33)等――マルクスによって
再生産論が第2部第3章または第3篇に位置づけられていることは周知の事柄である。
ところが、マルクスの「 経済表 」に関して事情が異なる。それは、マルクスによって
「僕の本の最後の諸章のうちの一章のなかに総括として載せるもの」34) とされている。こ
こでいう「僕の本の最後の諸章のうちの一章」とは、具体的にどの箇所を指すのだろうか。
それは、おそらく、1863年1月のプランで言えば第3篇「資本と利潤」のうちの俗流経済
学を批判する諸章――「9,収入とその諸源泉」 「10,資本主義的生産の総過程における
貨幣の還流運動」「11,俗流経済学」――のうちの一章(おそらく第10章)を指すものと
考えられる。また、現行『資本論』で言えば、第3部第7篇の諸章のうちの一章を指すも
のと考えられる。 とすれば、 このような「経済表」の位置づけは、『学説史』での――
「不変資本の再生産に関する問題」は「資本の流通過程」篇に属するとした――位置づけ
とは明らかに異なる。だが、この位置づけは、すでに見た「経済表」の表現技術上の特徴
に照応していると考えられる。とすれば、このような諸特徴――表現技術および位置づけ
などの特徴――をもつ「経済表」をもって、マルクスは何を展開しようとしていたのだろう
か、という問題が生じてくる。だが、この問題は、「経済表」を作成した当時、マルクス
が「僕の本の最後の諸章」で何を展開しようとしていたのか、という問題として考察され
ねばならない。だが、後者の問題は、さらに『資本論』体系をどのような「総括」をもっ
て終えようとしていたのか、という重大な問題に関連してくる。それゆえ「経済表」をも

31)佐藤金三郎「『資本論』第3部原稿について(2)」『思想』、1971年6月、117〜119ページ。
32)、33)時期推定は、田中真晴「晩年のマルクスの覚え書き」『経済論叢』第109巻第1号、1972年
1月による。
34)1863年7月6日付マルクスのエンゲルス宛手紙、『書簡』@340ページ。

ー83ー

ってマルクスが何を展開しようとしていたのかという問題の究明は、本稿では十分に行い
えない。とはいってもすでに見てきた諸事情から次のことだけは明らかであろう。すなわ
ち、マルクスは、彼の「本の最後の諸章のうちの一章」において再生産論を展開するため
に、「経済表」を作成したのではない。それゆえ、マルクスの「経済表」の構想を、『資本
論』第2部第3篇再生産論へ発展 ・ 転化していくものであるとか35)、『資本論』の体系
の未成立の頃の再生産論の構成であるとか36)、と考えることはできない。

X 再生産論の中心課題に変化にあったか

以上、われわれは、第一に、再生産論の展開に際してはマルクスはつねに剰余価値部分
を一括して取扱ってきたということ、 第二に、 マルクスが再生産論の本格的な取扱いは
「資本の流通過程」篇に属するとしてきたということを見てきたが、これらのことは、マ
ルクスが展開しようとしていた再生産論の中心課題に照応するものであると考えられる。
なぜなら、再生産論を展開する際につねにマルクスの念頭にあったものは、スミスの「V
+Mのドグマ」批判であり、したがってまた、彼の再生産論の主要課題をなしたものは、
つねに「不変資本の再生産の研究」を契機にして解明されてきた社会的総生産物の流通過
程における価値および素材補填の関係の分析であったからである。このことは以下によっ
て明らかである。
マルクスは、23冊ノートの第9冊(『学説史』第4章第9節)の研究を終えるに際して
「なお残された問題」があることを指摘し、その問題を今後「この歴史的一批判的部分」
(=『学説史』)で研究していくこととしている(Th.T,222)。「なお残された問題」とは、
すでに明らかにされた単純再生産の場合における流通の三流れが資本の蓄積によっていか
なる変化を受けるか、という問題である。この問題を解明するために開始された研究こそ、
おそらくノート第13冊(『学説史』第17章)のリカード蓄積論批判であろう。そこにおいて
マルクスは、そこでの本来の問題――「資本の蓄積……に関しては、事情はどうであろう
か?」(Th.U, 477)――に入る前に「なによりもまず必要なことは、不変資本の再生産
を明らかにしておくことである」(Th.U,472)として、単純再生産に関する以前の研究成


35)例えば、山田盛太郎「再生産表式と地代範疇」『人文』創刊号、 1947年、9ページ。宮本義男
『資本論研究』大月書店、1958年、60ページ。水谷謙治「再生産論(『資本論』2巻3篇)の成立に
ついて」(完)『立教経済学研究』第20巻第3号、1966年12月、148ページ。矢吹満男、前掲論文、16
ページ。
36)高木彰、前掲書、79ページ。

ー84ー

果の要約をもって研究を開始している。さらに、ノート第14冊(『学説史』第21章第1節
b)の研究においても、マルクスは、「私はすでに次のことを示しておいた」(Th.V,243)
として、単純再生産の研究成果の要約をもって研究を開始している。
これらのことから言えることは、再生産論のより明確な、あるいはより一層の展開にと
って、すでになされた諸研究――23冊ノートの第6―7冊および第9冊――が決定的な意
味をもつものとマルクスが考えていた、ということである。このことは、単純再生産の考
察に力点がおかれ拡大再生産の研究が十分に進められなかった『学説史』当時にのみ言え
ることではない。拡大再生産の研究が本格的に問題にされはじめた『資本論』第2部第8
稿においても、マルクスは、草稿全70ページのうち最初の10数ページをスミスの「V+M
のドグマ」の検討にあて37)、しかも、その検討から、「不変資本の再生産に関する問題」を
再生産の分析における中心問題として検出しようとしているからである。
ところで、『学説史』での再生産の諸研究に関して注意すべきことは、この当時マルク
スは、単純再生産の場合に研究の力点をおいていたために、拡大再生産の場合における社
会的総資本の価値および素材補填の関係の分析をほとんど行っていない、ということであ
る。ノート第6―7冊および第9冊の研究では、マルクスは、「われわれは、この研究の
ためには、収入のうち新しい資本に転化される部分はゼロ」(Th.T, 202)とするとして
考察の対象を意識的に単純再生産に限定しているし、さらに、 ノート第13冊の研究でも、
せっかく「資本の蓄積……に関しては、事情はどうあろうか?」(Th.U, 477)という問
題を提起しておきながら、 資本の蓄積の続行の条件として「不変資本の剰余生産」(Th.
U,492)を指摘するのみで、結局は、拡大再生産の場合における価値および素材補填の関
係を十分解明しえずに研究を終っている。最後に、ノート第14冊の研究でも、マルクスは
「諸資本の相互補填様式の考察にあっては」、「(1)与えられた規模での再生産」と「(2)拡大
された規模での再生産」とを区別しなければならない(Th.V,243)として、(1)の場合に
ついては、単純再生産の条件「V"+R"=C´」(Th.V,245)を記号表示するに至ってい
るにもかかわらず、(2)の場合については価値および素材補填の関係の分析をほとんど行っ
ていない。
さらに、『学説史』での再生産の諸研究に関して注意すべきことは、この当時マルクス
は、社会の生産諸部門を二部門に大別する見地にすでに立ちえていたにもかかわらず、こ
の当時の部門構成――消費手段の生産部門=A、 生産手段の生産部門=B――が、 現行

37)Œuvres de Karl Marx. ÉconomieU, édition établie par Maximilien Rubel, Édiー
tion Gallimard, 1968, p. 729-747 et p. 1720―1722.

ー85ー

『資本論』(第8草稿)の部門構成とは逆である、ということである。その原因は、『学説
史』当時の研究方法――すなわち、単純再生産の場合に研究の力点がおかれ、しかも消費
手段生産物の実現とその生産に要した不変資本の補填がいかに行われるかという問題がま
ず考察の出発点におかれ、社会的総資本の相互補填関係が解明されていくという研究方法
――にある。つまり、消費手段生産物の実現がまず考察対象にされたがために、それを生
産する生産部門がAとされたのである。それゆえ、このような部門構成は、単純再生産の
考察に重点をおくその後の草稿――第1草稿(1864年 後半 から 1865年 春)、第2草稿
38)(1868―70年)――においてもひきつがれている。ところが、第8草稿(1880―81年)に
おいては、この部門構成が逆転し、現行の構成をとるに至っている。なぜか、それは、お
そらく拡大再生産の研究が本格的に開始されたことによると思われる。なぜなら、単純再
生産の場合とちがって、拡大再生産の場合には生産手段を生産する部門の拡大規模と拡大
率(蓄積率)が、社会的総資本の相互補填関係の態様を決定する第一要因をなしていたか
らである。つまり、拡大再生産の場合の社会的総資本の相互補填関係が考察される際には、
まず生産手段生産部門においていかなる蓄積が行なわれるかが問題にされねばならないが
ゆえに、生産手段生産部門が「第1部門」とされるようになったのであろう。だが、注意
すべきことは、このように第8草稿において拡大再生産の研究が行われ部門構成が逆転し
たからといって、再生産論の基本的課題に変化が生じたわけではない、ということである。
再生産論の基本的課題は、あくまでも、次のこと、すなわち社会的総資本がその再生産を
遂行する際に、流通過程においていかなる価値および素材補填の関係を取り結ぶかを分析
することである。このことは第8草稿にあっても変わりはない。第8草稿にあっても、た
だこの基本的課題の拡大再生産の場合におけるより一層の展開が問題になっているだけで
ある。
以上、『学説史』の再生産論の研究状況について指摘したことは、『資本論』第2部用
「第1草稿」についてもあてはまる。
この草稿(表題「第2部、資本の流通過程」)は、「第1章、資本の流通」(S.1―56)

38)op. cit., p. 1725 に次のような「第2草稿」に見られる表式が紹介されている。
T. Production de biens de consommation: C400+V100+M100
U. Production de moyens de production : C800+V200+M200( Vgl. Das Kapital, Buch U,
Ms.S.146) なお、『資本論』第3部草稿についても事情は同じである。
( S. 545 , Vgl. MEW , Bd. 25 , S. 846――佐藤
金三郎「『資本論』の原稿について」1972年経済学史学会報告レジュメ)。

ー86ー

「第2章、資本の回転」(S.57―106)「第3章、流通と再生産」(S.107―149)という構
成をもち、 全149草稿ページ (『資本論』第2部のエンゲルスの序文によれば150ページ
となっており、おそらく後者の方が正しいであろう)から成っている。そのうち約3分の
1にあたる「第3章」において、再生産の「現実的諸条件реальные условия」(S.107)
の考察が行われている。この「第3章」のうち、単純再生産の研究は、「1)資本と資本、資本と
収入の交換および不変資本の再生産」「2)収入と資本。収入と収入。資本と資本。(それら
の間の交換)」(S.107―136)で行われ、拡大再生産の研究は、「3)蓄積あるいは拡大さ
れた規模での再生産」(S.137―140)およびそれ以後の諸節で行われている。
このうち単純再生産の場合に関して言えばマルクスは、「収入に入る商品資本と収入に
入る他の商品資本の交換、 およびそのような資本と不変資本を構成する商品資本の交換、
および不変資本を構成する商品資本相互の交換」、「この交換の現実的諸条件の研究がわれ
われの以下の課題である」(S.108)と言って、次のような数字例をあげて、これら諸交
換の説明をしている。すなわち、「生活手段を生産する生産的資本」である「資本A」は、
500ポンドにひとしく、そのうち400ポンドは不変資本で、 100ポンドは可変資本であり、
生産される商品資本は剰余価値率が100%とすれば、600ポンドとなる(S.109)。他方、
「生産手段あるいは不変資本を生産する部面B」資本は、100ポンドにひとしく、その
うち800ポンドは不変資本で、200ポンドは可変資本であり、生産される商品資本は、1200
ポンドになる(S.112)、と仮定される。このような数字例をもって、マルクスは、われ
われがすでに『学説史』で見たような再生産論を展開しているのであるが、この草稿でも
またマルクスが同じ考察視角に立っていることを、次によって確認することができる。すな
わち、マルクスは言う。「はたしてどこで、労賃および剰余価値に分解しないで、生産で
消費された価値〔不変資本――松尾〕を補填する目的だけをもつ労働が行われるのか?」
(S.121)。「もし全労働日がv+mで現わされ、それ以上いかなる労働も支出されないと
すれば、この不変資本を補填するために、だれが労働するのか?」(S.122)。「いかにし
て、総生産物の価値の一部分のみを形成する新たに付加された価値によって、この総生産
物買いもどされねばならないか?」(S.121。他にS.130を見よ)。さらに、マルクスは
A.・スミスの誤り――すなわち、消費者がその年の総生産物を支払うことができるという
誤りと、そこから出てくる貨幣流通に関する誤り――についても次のように言う。「かれの
誤りは、資本と収入の関係の誤った理解や再生産過程における総商品資本の現実的素材交
換の誤った分析から生じてくる」(S.118)。このような問題意識はすでに23冊ノートの第
6―7冊および第9冊の再生産の研究において見られたものである。のみならず、全く同
ー87ー

一と言ってよい数字例(S.122―124)や文章(例えば、S.118の原注――Th.T,221)ま
で見られる。
他方、拡大再生産の場合に関して言えば、マルクスは、23冊ノートの第13冊(『学説史』
第17章)以上にはほとんど研究を進めていない。マルクスは、「第T部第X章39)」では、わ
れわれは、剰余価値の資本に再転化される部分で、生産的資本の諸要素を購入すると前提
した。……いまや、われわれは、この再転化の現実的諸条件を検討しなければならない」
( S.137)として、順次、剰余価値の可変資本への転化の条件、剰余価値の不変資本への
転化の条件を考察している。そして、23冊ノートにおいてと同様、前者については、「追
加的労働」が必要であり、さらにそのためには剰余生産物の一部分が「追加的生産手段」
として生産されていなければならないこと、後者については、「剰余生産物が追加的生産
手段の形態で再生産」(S.138)されていなければならないことが指摘されている。これ
らのことは、すでに『学説史』(Th.U,477―492)において確認されていたことである。
さらに、マルクスは次のことを指摘している。「あらゆる蓄積あるいは拡大された規模で
の再生産は、不断の相対的な過剰生産Перепроизводство40)」に帰着する」(S.139)。これ
もまた、すでに『学説史』で指摘されていることである。 「蓄積の全過程は、…… 剰余
生産Surplusproduktionに帰着する」(Th.U,492)。以上見られるように、マルクスは、
拡大再生産の場合にあってはほとんど社会的総資本の間の価値および素材補填の関係の分
析を行っていないのである。
以上から言えることは、「第1草稿」の再生産論は、理論内容そのものとしては23冊ノ
ートの所々でなされた再生産の諸研究以上に出るものではなく、それらを「第2部・資本
の流通過程」の「第3章」として一ヵ所にまとめたものである、ということである。
この「第1草稿」以後においても、マルクスは、彼がこれまで保持してきた研究視角を
何ら変えてはいない。すなわち、『資本論』第3部第7篇第49章において、マルクスは、
「不変資本の再生産の研究」において最初に提起したのと同じ問題――「いったいどうし

39)ここでいわれる「第T部 第X章」とは、おそらく、『資本論』第2部用「第1 草稿」に先立つ
1863年夏から1864年前半にかけての時期に執筆されたと思われる『資本論』第1部の草稿(草稿「第
6章、直接的生産過程の諸結果」をその一部として含む)において考察された「第5章、 資本の蓄
積過程」のことを指すのであろう。佐藤金三郎、前掲論文(2)、118ページ。
40)このロシア語を直訳すれば「過剰生産」(ドイツ語ではÜberproduktion)となり、恐慌を意
味することになるが、前後の文脈からマルクスがこの言葉をもってここで表現しようとしたことは、
剰余生産物を生産すること、すなわち『学説史』(Th. U, 492) でいうところの「剰余生産(Surー
plusproduktion)」のことであろう。

ー88ー

て、ただ労賃・プラス・利潤・プラス・ 地代に等しいだけの1年間に生産される価値が、
『労賃・プラス・利潤・プラス・地代』・プラス・Cに等しい価値のある生産物を買うの
だろうか?」41)――をとりあげている。しかも、この「問題は、すでに……第2部第3篇
で解決されているのである」42)が、「まさにこの点にこそ、再生産の分析にさいして、ま
たその素材的性格とその価値関係との両方から見ての再生産のいろいろな構成部分の関係
の分析にさいして、大きな困難がある」43)と述べている。さらに、『資本論』第1部初版
において、マルクスは、「第2部第3章において私は現実的関連の分析を与えるであろう。
A・スミスのすべての後継者がうけついだ彼のドグマが、経済学者たちをして社会的再生
産過程の基本的機構を把握することをさえ妨げたということが、そこで示されるだろう」
44)と述べている。

Y むすび

以上、われわれは、『資本論』第2部第3篇再生産論が、スミスの「V+Mのドグマ」
批判のために研究された「不変資本の再生産に関する問題」を主要課題とするものとして
成立したことを見た。以下、このことによって、マルクスの再生産論が、いかなる理論的
意義をもつに至ったかを述べることにする。
 まず、23冊ノートでのスミスの「V+Mのドグマ」批判のための「不変資本の再生産の
研究」をもう一度ふり返って見よう。マルクスは、そこで次の問題を提起している。「年
々の利潤と賃金が、利潤と賃金のほかに不変資本をも含む年々の商品を買うということは、
どうして可能であるか」(Th.T,78)。12エレのリンネル総生産物は、リンネル生産者自身
の賃金+利潤によっては、「4エレしか買いもどすことはできない」(Th.T,83)。不変資
本部分の「8エレのリンネルをだれが買うのか?」(Th.T,85)。ここに提起されている問
題は、要するに、社会の個別諸資本が各々の生産過程でいかに生産物を生産しているかで
はなくて、生産された社会的総生産物が流通過程(W´―G´―W)でいかに残りなく実現
され、そのことによって社会的総資本がいかに補填されるかである。
この問題をマルクスがいかに解決したかはすでに見た。マルクスは、要するに次のよう
な結論に達している。「収入と収入との交換」「収入と資本との交換」「資本と資本との交


41)Marx,K.,Das Kapital,MEW,Bd.25,Dietz Verlag,1964,S.843.
42)ibid.,S.844.
43)ibid.,S.852.
44)Marx,K.,Das Kapital,Erste Aufl.1867,(青木書店、復刻版。1959年)S.575。

ー89ー

換」という流通の三流れによって、社会的総生産物が残りなく売られ、社会的総資本が補
填されるが、これら諸交換が行われるためには、社会的に二部類の資本――「消費用生産
物の生産者であるA」と「非消費用生産物の生産者であるB」――が、並存していなけれ
ばならない、と。
 以上見られるような再生産論の分析視角は、現行『資本論』第2部第3篇においてもマ
ルクスによって確認されている。「われわれの当面の目的のためには、再生産過程は、W´
の個々の成分の価値補填と素材補填との両方の立場から考察されなければならない」45)
「われわれが分析しなければならないのは、明らかに、流通図形W'―{w…P…W'
であ」46)る。なぜなら、「W´…W´という形態では、総商品生産物の消費が資本そのものの
循環の正常な条件として前提されている」47)からである。言いかえれば、「一方では個人
的消費財源への、他方では、再生産財源への、社会的総生産物の分割が……この形態では
資本の循環のなかに含まれている」48)からである。かくして、「W´…W´という運動では、
まさにこの総生産物 W´の各価値部分がどうなるかが示されなければならないからこそ、
それによって社会的再生産の諸条件が認識できるのである」49)
このように、マルクスの再生産論は、商品資本循環を基礎視角にすることによって、社
会的総資本の流通過程における 価値および素材補填の関係を 分析しようとするものであ
る。だが、マルクスはこのようなことを分析することによって、何を明らかにしようとし
たのか。それは、流通過程W´―G´―Wにおける個別諸資本の社会的な絡み合い――価値
および素材補填の関係――を通じて、いかに社会的総資本の再生産が行われるか、という
ことつまり資本の総流通過程または再生産過程の行われる「現実的諸条件」である。かく
してマルクスの再生産論は、商品資本循環を基礎視角にすることによって、――つまり社
会的総生産物の各成分の価値および素材補填の関係を分析することによって――社会的総
資本の再生産過程を考察しようとするものであり、それ以外のものではないといえる。言
いかえれば、再生産論とは、社会的総生産の各成分がいかなる流通過程をへて、いかなる
消費部分(生産的消費か個人的消費)に向かうかということの分析を通じて、社会的総資
本の再生産過程を考察しようとするものである。
さらに「生産と消費の矛盾」に関連させて言いかえれば、再生産論とは、社会的総資本

45)Marx,K.,Das Kapital,MEW,Bd.24,Dietz Verlag,1963,S.392.
46)ibid.,S.391.
47)ibid.,S.97.
48)ibid.,S.98.
49)ibid.,S.392.

ー90ー

の再生産過程に内在する「生産と消費の矛盾」の一側面を、すなわち生産と消費の直接的
・間接的諸関連を明らかにするものであるといえる。(念のために、ここで言う生産と消
費の直接的・間接的諸関連とは、例えば、生産諸部門の関連、生産的消費と個人的消費の
関連、固定資本の価値補填と現物補填の関連、潜在的貨幣資本の蓄積と現実的資本蓄積の
関連等々、要するに再生産論を構成している諸要素の相互依存諸関連を意味する)。した
がって、このような理解からすれば、「生産と消費の矛盾」は再生産論の「結論」である
とか、あるいは、再生産論に「内包」されているとかいう理解は、すべて誤りであると言
わざるをえない。したがってまた、再生産論に「内包」されている「生産と消費の矛盾」
を展開することによって、景気循環の局面分析を行うことが可能であるという主張も誤り
であるということができよう。
(脱稿、50・3・20)

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