『経済学雑誌』第72巻第2号、1975年2月発行

  

マルクス再生産論の形成過程
――諸見解の整理とその問題点――

 

松尾 純

 

     T はじめに      U 山田盛太郎氏の見解とその問題点      V 水谷謙治氏の見解とその問題点      W 高木彰氏の見解とその問題点      X 矢吹溝男氏の見解とその問題点      Y 従来の研究成果と残された課題  

 T はじめに
 戦後におけるわが国の再生産論研究の出発点をなし,その後の論争に決定的とも
いえる影響を与えたのは、周知のように山田盛太郎氏であった。本稿で取扱う再生
論の形成過程に関する研究1)においても山田氏は同じ役割を果されている。


1) 再生産論の形成過程に関する主要論文として以下のものがある。
 @山田盛太郎「再生産過程表式分析序論」『資本論体系中』経済学全集 第11巻、
改造社、昭和6年。戦後復刊版として『再生産過程表式分析序論』 改造社、昭
和23年。引用は後者から行う。
A同「再生産表式と地代範疇」『人文』創刊号、昭和22年。
BCD水谷謙治「再生産論(『資本論』「2巻3篇」) の成立について」(1)(2)
(完)、『立教経済学研究』第20巻第1,2,3号、昭和41年5、 7、12月。
 EFGH高木彰「再生産表式の形成過程」@ UVW『経済学会雑誌』( 岡山大
学 )、 第2巻 第3, 4号、 第3巻第2号、 第4巻第1号、1970年 11月、1971年
3、10月、1972年6月。
I同「再生産表式論研究における若干の問題点」 経済理論学会編『現代帝国主義
と資本輸出』学会年報第10集、青木書店、1973年。
J同『再生産表式論の研究』ミネルヴプ書房、1973年。
K 矢吹満男「『資本論』成立過程におけるマルクス『経済表』の意義」 『土地制

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  再生産論の形成過程に関する山田氏の見解とは,第一に,マルクスの再生産表式
の形成過程の起点は1861年のマルクスの「経済表」であり、第二に、その「表」自体
の成立過程の起点は 1862年の「地代論の完成」である、というものである. それ
は、氏の表式観一一マルクスの表式は「資本主義経済構成の再生産の総括的表式」
(@ 序言3 ) であるという理解ーーを形成史的に根拠づけるために展開されたもの
ということができる。
このような山田氏の見解に対しては、すでに次のような批判が行われている.す
なわち、水谷謙治氏は,「「再生産の問題」の根幹は、社会的総資本の価値および
質料填補の態容にある」(C 166 ) という理解から,「表」ひいては表式の成立過
の起点は山田氏のいうような「地代論の完成」ではなくて『剰余価値学説史』にお
けるスミスの「V+Mのドグマ」批判であると主張されている。 また, 高木彰氏
は、 表式論の課題は「資本制的蓄積の現実的動態過程の解明」(I180)であるとい
う理解から、「表」の成立過程の起点は水谷氏と同じく、スミスの「V+Mのドグマ」批
判であるが,「表」が表式に「転化」するには資本蓄積論・資本循環論の確立を媒
介しなければならないと言われている。
水谷・高木両氏のこのような山由氏批判は、さらにつぎのような反批判を呼びお
こした。すなわち、矢吹満男氏は.「山田氏にあってはアダム研究の意義はすでに

度史学』第61号、1973年10月。
以上からの引用に際しては、引用文の直後に論文番号とページ数を(例えばB
156の如く略記して)示すことにする。
以上の論文の他に以下のようなものがある。山田盛太郎「再生産表式」『経済学
大辞典』東洋経済新報社刊、昭和30年。小林賢斉「再生産表式と資本の循環・回転
―《表式》成立過程の一考察――」『経済学論集』(東京大学)第25巻第3・4合併
号。桜井毅「再生産表式の形成と位置づけ」宇野弘藏編『資本論研究』V、筑摩書
房、1967年。
また、本稿では論点整理の都合上、関説しえなかった『経済学批判要綱』におけ
る再生産論に関する論文として次のものがある。高木幸二郎「『経済学批判要綱』
における再生産表式と恐慌」『恐慌・再生産・貨幣制度』大月書店、1964年、米田
康彦「再生産論の形成過程」武田他編『資本論と帝国主義論』上、東京大学出版会、
1970年。水谷謙治「『経済学批判要綱』における再生産論に関する諸論述の検討」
『立教経済学研究』第24巻第2号。飯盛信男「再生産論前史としての『経済学批判
要綱』」高木幸二郎編『再生産と産業循環』ミネルヴァ書房、1973年。山田鋭夫「資
本流通論の生成と再生産認識」上、下、『彦根論叢』155,156号。

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前提されているのであって,それを前提しながら何故地代論完成が、マルクス『経
済表』の起点でなければならなかったか」(I 11)、 それを考えなければならない
と反論された。 そして, 山田氏と同様に、マルクスの「経済表」が成立するには
「地代論の完成」を媒介としなければならないことを再確認された。
本稿では、以上のような再生産論の形成過程に関する諸研究を整理し,さらに、
そこでの問題点を指摘することにしよう。そうすることによって,この研究を今後
われわれが、いかなる方向に広げあるいは深めていかなければならないかを明らか
にしたい。
以下では、諸見解の整理を次の三つの論点にわけて行うことにする。
(1)マルクス「経済表」の成立過程の起点は何に求められるべきか。この点に関し
て、山田、矢吹両氏は「地代論の完成」を主張され,水谷,高木両氏はスミスの「
V十Mのドグマ」批判を主張される。
(2)「表」が表式にいかにして、なにゆえに「転化」したか.この点に関しては、
各論者はそれぞれ見解を異にしている。それは問題の「困難さ」を示している。こ
の「困難さ」を解消することによって、再生産論の形成過程に関する全問題を正し
く解決することができる。
(3)再生産論の形成過程に関する諸見解が、それぞれいかなる表式観を基準にして
展開されているか。この点を明らかにしておくことによって,われわれが本稿で取
扱う問題の理論的意義が明らかになる。なぜなら再生産論の形成過程に関する各論
者の見解は, それぞれの表式観を形成史的に根拠づけるために展開されたもので
あり,再生産論の形成過程に関する見解の当否と表式観の当否とが相互規定的な関
係をもっているからである。

U 山田盛太郎山氏の見解とその問題点

山田氏の見解は氏自身によって次のように要約されている。
「マルクスの再生産の「表式」の成立過程の起点は1863年の『表』であること明
らかであるが、その「表」それ自体の成立過程の起点は何であるか。それは1862年
の地代論の完成である」(@18)。
「マルクスの地代理論に基くケネーの『経済表』の検討を通じてマルクスの『経
済表』=再生産表式へ。ここに要点がある」(A4)。
以下、山田氏がこのような結論に達した事情を詳しく見ることにしよう。

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  (1)マルクス「経済表」の成立過程の起点はマルクスの「地代論の完成」であると
した理由について,山田氏は次のように言われている。
「地代理論の完成は差額地代及び絶対地代の解決を意味し、 即ち、 地代を一の
『転化された形態 」 としてその本源形態たる剰余価値へ帰着せしむることを意味
し、資本の運動の全面的把握は確立せられ、茲に初めて,再生産の問題が問題とし
提起され得るに至る」(@18)。
ここでいう「資本の運動の全面的把握」とは、いったい、いかなる意味内容をも
つものと考えられているのだろうか。それを解く鍵を、われわれは、山田氏の「地
代論完成による地代に至るまでの一切の範疇的諸規定」(C 20 )という説明に求め
ことができる。 それによって氏が言わんとしたことは、 「地代論の完成」を起点
にして資本制生産の価値から地代に至る一切の経済約諸規定が解明されるようにな
ったということである。「地代論の完成」がこのような意義をもっとすれば、それ
を起点にして確立される「資本の運動の全面的把握」という言葉もまた、同様の意
味・内容をもつものと解することができる。すなわち、それは、価値論から始まって
地代に終わる――『 資本論 』全3部に展開されている――資本の運動諸法則の全
面的把礎という意味をもっているものと解することができる。
さらに、このようは「資本の運動の全面的把握」が確立された後に「初めて」提
起されるのが「再生産の問題」であるとすれば、山田氏の念頭にある「再生産の問
題」とは、『資本論』全3部にわたって展開されているような資本の全運動諸法則
の把握を理論的課題としているようなものと解することができる。
以上、要するに、 再生産の問題をこのように解していたからこそ、 山田氏は、
「表」ひいては表式の成立過程の起点を「地代論の完成」に求めたのである。この
ような山田氏の立論において注意すべきは、「資本の運動の全面的把握」を課題と
するような「再生産の問題」とマルクスの表式論とがまったく同一視されていると
いうことである。そのことは、「地代論の完成」によって初めて「再生産の問題が
問題として提起され得るに至る」という旨の文章をもって、再生産表式の成立過程
の究極の起点が「地代論の完成」であることを説明しようとしていることから明か
である。 そのために、 表式の基礎範疇が二部門分割と構成c+v+mであること
がせっかく指摘されながら(@21−9)、それらが、いかなる理論的要請のもとに
いかにして形成されたかがすこしも明らかにされずにおわっている。だが、表式の
形成を問題にするからには、表式の基礎範疇が決定的な指標にされるべきであり、
ー70ー

この点を明らかにしていない以上、山田氏の見解は、表式形成史として大きな欠陥
をもつものであるといえよう。あとで見る水谷、高木両氏による山田氏批判は、こ
の欠陥をつくものであった。
しかし、『資本論』全3部を通じてはじめて可能になるようは「資本の運動の全
面的把握]を総括するものが表式論であるという表式観に立てばーーー山田氏は少
なからずこのような表式観に立たれているが一一以上の山田氏の立論は,それなり
に首尾一貫したものであるといえる。なぜなら、 「地代論の完成」によってはじめ
て価値論から地代論に至る資本の全運動諸法則が明らかになるとする山田氏の理解
からすれば、「地代論の完成」が表式の成立過程の起点であることは自明のことと
考えられるからである。
ところで、「地代論の完成」が「表」ひいては表式の成立過程の起点であること
を立証するために、以上のそれなりに一貫した説明とは別に、明らかに誤つている
と思われる説明が山田氏によってなされている。
「地代論の完成」によって、「地代がその『一分肢』」として剰余価値に包括せら
れ、各生産部面に剰余価値生産一般の法則が確把せられるや否や、農業と工業との
単に素材的な区別は消滅し、新しく社会的総生産物W’は生産手段と消費資料とに
分割せられるものとなる。茲に、二部門分割と価値構成c+v+mの範疇が与えら
れる。マルクスの再生産表式はこれを表現する」(A32)。
ここでは、山田氏は、「地代論の完成」それ自体から表式(の基礎範蟻)の成立
を説こうとしている。つまり、それは、さきに見た説明の不備あるいは不明確なと
ころを補おうとするものである。しかし、そのためにかえって、表式の基礎範疇の
成立を、「地代論の完成」によっては説明しえないことが明らかになったように思
われる。すなわち、
第一に、「地代論の完成」によって、たしかに農・工間分割が消滅し、それに代
わる部門分割が成立する可能性(理論的前提)が与えられるが、しかし、そのこと
は、なんら、マルクスの二部門分割の成立する必然性が与えられたことを意味しな
い。
第二に、「地代論の完成」によって、地代がその「一分肢」として剰余価値に包
括されるとしても、そのことは、たんにmに関する事柄であり、なんら、商品の価
値構成――v+mとするかc+v+mとするか――に関する事柄ではない。したが
って、「地代論の完成」によって、価値構成c+v+mが必ず与えられるとすること
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はできない。
第三に、現に、表式の基礎範疇は、「地代論の完成」によってでなく『剰余価値
説史』におけるスミスの「V+Mのドグマ」批判によって与えられていることが、
水谷・高木両氏の研究によって明らかにされている。
以上が、マルクス「経済表」の成立過程の起点は「地代論の完成」であるとする
山田氏の見解とその問題点である。
(2)次に、かくして成立した「表」かいかにして、なにゆえに表式に「転化」する
か、ということについての山田氏の見解を見ることにしよう。山田氏は次のように
言われている。
マルクスの「経済表」は、ケネー「表」の痕跡を留めているが、「その本質にお
いて、ケネーのものでなくマルクスのものである」(@13)。しかし、それは、「明
らかに未だ『表』であって『表式』ではない。線で結び付けられた『表』は、固定
的な形態を表現するに適するから単純再生産の場合には適当するが、累進的な形態
を表現し難いから拡張再生産の場合には不遂当である。マルクスに於いて拡張再生
の問題解決の進行に従い、『表』での表現形式は桎梏となり、『表』は『表式』に
置き換えられねばならなくなる」(@16)。かくして、「『表』から『表式』への
転化」(@16)が行われる。
要するに山田氏の言いたいことは、「表」が表式に「転化」するには、蓄積問題
の解決とそれに伴う「表」の表現形式の克服が必要である、ということである。
この山田氏の見解においてとりわけ疑問に思うことは、拡大再生産の表示に適し
ているか否かという点においてのみ「表」と表式の相違が問題にされ、次にあげる
ような重要な相違点が全く考慮されることなく、「表」の表式への「転化」が論じ
られているということである。
第一に、マルクスの「経済表」は「僕の本の最後の諸章のうちの一章のなかに総
括として載せるものだ」2)とされているのに対して、表式は「『資本論』第2部第3
篇に位置づけられている。「僕の本の最後の諸章のうちの一章」とは、1863年1月
のプランでいえばおそらく「第3篇、資本と利潤」の「第10章、資本主義的生産の
総過程における貨幣の還流運動」に当るものであるうと通常されている。また、現
行『資本論』でいえば第3部第7篇第49章に当るものであろうと思われる。
第二に、「表」では、総生産物のうち剰余価値部分は「剰余価値」と「利潤」に

2)マルクス・エンゲルス『資本論書簡』@岡崎次郎訳、国民文庫、340ページ。

ー72ー

(「利潤」はさらに「産業利潤、利子,地代」に)、可変資本部分は「可変資本」
と「労働賃金」に、それぞれ二重表示されているのに対して、表式では、そのよう
なことが一切なされていない。
山田氏が、「表」から表式への「転化」を論じる際に、以上のような重要な相違
点を考慮されていない以上、氏の見解を十分納得のいくものと考えることができな
い。
以上が、山田氏の再生産論の形成過程に関する見解とその問題点である。
(3)次に、山田氏において以上のような見解が展開されねばならなかった理論的根
拠を見ることにしよう。
結論を先まわりして言えば、それは、山田氏独自の表式観に起因していると思わ
れる。
マルクスの再生産論は・社会的総資本の運動に内在する諸矛盾を総括するための
基礎理論(@序言2 )あるいは「資本主義経済構成の再生産の総括的表式」(@序
言 3)である。とそのように考えられるがゆえに、山田氏は、再生産論を日本資本
主義へ具体化することによって、「日本資本主義の基本構造=対抗・展望」を示す
ことができるとされたのである。3)
再生産論の形成過程を見る場合にも、同様に、 山田氏は考えられる。すなわち、
「資本の運動の全面的把握」をなすものが表式であるという理解から、そのような
「把握」が確立されるのはいつかといえば、 それは、「地代論完成による地代に至
る迄での一切の範疇的諸規定」が解明されるときである、と考えられたものと思わ
れる。
だから、 表式の成立過程の起点は 「地代論の完成」であると山田氏がした理由
を、氏の表式観ーー「資本主義経済構成の再生産の総括的表式」一一に求めること
ができる。
だが、山田氏が「地代論の完成」を重視する理由は他にもある。それは、氏の歴
史観である。
山田氏によれば、各国資本主義は,それがいかなる土地所有制度を「基底」にし
ているかによって特徴づけられる。たとえば,古典的な形態をとる英国資本主義が
近代的土地所有制を「基底」にしているのに対して,軍事的半農奴制的日本資本主

3)山田盛太郎『日本資本主義分析』岩波書店、昭和9年、序言1ページ。

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義は半封建的土地所有制を「基底」にしていると考えられる。4)
再生産の理論史を見る場合にも、山田氏は同じ歴史観を適用される。マルクスの
式とケネーの「経済表」を対比して,両者の相違は「 両者の地代範疇の差異に
要約しうる」(A32)とされる。すなわち、前者は、「mが地代を包含し,地代は剰
余価値の「一分肢」として現われる」(A32)地代論を、後者は、「純生産物がそ
のまま地代で、地代は『唯一の剰余価値』として現われる」(A32)地代論をそれ
ぞれ基礎にしていると考えられる。 だから、 山田氏のこのような歴史観からすれ
ば、マルクスの表式は、資本制的地代を解明したマルクスの「地代論の完成」によ
ってはじめて成立しうるものである、とされねばならなかったのである。また、そ
のように理論史をとらえることによって、現実の歴史を照らし出し、半封建的土地
所有の解体の意義を主張されようとしたのである。
以上が山田氏の再生産論の形成過程に関する見解とそのような見解が展開されね
ばならなかった理論的根拠である。

V 水谷謙治氏の見解とその問題点

(1)水谷氏は、マルクスによって「地代論の完成」以前になされた再生産の諸研究
の詳細な検討をふまえて、次のように言われる。5)
「『学説史』におけるさきの不変資本の再生産の研究ー 『VプラスMのドグマ』
批判ーー とこのケネー『経済表』の検討(『岐論』)は、 マルクス『経済表』の成
立、ひいては再生産論の成立の二本の柱ともいいうるものである」(D147)。前者


4)同上書、序言1-3ページ。山田盛太郎「農地改革の歴史的意義」『戦後日本
経済の諸問題』有斐閣、1949年、183ページ。同「創刊のことば」『土地制度史学』
創刊号、1ページ。
5)マルクスは、 「地代論の完成」を1862年 6月 18日付手紙でエンゲルスに知らせ
ている。この時期にあたる1862年 6月〜8月 にマルクスは、彼の1861―63年の23冊
ノート中の第10〜12冊(『学説史』第8章「ロートベルトウス氏。 余論。 新しい地
代論」〜第16章「リカードの利潤論」)において、 地代論の研究を行つている。と
ころが、それに先立つ1862年 1月から4月の間に、彼は、ノート第6〜7冊(『学
説史』第3章第10節)および第9冊(『学説史』第4章第6節及び第9節)にお
いてスミスの「V+Mのドグマ」批判としての不変資本の再生産の研究を端緒とす
る再生産の諸研究を、さらに、ノート第10冊(『学説史』第6章」)においてケネ
―「経済表」の検討を行つている。詳しくは水谷論文G6およひ22〜3を見よ。

ー74ー

の研究では、「二部門分割の立場から再生産の『三大支点』とその基本的関連を表
現する三つの交換区分が明らかにされたのに対して」(D147)。後者の研究は、「社
会的総資本の流通W’―W’という対象や再生産過程における貨幣流通の諸規定を
明確にするうえでも、また、社会的再生産過程を『表』に概括する試みを実現しよ
うという着想をえた点でも、大きな意義を有するものであった」(D147)。
つまり、マルクスの「表」ひいては表式が成立するのに必要な諸前提が、「地代
論の完成」以前の諸研究において、すべて与えられているということである。水谷
氏のこの主張は、山田氏の見解がそれまでなんの検討もされずに多くの人々に受け
入れられてきた6)ことを思えば、決定的な意味をもつものであった。
だが、氏によって確認されたことは、 「表」ひいては表式の成立過程の起点が、
「地代論の完成」以前のスミスの「V十Mのドグマ」批判とケネー「表」の検討に
あるということだけである。それら二つの契機が、その後の展開のなかでどのよう
な運命をたどり、最終的に、『資本論』第2部第3篇の再生産論においてどのよう
に位置づけられるようになったかということが一切検討されていない。 たとえば、
その後の展開のなかで「地代論の完成」という契機が全く関与していないのかどうか
が氏によって検討されていないのである。だから、水谷氏が、「V+Mのドグマ」
批判とケネー「表」の検討が「表」ひいては表式の成立過程の起点であるというこ
とから、それら両者が「表」ひいては表式の成立の二本の柱であるという結論を導
だされても、われわれは、ただちにそれを受け入れるわけにはいかない。
以上のような不備な点があるにしても、「表」および表式が成立するために必要
ないくつかの重要な理論的諸前提が、両研究においていかに与えられているかを明
らかにした点は、水谷氏の大さな功績であるといえよう。
(2)次に、 「表」の表式への「転化」に関する水谷氏の見解を見ることにしよう。
氏は次のように言われる。
「『表』が、各年度の蓄積過程を純粋に比較するためには不適当だということは
確かである。 しかし、ひとたび再生産の分析を固有のものとして(収入諸形態から
切り離して)『二巻三篇』へ位置づける構想がうまれるならば、単純再生産の諸条
件を純粋に説く場合でさえも、あの『表』では不適当だということが明らかになり

6)たとえば、 佐藤金三郎氏 (『資本論講座』1、青木書店、1963年、105ページ )、
宮本義男氏(『資本論研究』大月書店、 1959年、 121ページ)、 小林賢斉氏(前掲
論文102ページ)などに見られる。

ー75ー

うる。そして、再生産の分析にさいしては、単純再生産の場合が決定的に重要なの
であるから、『転化』の主要な理由は、 再生産の分析を固有のものとして『二巻三
篇』へおく必要が把握されたこと自体に求められるべきである」(D144)。
では、「二巻三篇」構想それ自体は,いかにして成立したか。氏は次のように言
われる。
マルクス「経済表」7)が作成された当時(1863年 7月 6日)、再生産の分析を固
有のものとして「二巻三篇」で扱うという構想がまだ成立しておらず、「この『表』
を『資本と利潤篇』の『第十章』で扱うというプラン」(D148)と「不変資本の再
生産の考察を『流通篇』で扱おうというそれ以前のプラン」(D130)とが存在して
いた。しかし、「1863年7月から64年にかけての『資本論』の篇別プランがねりな
おされていったあいだにに」(D140−1)、社会的再生産過程の分析を固有のものと
して「二巻三篇」で扱うという構想が成立し、「第十章」のプランは「中止」され
ることになったのである(D140)。
要するに、「表」が袋式へ「転化」するための主要契機は、蓄積問題の解決にで
はなく、再生産の分析を固有のものとして「二巻三篇」で扱うという構想の成立に
求められる、というのが水谷氏の考えである。
だが、次のことが問題になる。水谷氏は、「表」を「僕の本の最後の諸章のうち
の一章」で扱うというプランが示された時には、「不変資本の再生産の研究」を「資
本の流通過程」篇で扱うという「以前のプラン」も維持されていたが、その後の過
程で「ニ巻三篇」に「絞られ」(D130)たとされている。 しかし、そうだとすれ
ば、同時に存在するこの二つのプランの関係はどうなっているのかという疑問が生
じてくる。水谷氏は、「両者は同一の過程の考察にかかわるものとはいえ、その観点
を異にしている」(D130)といわれるだけで、その具体的な内容を展開されていな
い。
また.「二巻三篇」構想の成立により、「剰余価値の分肢諸形態の運動を一緒に描
いた『経済表』は、諸過程を純粋に説くのに不適切なことが明らかになり、『表』
は『表式』的説明にとって代わられる」(D148)という説明からもわかるように、
水谷氏においては、マルクスの「表」は再生産過程を純粋・固有に説くために表式
に「転化」させられるべきものであり、そのために、剰余価値の分肢諸形態の運動

7)1863年 7月 6日付 のマルクスのエンゲルス宛手紙、 マルクス・エンゲルス『資
本論書簡』@岡崎次郎訳、国民文庫、339−345ページ。

ー76ー

や貨幣の媒介運動から切りはなされるべきものであるとされている。つまり、「表」
は、表式に発展していくべき過渡的な構想として理解されているのである。
だが、このような水谷氏の理解からは、次のことを説明しえないのではなかろう
か。
第一に、 彼の「不変資本の再生藤の研究」を「資本の流通過程」篇に位置づけ、
剰余価値範疇は「利潤」範疇のもとに一括して取扱うとしていた8)マルクスが、わ
ざわざ、彼の「表」を第3篇第10章に位置づけて、剰余価値の分肢諸形態を図示す
るのには、それ相当の理由があるはずである。水谷氏のように、「両者は同一の過
程の考察にかかわるものとはいえ、その観点を異にしている」と言うだけでは、す
まされない問題があるように思われる。
第二に、このようにわざわざ第3篇第10章においた「表」を、再び第2部第3篇に
おかれるべき表式論へ発展していくべきものと考えるほど、マルクスの当時の再生
産論のプランが不確定なものであったと考えることができるだろうか。その点の判
断は、マルクスの「経済表」構想をどのようなものと考えるかという問題と関連が
あるように思う。
以上が、水谷氏の再生産論の形成過程に関する見解とその開題点である。
(3)次に、このような見解が展開されねばならなかった理論的根拠を見ることにし
よう。
水谷氏の山田氏の所説に対する次のような批判に注意する必要がある。
「『再生産の問題』の根幹は,社会的総資本の価値および質料填補の態客にある
以上、絶対地代の証明をまたないで地代を剰余価値の一分肢として『一般的』に把
握しておくだけでも立派に提起しうる関係にある …、 この点は『資本論』におけ
る再生産論と地代論の理論的位置からしても,また資本家的生産の再生産にかんす
る問題が間題として『地代論の完成』以前に研究されている厳然たる事実 … から
しても明白」(C166−7)である。
すでに見たように、山田氏は、氏独自の表式観から、表式成立の起点は「地代論
の完成」であるとされている。このようは山田氏の所説に対して、ここで水谷氏は、
「『再生産の問題』の根幹は、社会的総資本の価値および質料補填の態客にある」

8)Marx, K., Theorien über den Mehrwert, MEW, Bd. 26, I, Dietz Verlag,
Berlin, 1965, S. 79-81.

ー77ー

という表式観から、表式成立の起点はスミスの「V+Mのドグマ」批判であると批
判されている。たしかに、スミスの「V+Mのドグマ」批判としての「不変資本の
再生産の研究」は、水谷氏の「『再生産の問題』の根幹」の中心的な研究対象をな
している。だから、水谷氏の表式観からすれば、スミスの「V+Mのドグマ」批判
が表式成立の起点であることは当然のことである。しかし、山田氏の表式観からす
れば、それは当然のことであるとすることができるであろうか。
山田氏ほどの人が、『資本論』第2部第3篇第19章「対象についての従来の叙述」
や『学説史』におけるスミスの「V+Mのドグマ」批判やケネー「表」の検討の内
容を承知していないはずがない。にもかかわらず、山田氏が、わざわざ「地代論の
完成」を表式成立の起点にしなければならなかった原因は、さきに述べたように氏
独自の表式観や歴史観にある。山田氏は、水谷氏のいわれる「『再生産の問題』の
根幹 」とは異なるものを表式の理論的課題と考えられているのである。 したがっ
て、「『再生産の問題』の根幹は,社会的総資本の価値および質料填補の態容にあ
る」ことを自明の前提にした水谷氏の見解は、山田氏の見解になんら抵触するもの
ではないように思われる。
マルクスの「表」あるいは表式の成立にとってのスミス・ケネー研究の意義を確
定するだけに終ることなく、今後さらに、「地代論の完成」の意義を確定していく
ことが要請されているように思われる。

W 高木彰氏の見解とその問題点

(1)高木氏も、水谷氏同様に、『学説史』における再生産の諸研究を詳細に検討す
ことによって次のような結論を得られた。
「再生産表式の成立過程の起点は明らかに1863年年に作成されたマルクス『経済
表』であるが」(J35)、「経済表」そのものの成立の第一の契機はスミスの「V+
Mのドグマ 」批判としての不変資本の再生産の研究であり、 第二の契機はケネー
「表」の検討である。それらの研究を通して、マルクスは、表式の基礎範疇と三大
流通を確立し,再生産過程把握の基礎視角としての商品資本循環範式を設定するに
いたる。そして、それら諸契機の総括的提示の場をマルクス「経済表」に見出すの
である(J55−56)。
この高木氏の見解についても、われわれは、水谷氏の見解にくだしたのと同じ評

ー78ー

価をくだすことができる。
 第一に、マルクス「経済表」の成立にとって、 第一の契機としてスミスの「V+
Mのドグマ」批判が、 第二の契機としてケネー「表」の検討が関与していたことだ
けが確認されている。しかし、第三の契機として「地代論の完成」が関与していた
のかどうかが、高木氏によってあまり検討されていないのは残念である。 「地代論
の完成」が関与しているかどうか、あるいは、 関与しているとすればいかなる意味
において関与しているかを明らかにすることによってはじめて、 高木氏の山田氏批
判が意味をもつことになると思われる。
第二に、このような不備な点があるにしても、 「表」および表式の成立にとって
必要ないくつかの重要な理論的諸前提ーー表式の基礎範疇、三大流通、商品資本循
環資格――が、「地代論の完成」以前のスミス、ケネー研究において与えられてい
ることを確認している点において、高木氏の見解を評価することができる。
以上見られるように、 マルクスの「経済表」の成立過程の起点に関するかざり、
高木氏の見解は水谷氏の見解とほとんど異なるところがないといえよう。 しかし、
その問題の解明に、高木氏の見解の重点があったわけではない。
(2)高木氏は、マルクス「経済表」がいかに表式に「転化」するかという問題につ
いて、独自の見解を展開されている。しかも、その点に氏の見解の重点がおかれて
いる。
山田・水谷両氏の「転化」論を高木氏は以下のように批判されている。
山田氏に対して一一「『経済表』と再生産表式の相違を、単に形式的相違性にお
いてのみ、 即ち、拡大再生産=蓄積の表示に適しているか否かという点においての
み求め」られ、「蓄積論の研究の進展と再生産表式の形成とは直接的関連性」をも
つものとして把握されていない(J77一8)。
水谷氏に対して、――「山田氏において存した『 経済表 』は単純再生産を表示
し,再生産表式は拡大再生産を表示するという図式的且つ形式的相違性すら否定さ
れてしまっている」(G110)点において、つまり、「蓄積の問題の解決の進展と再
生産表式の成立の連関性を切り離して理解されようとした点において」、山田氏か
らの一歩後退である。
要するに、「表」が表式へ「転化」する契機を蓄積の問題の解決の進展と「第2部
第3篇」構想の成立の双方に求めなければならない、というのが高木氏の両氏に対す
ー79ー

る批判点である。
次に、「表」の表式への「転化」に関する高木氏の積極的な見解を見よう。
高本氏は次のように言われる。
「マルクスの『経済表』は『V+Mのドグマ』批判と『三位一体範式』批判を意
図しながら、『 資本一般 』の体系の総括者として資本の総再生産過程を自己完結
的な単純再生産過程において把握するのであり、そのような理論的課題と体系的位
置付けとに規定されて、諸範疇を線で結びつけたり、分配諸範疇を特別に表示した
りする独自の表現方法が採られた」(J75)。それに対して「『資本一般』の体系
とは基本的に異なる現行『資本論』体系」(J78)の第2部第3篇に位置づけられ
る「再生産表式は、『社会的総資本の再生産と流通』を総括的・「全機構」的に把
握し、… 資本制生産の現実的動態過程を構造的型制として表示する」(I176)こ
とを課題としている。ところで、表式が、このように「資本制的蓄積の現実的動態
を反映するもの」(H72)として成立するためには、「資本制約蓄積の現実的動態過
程 」そのものを解明する『資本論』第1部第7篇資本蓄積論(I179)がすでに完
成されているだけでなく、さらに、「その資本蓄積論によって内在的根拠を与えら
れた第2部第1篇の資本循環論」(I 179)がすでに完成されていなければならな
い。「かくて、マルクスの『経済表』が再生産表式へと発展・転化していく理論的
契機は、資本蓄積論と資本循環論の完成であるといえよう」(I180)。
以上の高本氏の見解において特徴的なことは、マルクス「経済表」と表式の間の
種々の相違を,資本循環論の完成を軸とする両者の体系構成上の相違に起因するも
のして理解されていることである。
しかし、高木氏のこの見解――すなわち、「1877年以降に執筆された第5稿にお
ける『資本循環論』の確立」(J96)を前提にしてはじめて,「現行の『2巻3篇』
が本来的な意味で成立する」(G124)とする見解――の当否を充分に判断すること
は、現在のわれわれにはできない。なぜなら、それをするためには,第1縞から第
8稿までにわたる『資本論』第2部用の全草稿の内容を検討することが必要である
にもかかわらず、それら全草稿の全面的な公表がいまだ行われていないからである。
1877年以降の資本循環論の確立ということに関して、高木氏が論拠としてあげてい
ることは、『資本論』第2部第1篇に当る表題が第1・2縞では「資本の流通」とさ
れていたの第5稿においてはじめて「資本の循環過程」と書きかえられた(J
92)、ということだけである。第1−4稿と第5−8稿の内容的な比較・検討が、高
ー80ー

木氏によって行われているわけではけっしてないのである。まして、その資本循環
論の確立が第3篇の再生産論の形成にとっていかなる意義をもっていたかというこ
とは、推論によってしか明らかにされえないことである。この点に関して、高木氏
が根拠としてあげていることは次の二つのことだけである。第一に、第8稿におい
てはじめて、生産手段生産部門と消費資料生産部門の位置が逆転し、前者が第1部
門に位置するようになるということ(J94)。 第二に、それに関してエンゲルスが
『資本論』第2部の序言で、第2稿と第8稿を対比して後者がマルクスの「拡大し
た視野」「新たな視点」の下に執筆されたことを指摘しているということ(J 93)。
だが、このうち、後者についていえは、エンゲルスがそれによって何を言わんとし
たのかはかなもずしも明かではないし、前者についていえば、そのことによって表
式が「資本制的蓄積の現実的動態を反映」することを課題とするようになったとは
かならずしも言いえないように思われる。
次に問題になることは、マルクスの「経済表」とそれ以降1870年頃までの再生産
論との関係を、高木氏がどのように考えられているかということである。
「経済表」以降1870年頃までの再生産論について、高木氏は次のように言われて
いる。
「『諸結果 』や第3部の草稿において項目指示を与えられている『第2部 第3
章』 おいては、 不変資本の再生産を中心として、『v+mのドグマ』批判などの
展開が構想されていた」(G122−3)。また、『資本論』第2部用の第1,2稿に
おいても、その第3章は「流通と再生産」とされ、「商品の実現過程」や「資本と
所得のからみあい」などが問題にされる予定であった(H 60−1)。 したがって、
1870年頃までのマルクスは、「社会的総資本の再生産の問題『V十Mのドグマ』
克服の観点,実現の視点によって分析しようとしていた」(J96)といえよう。
高木氏においても、「経済表」以降1870年頃までの時期に、再生産の問題がとに
かく「第2部第3章」に位置づけられ「『V+Mのドグマ』克服の視点、実現の視
点」によって分析されようとしていたことが認められている。 われわれとしては、
この時期の再生産論と現行『資本論』第2部第3篇の表式とは本質的に異なるもの
であると思わないけれども高木氏批判の都合上、前者を《表式》をもって表わすこ
とにする。
高木氏は、この《表式》の「本来的な意味」(G124)での表式への「転化」につ
いて、明快な説明を与えられている。
ー81ー

  「マルグスが社会的総資本の再生産の問題を『V+Mのドグマ』克服の視点、実
現の視点によって分析しようとしていたのは1870年 頃であり、 1877年以降に執筆
された第5縞における「資本循環論」の確立と共に、その分折視点は生産と流通の
統一としての資本循環把握へと変容を遂げ」、「商品の実現(W'一G′)や不変資本
の補填(G一W)の問題は単なる一契機として設定される」ことになる(J96)。
要するに,「第2部第3章」におかれた《表式》が「本来的な意味」での「第2
部第3篇」表式に「転化」するためには、資本循環論の研究の進展が必要であると
いうのが高木氏の見解である。しかし、氏のいわれるような決定的な意義を資本循
環論の確立がもっていたかどうかは疑問である。
これに反して、高木氏は、マルグス「経済表」の《表式》への「転化」について、
何の説明も与えられていない。氏にあっては、「表」の表式への「転化」の説明が、
《表式》の表式への「転化」の説明をもってかえられているのである。しかし、高
木氏のあげられている資本蓄積論の完成(1875年)や資本循環論の確立(1877 年)
などの契機によっては、「表」の菱式への「転化」が説明されえないことは、理論
的にも資料的にも明かである。
最後に、高木氏の見解において問題になることは、『学説史』における不変資本
の再生産の研究とマルクス「経済表」との相違点に充分な注意がはらわれていない
ことである。
マルクスは、不変資本の再生顔の研究について、この問題は明らかに「資本の流
通過程」篇に属するとしているのは対して、マルクス「経済表」について、それは第
3篇「資本と利潤」の第10章に位置づけられるとしている。 さらに前者の研究で
は、剰余価値範疇が利潤、利子、地代に分肢させられることなく、「利潤」という
表現のもとに一括して取扱われているのに対して、後者においては、剰余価値範疇
は「剰余価値」と「利潤」に(さらに「利潤」は「産業利潤、利子、地代」に分肢
させられて)二重表示を受けている。
両者のこのようは相違は、「経済表」と表式との間に見られる相違と同じほど決
定的なもののように思われる。にもかかわらず、高木氏は、その点に関して何の言
及もされていない。それだけでなく、 高木氏においては、 マルクスの「経済表」
は、『学説史』に見られる再生産の問題に関する構想を代表するものであるかのよ
うに理解されている。けれども、そのような理解が成立するには、次のことが説明
されなければならない。すなわち、「資本の流通過程」篇に属するとされた不変資
ー82ー

本の再生産の研究を出発点とする諸研究がなにゆえに、また、いかにして、「僕の
本の最後の諸章のうちの一章」一一生産過程と流通過程の「両者の統一」を展開す
「資本と利潤」篇の第10章――に位置づけられる予定の「経済表」に「転化」し
たのか。この問題に高木氏は何の言及もされずに、「経済表」構想をもってその当
時までのマルクスの再生産論を特徴づけようとされている。
以上要するに、高木氏にあっては、《表式》の表式への「転化」のみが取上げら
れ、不変資本の再生産の研究の「経済表」への「転化」や「経済表」の《表式》へ
の「転化」の問題が取上げられていないことが明らかになった。
(3)次に、高木氏においてこのような見解が展開されねばならかった理論的根拠を
見ることにしよう。
それは、 以下に見るような高木氏の『資本論』理解に起因していると思われる。
現行『資本論』は、マルクスの「経済学批判体系プラン」の前半3部門(資本、
土地所有、賃労働)の基本的部分を包括するものであり、けっして「資本一般」に
対象規定されているわけではない(G119)。したがって、 そこでは、資本の運動
の長期的・平均的な把握が主要課題とされるのではなくて、資本の運動の動態的な
把握が主要課題とされている。 このような『資本論』の対象規定に対応して、第1
部第7篇の資本蓄積論では、「蓄積の自己運動が産業循環の形姿を採らざるをえな
い資本制的蓄積の現実的動態」(H72)過程が解明され、第2部第一篇の資本循環
論では、「資本の流通過程」が「生産と流通の統一としての資本の循環過程として
把握される」ことや「そこでは『資本の生産過程』、従つて、蓄積論がその規定的
契機として内包されている」(J103)ことが考察される。したがって、このような
資本循環論を基礎視角とする表式分析においては、「現実の資本制的蓄積の動態過
程を反映する」(J103)ことが理論的課題とされているものと考えられる。
以上のように、高木氏は、表式分析の理論的前提は資本循環論であり、その資本
循環論それ自体の理論的前提は資本循環論であると考えられている。
再生産論の形成過程を見る場合にも、高木氏は同様に考えられる。すなわち、再
生産様式が「本来的な意味で成立する」(G124)にはすでに資本循環論が確立して
いることが前提されるし、その資本循環論それ自体が確立するにはすでに資本蓄積
論が確立していることが前提されている、と。
だが、以上は、高木氏のいわゆる1865年の『資本論』の叙述プラン変更以降の展
ー83ー

開である。氏においても確認されているように、それ以前にもマルクスは、『学説
史』で再生産の問題を研究し、表式が成立するための諸前提――二部門分割、3大
流通、商品資本循環視角――を確立させているし、ケネー「経済表」に代わる彼自
身の「経済表」を作成している。しかし、それは、高木氏にとっては、「資本一般」
体系の下での再生産論の成立を意味するにすぎない。その良い例として、高木氏は
マルクスの「経済表」を取上げられる。けだし、それが、その当時のマルクスの再
生産論の構想を代表するものであると氏によって考えられているからである。マル
クスの「経済表」と表式との間に存在する相違点ーー位置づけ上の相違と表現技術
上の相違ーーが強調され、それらすべての相違点は、「経済表」が「資本一般」の
総括提示として位置づけられ表式が『資本論』第2部第3篇に位置づけられる、と
いう両者の体系構成上の相違に起因するものである とされている。 だが、 もし、
「表」と表式の相違を「資本一般」体系と『資本論』の体系という体系構成上の相
違として処理されるなら、なぜ同様に高木氏は不変資本の再生産の研究と「表」の
相違を両者の体系構成上の相違としてとらまえないのであろうか。

X 矢吹満男氏の見解とその問題点

(1)矢吹氏も、『学説史』における「スミスのドグマ」批判による不変資本の再生
産の研究やケネー「経済表」の批判的研究や「スミスのドグマ」に立脚したりカー
ド蓄積論批判による拡大再生産の研究を検討することによって、 それらの研究が、
「再生産論にとってきわめて重要であること」(K11)を確認される。また、「山田

を批判した水谷謙治 ・ 高木彰の両氏がそれらを重視し強調されるのは当然の事」
(K11)であるとも言われる。
しかし、 以上が矢吹氏の見解の中心点ではない。 氏は続けて次のように言われ
る。
「両氏はそれを強調される余りに、地代論の完成を媒介しないでもマルクス『経
済表』は作成しうると考えられ、スミス、ケネー研究をマルクス『経済表』へと直
結させる見解に基づいて、 地代論完成をその起点とされる山田氏の見解を批判し、
同時に山田氏の見解ではスミス研究の意義が見落されると述べておられる。後で述
べるようにこれがとんでもない誤解である事は言うまでもない。山田氏にあってはス
ミス研究の意義はすでに前提されているのであって、それらを前提しながら何故地
代論完成が、マルクス「経済表」の起点でなければならなかったか」、これが問題

ー84ー

である(K11)。
ここで矢吹氏が「山田氏のあってはスミス研究の意義はすでに前提されている」
と言われているけれども、山田氏によってスミス研究の検討が実際に行われていな
い以上、これを正当に批判した水谷、高木両氏に対する矢吹氏の反論は的外れであ
ろう。
ともあれ、矢吹氏は、彼の提起した問題に対して次のように答えられている。
「地代論の完成」によって、すでに『学説史』において明らかにされている「二
部門分割と流通の三流れによる総括把握の形式的関係」が、「全く新しい理論的意
義を帯びてくるのである。ここに改めてケネー『経済表』を取上げる必然性が生じ
る。……改めて行われるケネー研究は、……産業資本主義段階の全再生産構造を表
示する試みへの、すなわち……マルクス『経済表』への連繋を秘めていたのである。
……この意味において地代論完成こそがマルクス『経済表』の起点に他ならなかっ
たのである」(K13)。
ここでの矢吹氏の主張は、再生産の「総括把握の形式的関係」は、「地代論の完
成」を契機に、資本主義の全再生産構造を表示する「経済表」へ「転化」したとい
うことである。そして、その根拠として、矢吹氏が、『学説史』の不変資本の再生
産の研究と「経済表」との相違を問題にしていることに注目する必要がある。なぜ
ならば、この両者の相違が――「経済表」と表式の相違に匹敵するほど重要なもの
であると思われるにもかかわらず――矢吹氏以外の論者によってほとんど問題にさ
れてこなかったからである。しかも、この相違が「地代論の完成」を媒介にしてい
ることに起因しているという主張は、水谷、高木両氏の虚をつくものであるといえ
よう。なぜなら、両氏においては、「経済表」成立にとってのスミス、ケネー研究
の意義が確認されているけれども、「地代論の完成」の意義が確定されていないか
らである。
(2)次に、矢吹氏は、かくして成立した「マルクス『経済表』それ自体は、その後
の展開のなかで再生産へと止揚される」(K16)と言われる。
だが、矢吹氏は、「ともかく再生産過程の表式化に成功した」(K18)といわれる
だけで、 なにゆえに、 いかにして「経済表」が表式へと「止揚」されたかについ
て、 何の説明されていない。 マルクス「経済表」と表式の関係をいかに考えるか
という問題は、再生産論の形成過程に関するこれまでの諸研究において中心的課題
をなしてきた問題である。したがって、この問題に対する明確な解答が与えられて
ー85ー

いない以上、矢吹氏の見解をただちに受け入れるわけにはいかない。
また、矢吹氏は、「マルクス『経済表』は、第2巻での再生産論を前提」(K7)
するものであることを認められている。にもかかわらず、その「第2巻での再生産
論」とはいかなる理論内容をもつものであり、また、いかにして成立したのかとい
うことについて、失吹氏は何の言及もされていないのである。 また、 なぜ、この
「第2巻での再生産論」が『資本論』第2部第3篇の表式論の成立の起点であると
は考えずに、わざわざ、「経済表」が表式へと止揚されると考えられるのであろう
か。われわれには納得がいかない。つまり、生産過程と流通過程の「両者の統一」
を展開する篇の最後の諸章のうちの一章におかれる「経済表」が、なにゆえに「資
本の流通過程」論の表式へと止揚されるものとされなければならなかったか、これ
が間題である。
矢吹氏は、「地代論の完成」を成立の起点にすることによって「経済表」がいか
なる意義をもつことになったかについて明快な説明を与えられている。すなわち、
マルクス「経済表」は、「産業資本主義段階の全再生産構造を表示する」(K13)も
のである、「『近代ブルジョア社会がわかれている三大階級の経済的生活諸条件』
を明らかにするもの」(K14)である、「『地代に至る迄での一切の範疇的諸規定』
を … 総括表示」(K14)するものである、「第2部での分析成果を、剰余価値の分
肢諸形態が明らかになった後に適用して『スミスのドグマ』批判を意図」したもの
であり『資本論』第3部第7篇「第49章でその意図が果される」(K18)ものであ
る、と。これらのうち、例えば、「全再生産構造を表示する」ことと「第2部での
分析成果を…・適用して『スミスのドグマ』批判」をすることとは異なった理論的
課題であると思われるが、その点はここでは問わない。問題は、ここに確定された
「経済表」の意義が、「表」の表式への「止揚」によって引継がれていくのかどう
か、あるいは、変容させられるのかどうかということである。しかし、この問題に
対して矢吹氏は明確な解答を与えられていない。「止揚」されるという言葉がある
だけである。
最後に次のことを指摘しておこう。すなわち、矢吹氏にあっては、「表」の表式
への「止揚」が云々される一方で「『経済表』で示そうとした点は、『資本論』で
は[第3部]第第7巻篇第49章『生産過程の分析のために』で果され」(K16ー〔 〕は引
用者)るとされている。それに対して、山田氏にあっては、マルクス「経済表」は
ケネー「経済表」から マルクスの再生産表式へ至る「過渡的な形態」(A9)とし
ー86ー

て、あるいは、『資本論』第2部第3篇の再生産論成立の第1ステップとして理解
されている。矢吹氏は、マルクス「経済表」を、表式へ「止揚」されるべきものと
考えているのだろうか、それとも、『資本論』第3部第7篇第49章の成立の起点で
あると考えているのだろうか。もし、前者のように考えるなら、すでに見たような
不備をわれわれは指摘できるし、もし、後者のように考えるなら、それはわれわれ
の賛成するところである。とはいえ、山田氏の理解――「表」は表式の成立過程の
起点であるとする理解――とは異なるものであるといえよう。
以上が、矢吹氏の再生産論の形成過程に関する見解とその問題点である。
 (3)次に、矢吹氏においてこのような見解が展開されねばならなかった理論的根拠
を見ることにしよう。
 それは、究極的には矢吹氏の表式間――山田氏の表式観が肯定的に引用されてい
る(K19)――に起因しているものと思われるが、氏においてマルクス「経済表」
と表式の関連が明らかにされていない。したがって、われわれは、氏の「経済表」
理解に依拠して問題を考えるほかない。
 マルクス「経済表」について氏は次のように言われる。
「『経済表』は『近代ブルジョア社会がわかれている三大階級の経済的生活諸条
件』を明らかにするものとして構想」(K 14)されたものであるが、それはまた、
「直接的には流通過程論を前提とし、剰余価値の……諸分肢形態が明らかになった
段階で改めて 再生産論の分析成果の正しさを 確認するものと言うべきものであっ
た」(K20)。そういう意味において、マルクス「経済表」は、価値から「『地代
に至る迄の一切の範疇的諸規定』を、 …… 総括提示」(K 14)するものである。
 このような理解からすれば、マルクス「経済表」が成立するためには、それ以前
にすでに「地代に至る迄での一切の範疇的諸規定」の解明が、したがって「地代論
の完成」がなされている必要がある。矢吹氏においては、マルクス「経済表」の課
題は、たんなる再生産の「二部門分割と流通の三流れによる総括把握」にすぎない
ものではなくて、「近代ブルジョア社会が分かれている三大階級の経済的生活諸条
件」を解明するものであらねばならない。だからこそ、矢吹氏は、「経済表」の成
立にとっては、スミス、ケネー研究が前提されるだけでなく、なおそのうえに「地
代論の完成」が媒介とされなければならないと考えられたのである。
ー87ー


Y 従来の研究成果と残された課題

以上の再生産論の形成過程に関する諸研究の検討を通じて、われわれは、そこに
次のような成果があったことをまず確認できる。
それは、マルクス「経済表」および表式の成立過程の起点は、山田氏のいうよう
な『学説史』における「地代論の完成」ではなくて、スミスの「V+Mのドグマ」
批判としての不変資本の再生産の研究とケネー「経済表」の批判的研究とであると
確認されたことである。山田氏において少なくとも明示的な形でふまえられていな
かったスミス・ケネー研究の意義が確認され、そのことによってはじめて、表式の
基礎範疇(二部門分割と価値構成 c+v+m)がいかなる理論的要請のもとに与え
られたのかが明らかにされた。また、これらスミス・ケネー研究の中で、マルクス
は、商品資本循環を社会的総資本の再生産の分析の基礎視角として事実上設定して
いることが水谷・高木・矢吹氏らによって明らかにされた。そして、これらすべて
のことは山田氏によって明らかにされていなかったことである。
しかし、矢吹氏の「山田氏にあってはスミス研究の意義はすでに前提されている
のであって、それらを前提しながら何故地代論完成が、マルクス『経済表』の起点
でなければならなかったか」(K11)という問題提起によって、水谷、高木両氏の
見解には次のような問題点があることが明らかになった。
第一に、スミスの「V+Mのぶグマ」批判としての不変資本の再生産の研究が、
「表」および表式の成立過程の起点であることが確認されても、 それはあくまでも
起点であることが確認されただけである。それがその後の展開の中で一一とりわけ
問題の「地代論の完成」以降の再生産の諸研究において、いかなる意義をもつもの
として位置づけられているか、このことが水谷、高木両氏によって十分に検討され
いないのである。「地代論の完成」以降の再生産の諸研究 ーー すなわち、『学説
史』第17章および第21章、とりわけ前者でのリカード蓄積論批判としての単純およ
び拡太再生産の研究、マルクス「経済表」、『資本論』第2部用草稿の 第1、2、
8稿一一において、起点において確認されたものがいかなる契機として位置づけら
ているか、われわれは今後検討していかねばならない。
第二に、不変資本の再生産の研究が「表」および表式の成立過程の起点であるこ
とが確認されたからといって、「地代論の完成」がそれらの成立、とくに「経済表」
の成立にとって何の意味もなかったということが確認されたわけではない。 マルク

ー88ー

ス「経済表」は、剰余価値の分肢諸形態(地代も含む)を表示し、現行『資本論』
でいえば地代論の考察される後に当たる箇所――「僕の本の最後の諸章のうちの一
章」――に位置づけられるものであるとされている。したがって、それの成立に際
して、スミスの「V十Mのドグマ」批判だけでなく、「地代論の完成」もなんらか
の意味において関与している、と考えることは全く根拠のないことではない。「地
代論の完成」を契機にして剰余価値の分肢諸形態ーーそれらはそれまで考察されて
おらず、しかも「経済表」では表示されている――に関する諸理論が確立させられ
たという事情からしても、そのように考えることが許されるのではなかろうか。こ
の点が考慮されていない以上、水谷、高木両氏の山田氏批判は十分説得的なもので
あるとはいえない。それに比して、矢吹氏の反論は一一「地代論の完成」が氏のい
われるほどの決定的な意義をもっていたかどうかは措くとして――それなりに筋の
とおったものである。したがって、われわれが今後さしあたって検討すべきことは、
「地代論の完成」が「経済表」の成立にとっていかなる意義をもっていたかという
ことである。
次に矢吹氏を除くすべての論者が軽視してきたことを指摘しておこう。それは、
不変資本の再生産の研究とマルクス「経済表」との篇別構成上の位置づけの相違で
ある。前者について、マルクスは、その研究は「資本の流通過程」篇に属する問題
であるとし、剰余価値を「利潤」範疇に一括して取扱つている。両者の相違は、再
生産論の形成過程を見る場合、重要な意味をもつものと考えられる。にもかかわら
ず、これらの相違が軽視され、しかも、マルクス「経済表」は『学説史』の再生産
論の研究内容および構想全てを総括提示するものである と考えられる傾向が強い。
だが、われわれとしては、両者のこの相違は両者の理論的課題の相違に起因するの
でははいかと考えている。だから、われわれは今後、この点に関する十分は検討を
行っていかねばならない。すなわち、この両者の相違は何に起因するのか、それが
両者の理論的課題の相違に起因するとすれば、それはどのような理論的課題の相違
なのか、これらのことが問題になる。
さらに、マルクス「経済表」が『学説史』における再生産論の内容および構想す
べてを総括するものと考えられたために、 マルクスの表式は、 この「経済表」が
「発展」「転化」することによって以外に 成立しようがないとされている。 だか
ら、すでに見たように、すべての論者によって、「表」が表式にいかにして、なにゆ
えに「発展」「転化」「止揚」されるかという問題が設定されることになった。し
ー89ー

かし、それらの問題に対する十分説得的な解答をわれわれはついに聞くことができ
なかった。
マルクス「経済表」が表式の成立過程の唯一の起点であるという見方は、山田氏
によって設定された枠組みである。そして、水谷、高木、矢吹氏らによって、程度
や観点の違いこそあれ、継承されてきたものである。山田氏のこの見方は次のよう
な事情に起因しているように思われる。 すなわち、 山田氏によれば、マルクス再
生産表式は「資本の運動の全面的把握」をなすもの、社会的総資本の運動に内在す
る諸矛盾を総括するための基礎理論であると理解されている。このような表式観か
らすれは、表式は、『資本論』第2部「資本の流通過程」の第3篇に位置づけられ
るよりも、価値から地代に至る資本の全運動諸法則が解明されたあとに、すなわち
『資本論』の最後の諸章のうちの一章に位置づけられるほうがより適切である。ま
た、このような観念からすれば、マルクス「経済表」は表式の萌芽として最適であ
ることになる。なぜなら、この「経済表」こそ、マルクス自身によって「僕の本の
最後の諸章のうちの一章のなかに総括として載せるもの」であるとされているから
である。このような事情から、マルクス「経済表」は表式成立の起点であるとされ
たのである。
しかし、われわれは、マルクス「経済表」をそのようなものとして理解すること
はできないのではないかと考える。なぜなら、再生産論の形成過程を、不変資本の
再生産の研究→「経済表」→表式という発展コースでとらえることは、かえって問
題を複雑にするからである。すなわち、そのようにとらえることによって、二つの
「転化」一一不変資本の再生産の研究の「経済表」への「転化」と「経済表」の表
への「転化」ーーが説明されねばならなくなる。 にもかかわらず、 すでに見たよ
うに、それらに対する十分納得のいく説明がなされていない。それは、「経済表」を
表式の成立過程の起点と考えてはならないことを示唆しているのではないかと思わ
れる。
以上、われわれは、再生産論の形成過程に関する諸研究を整理し、そこでの研究
成果と問題点を指摘してきた。そして、最後にそれらを総括することによって、今
後われわれがどのような成果をふまえ、 また、どのような残された課題を検討して
いかなければならないかが明らかにされた。われわれは、稿を改めてわれわれ自身
の見解の積極的な展開を行うことにしたい。
               (脱稿,49.9.24)
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 (追記) 脱稿後、『資本論』第2部用「第1草稿」(ロシア語版『マルクス・エン
ゲルス著作集』第49巻、1974年所収。編集者によれば、おそらく1864年後半
から1865年春にかけての時期に執筆されたもの)を入手しえた。 これは、ロ
シア語ではあるが、はじめて公表されたものであり、その表題は、「第2部、
資本の流通過程」であり、構成は、「策1章、資本の流通」、「第2章、資本
の回転」、「第3章、流通と再生産」(表式そのものは見られないが、この第
3章において、下のように表式化しうる数字例をもって再生産論が展開され
ている)となっている。その内容を検討した結果、本稿で述べた論点を変更
せしめるものではなかった。詳論は別稿に譲る。
生活手段を生産する資本A:400c+100v+100m= 600
生産手段を生産する資本B:800c+200v+200m=1200

ー91ー