競馬トークその52 【近代競馬150周年に想う】


 海外へ挑戦する日本の挑戦者に、久しぶりに納得のいく思いがした。競馬のことではない、プロ野球のダルビッシュ有投手に関してのことだ。

 彼は言った「国内では自分を倒してやろうというのが感じられなくなって、モチベーションが保てなくなる」相手選手の体たらくは情けないところではあるがそれを言ってもなんとなくさまになる姿は「よっしゃ!行って来い!!」と言いたくなるところであった。別の私の許可は要らないが(笑)

 それとほぼ同時によく目にしたニュースが、サッカーで海外挑戦した選手が1年足らずで復帰する(なぜか浦和レッズが多い気がするぞ)ニュース、彼らの何人かはスポーツニュースでも取り上げられそれはそれは「天下とったりますよ」くらいの文言を吐いていたように記憶している。少なくとも誰一人として「通用しないかもしれませんが、自分の経験として必要なので・・・」というような殊勝な事を言っていた選手はいなかったように思う。
 いったい彼らは「どの面下げて」帰ってくるのだろう?満足に試合に出られず活躍の場を与えられなかったのが「機会がなかった」と言うような表情に見える。自らが全く通用しなかったことについての反省、意気揚々と出て行った恥ずかしさ(照れ隠しか?)、ファンへのお詫びは目にする事がなかった・・・まるで帰ってきてあげたとでもいいたげな感じにも見えてしまうのはもはや私自身がサッカーに対して無知であり、そういった選手に対しての偏見がピークに達しているからであろうと思うが・・・釈然としない。

 2011年の競馬が終わった。ブエナビスタの悲願のJC制覇、福永のリーディング、オルフェーヴルの3冠、そして震災競馬・・・毎年のことだが、競馬という興業は本当に見所がない年がないと言えるほど面白い。どうでもいい話だが、競馬歴と平成の消化がほぼ同じ私にとっては(いわゆるオグリキャップから見始めたミーハー少年)武豊と言う騎手は目の上のタンコブどころか、目の上のマツコデラックスくらい鬱陶しい存在だったが、いろいろな事情で勝ち鞍が遠くなり始めたこの平成23年にはじめて「武って本当に上手だな・・・」と心の底から称賛を贈りたい(スマートファルコンに乗っている時以外は(笑))こんな気持ちに今年なるとも思えなかった。今年は一体どんな感動が待っているのか?

 そんな中で唯一引っかかることがある、「オルフェーヴル海外挑戦」だ。これを読んでいる皆さんに聞きたい「今の状態でオルフェーヴルは海外で通用しますか?」恐らくほとんどの人が「そらそうよ!」といってくれるのだろうが・・・私にはどうしても気になることがまだ多すぎる。一体あの馬は強いのか?

 そう感じさせるのは三冠のすべてのレースと有馬記念が「同じ」だったから。なにも相手関係が同じとかいう事を言いたいわけではない。すべてのレースの共通点として「道中が締まらず、最後の瞬発力勝負になった」事を差して「同じ」と言っている。皐月・ダービーという東京コースで行われた春のG1がそうであることをなにも否定はしない。しかし、淀の3000で行われて圧倒的なレベル差があったはずの菊花賞、古馬初対決で厳しいペースで逃げて持ち味があるはずの馬が出ていた有馬記念、なぜどちらも「ライバル」たちはわざわざ彼の得意な展開に持って行ったのか?
 オルフェーヴル自体が強い馬であることは是認せざるを得ないが、それをライバルたちはどう見ていたのだろう?特に佐藤哲三騎手はなぜアーネストリーにチンタラしたペースを選択させたのだろう?距離の不安?2200を勝っている馬が小回りの2500で距離不安?レースは近年の有馬記念ではディープインパクトとマツリダゴッホしか記録していない上がり33秒台をなんと8頭(しつれいこれはうろ覚え)ほどが記録するほどのレース。これほどの瞬発力勝負には未だかつてなったことがない有馬記念がよりによって稀代の瞬発力勝負の三冠馬が出てきた年に行われてしまうというあまりにできすぎな展開が私の心の中に「オルフェーヴルへのクエスチョン」を抱かざるを得ない理由なのだ。

 海外で戦うにおいて瞬発力だけでは駄目なことはディープインパクトで日本のファンたちも競馬関係者たちも痛いほどわかったはず。海外に行く前にこのクエスチョンだけはクリアしておかなければ、凱旋門の舞台に立とうが何をしようが応援する気にはならない。どういう結果で帰ってきたとしても温かく迎えることが私にはできないかもしれない。仮に惨敗してしまえば「ホラ見たことか!やっぱり瞬発力勝負では駄目なんだ!!」となるし、仮に勝って帰ってきたとしたら「なぜ私の前でそれを見せてくれなかった!素直に応援できなかった!!」となってしまうだろう。恐らくは、前者の結果になってしまうような気がしてならない・・・一度で良い。勝っても惨敗しても持久力・スタミナの削りあいのようなレースを国内で見せてくれれば、どういう結果になったとしても「ああゆう条件でああなったのだからこうなっても仕方ない」「あの条件でああなっているのに、ああなるなんてすごい!」「あの条件でもああしてくれたんだからこういう条件なら・・・」「ああゆう・・・」(もういいな(笑)しつこすぎた)

 それが見たい。それを今年は私の感動としたい。幸いにして彼は春の選択肢は国内に置いている。国内のレースでも削りあいになることがまま多い春の天皇賞。本気のステイヤー達とどんな競馬をするのか?願わくばホクトスルタン辺りがビュンビュン行ったりわけのわからない展開になって最後の最後まで息が持たない展開になったときにオルフェーヴルの真価が垣間見えると信じている。


 海外に出ることが善でも悪でも良でも悪でもない、海外に出るからには自らの「長所・短所」を知り尽くし、何を武器に、何を克服材料とするか、明確な意思を以って望まないとただ行って帰ってきましたとなってしまう。150年の記念の近代競馬、150年やってきたことの意味を感じられるような一年でありますように・・・そして私も24年も競馬やってきたのだから、1年くらい『よく当たりました』と言える1年であるように(笑)


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