第2回 SIA-DAY ベトナム編 レポート

第1部 メモリーオブWAR



カサブランカのようだ…。
全身を真っ白な細身のアオザイに身を包んで舞台に現れた高樹さんを見たときに、
最初にイメージしたことだった。
前回と同じ福岡アクロスの円形ホールは、
アジアンテイスト溢れるディスプレイが舞台に設えられて、
ホールに入った瞬間からアジアの空気に触れたような気がしたが、
高樹さんの登場で、その思いはさらに強くなった。
ベトナムが今回のSIAの舞台。
高樹さんは、恋愛小説を多く書くベトナムの女流作家チャン・トゥ・マイ氏との交流を通して、
今までにない恋愛という切り口でベトナムの今を感じたいということだった。

近くて遠いアジアの国々。
SIAが始まる前後に、北朝鮮のミサイル発射や核実験の問題や、
小泉政権から安部政権に変わった直後の中国の両極端な日本への対応の変化や、
タイでクーデターが起こって政権が変わったことなどが世間を騒がせたが、
僕は足元を見るのが精一杯で、ニュースで流れることほどの情報でしかアジアのことを知らない。
今回のSIAで取り上げるベトナムについても、1965年生まれの僕は、
1960年〜1970年に起こったベトナム戦争のことをほとんど知らないでいる。
しかし、ベトナム戦争の頃、学園紛争の吹き荒れた全共闘時代に青春を過ごされた高樹さんにとって、
この話題は避けて通ることの出来ないものだった。
ベトナム戦争を物語る映画はたくさんあるものの、
それらはほとんどアメリカ側の視点からなるもので、
ベトナム側から物語られたものはほとんどない。
高樹さんのSIAの最初の試みは、ベトナム戦争のもたらした傷跡を、そして今を、
ベトナムの人たち側から感じること。
それを二つのフォトデッセイで表された。

一つ目のフォトデッセイは、ベトナムの画家エイ・ズイ・ウンさんについて語られた。
彼は戦争の最中、一人の女性とめぐり会いながらも、
戦火の中で銃撃を受け、生死をさまよう朦朧とした意識の中で、
自分の目から流れる血を使って、時の指導者ホー・チ・ミンの横顔と国旗、
そして「光と信念 あなたに青春を捧げます」という言葉を手近な紙に書いたという。
その絵を実際に高樹さんもご覧になったが、
高樹さんはそのとき抱かれた疑問を、ウンさんに直接ぶつけてみられた。
「何故愛する恋人の絵ではなく、ホー・チ・ミンの絵を描いたのか?」
そのときの恋人と紆余曲折の末結ばれ、幸せな結婚生活を送っているウンさんの返答は、
必ずしも明快なものではなかったという。
そこで、高樹さんは想像力を働かせて、一つの高樹さんらしい結論を導き出された
ウンさんは生と死の狭間で、本能的に生き残った自分のために
プラスになる選択をしたのではないかという想像だった。
高樹さんのこの想像は、自分の身内に潜んで、
出来れば人目に触れて欲しくはないところを撫でるようで、一瞬冷やりとさせられた。
と同時に、人が死に瀕して尚、「生きる」ということを完全にあきらめることはないのかもしれないと思った。
絶望の中、その人の意識が光に向かうか、暗い淵に向かうかで、
ときにその後の人生を大きく左右するターンニング・ポイントがあるのかもしれない。
この想像には、高樹さんの人間に対する冷徹で客観的な鋭さを擁しながら、
とても慈愛に満ちている視線があるのだと感じた。
僕が高樹さんの作品に、そして高樹さん本人に惹かれる大きな理由の一つだ。

ウンさんは画家でありながら、彫刻家でもあるそうで、
高樹さんは二つの彼の彫刻作品を紹介してくださった。
一つは『枯葉剤の少女』と題されたもの。(右上写真)
戦争中にアメリカが投下した枯葉剤がもたらした人々への被害の大きさは、
今なお続いている奇形児などの胎児に及ぼす影響や、
そうして生まれた人々の悲惨な状況の続いていることでも窺い知れる。
ウンさんが生きるためにホー・チ・ミンの絵を描いたとして、
この作品は、彼の創作する者としての純粋な欲求によって作られたものではないかと高樹さんは説明された。
もう一つが『木の下の恋人』と題されたもの。(右下写真)
何度も戦争によって引き裂かれてきたウンさんと奥さんの、
別れの切なさを表現したものだそうだ。
ウンさんの血で描いた絵も、確かに心に迫るものがあるが、
二つの彫刻は、それとは全く別の、衝撃という突発的なものではない、
人の心を揺さぶる余韻のようなものを残すように思えた。
作品の根底にあるものが、作家自身の混沌としたやり場のない怒りや悲しみであるからかもしれない。

二つ目のフォトデッセイを始める前に、
高樹さんはスライドを使って、現在のベトナムの様子を伝えてくださった。
恥ずかしい話ながら、僕はここでの説明で、ベトナムが社会主義国家であることを初めて知った。
ベトナムは稲作を中心とした農業の盛んな国で、
極端な貧富の差こそないものの、その暮らしは、かつての日本の農村がそうであったように、
過酷な労働の上のものであることは容易に想像がつく。
そうしたこともあるのか、農村単位の結束は今も強いという。
高樹さんは、戦争にベトナムが勝利した大きな要因の一つに、
充分に近代化されていないがゆえに、権力が一極集中していないため、心臓部を叩くことが出来ず、
各農村単位の強い抵抗に対して、アメリカが対抗しきれなかったからという一つの説を紹介された。
また、今回のSIAのテーマが恋愛であることから、
ベトナムの結婚式に参列されたり、若いカップルに今の恋愛事情を聞かれたことを、
ユーモアを交えて語ってくださった。
結婚の目的が子孫を残していくためのものであるという従来の考え方を、
今の日本の若い人が考えないのと同様、
ベトナムの若い人たちの間にも、恋愛や結婚の多様な捉え方が広まりつつあるということだった。
実際、高樹さんが取材されたカップルは、
彼女の方が結婚願望が強く、それに対して、彼の方がやや尻込みしているようで、
その光景は日本のカップルとなんら大差のない、今の若い人たちの恋愛模様だった。
しかし、まだまだ古い結婚観や恋愛感は根深く残っているようで、
戦争を知らない若い世代とその父母たちの意識の格差が広がっているような印象を受けた。
戦後37年以上たった今、アメリカとは既に国交も結ばれ、
アメリカの映画や音楽、小説などの文化やドルなどの資本がベトナムに浸透し、
戦後生まれの若者たちは反米意識が薄いということだった。

ベトナム戦争では、数十万人という若い独身の女性兵士が戦ったという。
もう一つのフォトデッセイでは、戦中、最前線で戦いに就き、
戦争により心身に深い傷を負った、ある女性兵士の戦後について語られる。
たくさんの男たちが戦火の中でその命を失って、
戦後はただでさえ結婚することが容易ではない状況の中、
心身に傷を負った女には、幸福な結婚など望むべくもなかった。
ダウさんも、戦争で耳が聞こえなくなったばかりか、
その後遺症で頭痛や妄想に襲われ、結婚をあきらめるより他なかった。
そんなダウさんに戦後十年以上経った後に生まれた一人息子がいる。
それは、ダウさんの個人的な事情による出産というわけではなく、
国家的に意図された、ダウさんたちのような女性兵士たちへの婚姻外出産の容認という政策が深く関わっている。
高樹さんは、戦争で傷ついた女性を、国力増強という意図の下、
再び利用しようとするやり方に憤りを感じられるが、
目の前のダウさん親子の深い愛情に基づいた絆を目にされて、
ダウさんが息子を持てたことは良かったのだと思われる。
ダウさんの事情については、11月8日発売の『文芸春秋』十二月号に、
高樹さんの撮った写真と共に「アジアに抱かれる」と題された、
文芸春秋版フォトデッセイで触れられているので、是非一読して欲しい。

二つの戦争の傷を背負った人の現在の物語は、
どちらも不穏でざらついたものを心に残しながらも、
決して「生きる」ということに後ろ向きではない、
ある種の強さとしたたかさを感じさせて、SIA-DAY第1部は終わった。