第1回 SIA-DAY フィリピン編 レポート

第1部 アンドロメダ星座をめぐって

■高樹のぶ子氏によるイントロダクション

ブザーの音とともに場内が暗くなる。落ち着いた女性のアナウンスがSAIの始まりを告げた。
舞台には正面左側に大きなスクリーンが配されていて、柔らかなピアノのインストルメンタルとともに、高樹さんが訪ねられたフィリピンの様子が映像として映し出される。この日、紹介されるであろうフィリピンが、次々と場面を変えながら、およそ1分ほどの映像にまとめられていた。
ビデオが終わると、舞台中央にスポットが当てられ、やや間を置いて、左手の暗がりから高樹さんがスポットの中へ進まれると、場内から拍手が起こった。
「こんにちは、高樹のぶ子です」
白いハイネックに大きく開いたV首の白黒のボーダーのセーターに黒いパンツ姿の高樹さんは、軽快な春らしい装いと違って、その声は緊張のためか少し震えているようだった。
高樹さんはこの日の参加者の来場への謝意を述べられた後、まずはこの日の集い「SIA」がどういうものかの説明を始められた。
2005年7月、九州大学に設立されたアジア総合政策センター。同年10月、高樹さんはこの九州大学アジア総合政策センターの特任教授として迎えられた。小説家である高樹さんにとって「感性」と「言葉」が武器であり、それを持って大学に貢献できることはないかと考えられたプロジェクトが「SIA=Soaked In Asia(アジアにどっぷり浸る)」である。半年に一度、高樹さんの好みと感性で選んだアジアの国、一国を選び、その国の作家と作品との交流を通して、高樹さんが五感で感じたアジアを創作という形にして発表する。そして、高樹さんが五感を広げて感じられた有象無象のアジアを、作品の朗読やビデオや写真を使いながら一般の人たちと共有すること。それがこの日、第1回目を迎えるSIA-DAYの目的である。
高樹さんは熱を込めて言う。「小説というのは、数やデータ、パーセンテージでは表せない個人の個の情報を伝えるもの」であり、「そこに一人の人間がいるということが伝わることがどんなに大切なことかということを、今の時代、特に思います」
「理解を超えて愛するために」と高樹さんは標榜する。「SIA」の出発点はここにこそある。










■G.C.ブリヤンテス氏作『アンドロメダ星座まで』の朗読

朗読を始める前に、ここ最近フィリピンではフェリーの事故やレイテ島の大規模な地すべりなど暗いニュースが続いているが、フィリピンを考えるに当たって何よりも忘れてはならないのは、前の大戦で日本と戦いの末、110万人とも言われている犠牲者をフィリピン人だけで出したことだと、高樹さんは苦しげに話された。シベリアで抑留され亡くなった日本人の犠牲者が6万人とも言われている中、そのおよそ20倍の犠牲者をだす所業を日本はフィリピンに与えたこと。このことをしっかりと肝に銘じなければならないと高樹さんは辛そうに訴えられた。

わずかな効果音をはさみながら、RKB毎日放送アナウンサー田畑竜介氏の朗読が始まった。よく通る、若々しい青年の声で、田畑アナウンサーは情感豊かに『アンドロメダ星座まで』を朗読された。
短編小説『アンドロメダ星座まで』はフィリピンを代表する作家の一人で、1932年生まれのグレゴリオ・C・ブリヤンテス氏の少年時代をモデルにしたと思われる初期の作品である。比較的恵まれた家庭に生まれた主人公ベンのささやかな日常の一コマが描かれているが、第3次世界大戦後の人類を描いたSF映画の描写で始まることが象徴するように、物語り全体を淡く漠とした不安が覆っている。それはブリヤンテス氏が少年時代に経験した第2次世界大戦での経験が根ざしていて、それが作品に投影されていると言えよう。





■VTR「アンドロメダ星座まで−作品論−」

朗読の後、作品『アンドロメダ星座まで』をめぐって交わされた高樹さんとブリヤンテス氏の対談の模様がVTRで紹介された。
VTRの中で、高樹さんは『アンドロメダ星座まで』の原題 ”Andromeda To Distance” の”Distance”と言う言葉に注目された。地球から遠く離れているアンドロメダが象徴するものへの距離というのは、とても越えられないものとして捉えられているのか、それとも限りなく不可能に近いながらも、「希望」として捉えられているのかと、小説家らしい視点でブリヤンテス氏に尋ねられた。
氏は作品を書き始める前から「距離」や「隔たり」を扱ったものになるだろうと思っていたと言う。この作品では特に思考や国、人生などによって隔たっている人間と人間の距離について描かれていて、それは究極的には人間と神の隔たりでもあると氏は述べられる。
その隔たりを超えさせるもの、それは「愛」であり、「信頼」や「思いやり」や「知識」であると氏は静かに語っていた。
「小説はまるで人生のようであり、数字で表したり、黒板に方程式を書くのとは違います。経験もまた人生のように数量化できないものですが、小説を読み終えた後、まるで経験したかのようにイメージできるものだと思います」
氏は確信に満ちた眼差しを高樹さんに向けながら、語られているのが印象的だった。


■高樹のぶ子氏トーク「ブリヤンテスという作家」

対談のVTRが終わると、再び舞台中央に現れた高樹さんは、ブリヤンテス氏の別の作品『アポロ100年祭』という近未来を描いた小説の紹介をしながら、『アンドロメダ星座まで』の主人公ベンが漠然と抱いていた不安が描かれていると指摘された。
『アポロ100年祭』は、1969年のアポロが人類初の月面着陸に成功してから100年経ったことの記念行事が、『アンドロメダ星座まで』と同じ舞台であるターメリックで行われていて、そのフェスティバルに見に行くために、地方の寒村からいかだやバスを乗り継いで出かける家族の物語だそうだ。ここで描かれているフィリピンは、100年と言う歳月が流れているにもかかわらず、相変わらず貧しく、また、100年後も英語と現地語のタガログ語の混在する世界が描かれていると言う。
この物語をめぐって、高樹さんと、同僚の教授と助教授の間でちょっとした議論が交わされたエピソードを紹介された。
高樹さんはこの『アポロ100年祭』を読んで、100年後も解決していない様々な問題を抱えたフィリピンの現実を捉え、ある種の切なさ、やり切れなさを感じられたという。それに対して、教授と助教授の方は、実際にブリヤンテス氏の語られたこの作品への考えをもとに、高樹さんが捉えられた100年後も変わらないフィリピンの現実を、むしろ100年経ってもアメリカナイズドされないフィリピン人のしたたかさ、負けない強さとして、ある種の希望的なものを描いた作品であると反論したそうである。
高樹さんは、この作品における二つの異なった見解の生まれる原因を2つ挙げられた。
一つは、高樹さんに比べ、両氏はフィリピンの歴史的背景も、現在の状況も熟知されているということ。フィリピンの歴史を紐解けば、大航海時代にスペインに占領され統治された時も、その後日本における戦中の支配下にあったときも、現在のアメリカによる間接的な支配を受けている状況の中でも、フィリピン人は芯から屈服することなく今に至っていて、ブリヤンテス氏はそうしたことをこの物語の中で描くことで、フィリピン人の一つの希望としてあらわしたのだと、高樹さんや両氏に実際に語ったそうである。
それでは、高樹さんの受け止め方が間違っているのかといえば、そうではない。その理由が二つ目の原因である。
それは、文学論としてずっと繰り返されて来た、「作品は誰のものか?」に対する考え方の相違から生まれるものであるということだ。
つまり、作品は作者の分身であるという考え方と、作者から断ち切られた別個の人格を持って存在すると言う考え方の違いだ。
高樹さんは後者の考え方を支持されている。現地フィリピンを訪れ、五感で体感したフィリピンを通じて読み解いた作品から受けたものは、ブリヤンテス氏の意図はともかく、理解ではなく感じるアジアという、このSIAの目指すものからいっても、高樹さんにとって譲れない感性の生み出した内側からの声なのだ。そして、高樹さんは作品の中に、解決されないある種無残とさえ言える、フィリピンの抱えている今の問題の大きさにこそ、作家として感性が反応しているのだといえよう。
「小説というのは、作者が死んで、こんなふうに色を塗り替え塗り替えされながらいくものが、実は長生きできる文学だと私は思っています」と高樹さんは熱く語られた。

ブリヤンテス氏は作品の中で、人間と神との距離を描いたと述べられたが、高樹さんはその点において、作品の中で今ひとつ読み取ることが出来なかったと告白された。これは信仰に関わることでもあるのだろうが、もう一つは概念の受け取り方の違いもあると感じられた。それは、彼が距離を埋めるものとして「愛」(LOVE)がその架け橋になると明快に答えられたが、そもそも日本人にとって、「愛」をいう言葉ほど曖昧に使われるものはなく、その概念の受け止め方の決定的な違いが、今ひとつ理解し体感する域に近づけなかった原因ではないかと考えられた。

第1部の最後に、高樹さんはブリヤンテス氏の故郷でもあり、『アンドロメダ星座まで』の作品の舞台にも鳴ったルソン島ターラックのカミリンを、ブリヤンテス夫妻と訪ねられた時の模様をスライドを見ながら解説された。
スライドは、決して一般の庶民ではなく、フィリピンにおける上流階級層のブリヤンテス氏の自宅前から始まる。3時間半をかけて訪ねたカミリンの町を、高樹さんはブリヤンテス氏の手を握りながら、小説の舞台ともなったカミリンの街をめぐられる。小説の世界と現実の世界の相違。フィリピンと日本の歴史的な事実。フィリピンの荒廃が今も色濃く垣間見える現実。そうしたものを高樹さんは五感を通して感じられる。
そんな中でふと抱かれた素朴な疑問をブリヤンテス氏にぶつけてみられた。
「日本とフィリピンの未来はどうなるのか?」
氏は高樹さんの作品集『水脈』の中の『還流』と言う小説を引き合いに出しながら述べられたという。
『還流』は人工透析の少女と、マングローブのヒルギダマシという海水をろ過して葉に塩分を蓄積して落とす仕組みを持った植物を重ね合わせて描かれるが、ブリヤンテス氏はそれを引用しながら、国と国との関係も、季節の移ろいに伴い、葉を落としたり、芽を出すようにして、新しい関係がめぐってくるだろうと。
この彼の言葉に、彼は敬虔なカトリック教徒でありながら、東洋的な輪廻の思想に通じるものを併せ持った作家なのだと、強く感じたと高樹さんは述べられた。
スクリーンにはたわわになった淡い緑色のマンゴーの実が映し出されていた。
「今日一日、みなさんにはこのマンゴーの実がついて回ることと思います。どうぞこの映像をしっかりと焼き付けておいてください。」
そういたずらっぽく高樹さんが述べられた後、第1部のプログラムが終了した。