原子力発電は複雑で難しい技術か先日、山田洋次監督がNHKの番組に出演して、自作のドキュメンタリー映画『復活』についてコメントしていた。NHKの番組内では、その映画製作の最中に三陸沖で地震があり、山田監督自ら東北の被災地を見て回ったという。
そのときの感想の言葉で次のようなものがあった。
蒸気機関車は、どの部品がどのような役割をもっているか見えればすぐ分かる。しかし原発はそうはいかない。高度に発達した科学技術が複雑な機械をつくり、何がおこっているか分からなくした。使用済燃料を処理する場所がないってことを知らないまま、原発は推進され、今回の事故がおこった。 うろ覚えなので、恐らく言葉そのものは異なるが、内容的にはこのようなものだったと思う。 責任回避だと思った。 不勉強だと思った。 単に、にこれまで原発に関心がなくて、原発のことを調べようともしなかっただけではないか。 ネットを調べれば、原発がトイレのないマンションと呼ばれていたことなんてすぐに出てくる。 原発も火力発電所も水を熱して蒸気でタービンを回すしくみは同じだ。 熱源にに火を使わないのが原発。 火を燃やさずに核分裂エネルギーの熱を使うだけ。 ただし人間が近寄れないほどの放射線を発しているので、それを封じ込めるのが課題。 そこに使われている技術は、基本的にはいかに気密性を高め、高圧に耐え、水や空気を漏らさないようにするか、という技術ではないか。 それは蒸気機関においていかに蒸気を漏らさずに効率的に運動エネルギーに変換するのと、基本的には変わらない技術ではないか。 詳細は知らない。が、その発電のしくみは目で見て感じ取ることができるハズ。 イメージできないとしたら熱源だろう。 核分裂が発熱するということを理解しようとしないだけ。 目で見たことしか信じられないとしたら、核分裂エネルギーは信じられない。 つまり、信じようとしないだけの話だ。 信じようが信じまいが、核分裂を熱源として原発が稼働している現実がある。 現場の技術者たちは原発が安定稼働するために最善の努力を続けている。 その気持ちの入れ込み方には、蒸気機関も原発も変わらない。 技術者とはそういうものだろう。 自分自身が原発の仕組みを知らなかったことを棚にあげて、科学技術が進化して核分裂エネルギーや放射線という一般人には複雑で分からない世界になっているという。だから手に負えないと言い放つのは、議論のすり替えだ。自分が理解できないのものは悪だと勝手に決めつけている。 手に負えないのは、発電する技術ではなく、使用済燃料の処理事故処理の技術だった。 最終的に人間が制御できないなら、使うべきではない。(例:ナウシカの巨神兵) 自分には理解できる範囲である蒸気機関という古き良き時代の技術のみを褒めたたえるのは、ノスタルジーでしかない。 ノスタルジーに固執して、現在や未来をみない姿勢からは何も生まれない。 『復活』が単にノスタルジーだけで終わっていない映画であることを期待する。 山田監督は、原子力発電所の技術者たちのドキィメンタリーもつくるべきだ。 こんな大変な事故を起こしてしまった原発という化け物と格闘している技術者たちの苦悩を映画にすべきだ。 争点は、科学技術の進化ではなく、政策にあることがわかってくるはずだ。 |
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カレンダ
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Total entries in this category: Published On: 9月 01, 2011 02:48 午前 |