オバマ大統領就任演説


直前のラジオ報道では、通常60万人のワシントンに全米から200万人がオバマ大統領の演説を聴きに訪れているというので、超人気のオバマ大統領の就任演説をリアルタムで確認したかったが、見逃してしまった。しかし内容は、21日の夕刊には演説の日本語訳全文が掲載されていた。

すばらしい内容だとおもった。改革を進めるにあたって先人たちの功績をたたえ、名もない英雄たちが今日の繁栄をつくりだした。経済が疲弊しているのは「一部の者の強欲と無責任の結果」だとしたうえで、改革の困難を乗り越える主役は国民であると訴えている。

この若い大統領への期待をかき立てる内容だった。

しかし、よく読むと、やはりアメリカ合衆国の大統領であることには変わりない。カーターもクリントンも、結局は米国の大統領であった。後半は「米国は、将来の平和と尊厳を求めるすべての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意がある」として、世界警察としての復権を目指すことを鮮明にした。

冒頭にブッシュ政権に対する謝辞を述べながらも「一部の者の強欲と無責任」というのは明らかにブッシュ政権批判であり、批判すべき対象を明確化したうえで、それを許した我々自身も反省すべきだとし、「恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び」「狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言」して、新たな時代に向けて内なる結束を呼びかけている。

しかし、それはあくまでも合衆国内部に対してのようだ。国外にたいしては、戦闘的姿勢から対話と協調への転換を示唆しつつも、最終的には自由の国米国の国際社会での復権をなしとげようと訴えている。

演説の後半では、まず米国は「ファシズムと共産主義を屈服させた」と言い切る。ファシズムと共産主義を対等にならべている点も気になる。そして、そのいずれにも米国が独善的に振る舞ったわけではなく同盟国とともに慎重に対応したとしながらも、結局は「屈服」させたのだ。

「富を生みだし、自由を広めるという市場の力は、比類なきものだ」としながらも、「注意深く見ていないと、制御不能になるおそれがある」として政府の市場介入を示唆しているのは、資本主義経済にも一定の制限が必要だということであり、それは共産主義の計画経済のしくみを取り入れることだと思うだが。また、「富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない」というのも同じ主旨だと思うが、共産主義はあくまでも「屈服させ」る対象なのだろうか。

米国が「キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家」であり、それを「私たちの多様性という遺産は強みであり、弱点ではない」といいながらも、イスラム世界に対しては「自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者」とか、「腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たち」と非難している。

そしてそれらが引き起こすテロを「あらたな脅威」とし、それに立ち向かう米国の「精神は一層強固であり、くじけることはない」として、最後には「先に倒れるのは君たちだ。私たちは君たちを打ち負かす」と言い放つ。

慎重に言葉を選んでいるものの、結局は「打ち負か」したいのだ。

それは決して多様な価値観を認めて対話と協調を掲げた者が言う言葉ではない。

それでも、この演説には魅了される。



ところで、ネットで演説の動画を検索して、米国のテレビ放送と日本語同時通訳のものを見たが、微妙に演説の時間が異なる。アップされている全ての動画をチェックしたわけではないが、米国版のほうが時間の進行が速く、演説部分だけで2秒ほど異なる。しかも映像編集が若干異なっていた。米国版は聴衆の表情などが挿入されているが、同時通訳版にはあまりない。国際映像として、複数のカメラの映像が提供されていて、そのどれを選択して放映するのかは放送局にまかされているように思えた。

そして、今日、気がついたのだが、うかつにもホワイトハウスのサイトを確認するのを忘れていた。ホワイトハウスが就任演説を配信しないはずがない。ところが驚いたことに、ホワイトハウスが配信している映像は、テレビで放映された映像とは別物。どうもホワイトハウスが独自に撮影した映像のようだ。しかもカメラ1台固定で家庭ビデオのような素人っぽい映像だった。


土 - 1 月 24, 2009   02:23 午後