仕事の責任


こんな上司の下で仕事をしたくないと思うのは、仕事がうまく行くと手柄はすべて自分のモノとして、失敗すると部下に責任を押し付けるタイプ。逆に、優れた上司、ついていきたくなるのは、最終責任はとるから自由にやれ、というタイプ。

そんな上司はドラマの世界にしかいないのではないか?

そうかもしれない。しかし、逆の上司は現実の世界にたくさんいる。どうしてこうも自分の職務に対して無責任になれるのか。ウソをついて保身に走る。そんなウソがいつまでも見抜かれずにいられるとでも思っているのだろうか。

一方、最終責任を取るから自由にやれ、といいながら、いざ責任問題が発生すると責任はとるものの、部下をひどく叱責するタイプ。保身に走って責任をなすりつけるタイプよりまだマシだが、相手を信頼していっしょに仕事を続ける気にはなれない。

ただ責任を取るからには、部下がやっていることを把握している必要はある。上司への報告義務を怠って、勝手に失敗したことまで尻拭いさせられてはたまらないだろう。だから全く自由奔放にやらせるということはない。大局的な方針を決めて、その筋にそって、具体的なことは任せるという姿勢が一般的だ。

そうした指示がしっかりと行われていない場合、上司は部下の仕事を把握できていないことが多い。それでも対外的には、組織の長の責任になる。部下の管理責任があるからだ。それに気づかない上司は、どうして私が… おれのせいじゃない… ということになる。

逆に、上司に報告義務を怠った部下としては、普段から信頼のおけない上司に対して、自発的に報告しようという気持ちにはなれないということもあるだろう。

要は、普段の仕事の姿勢が、部下の信頼を得られているかどうかが重要だ。適切な指示を与えていれば問題の発生を防ぐことになるし、仮に問題が発生した場合でも、それぞれが自発的に責任を感じることができる。

優れた管理職とは、そうした職場環境づくりができる人物である。普段の仕事を通じて、責任の所在をハッキリさせ、部下の信頼を得られる人物である。

上司の指示にしがたって行動したにもかかわらず問題を起こした人物を叱責する中間管理職、その上の管理職は、問題を全職場に共通することとして一般化して職場全体に訓戒したが、当該職員を不問にした。その場合、その意味を中間管理職は理解するだろうか。


金 - 4 月 4, 2008   07:29 午後