研究者は冷たい


卒論発表会のあと、やり直しの指示を受けて、海外旅行の予定を組んでいた学生が、やり直す時間がない、と泣いていた。うちのゼミ生ではないが、出発日までに出来ることをやればいいと慰めたら、なんとかやる気を取り戻した。

学生に対して、最後に救いの手をどのように差し伸べるか、が判断の難しいところだ。それぞれに個性があるから、同じように扱うと、できない学生もいるし、サボる学生もいる。一人一人の能力に応じて、課題の水準を決めて行かなければ良い作品ができない。

厳しく指導して、最後に救いの手を差し伸べることができないと、結局学生自身があきらめてしまし、教員への信望もなくなってしまう。

一方で学生の誰からも好かれている教員がいる。その魅力はどこにあるかというと、最後に学生を褒めるところにある。それが、どんな水準であったとしても、努力してやり遂げたことへの評価として、褒める。途中で厳しくとやかく言わない。

たとえば、失敗を恐れず自分人の言葉で表現できるようになってほしい、と思っている学生がいるとしても、それを直接学生にいうことはない。課題を与えてゼミの時間内では相談にのるが、それ以外はあまり関わらず、その結果どうであれ、最後は褒める。どちらかというと自由気ままにやらせて、それが水準に達しないとしても許容する。

そして、最終、当初の目的に達しなかったら、それは彼女の自己責任と言い放つ。

研究者はそういう冷たいところがあるという。

これがボクなら、この弱点を克服しなければダメだとまず学生に伝えて、それを克服する手段をいろいろ検討し、課題をこなして行く上でああしろこうしろと細かい指示を出し、いちいちチェックして到達度を確認して、できていないところを指摘してやり直させる。学生にとことんつき合っては、最低限のレベルまで引き上げようとする。

このちがいは、実務をしたことがあるかどうかによるらしい。

実務では、一定水準を確保できない成果物はゼロの評価しかもらえないということを、経験しているかどうか。

ボクは実務経験を7年しかしていないが、それでも研究者と実務家と両にらみの状態にあるということだろう。時間的にはつき合っているけど、べったり学生の横について指導しているわけではないが、学生にとことんつき合う教員もいる。彼が求めるそのレベルは非常に高い。

一方で学生と夜遅くまでつき合わない先生もいる。学生に言いたいだけ言って、それを理解してついてくるかどうかは本人次第という教え方。学生を手取り足取り教えない。手取り足取りは語弊があるが、頻繁に学生と接しない。

そういえば、昔、自分が学生時代の先生って、みんなそうだった。


火 - 2 月 12, 2008   12:49 午前