いつまでたっても広原先生


広原先生の「市民フォーラム:つれづれ日記」の「学生による「授業評価」を評価する」を読んで、あの広原先生でも授業の進め方に未だに悩み続けていることに驚いた。

京都府立大学時代の広原先生は怠け者の学生を容赦なく切り捨てる怖い先生だった。学生に理解しやすく分かりやすく物事を教えるという姿勢は感じられず、高度な学術的内容をそのまま伝えて、理解できるように勉強してこいと言い放つような雰囲気があった。

共同研究をしていたゼミ生3人で、調査について打合せをしている最中に突如、2ヶ月くらい前に広原先生が言った言葉を理解したことがある。先生としては当たり前のことを言ったのかもしれないが、未熟な学生たちには、とうてい理解しうる内容ではなかったということだ。しかし、学生同士で議論していくうちにようやくその内容に到達できて、うれしかったことを覚えている(どんな内容だったかは忘れた)。

ライオンは、子どもを崖から突き落として這い上がってきたものだけを育てると言われている? が、そういう厳しい指導を受けたように思う。

その広原先生も我々が在学中でさえ、優しくなったと言われていた。それが、いま龍谷大での授業の様子をご自身のブログに掲載している様子を伺うと、授業内容の厳しさは変わらないが、レポートの書き方の手順を指導したり、学生の授業評価を評価したり、広原先生らしからぬものを感じないでもない。

でも大学教員の立場からみると広原先生のやり方は大いに参考になる。やはり、いつまでたっても広原先生だ。


土 - 10 月 6, 2007   10:00 午後