どうして研究職に?


そう聞かれて、ドキッとした。すぐに応えられなかった。考えた末に口にしたのは、ずっと貧乏な環境で育ったので社会的弱者を救済したかったから、という恥ずかしくなる様な回答だった。

政治家にはなれないと思ったから、研究活動を通じて、そうしたかった。そう付け加えた。

ほんとうにそうだったのだろうか?

今、この職にあるのは、たまたまだったように思う。

設計の才能がないと思った。平面構成のプランニングはできるし、内部空間を考えるのも好きだったが、外観から立体をつくりだすのが苦手だった。平凡な立面しか考えられなかった。才能がないと思った。

いま思えば、プランニングに長けていたのだから設計の才能がないわけではなかった。たぶん、設計より面白いとおもったのが、まちづくりだったのだ。

吉村順三の住宅に惹かれた。大規模な住宅のなかに感じる暖かみのある空間は、日本の伝統的木造住宅の良さと西洋化するライフスタイルの狭間にあって、富裕層の生活を感じた。そういう暮らしに憧れた。しかしその一方で反発があったのかも知れない。所詮、建築家は金持ちの家しか作らない。

西山夘三が徹底的に庶民の暮らしぶりを調べていたことに共感した。そこには生きる力を感じる。

小学一年のとき、それまで2階建ての木賃アパートだった国鉄官舎が鉄筋コンクリート造の5階建て(階段室型)の共同住宅に建て替わった。当時、千里ニュータウンなどで供給され、庶民の憧れとなった団地と同じタイプの住戸だった。いきなり居住環境が最先端に変わった。

大学で都市計画を学んで、近隣住区論や田園都市、ラドバーンを知って、中低層集合住宅計画に魅力を感じた。長屋、木賃アパート、団地という居住歴が原風景となっていたのだろう。

卒論で、都市住宅の改善を進めるための組織論に取り組んだ。いまらか思えば、ここですでに設計でもなく、建築計画でもなく、都市計画でもなく、コミィニティ論に軸を置いている。ハードウエアではなく、ソフトウエアに重きをおいているということだ。

卒論を進めるにあたって、都市計画コンサルタントという職業があることを知った。今は、まちづくりコンサルタントというほうがわかりやすい。コンサルになりたかった。しかし、大学院卒しか採用しないと言われた。もともと大学院を受験するつもりだったが、なんとしても合格するよう努力した。

卒業間際に、コンサル事務所から、退職者が出たのですぐに来てくれといわれた。とりいそぎバイトしながら悩んだ末に、大学院進学をあきらめようとおもった。すぐにでも仕事したかった。

しかし、結局は大学院に進む。調査研究が楽しかった。が、何をしたかったのか覚えていない。研究室で与えらえた研究テーマはソツなくこしたが、興味をもったのは他大学との共同研究の老朽長屋調査や、アルバイト先のコンサルの歴史的街区保全調査だった。修論のテーマは独自に探し出したと思う。

後期博士課程進学を希望した。もっと調査研究したいとおもった。就職するのが怖かったのかもしれない。研究職に就きたいという積極的理由ではなかったと思う。。が,研究室にはオーバードクターが大勢居て、就職先がなかった。在野でも研究はできる、という指導教官の言葉もあって、都市計画コンサルトに就職を決めた。

駅前再開発を担当した。合意形成のためにほとんどの住戸を訪問して、ヒアリング調査をした。実は、その地区は自分が生まれた土地だった。生まれた産院もまだあった。住宅困窮者を目の当たりにして、再開発の利点を説いて回った。半分ウソだった。再開発は居住環境改善になるかもしれないけど、貧困は救えない。それでも地元住民の立場に立った再開発であると説得しようとしている自分が恥ずかしかった。

体調を壊して、コンサルを続ける自信がなくなっった。安易にCAD開発販売会社に転職した。都市計画分野への進出を図っていた会社の需要と一致した。入社してみると都市計画分野は土木出身者で埋められていた。ソフトな都市計画にCADは要らないということに気づいた。CADはあくまでもハードウエアの設計道具なのだ。

都市計画の専門家にCAD導入を勧めるコンピュータの専門家という位置づけだった。コンピュータのことは入社してからしか知らないが、営業先の業務には熟知していた。営業に本腰をいれようとした矢先、短大の住居学分野でCAD教育職の求人があることを知った。

悩んだ。社会にでて7年目、まだ民間での仕事に満足な実績がない。かといって大学の研究職のポストは、そうそう求人があるわけではない。同僚に相談したら、相談相手も同様に転職しようと悩んでいた。一緒に辞めた。

だから、研究職になったのは、たまたま、求人があったから。

社会的弱者救済のため、という言葉が出てきたあたり、貧困をなくしたいという思いは、根底にあり続けているのかもしれない。

この質問をうけて、いろいろ考えて、いま、もっとも惹かれている研究テーマの必然性を理解した。それについてはまた後日。


土 - 11 月 3, 2007   09:46 午後