パンドラの壺


パンドラはゼウスからエピメテウスのもとに遣わされ、妻となったのち、ゼウスから開けてはならないと授かった壺の蓋をあけてしまった。

壺のなかからは、病気、悪意、戦争、嫉妬、災害、暴力など、ありとあらゆる悪が飛びちった。事態を恐れたパンドラはあわてて蓋をしめた。かろうじて、希望だけが壺の底に残った。

数々の不幸に苛まれながらも、私たちが希望だけを拠りどころにして生きていけるのは、このためなのだ。(阿刀田高)

希望はずいぶんと嘘つきではあるけれど、とにかく私たちを楽しい小径をへて、人生の終わりまで連れて行ってくれる。(ラ・ロシェフコー)

希望ってなんだろう。ずいぶんと嘘つきというのは、信じても裏切られるということ。それでもまた信じてしまう。
子育ては希望か?
教育は希望か? 

そういえば、小学生のとき、「希望」という歌がすきだった。ちょっと暗い歌。岸洋子が歌ってた。

希望という名のあなたをたずねて
遠い国へと、また汽車にのる
あたたは昔の私の思い出
ふるさとの夢、はじめての恋
けれど私が大人になった日に
だまって、どこかへ、立ち去ったあなた
いつかあなたに、また会うまでは
私の旅は、終わりのない旅

小学生にしてこの歌詞の意味を理解していたとは思えないが、希望という言葉に明るい未来を想像していたに違いない。なのに、メロディはとても暗い。その暗さがパンドラの壺に通じている。

余談。親父に希望のレコードを買ってくれとせがんだ。歌手は由紀さおりとうろ覚えで伝えた。親父はレコード屋にそのまま言って、恥かいたと帰ってきた。いつの時代も、親父は流行歌を知らない。


火 - 5 月 1, 2007   11:52 午後