千の風になって


今日、大学院の先輩であるSさんのお母さんの告別式に参列した。面識はなかった。若い頃に洗礼を受けた敬虔なクリスチャンで、地域に根ざした活動的な方だったようだ。ご冥福をお祈りいたします。

献花のあとあいさつすると、あの気丈なSさんが涙目だった。ぐっとこみ上げてくるものがあった。外にでて出棺を見送るころ、雨が降り出した。天も涙しているように感じた。

そのあと京都で新井満の「千の風になって」の講演をきいた。副題は「生と死と再生の歌は、いかにして誕生したか」。効果的な演出万全の講演会だった。文学者の講演会というより、詩人のステージだった。新井氏の母親のこと、そして友人の妻の突然の死のこと、そうした事実がSさんの母親の死とダブって一体化し、止めどもなく涙がでてきた。講演そのものがまるごと映画を観ているような錯覚におちいるほど、言葉からひろがるイメージに覆われていた。

しかし、感動したのは、決しての演出効果(照明、音楽)のせいではない。かりにいろんな効果を使用しなくても感動したにちがいないと思わせる。そう、事実を伝える力が、芸術的なのだ。

壇上にあがって、難しい顔をしながら、マイクスタンド周りを整理しだした。気難しい人のようだという印象のまま、ようやく原稿ファイルの置き場をつくりだしたあと、会場を見渡してニコッと「こんにちわ」。それだけでもう惹き込まれてしまった。

「千の風になって」の詩は4月の終わり頃に知ったのに、そのときはあまり感動しなかった。しかし、今日はちがった。ひとつひとつのことばが深く身にしみる。Sさんにおくりたい。


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています


土 - 6 月 17, 2006   07:46 午後