紅白歌合戦とツイッター


紅白歌合戦は基本的にはあまり見ない派だったのだが、それは基本的に歌番組そのものにあまり興味を抱かなくなったからもあるけど、紅白歌合戦自体の歌番組としての全体構成に疑問を感じてたからだった。しかし、昨年の紅白歌合戦は、ツイッターと連動して楽しくみることができた。

歌番組といえば、久米宏の歌謡ベストテンとか芳村真理の夜のヒットスタジオ(古すぎw)。それはお目当ての人気歌手(中森明菜とか)を観たかったから。実際に音楽を聴くのはAM深夜ラジオやFM番組、レコード(レンタル)だった。

歌番組としての紅白歌合戦をみなくなっていくのは、年齢層の高い視聴者向けの歌手がやたら多くて、その年のヒットソングを反映していないからだった。しかもお目当ての歌手が出てきたとしても、その曲を十分に堪能することができない。1曲当たりの時間が短かかったし、歌手も緊張気味で本領発揮していない。

しかし、こちらが歳をとってみると、若い人に人気の歌手を知らないので、紅白歌合戦の視聴率をあげるためには、古い歌手(出場回数の多い歌手)が必要だということも、身を以て理解できるようになった。この歌手は昔なあ、なんて子どもに向かって話をする。

また、子どもたちが若い歌手たちのことをよく知っているので、紅白で初めて知った歌手についても子どもたちから情報を聞き出すこともできる。

結局、紅白は歌番組というよりも、大晦日の家族行事ということ。テレビをネタに家族でいろいろと会話が弾むとそれなりに楽しい、という昭和レトロ的家族だんらんの道具ということだ。しかし、茶の間でこたつを囲って家族みんなで紅白を観るというのは、おそらく、すでに失われた幻想にすぎない。

そして、その幻想を追い求めて、ここ数年、視聴率確保のために躍起になっているNHKは、紅白の演出をいろいろと工夫してくるようになってきた。とくに今年は1曲あたりの時間配分が長いようにおもった。

そういう演出にも関わらず、おそらく視聴率はどんどん低下しているに違いない。

ところが、今年の紅白はちがった。スーザン・ボイルをゲストに招いたからではない。一度は断わられたと聞いていた矢沢永吉が出演したからではない。ツイッターを通じて、紅白に対する寸評が飛び交ったのだ。

#kouhaku というハッシュタグで紅白の寸評がたくさんツイートされた。

その中の誰かがつぶやいていたが「ツイッターという大きなこたつ」を囲んでネットユーザーが集まったような状態だった。

ラジオしか聴けない人も、ツイッターを併用すると、状況がよくわかったとつぶやいていた。

当然ながら裏番組情報をつぶやく人もいるわけで、紅白をみながら裏番組の面白いところも同時に知ることが出来た。誰かがつぶやいていたが、3番組を同時に観ている気分にさせてくれる。

つまり、ツイッターは、紅白歌合戦だけでなく大晦日の3大テレビ番組それぞれに対して、遠く離れたネットユーザーたちが共有するこたつ的時空を作り出したということができる。

かつて、CATVが双方向テレビシステムなどと称して地域活性化の要のように言われていた時代があった。地デジにしても視聴者参加型とか称して(現にこの紅白でも)ボタン操作で意見収集したりしている。どれもこれもテレビ局との交信でしかなく、視聴者同士の会話は成り立たなかった。

ツイッターは、チャットや掲示板やブログのコメント欄ではなし得なかった同時性の高い情報交換システムだということ。ツイッターでの発言は即座にネットに反映され、時間とともにすぐに過去に流れていく。必要とあればさかのぼることもできるが、基本的には、同時性に意義がある。若干のタイムラグは許容範囲。

そんtなツイッターを家族の一員と同様にあつかって、紅白を観るという楽しさ。

サッカーワールドカップのときに、そこら中で聞こえた歓声を思い出す。同じテレビをみて同じときに歓声をあげるなら、知らないモノ同士でも一緒にテレビをみることができる。それをネットで実現したのがツイッター、ということかな。

もう少し整理する必要ありだが、また今度。


金 - 1 月 1, 2010   05:31 午前