プラネテス


時は、2075年の宇宙開発時代に、宇宙船の航行に危険を及ぼす、浮遊する「宇宙ゴミ」を回収する「デブリ屋」の物語。ずっと以前にNHKで深夜に放送されていた。仕事をしながらテレビをつけっぱなしにしていたときに何度か観た覚えがある。

単発で何度か観ただけなので、「デブリ屋」の話とは知らなかったが、宇宙を舞台にした人間ドラマとしては面白かった。宇宙大作戦(スタートレック)の日本版といったところか。絵もいい。

全26話を順番に観ていくと、デブリ屋を舞台にした青春ドラマといったところ。それがだんだん人間ドラマとなっていく。ところが後半をすぎたあたりから、舞台は「デブリ屋」から、宇宙開発全体の話へとスケールがでかくなっていく。

それにともなって主人公はちまきの心の悩みも増大し、ちょっと「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」のように心の描写シーンが増えた。この種のアニメが陥る悪いパタン。これもか、とおもってしまう。小学生時代、毎回楽しみに観ていた「巨人の星」で、飛雄馬が30分間嘆き続けておもしろくない思いをしたことを思い出す。「エヴァ…」なんて古い画像の使い回しで、画像的にも全然おもしろくない。心の声自体に語らせなくても、別の表現の仕方があるように思うのだ…

しかし、はちまきの心理描写としての映像はよかった。たしか「空間認識症」っていったっけ? 事故にあって宇宙をただよってしまった飛行士が体験した恐怖を身体が覚えていて、真っ暗闇のなかにいることが耐えられなくという症状。その治療過程での心理描写には説得力あった。ただそのあと、「はきまき」が大いに悩むところが、心の声として音声で語られてしまったのが残念だった。

たとえば「ブレードランナー」のディレクターズカットは、余分なナレーションを入れなくとも、レプリカントやデッカードの心理描写ができている(もっとも公開版を先に見てしまったから知っているということもあるだろうが…)。

ただこの「プラネテス」でも、ユリに関しては、多くを語らせずに、それができている。ユリは事故で妻をなくしたあと、妻の遺品を回収するためにデブリ屋になった。そのエピソードでユリは「別れは必ずやってくる。ただ早いか遅いかだけ。」と田名部愛に語る。そのユリが「未来のエンジニアが壊してくれたんだ。過去にこだわる自分をね」という。このくらいの解決方法がよい。

ユリのエピソードは、オープニングで「デブリ」の説明をする背景画として使われていたシーンが始まりだっただけに、衝撃的だった。

一貫して、田名部愛を通して「愛」を語る物語ともいっていいが、その「愛」が、男女の恋愛と家族愛と人類愛(隣人愛)とがごちゃまぜになっているところが、気になる。愛では人を救えないとクレアが言いい、はちまきを救ったのは宇宙船だったと愛がきづくとき、ではいったい愛とは何なのか、わからなくなっていく。

それなのに、はちまきの母が悠然と家族を見守る姿を最後に描いて、あんなかあちゃんがいたらいいなあと思わせてしまう辺りは、愛とは何かを感がさせてくれた物語の結末としては予定調和的すぎたように思う。

ま、ハッピーエンドのほうが後味も良いので、これでいい。あんなかあちゃんが居てほしいし。


日 - 3 月 30, 2008   02:09 午前