コンビニもない不便なド田舎です。その不便を楽しみませんか。老富町は、大都会以上のスピードがある
光ネット環境 (上り下り94M)。都市生活と違う発想の転換をめざすサテライト・オフィスには最高!!!
毎月の
教会行事
湧水の旨さ、深呼吸したくなる新鮮な空気、見上げれば満天の星々。若狭湾が近い人里離れた
福井県境の高原にある水源の里なので、山の幸、海の幸に恵まれ、生かされる喜びが満載。
12月に入ったある日、にをいがけ(布教・伝道)から教会に帰ってくると、玄関に左の写真のように大根、カブラ、白菜が山積みされていました。ご近所のおじいさんが届けてくれたに違いないと、家内は実家の青森から送られてきたリンゴを持って、早速お礼に行きました。
子育ての責務も終わりに近づきつつあった今春、若い頃に思い描いた、ひと助け三昧の生活を一から始めようと心を定めました。しかし心定めをしたものの、難儀不自由の辛さに耐えられるか心配で、それを実行に移す勇気が、なかなか湧きません。そこで業を煮やした親神様が、神様ひと筋に歩む道を今夏、私にお与え下さいました。
60歳の還暦を迎えようとしている私たち夫婦にとっては、まさに暦が一巡しての人生のやり直しです。それは天理教教祖の歩まれた道中「ひながた」の前半である安政年間の「貧のどん底」の「みちすがら」を、私たちが喜び勇んで歩めるか否か、心を倒してしまうかを神様が試されている真っ最中であることを意味します。
そんな最中の10月、お米がなくなりかけました。その時、大阪の信者さんから玄米が送られてきたのです。田舎から都会へ農作物を届けるのが普通ですが、逆に大都会から米20キロの御供です。立教ゆかりの月での出来事に、神様の不思議な働きを感ぜずにはおれらません。
また11月のある日、「ここの神さんに助けられている。だから神さんに御供したいんじゃ」と野菜を片手に朝夕のお勤めに毎日、参拝して下さる老婦人が、その日に限って食パン1斤を持って参拝にこられました。私たちは都会暮らしが長かったものですから、朝はパン食でした。今思えば、贅沢な朝食です。しかも、その日の朝が最後の食パンになるところです。明日からはパン食を諦めようと夫婦で話し合っていたところでしたので、親神様の働きに驚きと感謝の心が湧きあがりました。その後もわが教会の台所事情をご存知のように、食パンがなくなれば食パンを、卵がなくなれば卵を運んで下さいます。本当に神様のなさることは、不思議です。
贅沢と言えば最近までは、お風呂に毎日入っていました。しかも疲れた日には、「あぁ、風呂に入るのは面倒だ」と不足していました。それが3、4日に1回と決めてからは、お風呂が待ち遠しく、楽しみの一つになり、ありがたくて思わず湯船に柏手を打ってしまいました。
そしてイヤイヤ入浴していた不足心から、お湯のありがたさに感謝する心に変わると、不思議にも、ご近所から柚子の実を頂いたのです。早速、それを湯船に2、3個浮かべました。入浴剤の人工ユズ湯ではなく、本物の柚の香りが漂う風呂場で、神様から身体をお借りして「生かされている」喜びをかみしめました。これでは「貧のどん底」どころか、贅沢の極みです。
間もなく、生活には厳しい冬が来ます。今年の冬は越せるのだろうかと、さき案じ(不安)で、心が慄きます。そんな時、今春から月次祭にご参拝下さっている80歳過ぎの老婦人が、漬物にする大根が必要だろうから、ウチの畑の大根を持っていけと仰って下さいました。
喜び勇んで家内と二人で、お婆さんの畑に行きました。お婆さんが待っています。大根掘りは初めてです。80歳過ぎの老婦人は、いとも簡単に大根を引き抜きますが、私たち夫婦は力任せに引き抜くばかりです。
20本ほどの大根を一輪車に乗せ、教会の傍を流れる小川まで運び、2メートルほどの土手を下り、土つき大根を私が清流で洗い、綺麗になった大根を家内が川から教会まで運ぶことになりました。
手の切れるような冷たい川の水で泥のついた大根をタワシで洗い流すと、土色の大根が真っ白な大根へと変身していきます。私の周囲の泥水が一瞬にして、清流に戻ります、私は思わず、川底が透き通って見える清らかな流れに手を合わせ「わが家の断絶の深い『いんねん』を一つ一つ洗い流してくださり、ありがとうございます」と呟いていました。
教会の庭では、家内と老婦人が一緒になって大根を切り整えて、楽しそうに漬物樽に漬け込んでいます。これで「時には水と漬物ばかりで過ごされた」ひながたを歩むことができると感涙すると同時に、今年の冬を越せると嬉しくなりました。
冬と言えば、新月の夜は、自分の足もとさえ見えない闇夜ですが、夜空には満天の星々が美しく輝き、冬の星座が天空を蔽います。反対に満月の夜は、「おふでさき」の文字が読めるほどの明るさを、親神様が与えてくれています。都会暮らしでは味わえない、大いなる天の恵みだと感じ入っています。
私が神様の不思議とありがたさを痛切に感じた出来事は、教祖のひながたを歩もうと心を定めた今春の出来事でした。移転して14年間、人間の付き合いはあっても、神様への参拝には、村人の誰一人として訪れませんでした。しかし心を定めた4月の月次祭から2人の村人が参拝に来られるようになりました。しかも米1升を持参しての参拝です。まさに「米4合を持ってお礼参りに来る人も出来た」のです。
このように「貧のどん底」を通る道中は、神様の不思議を味わえるワクワクする道中でもあります。そして過去の出来事を「あの時、ああすればよかったのに」と悔やんだり、これから先どうなるのだろうと、将来への不安ばかりを感じていた私でしたが、「貧のどん底」を味わうことで、たった今、この瞬間、親神様に「生かされている」のだという喜びを、敏感に感じることができるようになったのです。
私の変化は、教会の変化でもあります。今まで教会内の会話と言えば、世間話が大半でしたが、現在では参拝に来られる村人と「生かされている」喜びを語り合う教会へと変わっています。つまり過去や未来に囚われることなく、今(いま)を精いっぱい生きようと言う「勇み心」が共々に生まれつつある結果、お互いの厳しい現実生活のなかで「生かされている」喜びの心を持とうと言う雰囲気の教会になりつつあるのです。
とは言え、にをいがけ(布教)で戸別訪問しても断られてばかりなので、時には崩折れ勝ちな心が湧きあがります、そんな時、天理教教祖伝の第三章「みちすがら」を何度も読み起しています。10月号の繰り返しになりますが、その部分を抜粋して、崩折れ勝ちな心を、今また振り起し自戒の念にしたいと思います。
六十の坂を越えられた教祖は、更に厳しさを加える難儀不自由の中を、おたすけの暇々には、仕立物や糸紡ぎをして、徹夜なさる事も度々あった。月の明るい夜は、
「お月様が、こんなに明るくお照らし下されて居る。」
と、月の光を頼りに、親子三人で糸を紡がれた。秀司もこかんも手伝うて、一日に五百匁も紡がれた。
「このように沢山できましたかや」
と仰せられる日もあった。普通、一人一日で四十匁、夜業かけて百匁と言われて居たのに比べると、凡そ倍にも近いお働き振りであった。
夏は、ひどい藪蚊に悩まされ、冬は冬とて、枯れ葉小枝をくべて暖をとりながら、遅くまで夜業に精を出された。
こかんが、お母さん、もう米がありません。と、言うと、教祖は、
「世界には、枕元に食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。」
と、諭され、又
「どれ位つまらんとても、つまらんと言うな、乞食はさゝぬ。」
と、励まされたので、子達も、崩折れ勝ちな心を振り起して、教祖に従うた。
このように生計が苦しい時でも、その中から、食をさき着物を脱いで、困っておる者に与えられるのが常であった。漸くの思いで手に入れた五合の米を、偶々門口に立って食を乞う者に、何の惜しげもなく与えられたのも、寒さにふるえて居る者を見て、身に着けて居る襦袢を脱いで与えられたのも、この頃であった。 (2009年・師走に記す)
19日 月次祭
午前9時半
第2日曜日
HSD
High Spirits Day
たましいが勇む日
おつとめ練習と
布教伝道の日


