- 八橋検校:(1614-1685)名前は城秀、山住勾当、上永検校等を経て八橋検校を名乗る。生ま
れは福島県(奥州磐城)、京都、九州等の諸説あり。北九州・久留米の僧賢順の法弟、法水(後、柏屋)から筑紫筝を学ぶ。後に、肥後に下り玄怒(法水の師。賢順と法水は善導寺であるが、玄怒は正定寺後、慶岩寺)と、法水に学び、大内家に伝わる組曲を学ぶ。[組歌の最初は「菜蕗」で、その起源は天文頃、大内義隆(山口県)に身を寄せる則春、清政、春孝、重頼、高雅、行道、是正の七人が各1曲詠い即興的に箏の手付けしたが、その後、行道は逝去し六歌となる]その後、京にて出て八橋流創始。別の説では、法水が江戸に出たときに、八橋検校に教えたとなっている。京都の銘菓、八橋は琴の形をしていて、この八橋の名を由来にしているとも言う。筝曲組歌(八橋十三組)など作曲。八橋検校の門下に北島検校、その門人に生田検校(生田流流祖)がいる。山田検校は八橋から数えて八代目に当たる。(写真は-->金戒光明寺の墓碑)
- 八橋寺:金戒光明寺内にある常光院の通称名(写真)
- 山田検校:勝善、(斗養一)。宝暦7年江戸生れ、文政14年没。61歳。幼年期に失明。山田黒松(箏曲大意抄の著者)に箏を学ぶ。「初音」を作曲。
- 山田流箏曲:山田検校を流祖とする。八橋検校から八代目。山登、山木、山勢(萩岡松韻、久本玄智、町田松勢など)、小名木(中能島欽一など)に分かれる。
- 山田黒松:「箏曲大意抄」を著す。山田流の祖、山田検校の師。医師。
- 八雲琴:(玉琴)。古事記のにある、天の沼琴がその始めと言い、文政頃、伊予の中山琴主(加賀之介)の考案。医学を学びながら菊岡検校に師事する。
- 和琴:(やまとごと)。広義に、倭琴、大和琴ともいう。神代に、天詔琴(あめののりごと)という。また、天照大神が岩屋に籠もられたときにカナトミノ命が弓を六張を並べて弾いた(中世の偽説とも言われる)。神功皇后、琴を弾いて神託を得る。応神天皇、枯野という朽ちた舟の余材で琴を作るなどの記録がある。
- 和笛:(やまとぶえ)。古くは天鳥笛(アマノトリブエ)ともいう。天岩屋にて天鈿女命(アマノウズメ)が天香山の竹を採りその竹に孔を明けて吹いたともいうが真偽は不明。